ボスに告白してしまいました
ショウゴは薄暗い穴倉の中に篭っていた。手には金色に輝くツルハシを持っている。
アダマンタイト製の最高級品である。金と同等の値段で取引されるそれは、ルビーやサファイアなどに匹敵するほどの硬度と高い靭性を誇る。
ギャングの下っ端構成員が持っていていい代物ではないが、先日、ショウゴはたまたま(・・・・)子爵カジノに遊びにいった時に大儲けしたため、資金は唸るほどに持っていたのである。
ショウゴはそんなアダマンタイト製のツルハシを振り上げ、都市に立派な一軒家が建つほどの宝物を洞窟の壁へと叩き付けた。豪快な音を立てて崩れ落ちる壁面。一発で十センチは掘れたであろうか。鉄鉱石を多量に含んだ硬い地盤を易々と掘り抜く威力はさすが最高級品といったところである。
ショウゴは小さく頷くと、再びツルハシを振り上げた。
† † † †
ボスはベッドの中に潜り込んでいる。シルクの肌触りに包まれながらじっと目を閉じている。
看守に金を握らせ、様々な家具や道具を持ち込んだおかげで生活に困ることはない。スプリングの効いたベッドに、羽毛の入った布団。独房とは思えないほど広さを誇る床には一面に毛足の長い絨毯が敷かれている。
クリスタルガラスの花瓶には生花が飾られ、張り直されたクリーム色の壁紙には煌びやかな絵画が飾られ、あろうことか独房と通路を繋ぐ鉄格子の前には遮光と防音性に優れた魔法のカーテンで仕切られている。
褐色の肌を彩る肌着や衣服なども全てシルクやカシミアなどが用いられ、朝昼晩の食事は高級レストランにも劣らないものとなっている。
「1025号、面会の方が来られています」
カーテンから漏れ聞こえる看守の僅かな声を、ダークエルフの優れた聴覚が捉える。即座にベッドから飛び出すと、カーテンを開けた。
「誰!?」
「……イェーガー様です」
看守は恭しく言うと独房の鍵を開けた。
「そう、今行くわ。少し準備があるから、待っていてくれるかしら?」
爛々と輝いていた朱色の瞳に影が宿った。
看守はボスの美貌に圧倒され、意識が遠のきそうになったのですぐさま顔を逸らしていたが、彼女の切れ長の瞳をよくよく観察して見ていれば、まぶたのあたりがわずかに腫れぼったいのが分かったであろう。
看守の先導で通路を歩く。面会室へやすぐに到着した。透明なガラス――魔法による保護のおかげで鉄板並みの強度を誇るそうだ――の前には見慣れた禿頭のリザードマンが座っている。
「面会時間は30分です……ごゆっくりどうぞ」
時間の延長などどうとでもなる。彼は<ルチーノ一家>の子飼い看守だ。しかし、彼等が面会時間を越えることは今までに一度もなかった。
「浮かねえ、顔してるな……」
「そうかしら」
「ああ、もうちっと目の辺りに気を使わねえとな。俺以外にそんな面見せたら事だぞ」
「……どうでも、いいわ」
笹の葉の耳を垂らしながらボスが答えた。
「それよりも、ショウゴは見つかったの?」
「いや、まだ行方不明だ……」
刑務所暮らしにありながら、王侯貴族もかくやというほどの贅沢三昧をするボスであったが、その心が満たされることはなかった。
ボスが捕まり、このアルファポリス刑務所に収容されるのと同時、ショウゴは姿を消した。それから二週間が経つが未だに行方が分かっていないのだ。
当然、面会にも来ていない。
「ショウゴ、私のこと嫌いになっちゃったかな……」
「ショウゴがお前さんを見捨てるなんざあり得ねえ。きっとどこかでお嬢を助けるための算段を立ててるに違いねえんだ」
「違うわ、きっと違う……権力もない形だけのボスなんて見限られてもおかしくないわ……ショウゴは私のためにあんなに尽くしてくれたのに、私が用意できたのといえばあんなちゃちな椅子だけ……」
「お嬢、気を強く持て! ショウゴがそんなの気にするタマかよ!」
「気にするなというほうが無理よ。あんな末席すら、引き抜きの話がなければ用意できなかった……」
イェーガーの励ましはボスの耳に届いていなかった。二週間にも及ぶ独房生活で、いつまで経っても面会に現れない想い人のことだけを考え続けた結果、彼女の精神は負の方面に転がり落ちていた。
「……ショウゴ……ショウゴ……」
それから30分間、ボスは面会時間が終わるまでショウゴへの謝罪を繰り返し続けるのだった。
† † † †
「一つ打ってはボスのため!」
ショウゴの姿は今日も穴倉の中にあった。黒いギャングスーツや白のワイシャツは汗に塗れ、泥を被り、髪はボサボサ、目の下にはクマが浮かび、小奇麗だったギャング姿ははるか彼方、まるで浮浪者の様相を呈していた。
「二つ打ってはボスのため!」
ショウゴは構わず、ツルハシを振り下ろす。衝撃でごっそりと剥がれ落ちる岩盤。その破片をシャベルで掻き集めては手押し車に乗せていく。
「三も四も五も六も! ずっとずぅっとボスのため!!」
ここ数日はほとんど眠っておらず、また外に出ることもなかったために時間の感覚はもはやない。ついでに言えば指先の感覚も薄れてきている。肉刺ができ、潰れ、またすぐに肉刺が出来るを繰り返していたらいつのまにかそうなっていたのだ。
それでもショウゴはツルハシを振り続ける。痛みであれば我慢できる。しかし、ボスに逢えないことだけはどうあっても我慢できない。
――この先だ、この先にボスがいるんだ!!
乏しいロウソクの灯りの先に愛しいボスが居る。そう思えば幾らでもツルハシを振ることが出来た。
† † † †
ガラガラと音を立てて崩れ落ちる石壁。そこから溢れ出す光は暗闇になれたショウゴの目を焼いた。
「えっ、なに、なんなの!?」
耳朶を打つソプラノボイス。
ショウゴは泣きそうになった。この世界に来て、これほど長い間、彼女の声を聞かなかったことはない。組織の金を預かる会計係の説明義務という大義名分の下、週に一度はボスの部屋に顔を出していたからだ。
「ショ、ショウゴ……なの?」
懐かしい声。
愛おしい声。
ショウゴは頷く。穴倉に入り、二週間。ボスが囚われてから一ヶ月。ようやく望んだ現実を手にすることが出来た。
ボスの姿を目にすることが出来た。
鮮やかな銀の髪、ランプの光りに浮かび上がる茶褐色の肌は艶かしく見える。透明感のある朱色の瞳は、そこらの宝玉では尻込みするであろう美しさを持つ。
切れ長の瞳も、まっすぐに伸びた鼻梁も、ぷっくりとしたうす桃色の唇も――何もかもが愛おしい。
ショウゴは彼女を抱きしめたい衝動に駆られたが、驚異的な忍耐力でもってそれを抑えると口を開いた。
「ボス……お迎えに、あがりました……」
答えたいのに声が出ない。土砂の舞う穴倉に居たためか、喉が乾き、声はしゃがれていた。
緊張もあるのだろう、中々上手く声が出せない。けれどショウゴは諦めず、不器用に口を動かす。
「一緒に、帰りましょう……」
その瞬間、暖かな何かが胸に飛び込んできた。
「ショウゴのバカ、バカバカバカ! 遅いのよ、この朴念仁! どこをほっつき歩いてたのよ、この唐変木!」
花の蜜のような甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐる。少し潤んだボスの瞳が、ショウゴを恨むようにじっと見つめる。
「ずっと……ずっと待ってたんだから!」
背中に回ったたおやかな腕は、もはや片時も離れるものかとぎゅっとショウゴに抱きついていた。
「まさか……僕がボスを嫌うはず……」
「じゃあ、好き?」
「はい、大好きです……あ、やべ……」
疲労で朦朧としていた意識のせいでついつい本音がまろび出てしまう。
痛恨事であった。墓まで持っていくつもりのボスへの想いを思わず口に出してしまった。焦る。下っ端ギャングなぞがボスに恋していいはずがない。嫌われる、最悪の場合、殺される。
「私も……好き」
ボスはかぁっと顔を真っ赤にすると、再びショウゴの胸の顔を埋めた。
「え、ボス? 今なんて?」
ひとり焦っていたショウゴは、ボスの大事な一言をあっさり聞き逃してしまう。朴念仁の汚名返上といったところであった。
ボスはその問いに答えることはなかった。胸に顔を埋めたまま黙りこくっている。
しかし、見る者が見れば答えなど分かり切っていただろう。
真っ赤に染まった笹の葉の耳が、ピコピコと幸せそうに揺れているのだから。