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【第一話】1:Nulla res carius constat quam quae precibus empta est.

 僕には……いや、俺にはとても我が儘で自己中心的で世界は自分のために回っているのだと公言して憚らないこの上なく傲慢で残忍で金の亡者で腐れ阿呆なご主人様が居る。そいつは自分が神か何かだと思っているのかも知れない。そのくらい傲慢な男だ奴は。

 その腐れ飼い主様のために、給料無しの奉仕活動、過酷労働を強いられている。そんなセネトレアという国には何処にでもいるような1人の奴隷だ。或いは衣食住を保証されているだけまだマシと言えばマシ。奴隷水準的にはあんなんでもマシ。認めたくないけど。

 その腐れ飼い主曰く…………


 *


 《おお……!これが人間の暮らす街なのかー!》

 「クレプシドラ、はぐれないようにね」

 《俺が見える人間なんかそんなにいない!大丈夫!》

 「まぁ……見えなきゃ商品にしようなんて馬鹿も出てこないか」


 少女のような顔立ちそれは、半透明の血水の精霊。今は冬場と言うこともあり、この国がカーネフェルやシャトランジアより北部に位置することもあり……今はそれなりに寒い。生まれ故郷のシャトランジアから比べると、例年この寒さは耐え難いものがある。

 自分の横をふよふよと浮いている水の精霊も身体が凍りかけ、氷の精霊っぽくなっている。彼でも彼女でもない彼(便宜上ここでは彼と表記)は、寒さを感じないのだろうか?或いはそれ以上に喜びが勝っているのか。

 地下道の水溜まりの中で生まれ生きてきたこの精霊にとって、地上の景色というものは物珍しく新鮮らしく、眼に映るモノ一つ一つに興奮気味だ。


(こんな街の何処が楽しいのかわからないけど)


 ここは商人の卸町ということで、確かに日中は店も多いし、それなりに賑わう。表通りや五大通りほどではないけれど、そこそこ見るところはある。他の通りに並ぶ前の商品が集まるところなのだから、ある意味では一番掘り出し物が見つかるかもしれない。それだけなら警戒などせずに、純粋に買い物を楽しむことも出来るだろうが、そうもいかないわけがある。

 ここは無法王国と名高いセネトレア王国……その都ベストバウアーに位置する東裏町。以前エルムが暮らしていたのは西裏町だが、今はわけあって東に身を置いている。

 どちらの街もこうして腰を置き暮らしてみると、その違いがはっきり見えてくる。

 西も西でそれなりには物騒だった。買い物の最中に追いはぎに遭遇することなんてよくあることだ。それでもあの宿店主や居候の名を出せば、大抵の小物は逃げ帰ってくれたもの。

 居候の場合はその実力行使の報復を恐れてのことだろうが、店主の場合は店が出禁になるのを恐れてだろう。彼女の料理は安くて美味い。西裏町でもそこそこ名の通った店だから。

 そうだ。思い返してみればまだ西裏町という場所は安全だったのだ。身包み剥がされる程度の事件はあったとしても、殺傷事件はそんなにない。

 しかしこの東裏町はどうだ?そうだ。殺傷事件こそ見あたらない。それが怖いとは思う。

 悲鳴がそこら辺から聞こえて、足を向けると誰もいない。死体さえ転がっていないのだ。金の亡者の商人達は、死体さえ残さない。金になるものならいくらでもパーツにわけて売り捌く。

 顔見知り程度になった店の子が、ある日突然行方を眩ますなんて日常茶飯事。理由なんかない。しいて言うなら「セネトレアだから」。その一言で片付けられてしまう。



 《エルムー!あっちの肉屋!肉屋行こう!すごく良い血の匂いがするっ!!》

 「普通は肉を焼いた匂いに惹かれるんだろうけど……」


 血水の精霊は、血を好む。放っておいたら殺害現場か解体工房かと殺屋に連れて行かれそうなので首を振る。


 「クレプシドラ、後でね。ちゃんと選ばないとこれは僕の今後一ヶ月の運命に関わることなんだから」

 《えー……あんなクソ男のことなんかどうでもいい。もうこれでいいー》

 「いや、よくないからね」


 精霊が拾い上げたのは小汚い石一つ。勿論プライスレス。渡せばこのままこれを顔面にクリーンヒットさせられるか目の中か鼻の穴の中に入れられるかあるいはこれをこのままソースでも掛けて夕飯に出される。あの男ならそれくらいする。やりかねん。


 「クレプシドラ……こんなの持っていったらあのクソ野郎が何するかわかったもんじゃないんだ。大体これに負けたら一ヶ月間強制サンドバッグ要員に抜擢されるわ、新作の拷問器具の試し役にされるんだよ僕が」


 あの腐れ野郎は、とんでもない鬼畜だ。外道だ。ドS野郎だ。人の心身いたぶることが大好きという最上級の変態だ。あの男の内側には金への欲と暴力成分しか入っていないんじゃないかとある時一日くらい考えた。


 《ヴァレスタの腐れファック!クソ野郎ー!なんなら俺がエルムのために殺してくる!!》

 「……君に、精霊として増えちゃいけないような語彙が増えてしまったのは僕のせいなんだろうか」


 たまには陰口くらいいいたくなる。それを横で聞いていたらしいこの精霊はたどたどしい言葉使いだったのに、今では罵り言葉特化型になりつつある。


 「駄目だよクレプシドラ……あんなのでも僕の飼い主なんだ」


 精霊を窘めるも、許可さえ出ればすぐに殺しに行きたいというわくわくした顔。血水の精霊は本当に物騒事が大好きだ。


 「あいつが死んだら……それこそ、他に行くところもなくなっちゃうしね」


 あれがどんなに最低人間でも、今の自分にとっては無くてはならない居場所なのだ。

 西裏町には帰れない。会わす顔もない。自分は彼女に捨てられたのだから。

 今更シャトランジアにも帰れない。自分は両親に売り飛ばされたのだから。

 それを拾ってくれたのがヴァレスタという男。商人組合の裏組織。その頭である奴隷商人。

 よくよく考えれば彼こそが様々なことの諸悪の根源なのだが、なんかもう無気力に陥りかけていた自分は、そんなことはどうでも良くて殺すなら殺せばいいのにとか割と本気で思ってた。元々彼は、人質としての価値を無くした自分を殺すつもりだった。パーツにして売り捌くつもりだった。

 それがどうしたことだろう。何の価値も見いだせないこの自分を彼は必要だという。弱り切った心がそれに絆されたのか、彼の境遇を自分と重ね哀れんだのかはわからない。

 唯、他に行く宛もない。だから今の自分にとっての居場所は彼。それだけは確かだ。


 《俺がいるっ!》

 「あはは、そうだね。ありがとう」


 俯いた視線。それに潜り込むよう顔を寄せる精霊。必死なその言葉に凍てつく心が僅かに癒された。

 しかし小さく微笑むと、精霊は嬉しそうに満面の笑み。そんな表情に自分の片割れ……姉の姿を彷彿し、何とも言えない気分になった。

 彼女と同じ、赤い赤い瞳がいけない。自分は赤目と余程縁があるのか。姉もこの精霊も、あの男もみんな深い赤い瞳をしている。

 自分の眼がそうではないことだけが、唯一の救いだろう。エルムは自分が姉に似ていないことに安堵した。でなければ身支度のための鏡さえ普通の心では見られない。


 「危ないよクレプシドラ」

 《平気だ》


 一瞬俯いた内に、精霊との距離が広がる。声を掛ければ彼が振り向く。


 「はぐれて困るのは僕なんだから」

 《その時はエルムが流血沙汰起こせ。お前の血の匂いならある程度離れてもわかるぞ》

 「それって僕に怪我しろってことだよね……まぁ、いいけど。その時はそうさせてもらうよ」


 物騒な物言いは、まぁ仕方ない。彼はあんまり良い精霊ではないのだ。分類するならば。

 それでも自分にとっては力を貸してくれる有り難い存在で、こんな取るに足らない自分なんかを純粋に慕って懐いてきてくれているのだからそれも悪い気はしない。


 「……ってクレプシドラ?」


 はぐれるのが前提の物言いだったらしい。むしろさっきの言葉を合図に自分の行きたい方向へ飛んでいったようにも見える。


 「…………はぁ。嫌なところばかり姉さんに似ないでよ」


 溜息と共に思い出すのは今日一日のその始まり。出かけることになった切っ掛け。

 面倒臭くも自分にとっては絶対の命令。エルムは主の言葉を思い出す。


 *


 「さて腐れ愚民共、明日が何の日か知っているか?」


 12月も暮れかかったそんなある日……優雅な仕草で茶を啜りつつ、俺の主はそう言った。


 「元旦じゃないんですか?」


 とりあえず誰も何も言わない風だったから、何気なくツッコミを入れてみた。それが間違いだった。


 「奴隷風情が主の許可無く発言するな」


 その言葉と同時に彼が利かせる手首のスナップ。それにより放物線を描き宙を舞うティーカップ。それは床に茶を一滴も零さずに吸い寄せられるかのように、俺の頭に落下した。

 不幸中の幸いと言うべきは、その中身が飲める程度には緩くなっていた。故に頭から茶をぶっかけられても火傷はしなかった。しかし流石に頭に血は上る。


 「あんたは何かと理由を付けて暴力振るいたいだけだろうがっ!」


 癖だった敬語を使うことも忘れて思わず吠えたが、彼から向けられるのは冷たい視線。


 「それの何がいけない?」

 「基本的人権なんちゃらとか言ってもお前は奴隷だろの一言で済まされるんだろうから言っても無意味だとは思うけど言わせて貰うなら先の通りです」

 「解っているなら口を慎め」


 本気で一回こいつのこと殴りたい。丸めた拳を震わせていると、俺を鼻で笑う奴が居た。茶色の髪に赤い瞳のタロック人。その色は俺の主ほどは濃くはない。平民程度の色合いではあるが、紛れもなく彼は純血。そしてついでに純血至上主義者でもある。

 そんな奴の名前はグライド=フィルツァー。この請負組織gimmickでは幹部も幹部。実質今この組織を率いているのはこの弱冠15歳という少年だ。

 外見だけなら貴族の末弟と言った風貌の小綺麗な顔立ちの美少年だが、性格が主同様最悪だ。


 「そんな事も知らないのかリゼカ?流石は混血、見事なまでに低脳だね」

 「俺の飼い主の手下その1程度の分際で俺の名前を気安く呼ばないでくれませんか?フィルツァー先輩?」


 嫌味の押収は日常茶飯事。主はそれを止めるどころか拍車を掛ける性悪だ。


 「グライド、新しい茶を持ってきてくれないか?私の犬はまったく使えない役立たずの能無しでね。私も手を焼いている」


 この男は余程俺を貶すのが好きらしい。いつもこうだ。必ずこうだ。絶対こう来る。


 「はい!ヴァレスタ様!」


 犬はどっちだ。余程あのグライドの方が犬らしいじゃないか。

 ぱたぱたと見えない尻尾を振るように、主に頼み事をされたのを喜んで新しい茶を取りに部屋から消える。

 そんな忠犬が去ったことを見届けた後、俺の主は純血共専用の外面仮面を引っぺがす。


 「リィナ、お前が覚えていないはずはない。そうだな?」

 「…………異父兄さんの誕生日でしたね」

 「正解だ!」

 「そう言いながら、リィナにまで投げんなよなレスタ兄ぃ」


 ついでといわんばかりにリィナさんへ投げられた皿を叩き斬り、ロイルさんがヴァレスタに不平を言う。黒髪黒目のタロック人。彼の色は見事だ。この組織の中でも最も深い黒髪を持っている。

 その相方である金髪緑眼のカーネフェル人。彼女がリィナさん。彼女はまったく似ていないが、彼女とヴァレスタは兄妹らしい。もっともヴァレスタ本人はそれを公にはしたくないようで、弟と認めているのはロイルさんの方だけだ。


 「……グライド達の前で俺を兄と呼んでみろ。その時はこんなものでは済まさんぞ」

 「…………はい、ヴァレスタ……様」

 「それで良い」

 「んな細けぇことどうでもいいじゃんかレスタ兄。そんなことより今日の昼飯って何?俺あれ食いてぇ。あの店の出前10人前とかよくね?蕎麦もいいよな天ぷら入りのでかいエビ入った奴。やっぱ年越しは蕎麦だよな」


 ついこの間までセネトレア王位継承権第1位の王子だったらしいロイルさんだが、周りにはそんな風に感じさせない。彼は戦うか食べるか寝ることにしか興味がないらしい。

 そんな彼と彼女とは……僕も顔見知り。

 二人は西裏町の……ディジットの宿に長らく厄介になっていた。あの宿で働いていた僕にも二人はよくしてくれた。二人は誘拐された俺と姉さんの捜索もしてくれていたのだとか。

 それが原因で、帰りたくない場所に帰らせてしまったのだから本当に申し訳なく思う。頭を下げに言ったら「気にしないで」とリィナさんは笑ってくれた。ロイルさんも「リィナがそう言うんならそうなんじゃね?」と脳天気に笑っていた。リィナさんの優しさや、ロイルさんの根拠のないこの明るさには、僕も助けられているところがある。

 それでもここに来てからのリィナさんは、表情の端に暗い影を落としている。それはこの男……俺の主、ヴァレスタのせいなのだろうな。

 ヴァレスタがリィナさんを怨む理由はわかる。それでもそれは、どうしようもないことで……別にそれはリィナさんのせいではないだろうに。子供の俺でもわかるのに。そんなことが、この男はわからないのだ。


 「お前は真面目に俺の話を聞く努力をしろ。それから会議の時には寝るな!食事の話はまた後だ!」

 「めんどくせー……」


 ヴァレスタ……この男にしては珍しく、リィナさんに対する態度よりは、ロイルさんに対する態度は柔らかい。グライドに向ける演技の顔でもない。素ではあるが、刺々しいなりにも妙な柔らかさがそこにはある。もっともロイルさん本人は何も気付いていなそうだ。


 「それで?誕生日だったらなんだって言うんです?」


 このままでは埒があかないし気に入らないグライドの野郎が戻ってきそうなので話を進めてやることに。その提案を主も認めてくれた。


 「一言で言うなら暇だ」

 「は?」


 しかしそこからもたらされた言葉は謎。


 「あのタロックの姫のせいで俺はセネトレアを乗っ取られただけではなく、表立って外を歩くこともままならん」


 ああ、そういことか。確かに。一週間前の一件以来、街は不穏だ。

 意識を取り戻した主を連れてもどった王都は、歓待ムード。セネトレア王とタロック王女の婚姻が正式に発布された。タロック王女の刹那姫は正妻としてセネトレア王宮に迎えられたという。

 たった三日の内にそんな流れになっていた。唖然とした。俺も主も。これは夢だろうかと現実を受け入れられない主が、俺の頬を引っぱたいたり抓ったりと俺が被害を被った。

 その姫との約束を不意にし、片割れ殺しの混血児というリフルさんのオークションを中止したことが原因で、ヴァレスタは彼女の怒りを買っている。見つかり次第死刑とのこと。

 それを免れるべくあの事件で殺人鬼Suitに殺されたことにして、組織の長からも身を引いて、こうして身を潜めている。

 だから暇だというのはわかる。進めている計画もあるにはあるらしいが、今はまだ行動すべき時期ではないとかで、とことん暇らしい。

 おまけにこの歩くプライドみたいな傲慢な男が、自分の誕生日も祝えないとなると不機嫌になるのもまぁ予想がつく。それでもこれが自分よりも7つも年上の男の言葉だと思うと失笑ものなわけだが。


 「そりゃあんたがあの姫怒らせたからですよね」

 「それもこれも那由多王子が俺の策から外れたのが悪い。奴さえ俺の手駒に落ちていれば……」


 冷静にツッコミを入れてみるも基本この男は責任転嫁しかしない。自分に非を感じることなど万が一にもあり得ない。そういう男だ。


 「それは単にあんたの情報不足でしょう」

 「殴られたいか?」

 「殴った後に言われても」

 「減らず口が」

 「何食わぬ顔でいちいち蹴るな!」


 流石にそろそろ俺もキレてきた。

 しかし俺の主も流石ではある。それに逆ギレをかます程度の理不尽さなら持ち合わせて余りある。


 「大体リゼカ!お前もお前だ!奴の力を知っていたのなら何故俺に話さなかった!?」

 「話すか呆けっ!あん時俺とあんた敵でしたよね!?あんた本気で俺のことゴミ扱いするわ姉さんに俺襲わせるわっ!人質の価値とかの価値なくなったからってさっくり殺して売り捌こうとしてただろ!?そんな奴に誰が話すか常識的に考えてっ!!」

 「ふ、過ぎたことを蒸し返すとは。全くお前は風情がない」

 「人に何重もトラウマ作っておきながら風情の一言で片付けるような奴は世界にもきっとあんただけだろうなぁ……」


 そしてこの自己完結である。もうこっちも悟りでも開かなければ相手にしていられない。


 「兎に角だ!お前達に命令してやる!有り難く聞け!明日までに何か俺への貢ぎ物を持ってくるが良い!持ってこなかった奴はむこう三ヶ月俺が直々に拷問に掛けてやる。一番つまらん物を持ってきた奴は一月俺のサンドバッグだ!心して準備しろ!では解散!」


 なんじゃそりゃ。そんなツッコミも咽でつっかえる。この男は嘘でこんなことは言わない。これは本気だ。本気で人をいたぶるのが好きな男だ。悪趣味野郎だ。


 「あ、そうだ。埃沙(アイシャ)は、どうするんですか?」


 ふと、この場にいない少女のことを思い出し……尋ねてみると、主はああと思い出したように手を打った。


 「ん?あれか……?あれには別の仕事をさせているからな。まぁ見逃してやろう。第一奴はいたぶったところで反応が薄いし最近つまらん」

 「変態……」

 「そんなにお前が立候補したいのかリゼカ?」

 「お断りします」

 「そう遠慮するな。どうせお前の負けは明白。潔く受け入れてはどうだ?ロイルも愚妹も俺のことはお前よりは知っているからな。俺の喜びそうな物を持ってくるだろう」

 「リィナさーん……」

 「ちなみに奴らに尋ねるのは禁止だ」

 「くそっ!」

 「混血程度の考えることなど俺に見ぬけんと思ったか?」

 「そ、そりゃあ俺が一番あんたと浅い付き合いかもしれませんがね!俺だってあんたにいろいろ命令されて来たんだ。多少はあんたの好みくらい……」


 好きな茶の種類とか、食器とか……そのくらいなら散々雑用を命じられている自分が一番詳しいはずだ。その辺を漁って何か手に入れてこよう。貯金なら西裏町で稼いだ分が結構あるし、買えないこともないはずだ。そう思いながら扉に手を掛ける。そしてぶつかる。


 「「ノックくらいしろよ」」


 憎々しげな舌打ち後、互いに開口一番にそう告げる。そこから出てきたのはグライドだった。互いに心底嫌なものを見たという顔で睨み合う。


 「僕は両手が塞がって居るんだ。出来るわけがないだろう」

 「何処の世界で内側から外にノックしなきゃならないってルールがあるのか馬鹿な俺に教えてくれませんかねぇ?」

 「それより退いてくれないか?それとも混血には聴覚が揃ってないのかい?」

 「は!人にものを頼むときはそれなりの態度というものが」

 「失礼。混血以前に君は……いやお前は奴隷だったね。頼むこと自体僕の名誉が汚れる。と言うわけで退け。或いは消えろ。もしくは死ね」

 「てめーが死ね」


 本当にこいつとは馬が合わない。フォースさんもよくこんなのと友達なんかやっていられたものだと思う。俺はこんなのと友人になるくらいなら厨房のゴのつく虫と結婚しろとか言われた方が万倍マシ。


 「グライド、そいつは捨て置け。せっかく君が煎れてくれたお茶が冷えるのは私としても忍びない」

 「は、はい!ヴァレスタ様!」


 勝ち誇ったような顔で俺を一瞥した後室内に駆け込むグライド。あいつ本当に唯ノック忘れただけだろ。早くご主人様にお茶を捧げたくて。

 それが何故俺のせいになる。あまりに理不尽。


 「ヴァレスタぁああああ……このクソ野郎……っ!」

 「「口を慎め奴隷風情が」」


 思わず口から漏れた怒りの対象は主へと向かうも、腐れ主従によって一蹴。そんなに気が合うならもうお前ら結婚してしまえ。割と本気でそう思った。


 「ふむ……これは!?カーネフェル産の新茶だな。それもこの香り……都貴族御用達の一級品だ。セネトレアには予約待ちでまだ手に入らなかったと聞いていたが」

 「先方に伝手がありまして、うちの家で輸入したんです!近々ヴァレスタ様の誕生日だとお聞きしまして。これは大した物ではありませんが……」

 「この陶器は……!素晴らしいっ!流石だグライド。その若さで商品を見る目があるな。この職人の作品は私も目を留めていてだな……」


 背後で繰り広げられる会話。

 これはやばい。背筋に寒気が走る。


(しまった……先を越された!!)


 二番煎じなんてしてみろ。すぐに比較される。それどころかズタボロに言われるのがオチだ。散々に言葉攻めをされたあとに地下室送りになるのが目に見えている。何その人生。頑張って選んでも意味がない!!すぐに別の方向にチェンジしなくては!

 半狂乱になりつつ、組織の建物を飛び出し買い物へ!憑いてきたクレプシドラと相談しながら冒頭に戻る。


 *


 「……………………」


 思い出してみてもなんだろうこれは。


(なんかもういっそのことこのまま行方眩ましてしまおうか)


 その方がずっといい。そんな気さえする。

 酷いことを言われることもなくなるし、殴られたり蹴られたりもしなくなる。あんな冷たい態度をされることもない。


 「俺、なんであんな奴のために必死になってたんだろう……?」


 自分にそう問いかけてみるも、本当に何考えてたんだ自分という答えしか返ってこない。


 「そうだ。あんな奴最低だし最悪だし鬼畜だし変態だしドSだし傲慢だし自己中だし奴隷商だし金の亡者だし…………って本当にどうして俺、あんな奴に仕えてるんだ?」


(どうせ僕なんか……)


 本当の意味で、自分を必要としている奴など誰もいない。ヴァレスタがそうしているのはクレプシドラの力を得た自分を殺すのが一筋縄では行かないことと、それから正体を知られたその口封じ。そのために自分の配下に据えたまで。

 必要としているのは数術の力だけ。傍に置くのは信用されていないから。離せば秘密を公言すると思われているから。

 おそらくこのまま行方を眩ませても誰も探しになど来てくれない。いや、探してくれるのだろうか?秘密を守るためだけに。


 「…………僕、何で生きてるんだろ」


 1人になると、ネガティブな思考になってしまうのは仕方がない。それだけのことがこの半年の中に山ほどあったのだ。

 死んじゃえばいいのに。意味なんかないのに。生きていても。何の意味も。こうして呼吸をしている。取り込む空気。それが身体の中で暴れ出す。自分という存在を拒絶するように。お前は罪深い。お前は汚らわしい。そう叫いている。

 神様なんてそこまで信じていたわけではないけれど、生まれた国が宗教国のシャトランジアだ。だから常識的に、そう考える上で……倫理とかそういうものはあの国基準の価値観。それが自分の根本に息づいている。セネトレアに来てからそれも大分緩くはなったが、それでも絶対に犯してはならない戒めくらいは心得ていたはず。

 あの男は、人の心を思考を操って、それを容易く打ち崩したのだ。言葉の魔術……恐ろしい悪魔の囁きで。

 手の掛かる妹のように思っていた。子供子供と思っていた姉が、女の顔で現れた。それはとても恐ろしい光景。手も足も刺されて痛くて動けない。そう思っている内にも行為は進んでいく。自分の身体が自分のものではなくなってしまったようだ。その感覚が背筋が震えるほど恐ろしかった。

 そしてあの日から自分は世界に拒絶されたのだ。姉に襲われたとはいえ、最終的に悪いのは男だ。そういう風に言われてしまえばそれまでだ。だから悪いのは僕なのだ。ディジット……どんな顔をして、好きだった人を見れば良いんだろう。彼女は僕を裏切ったけれど、僕は僕を裏切った。彼女を好きだという気持ちを裏切った。裏切らせた、……姉さんが犯したあの行為。

 自分が自分で気持ち悪い。今にもこの首を切り落としてしまいたい。ああ、あの海に飛び込んだら溺れて死ねる?あの建物から積み荷が落ちてきて僕を押しつぶしてはくれないものか。そう、そこの曲がり角から殺人鬼でも現れないかな。出会い頭に殺されても、僕はその人を怨まない。それどころか感謝さえするだろう。

 そんな気持ちで僕は曲がった。その角を曲がった。

 一瞬、通りのざわめきが静まりかえったような気がした。それは気のせいだったのか。

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