【短編】ぱぶりっくえねみー

ボスは色気づいたようです

　黒髪を後ろでになで付け、真っ黒なスーツに身を包んだ青年はひたすら机に向かっている。

　ランプの限られた光源を頼りに、束ねられた伝票を捲り、羽ペンにインクを付けて帳簿へと書き写していく。

「ああっ、ああんっ！　イクッ！　イッちゃう！」

　部屋の外ではギシギシアンアン、まるで発情期のサルみたいな嬌声が上がっている。まるで出来の悪いAVのようなあえぎ声である。

　この年頃の少年であれば気になって仕事どころではないはずだが、彼――ショウゴはまるで聞こえていないかのように一心不乱に帳簿へ向かっていた。

「……あぁ……終わった……ようやく……」

　半日掛りの作業を終え、肩を回し、凝り固まった筋肉を解していく。目薬が欲しいと切に思うが、あいにくとこの世界で薬は高級品である。ギャングの下っ端構成員が手に入れられるようなものではない。

　思わず机に突っ伏しそうになるのを堪えて、ショウゴは耳元に手を伸ばした。

　付けていた耳栓を外し、

「らめぇ、それ以上ずこばこされたらお尻破れちゃうぅ！！」

「…………」

　ショウゴは黙って耳栓を付け直した。

†　†　†　†

　インクが乾くのを待ち、出来上がったばかりの帳簿を片手に地下一階から三階へと移動する。

　客室――いわゆる売春部屋は九割方埋まっている。先月、子爵宿を潰したおかげで売り上げが伸びていることは知っていたが、その効果が目に見えて実感でき、何とも言えない充足感を得る。。

　高級娼館兼賭博場＜ルチーノ＞の三階は、＜ルチーノ一家＞を取り纏めるボスの居住区となっている。カジノには用心棒がおり、ボスの護衛とカジノの治安維持を同時にさせることでより、効率化を図っているのだ。

　ボディチェックを終え、扉を潜る。革張りのソファーにはグレーの高級そうなジャケットに身を包んだリザードマンが座っている。

「よう、終わったのか、坊主」

　真っ赤な鱗、縦に割れた瞳、リザードマン特有のしゃがれ声で尋ねてくる。

「ええ、ようやく。今から報告に向かおうと思ってます」

「ご苦労さん。ボスなら衣装室にいるぜ」

「ありがとうございます、それでは失礼します」

「ちょ、おい！　……いや、まあ、大丈夫か……おう、気張ってけよ」

　イェーガーの労いに、ショウゴは小さく会釈して返すと、そのソファーを通り過ぎて風呂場へと向かう。

　ショウゴは衣装室の前まで移動する。

　ノックをしようと手を伸ばしたところ、ボスのものだろう、まるで鈴の音のような涼やかな声が聞こえた。

「でへへ、これならあの朴念仁（ショウゴ）も一発で昇天ね……」

　ショウゴは戦慄した。

　――ボスが僕の命を狙ってる……ッ！？

「ん？　そ、そこにいるのは……」

「しょ、ショウゴです……ボス……」

「――ッ！？　しょ、ショウゴ、いつからそこに！？　さ、ささ、さっきのはその、違うの！！」

「……ぼ、ボス……僕はそんなにお邪魔だったんでしょうか……」

「へ、ちょ、邪魔なわけ、て、えっ、ショウゴなんか勘違いしてる？」

　信じていた人から裏切られるというのは思いの外、辛いことであった。前衛ビルドにより物理的なタフネスさは＜ルチーノ一家＞でもトップクラスのショウゴだったが、メンタルの弱さにおいても＜ルチーノ一家＞でもトップクラスだったのだ。

　先ほど聞いた言葉が信じられず、呆然とするしかない。

「ルチーノ一家のために僕なりに精一杯、尽くしてきたつもりです……それなのに、殺すなんて……そんなのあんまりだ」

「ちょっと落ち着いて、ショウゴ……私はあなたのこと殺そうだなんて……」

「嘘だ！　そう言って油断した隙を付いて僕を殺すつもりなんだぁ！！」

「なんて厄介な勘違いの仕方しているの！？」

「……いままでお世話になりました……肥溜めのような生活から救い出してくれたこと、本当に感謝しています……今夜中にこの街から消えますから……もう一家とも関わりませんから……だから刺客は送らないでください……無駄に人を殺したくありません……それでは！」

「ちょっと待ちなさい、ショウゴ！！」

　ショウゴが踵を返そうとした時、衣装部屋の扉が開いた。

　そこにはショウゴの大切なボスが居た。

「勝手に勘違いして出て行くなんて許さないわよ！　あなたを殺すはずなんてないじゃない！！」

　ひどく真剣な表情だった。煌びやかなルビーめいた瞳を輝かせ、茶褐色の頬を紅潮させ、笹の葉のような長い耳がピンと強く張っている。

「だって、あなたは私の大事なふぃあん…………そう、大切な部下なのだから！！」

　最後のほうは恥ずかしかったのか途中で口元をもにゅもにゅとさせていたが、それさえもショウゴには愛らしく思えてしまった。

「ボス、信じてました……僕は最初から信じてました……」

「なんて白々しい台詞……はぁ、まあ、よかったわ。信じてくれて」

　怜悧な印象を与える切れ長の瞳をやんわりと緩ませ、微笑を浮かべるボス。

　そう、これこそがボスだ。ショウゴが愛してやまない、最高のボスだ！　格好こそいつもの黒いギャングスーツではなく、真っ赤なランジェリー姿であったが、最愛の女性を見間違えるはずがない。

　――って、ランジェリー姿！？

　褐色の肌に浮かぶ、シースルーの下着。彼女の性質を現すかのような情熱的な赤である。フリルがふんだんに使われたブラジャーに、ほとんど紐だけのショーツ、レースの入ったガーターベルトからストッキングまで全てが鮮やかな朱色で編まれている。

　その鮮烈なワインレッドはダークエルフ特有の茶褐色の肌にまるでしつらえたかのようにマッチしていた。

　何より強烈だったのは、際どく細い下着が柔らかな肌に食い込むようにしてその発展途上の淡い果実を浮き彫りにしているところであろう。

「ぶふぅッ！？」

「え、なに、なんでショウゴ、鼻血を出してるの……あっ……ああ、わ、わたし……こんな、こんな格好で……」

　自身がどんな格好をしているのか気が付いたのだろう、口元をあわあわとさせるボス。細い腕で必死に胸元を隠し、網タイツが食い込んだ太ももで下腹部を隠そうとする。

「ぶふぅ！」

　ショウゴの鼻から更なる鼻血が噴出する。妖艶という言葉を体現したかのようなダークエルフの美貌に、恥じらいを浮かべたポージングがアクセントとなり、得も言わえぬ情欲を醸し出していた。

「しょ、ショウゴの……ショウゴの……えっちぃいいぃぃぃぃぃ！！」