ボスは大勝したようです
ショウゴは空前絶後のエアリアルコンボ、<ウィンドブロウ>による奇跡の32コンボを食らい、イェーガーのいるロビーまで弾き飛ばされた。
冷たい大理石の床へと叩きつけられ、ショウゴはじっと目を閉じた。相変わらず大理石の床は(全身打撲で)火照った体に心地よい。
「ショウゴのエロ、エロエロエロ!!」
今は半開きになった衣裳部屋の影からこちらを覗くボスの恨み言を聞いている。
今回は殴られた理由も明確だ。わざとではないとはいえ、仕えるべきボスの半裸を覗いてしまったのだ。殴られて当然というより、殴られなければ今後、彼女にどう接していけばいいか分からなくなるところであった。
ただし溢れる涙は止まらない。
――よかった、僕、まだ必要とされているんだ……。
このまま一家をクビにされたら何をしていいか分からない。他のギャングから引き抜きの話があるようだが、正直、ボス以外のボスに使われてやる気にはならない。ショウゴにとってボスはボスだけなのだ。
「お嬢、その辺にしておきな。幾らなんでも坊主が可哀想だ」
見かねたイェーガーがボスを諌める。
「言っちゃあ何だが、今回も油断していたお嬢が悪い。真面目な坊主なら月末の収支報告を今日中に仕上げてくることくらい分かるだろうに。ま、何発かくらい殴られてやるのは男の甲斐性ってやつかも知れねえが、これ以上の恨み言は無しだ」
「いや! 今日は許したくない!! だって……だってぇ」
ボスは言って両手で顔を覆った。長い耳のしなだれ様からかなりのショックを受けていることが分かる。
「……仕方ねえお嬢だ……坊主、ちっと耳を貸しな」
禿頭のリザードマンはトカゲのような口を耳元に寄せた。
ショウゴは立ち上がり、イェーガーに言われた通りの台詞を吐いた。
「ボス、とても綺麗でした」
「なッ……ななッ!!」
「正直、惚れ直しました。今後も誠心誠意、お仕え致します」
胸に手を置き、深々と頭を下げる。
「ば、バカ……ショウゴのバカバカ……そんな棒読みの台詞言われたって嬉しくないんだから……」
長い耳をピクピクピクピクッと小刻みに振るわせ続けるボスは、つんと尖らせた唇でそう言うと衣裳部屋の中に引っ込んでいった。
その後、いつもの黒スーツに身を包んでロビーに姿を現した時、彼女の表情はいつもの三割増しで晴れやかであった。
† † † †
「そう、今度はカジノの売り上げが落ちているわけね」
月次報告用に仕上げた資料に目を通しながら、ボスが尋ねてくる。
「はい、前月から比べると15%の減収、先々月から比べると40%近くになります」
「原因は?」
「例の子爵カジノのせいかと」
子爵カジノとは、ルチーノ一家が根を張るカシゴの街を修める子爵アンス・カシゴが作ったカジノのことである。
子爵は切れ者というよりも頭のイカれたインポ野郎であり、街を修めるべき領主のくせしやがって賭場を開催しやがったマザーファッカーだ。
子爵は大のギャング嫌いらしく、建前は『ギャングの収入源を削除する』を謳い文句に潰れかかった賭博場を買収。今度はカジノの運営を始めた。
公的カジノという信頼感はギャングが運営するカジノにはないものだ。多少の問題を起こしても刑務所にしょっ引かれるくらいで済む。イカサマもない。その安心感も手伝って人気に火がついてしまったようだ。
またギャングが運営するカジノに比べて勝率も高いと言われている。元々租税という莫大な収入源を持つ奴等はカジノで稼ぐつもりがない。
要するに完全に子爵の趣味なのである。子爵が昔、冒険者としてヤンチャしていた頃にパーティを組んでいた仲間が、ギャングに嵌められて多額の借金を背負い、それを苦に自殺したことを逆恨みしているらしい。領主就任してからこっち、様々な方法を用いてギャング潰しを行っているのだ。
「どうしたらいいのかしら……」
ボスは笹の葉のような耳をしなだらせ困ったように呟く。
憂いを帯びた表情は、ギャングの親玉とは思えないくらいに麗しい。
ボスが困っている。
ならばそれを解決するのが、下っ端の仕事である。
「ボス、この件僕に任せちゃくれませんか?」
† † † †
とある日の夜、ショウゴは配下の戦闘員を従え、中階層の住む区画へとやってきた。
夜闇に染み込むような黒いギャングスーツに身を包み、通りを我が物顔で練り歩く様はまさにギャング映画のワンシーンである。
行き交う人々はモーゼの如く道を空け、馬車でさえも停止して道を譲り、犯罪集団が過ぎるのを待った。
ショウゴはその集団の馬車で付いて回りながら、要所要所で指示を入れていく。
人払いを行い、手駒をターゲットの屋敷の玄関や裏口などに配置していく。
「やれ!」
ガラスが割られ、十数人からなる黒服集団が屋敷に侵入する。
しばらくすると二つのズタ袋がを担いだ配下達が戻ってくる。
「ご苦労だった。きちんと手紙は置いてきたな?」
「へい、テーブルの上に」
手下は答え、幌馬車まで持ってくるとズタ袋の中身をぶち撒ける。
出てきたのは一組の母子だった。
「キャロル・アントゥンとその娘のレベッカだな?」
「な、何なの、あなた達……何が目的なのよ……」
最愛の娘を抱き占めながら震える声で尋ねるキャロル。
「死にたくなければ黙ってな? お前だって幼い我が子を残したまま死にたくはないだろう?」
ショウゴはそう言って薄ら笑いを浮かべる。
「出発する。馬車を出せ。次は三番街だ」
ショウゴは言って再び馬車を走らせるのだった。
† † † †
高級娼館兼カジノ<ルチーノ>三階のボス居住区にある総大理石のロビー。革張りのソファーに座ったショウゴはこう切り出した。
「ボス、準備が整いました。デートをしましょう」
「なななななッ! で、でででデートッ!?」
笹の葉の耳をばるんばるん揺らしながらボスは身を乗り出して尋ねてくる。
「ええ、折角、準備したのです。是非ともボスにも見ていただきたい」
前のめりになりすぎてズレてしまったテーブルを戻しながらショウゴは答えた。
「わ、わたしにも……ついに、春が……」
聖職者がするように組んだ手を胸に置くボス。端正な顔立ちが喜色を浮かべると、それはもう極上の美しさで、天井に吊るされたシャンデリアでさえ霞んで見えるほどであった。
――そんなに待ち望んでおられたのか。
ショウゴは待たせてしまったことを申し訳なく思った。
「浮かれるな、符丁だよ。お嬢。例の子爵カジノで一件の決行日のことだろう」
呆れたようなイェーガーの言葉に、ボスは顔を真っ赤にした。
「しっ、知ってたわ! どうせそんなことじゃないかと思ってたのよ! この朴念仁!!」
――あれ、なんで僕怒られたの……?
頑張ったのに報われないその悲しさに、ショウゴは打ち震えた。
† † † †
その夜、ボス、ショウゴ、イェーガーの三人は<ルチーノ一家>の配下を従え、子爵カジノを訪れた。
「ボス、お手をどうぞ」
「あ、ありがとう……」
階段前で紳士的な発言をするショウゴ。別に気を利かせたわけではない。単純に手をつなぎたかったのだ。それはもう狂おしいほどに。
事実、
――漆黒のドレスに身を包んだボスはいつもの三割増しで美しい。
ギャングスターという暴力社会で生きる男勝りなボスに、そんな舐めた口を効くわけにはいかない。
ぽつりと零したその一言を聞きとがめたイェーガーはこう返した。
――それを口に出してりゃ、今頃、お嬢も子供の一人や二人居ただろうにな。
かみ合わない会話に首を傾げつつも、ショウゴはそんなものかと納得した。
カジノは人が溢れんばかりの盛況振りであったが、さすがにカシゴの裏社会を牛耳る<ルチーノ一家>の道を阻むものはいない。例によって例の如く、黒服集団の前はモーゼの如く開かれていく。
ショウゴは有り金を全てコインに変えると、ボスをルーレット台にまで導いた。
「やあ、アントゥン。妻と娘は元気かい?」
気さくに喋りかけるショウゴ。アントゥンと呼ばれたディーラーは目を見開き、指先をがたがたと振るわせ始めた。
「確かキャロルさんにレベッカちゃんだったかな。それじゃあ、ひとつ宜しく頼むよ」
「そうね。愛する家族のためにもきちんと(・・・・)働いて欲しいものだわ」
まるで氷のような表情でボスは言うと、コイン全てを最も近かった<赤の25>に置いた。
アントゥンは黙ってルーレットを回す。
小さなボールは当然、
「Red 25」
ボスの置いた賭けた場所へと吸い込まれた。
† † † †
「ふふっ、売り上げ、戻ったわね」
月次報告の資料を眺めながらボスが華やかな笑みを浮かべた。
「ええ、それもこれも全てボスの神がかり的な強運のおかげですね」
「ショウゴも中々のものだったわ。あなたにあるのは悪運ばかりだと思っていたもの」
「ボスの強運に」
「ショウゴの悪運に」
乾杯とシャンパングラスを傾ける二人。
今月は特に問題もなく、月次資料の作成にあまり時間が掛からなかったということもあり、夕飯時には仕事を終えられた。
折角だからと誘いを受け、ボスと食事を共にしながらを報告を上げている。ボスの格好は先日のようなドレス姿ではないが、黒いギャングスーツも十分に麗しい。服も肌も黒尽くめという中、胸元にまで伸ばされた艶やかな銀髪が一層華やいで見えるからだ。
「それで、子爵カジノのほうはどうなったのかしら?」
「未だに営業を続けているらしいですが、問題はありませんよ。先日出した大赤字を補填するために今はむしろ、普通のカジノよりも勝率が低くなっているようですね。遠からず店を畳むでしょう」
カジノ経営は子爵の趣味だが、それで赤字を出したとなれば話は別だ。元々カジノは胴元が儲かるように出来ているものだが、一度、大損害を出したらそれは母体である子爵、あるいはカシゴ政府が負担することになる。
街政府は一時的なキャッシュ不足に陥っているようだ。その額は莫大なものであり、都市運営に来たすほどになっている。
損失を補填しようとすればディーラーにイカサマでもさせて損失を補うしかない。今は顔の割れていないゴト師を使って、カジノ側のイカサマを告発させて追い込みをかけている真っ最中だ。
カジノ側の不正とはいえ、ギャングが経営しているカジノで告発など行おうものなら目を付けられて裏口へ連れて行かれる。しかし、公的カジノである彼等は黙ってペナルティを支払うしかない。
当然、周りの客もイカサマが行われたシーンを見ている。それは客から客へと伝わって、カジノの信用を落としていく。
公的カジノの安心感など今やどこにも存在しない。
ショウゴの優しげな顔立ちに、酷薄とした表情を浮かべた。
「要は――もがッ……」
そうして口を開いた途端、ボスはその口にパンを突っ込んだ。
「あなたに言われなくても分かっているわ。カジノは私達の持ち物で、素人が手を出していいものじゃないんでしょう?」
決め台詞を取られ、悄然とするショウゴを見ながら、ボスはいらずらっ子のような無邪気な笑みを浮かべて言った。
「ショウゴにギャングの顔は似合わないわ。その顔は嫌いよ……それに……」
――私は優しく笑っているあなたが好きなの。
「それに?」
「ううん、なんでもない。ほら食べましょう。折角のお夕飯が冷めちゃうわ」
その言葉の続きは、ついに彼女の唇から紡がれることはなかった。