【第一話】プロローグ
(こんなことってあるんだろうか)
エルムはぼんやり考える。
今日は何の日だっけ。新しい年が始まる日。つまらない日常がまた続いて、僕が一歳年を取る。
でもそれは今日じゃない。今日は確かあいつの誕生日。世界で初めて……混血という化け物が生まれたのが、今から丁度二十年前。最初に生まれた混血は、人を恐れ戦かせるほど綺麗な銀の髪をしていた。
その最初の化け物が今、僕の目の前にいる。
(……こんなことってあるんだろうか?)
僕はこいつと喧嘩をして、アジトを飛び出した。こいつは僕が口を割られるのを恐れて、僕を殺しに来たはずだった。そんなその人からは、強く香る血の匂い。目眩がするくらい強く、僕はそれを感じている。
僕は抱きしめられている。誰に?あいつに。あいつに抱きしめられている。こいつは何も言わないけれど、こいつの腕が伝える言葉。
それは、無事で良かったと言われているようで、その背をぎゅっと掴みたくなる。今日は僕の誕生日じゃない。こいつが生まれた日。そうだ、それじゃあおかしい。こんなの、嬉しいのは僕だけだ。僕がこの人を喜ばせなければならなかったのに。この人は僕なんか嫌いなんだから、必要ないんだから……こんなの全然嬉しくないはず。
それでもこの人は安堵している。殺そうとしたはずの僕がまだ生きていたことに。それはどうして?みんなみたいに、僕がいらないなら。いらないのに、どうしてそんな顔をする?
(ああ、そっか)
僕は気付いた。こいつが欲しかった物。こいつが欲しかった物。たぶんこいつは気付いていない。
才能はあっても運がない。自分は世界とか神様って奴に呪われているんだとこいつは思って居るんだろう。誰かから生まれたことを祝福されたこともないんだろう。こいつの正体を知れば、フィルツァーだってどうなるか。こいつの本当を知って、それでもこいつを祝った人間ってこの世界の何処にも居ないんだ。
この人はまだ知らない。もしかしたらずっと知らないままかもしれない。それでもお前は、……貴方は祝われてるよ。端的に言えば僕に、広く言うならこの世界から。
だって、もしこの世界が貴方を祝福しなかったなら、この世界は僕を作らなかった。今僕がここにいて、貴方の存在に感謝している。それってつまり、今日という日には意味があって、二十年前の今日にもやっぱり意味はあって……僕がまだ生きていることにも意味があるってことなんだ。
せっかくの贈り物は何もなくなってしまったけれど、僕がここにいる。これ以上の何かを僕は与えられないし、それに勝る贈り物はお前にとって無いはずだ。
それはきっと、うぬぼれなんかじゃない。信じられるよ、今なら。
「……ヴァレスタ、様」
嫌味じゃない。嫌々でもない。冷徹にでも無感動にでもなく。
心を込めて、僕は初めてそう呼んだ。精一杯の、心を込めて。
*
父さんと母さんは僕らをよく教会へと連れて行った。教会はいろんなことを僕に教えてくれた。神様はいつも僕らの傍にいてくれるから、清く正しく生きなければならないと幼い僕は教えられた。神様って言うものがどんなものかはわからなかったけど、そうすることで心満たされ、満ち足りた気持ちで生きることが出来るなら、神様の言うように生きるのは良いことだとあの日の僕は考えた。
それでも幼い僕にとっての神様は、見えないし触れない……いるのかいないのか解らない存在などではなくて、それは両親というものだったんだ。
子供の傍にいて、無条件で愛してくれる存在。守ってくれる存在。それがきっと神様という者。それなら僕は神様に見放されている。
それはどうしてだろう?僕が神様の教えに背いて生きているから?きっとそうだ。それなら僕は、もっと正しく生きなければ。
父さんと母さんのために。僕は何でも1人で出来るようになろう。2人を手伝って、ちゃんと何でも言うことを聞く。そうすれば2人は僕を好きになってくれるかな。姉さんよりも、僕を見てくれるようになるよね。だって神様は頑張って、正しいことをしている人をちゃんと見守ってくれているって教会は言っていた。
僕はちゃんと言うことを守っているよ。それなのにどうして僕は、毎日こんなに悲しくて、こんなに1人で、泣いて居るんだろう。
僕は何か悪いことをしてしまったんだろうか?
ご飯はちゃんと食べてる。苦手なものもちゃんと美味しいよって言って食べている。お皿は自分で片付けるし、好き嫌いをして父さん達を姉さんが困らせる時……姉さんを甘やかして優しい言葉を掛け続ける父さんとお母さん、2人が何もしないときは僕が全部洗って片付けている。2人は僕にお礼なんか言わないし、自分たちが片付けたような気持ちになっているけれど、僕はそれを怨んだりしない。
僕が去年と同じ服。短くなった服を着ている横で、姉さんがまた新しい服を買って貰っていても僕は羨ましいとは言わないよ。だって僕は男の子だから。女の子みたいにおしゃれをする必要はないんだって2人が言っていたんだ。そうだね。そうだよ。姉さんが僕を可哀想だってスカートやドレスを譲ってくれようとしたけれど断った。だって僕には似合わないから。
僕のおやつが忘れられたり、切り分けられるケーキが露骨に姉さんの方が多くても僕は気にしていないんだ。男の子が甘い物が好きだなんて変だって母さんが言っていたから。そういうものなんだろうなって僕は思うよ。
2人の髪の色が同じ色だったってことはつまり、僕と姉さんが2人の間から生まれるはずがなかったって言うこと。僕の父さんは僕の父さんではなく、僕の母さんは僕の母さんじゃなかった。
だから好きになってくれない?違う。姉さんは愛されている。姉さんは僕の片割れだ。姉さんに出来ることが、僕に出来ないはずがない。僕は姉さんに出来ないことが一杯出来るから。きっとそうすることだって……出来る。出来るはず。出来る……よね?
2人に好きになって貰うために、僕はもっと良い子にならなければならないんだろう。2人が僕を見てくれないのは僕が我が儘で自分勝手な悪い子だからに違いない。
そうやって僕はずっと頑張った。いつか報われる。いつかきっと愛して貰えると、そう信じていたんだ。
そんな日常が終わりを告げたのは唐突だった。
「あのねエルム……うちの家計が貧しくなっていることは知っているでしょう?」
うん、知っているよ。借金が増えていたね。あれは父さんと母さんが姉さんに毎月高価なブランド物の子供服を買い与えて高い教師を付けて楽器を習わせたりちやほやさせて育てた結果だね。分かり切ったことだ。それでも僕はそれを2人に告げたりはしなかった。
「だからね、このおじさんの所に行って欲しいの」
「うちの暮らしが安定したら、すぐに連れ戻すからな」
わかってる。どうせう嘘だ。親戚のおじさんなんて言うのは嘘だ。だってそのおじさんはタロック人だ。2人はカーネフェル人なのに。
このおじさんは奴隷商だ。僕を海の向こうへ連れて行くためここにいる。
僕1人売り飛ばせばそれで一生遊んで暮らせる以上の金が転がり込んでくる。父さんと母さんと姉さんはとても幸せになれるだろう。
「うん、わかった」
僕は良い子だから、父さんと母さんのお願いを断ったり出来ない。
ああ、それじゃあまるで……僕はあの頃から奴隷だったみたいじゃないか。
僕は笑顔で頷いた。本当は泣きたかったんだけど。
こんな場所からいなくなれるんだ。姉さんから離れられるんだ。晴れ晴れするよと心の中で嘘を吐いて、そう思い込んでそれを僕の気持ちにしたんだ。
あの日僕の胸を襲ったのは深い悲しみと絶望だ。深く深く、抉られた傷。
何処に戻れば本当の父さんと母さんに会えるの?2人はまだ生きているの?もう死んでしまったの?
偽者の父さんと母さんは最後まで僕を好きになってくれなかった。
そうか、僕は僕の罪に気付いた。僕の罪は、自分の心に嘘を吐くこと。蓋をすること。
僕は綺麗でも清くも正しくもない、汚い心と欲望を持った人間なんだ。それを抑えて嘘を吐いて演じてきたのが僕の罪。それが僕の傲慢さなんだ。
僕は向き合わなければならない。僕が如何に醜く、愚鈍で醜悪な生き物なのかを思い知らなければならない。
僕は僕の薄汚さを受け入れなければ、きっと救われることも幸福になることもないのだろう。
でもその先でも神様は、きっと僕を愛してはくれない。だって神様は、そんな薄汚い僕を愛する価値はないだろう?今まで僕が愛されてこなかったのはつまり、そういうことだ。僕の本質を彼らが見抜いていたからだ。
僕はつまらなく、汚らしい人間。だから僕は無意味で、愛される価値もない。そういう存在。
僕は僕の起源も知らない。何のために作られて、何のために生まれたのかさえわからない。
僕は誰かと誰かの愛の中から生まれた?それとも……おぞましい罪の中から?
きっと後者だ。だって僕はおぞましい罪を犯してしまった。そんな僕が綺麗な場所から生まれられたはずがない。火のあるところに煙は立たない。罪は罪の中から生まれる。そんな汚れた僕だから、誰も僕を愛してくれやしないんだ。
僕自身、僕を好きになれないのに、どうして誰かが僕を好きになってくれると思えるんだろう?僕には到底思えない。神様だって僕を嫌う気持ちがよくわかる。
僕は、ちゃんと僕を見て、愛してくれる人がいるなら、その人が神様なんかじゃなくてもいい。悪魔でも構わない。その人がどんなに間違っていても構わない。
今ここにいる僕を否定しないで、その目に映してくれるなら。
その人こそが、僕にとっての神様だ。
エログロ的な意味で心配だったので、裏頁に載せてた小説。
エルムとヴァレスタがまもなく死にそうな裏本編。
筆が鈍って困ったので、15章終わらせるためにこっち完結させるべきだと思った。