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【第一話】8:verum est quod pro salute fit mendacium.

(水の音だ……)


 エルムの意識が浮上したのは、サラサラと流れる水の音を聞いてから。決定打となったのは、直ぐ傍近く……何処かから水滴の落ちる音。


(ここは……)


 何も見えない。真っ暗な視界。僕はどうしたんだっけ?確かヴァレスタと喧嘩をして……


(首が、涼しい)


 首輪を無くした。あいつに返した。僕は自由になったんだ。あの店で仕事をしなければならなくなったけど、それだってヴァレスタの傍にいるよりは自由なはず。そうだ。そのはずなのに……どうしてだろう。首が寒い。身体が震える。


(ヴァレスタ……)


 あんな男、大嫌いだ。あいつさえ居なければ、僕はこんなに惨めなことにはならなかった。あいつとさえ出会わなければ僕は幸せでいられたんだ。今みたいに、帰る場所を無くして困ることもなかった! 西裏町の影の遊技者で……ディジットの店でずっと僕は幸せに。


(幸せ……? )


 ディジットにずっと弟扱いされる。姉さんの尻拭いをさせ続けられるだけの人生。それを仕方ないと受け入れる。そこに疑問も抱かない。洗脳された僕の人生。

 ヴァレスタが教えてくれた。ヴァレスタに会わなかったら、僕は姉さんに弄ばれ続けた。ずっとあの女のマリオネット。


(でもっ……)


 思い出すだけで涙が溢れ出す。

 全部あいつが悪いんだ! ヴァレスタが姉さんを洗脳するから! だから僕があんな目に! 僕は以前のようにディジットを見られない。禁忌を犯してしまった僕が今更どんな顔で……どんな言葉で、貴女が好きだと言えばいい?

 僕自身、僕が気持ち悪くて堪らないのに。そんな僕をどうして貴女が好きになってくれるの? 何も悪いことをしていなかった頃の僕でさえ、貴女は好きにはなってくれなかったのに!


(僕は……)


 何だか無性に悲しくなってくる。ああ、馬鹿みたいだ。僕は一体何のために生まれたんだ。


 「ねえ、君」

 「え?」

 「大丈夫?」


 不意に聞こえた声。若い女性の声だ。その声が更に僕の方へと近付いて……僕の視界が開けていった。目隠しをされていたのか。言われてみれば確かに、涙が流れていく感覚はなかった。


 「こんなことするなんて、酷いわよね」

 「え、ええと」


 ここは暗い牢屋の中。笑う彼女は金色の髪に青い瞳のカーネフェル人。優しく此方を見つめるその雰囲気が、少しディジットに似ていて条件反射か? どくんと胸が高鳴った。

 見れば、背格好……年の瀬まで彼女に似ている。胸も同じくらい。それから……これはディジットに対して失礼だけど、この人はディジットよりも何割か増しで美人かも知れない。流石に混血のリフルさんとかには劣るけど。あ、いや……何でここで比較対象にあの人を出してしまうかな僕は。あの人女顔でも一応男の人だって話じゃないか。

 それは兎も角、だ。目の前の彼女は両手を縛られている。そう、それが似合うくらいには美人だ。それにもかかわらず僕の目隠しを外してくれた。どうやったのだろうと惚けていると、彼女は口の端を吊り上げ笑ってみせる。


 「ごめんね、口使っちゃった」


 汚かったら御免ねと彼女は軽く目を伏せる。


 「結びが適当だったから、引っ張るだけで取れたのよ」

 「ああ、ありがとうございます」

 「でも、さすがにこっちは無理そう」


 視線を落とせば、僕の腕も彼女と同じ……手枷によって拘束されていた。


 「あの、ここってどこなんですか? 」

 「ああ、気になる? なるわよねー、うん解るわ」


 私も聞きたい。そんなノリで彼女は頷くが、此方を安心させるようにやっぱり彼女はまた笑う。どうやら知っているようだ。


 「ここはね、貸し宿よ」

 「宿!? 」

 「ええ。でも普通の宿じゃないわよ。普通の宿にこんな地下牢あってたまるかってのよ」

 「でも、まぁ……ここセネトレアですし、東裏町ですし」

 「そうね。その点は私も諦めるわ。君も理解しているようだし、その通り。ここは危ない趣味を持ったお人が大金叩いて借りるようなろくでもなくいかがわしい場所よ。そんじょそこらのSMクラブなんかよりもっと真っ青な」

 「……それなら、どうして貴女がここへ? 」


 僕なら解る。混血がこの東裏町で何かをすれば、目を付けられても仕方ない。あの店自体、純血至上主義者に目を付けられていたと仮定するなら。それでもこの少女は有り触れたカーネフェル人女性。


 「混血を庇った純血も、あいつらにとっては混血と同じなのよ」


 遠くを見るように、彼女が溢した言葉。それは彼女が誰かを庇い、ここに連れて来られたと言う台詞。まさか自分の所為ではないかと僕は慌て出す。


 「あ、安心して? 君の所為じゃないから。馬鹿な男に引っかかった私が悪いのよ」

 「馬鹿な男? 」

 「こう見えても私、お姉さんじゃなくてお母さんなのよ? 」

 「え!? 」


 若く見えるその少女が、胸を張って微笑んだ。その行為を誇るように。ここで初めて僕は彼女に羨望と、そして嫌悪感を抱いた。娘が母になる。その意味は、忌まわしい行為。姉との一件を思い出してしまう。勿論、それだけじゃない。


(お母さん……)


 僕のお母さん。本当の母の顔は知らない。養母の顔だって……思い出しても忌々しいだけ。帰る家なんて、待っている人なんて……僕にはない。それでも彼女の子供は、こんな風に思われて、微笑まれている。それが羨ましくて、妬ましかった。僕にはそんな人が居ないのに。僕の顔に暗い影が差したこと。気付かぬ彼女はあっけらかんと僕に身の上話を続けている。


 「それでさ、私に生ませたタロークの男が子供売り払いに行こうとして。そいつその途中で純血至上主義者に見つかって殺されちゃった」

 「そ、それは……」

 「でも、子供達はまだ生きてるって聞いて……それで情報集めて助けに来たの」


 ここには捕まったのではない。わざと捕まりに来た。隙を窺い我が子を助けるために。

 そこまで聞いてああと思った。相手がタロック人ならば、攫われた子は混血。彼女は混血の母でありながら、本当に我が子を思っている。今度は妬ましいとは思わなかった。それでも羨ましかった。一瞬汚らわしいと思った女性が、今はとても神聖な者に見えていた。彼女の目的が、無事達成されれば良いと思った。


(もしここに、クレプシドラが居てくれれば……)


 そうだ。攻撃数術も行える。ここから逃げ出すことも出来るかも。しかしクレプシドラを呼ぶには、僕が流血沙汰を起こさなければ気付いて貰えない。少なくとも、僕が殺される前には気付いて貰えるだろうけど、精霊が駆けつけたときに僕はまだ生きていられるのだろうか?


 「あの……」

 「え? 私の名前? 私はコーディリア……コーディでいいわ。君は?」


 此方が言おうとしたこととは別のことを読み取る彼女。彼女は自らを名乗った。名乗られ答えないのも失礼だろう。


 「僕は……エルム」

 「そっか、しばらくよろしくねエルム君」


 この人の方が美人なのに、笑うとやっぱりディジットによく似てる。そう思うと、胸が痛んだ。手枷のため自由度のない手を触れ合わせ、彼女は握手めいた行為を僕に促す。それで運命共同体だと言わんばかりに。確かにこの場を脱するには互いの協力なくしては難しい。身の上話を行ったのは、彼女なりの誠意だろうか?


(しっ、来たわよ)


 僕が誠意を示す前に、彼女が小声で注意を促す。


 「ルナール様! 」

 「その名で呼ぶな!俺は第二公になる男だぞ! 」

 「すみませんグメノリア様っ! 」

 「黙れっ! 俺の素性を聞かれたらどうする! ルナールにしろ! 」


 どっちだよ。エルムの胸中でそんなツッコミが炸裂。

 監視をしていた見張りに労いの言葉をかけるでもなく、この暴言&失言。本人の言葉通り身分は高いのかも知れない。そんな愉快な男は黒髪黒目。しかしこんな暗い場所でも彼の色は浅く見える。純血でも血は薄い。前言撤回、公爵家の人間だというのは嘘だろう。ヴァレスタの目の方がよっぽど綺麗だ。

 牢に目を向けたその男は、自分を馬鹿にするような僕の視線が気にくわなかったのだろう。目を吊り上げて僕を睨んだ。


 「この俺を笑ったか、混血? 」

 「まぁまぁ、そんなに怒るとせっかくのお顔が台無しですよお兄さん」


 コーディリアのフォローに、ルナールなる男は僕から彼女に興味を移す。


 「……この女はどうした? 」

 「へぇ。何でも混血を庇ったとかで」

 「なるほど……」


 彼女がなかなかの美人だからか、ルナールは考え込む様子を見せる。


 「混血を庇ったというのは本当か? 純血が、何故混血など庇った? 」

 「私の外見見たらお兄さんには解るはずよ。だって、勿体ないじゃない。殺したらそれでお終いだけど、殺さなければ幾らでもお金を稼いでくれる宝箱だわ混血は! 助けて恩を売っておけばいいのよ」

 「カーネフェリーの女らしい言葉だな。しかし聡明だ……実に惜しい。貴女がタロークであったなら口説いていたところだ」

 「あら嬉しい。それで? いい加減手が痛いのだけれどこれ、解いて頂けないかしら? 私のこれ、貴方がたの勘違いですよね? 」


 コーディリア……確かに聡明な人だ。冷静で落ち着いている。怒りと呆れの混ざった彼女の声と表情は、自身が相手の過失により連れ攫われたという憤慨を伝えている。その態度の大きさから、怯えを微塵も感じさせない。ほんの少しでも彼女が恐怖を表に出したなら、相手も彼女の保身と嘘に気付くだろう。


(これは聡明だから、なんじゃない。肝が据わっている……強い人、なんだ)


 彼女は純血で、おそらくは普通の人間。身一つで助ける気でいる、自分の子供を。そんな彼女を見ていると思う。混血は……もしかしたらゴミではないのかもしれない。そんな風に思ってくれる人の傍にいることが、本当に難しいと言うだけで。


 「……貴女に家族はいるか? 」

 「いるけど、何か? 」

 「詫びるなら貴女の家族となるだろう。金は相場より高く払うと約束する」

 「それって、私に見られて困るようなものがここにはあったの? 説明して貰わない限り何も解らないわ。勿論言いふらしたりなんか出来ない」

 「貴女が馬鹿女ならそれで良いんだが、おそらくもうここが何かくらい察しているのだろう? そして何よりこの馬鹿が俺の名を口にしてしまった。生かして帰すわけにはいかない」

 「そんなんで殺されたら困るわ。何か上手い具合に記憶喪失になる方法とかないんですか? 薬とか……はそれで毒殺されたら嫌ね。そう……お兄さん高貴な身分の方のようですし、数術使いのお知り合いとかいないの? 都合の悪い記憶だけぱーっと消してくれるような方」

 「なるほど……その達者な口が回らなくなるまで、殺すのが惜しいと思わせる。確かに都合の良い記憶を貴女に植え付けられれば良い手駒になりそうだ」


 何処まで考えて喋っているのだろう。本当に、良く回る口だ。墓穴を掘るどころか次々相手から情報を引き出していく。商いに携わる者なら、彼女を欲しいと思っても仕方ないかもしれない。


(商いに……? )


 彼女を連れ帰ったら、ヴァレスタは喜ぶだろうか? 一瞬そんなことを考えてしまった自分をエルムは恥じる。


(あんな奴、もう関係ないんだ。それに……)


 彼女は僕を犠牲にしてこの場を脱する嘘も吐けただろう。それをしなかった彼女を、恩人を……一瞬でも僕は何故“道具”と考えた? あの男の考えが自分に乗り移ったようで恐ろしい。人は、人だ。僕も誰かも。それ以上でも、以下でもない。その、はずなのに。


 「……仕方ないわね。お兄さん、貴方が私を殺してもお互い損しかないから一つだけ白状するわ。私は探偵……東裏街の弱小情報屋。貴方、この街で暴れすぎていない? それで私が派遣されたのよ」


 今度の言葉は嘘? 本当? 命乞いにしては態度がでかい。殺しても無意味、仲間の存在を匂わせるコーディリアの言葉。


 「私はある“奴隷”を探すように言われたの。その子、どうにも誘拐されたようでね? この街じゃ良くあることなんだけど……相手が悪かったのよ。良くあっちゃいけない人の奴隷を何者かは盗み出したのだもの」

 「そんな者は関係ない。こちらにもそれ相応のバックが」

 「私の依頼主は、セネトレア女王……刹那姫」

 「?! 」

 「彼女が探しているのは混血の弟君。しばらく前に東で消息を絶った。島外から来た方ならご存じないかしら。つい、最近のことなのよ」


 女王の名前を口にされ、ルナールとは言葉を失う。この男もあのお姫様のことは知っているのか。


 「ルナール様。タロークの血をこよなく愛するご貴族様。貴方は真純血の姫を敵に回す覚悟がありますか? 」


 にこりと微笑むコーディリアに、見合う男は蒼白に。コーディリア、本当になんて女だ。丸腰のまま彼女は時間稼ぎを実現させた。いいや、それ以上さえ!


 「確認はしよう! お前達、彼女の縛めを解け! だが見張りは続けるんだ。牢の外へは出すなよ! 」


 逃げるよう慌ただしく、男の気配が消えていく。牢まで入って来た見張りに拘束を解かれたところで……間近で彼女に微笑まれた男が見惚れた瞬間、鈍い音。


 「騙されるのが悪いのよ、この国ではね」


 とは後の言葉で、コーディリアは見張りを沈ませていた。見張りの腰から剣を奪い、鈍器として利用したのだ。その後彼女は見張り口に手を当て彼の様子を確かめて……ほっと胸をなで下ろす。


 「す、凄いですね」

 「えっへっへ! 嘘ほど便利で万能な武器はないからね。覚悟さえあるのなら、どんなことでも引き起こせるわ。さ、君も行くでしょ? 」


 当然のように僕の縛めを解き、助けてくれる。有無を言わせぬような彼女の言葉に、抗うことは出来なかった。


 「コーディさん。あの……どこまでが、嘘なんですか? 」

 「さぁ……どこまでも? 」


 意味ありげに笑った彼女には、初めてディジットが重ならなかった。


 *


 「ロイル、これを見ろ」

 「兄貴の血だな。バトったのか? 」


 血まみれの手を弟に見せると、奴は戦闘狂の血が騒ぐのか……急にその目が輝き出した。その黒い瞳が忌まわしい。


 「違う。精霊に食わせた。あれからも同じ匂いがするだろう。追いかけろ」


 病み上がりとは言え、この俺が手傷を負うような相手がこんな所にいるはずもない。それも解らぬとは愚かな奴だ。しかし上には……いや、下にはもっと下がいる。


 「兄貴、追いかけるも何も……」

 「兄さん、それなら最初からクレプシドラちゃんと一緒に行けば良かったんじゃないの? 」


 物言いたげなロイルはまだ良い。だがリィナ! おそらく寝台に蛆虫が這っていたとしても、人はこれよりマシな目でそれを見るだろう。そう思えるほどに、信じられないという目で俺を見る愚妹。この素晴らしい俺にそんな目を向けること自体が信じられない。この愚妹はもっと羨望の眼差しで俺を見るべきだと思う。


 「あれは確認に行かせたまでだ」

 《うぁあああああああああああああああん!! 》

 「クレプシドラちゃん!? 」


 この愚昧もとい愚妹は精霊が見えている。ロイルもだ。先の一件で、この精霊と戦った際に視覚開花が成ったのだろう。リィナ……俺以外には偽善面をする雌豚め。全く許しがたい。俺だけに包容力を見せるなら、俺ももう少し扱いを考え直してやるのに。

 リィナは自分に抱き付き泣き喚いている精霊に、戸惑いがちに。それでもすぐに優しく事情を聞き出そうとする。端から見ていると変人だ。何もないところに話しかけ、胸元がいきなりびしょ濡れになる。あれは完全に痴女だ。目立ってはならんと言うのに余計なことを……


 「レスタ兄、なに苛ついてるんだ? 」

 「品位の欠片もない。血が卑しいからあそこまで惨めに振る舞えるのだろうな」

 「兄貴って、分かり易いよな」

 「何を知ったような口で」

 「リィナ! 」


 この寒空の下、さっさと上着を脱いでロイルはリィナにかけてやる。この国の第一位継承権を持っていた……王に誰より近かった男がこんな卑しい女に優しさを見せる。嗚呼、これこそ許しがたい! 玉座の品位を貶める愚行ではないか!


 「ありがとうロイル」


 ロイルは愚かだ。しかしそれは必ずしも馬鹿というわけではない。口に出さずにその小さな脳で忙しなく思い巡らせている。自分で決めることが出来ず、いくつもの選択肢を胸の内に抱えたままで黙り込む。昔のこの男は……無口で物静かな子供だった。俺がいなければ誰にも守られず、とっくの昔に死んでいた。だというのに、まったくもって生意気だ。そんな弱い弟が、一人前に誰かを守れる存在になったとその背中で豪語する。この俺の所有物を奪い、逃げ続けた愚か者が。

 優しいお前は、誰より弱い。まだ他人に甘いお前は、多くの弱みを持っている。


 「でも貴方寒くないの? 」

 「俺は馬鹿だから風邪なんか引かねーよ」


 そう言って弟は笑う。それが向くのは以前は俺だけだったのに。やはり気に入らない。俺の所有物と俺の傀儡が……俺の手を離れて自由に動く。それは心霊現象だろう。気味悪いと思って当然だろう。


(そんなお前が……俺の心を言い当てるなど不気味の一言ではないか)


 この男は、俺が妹をどんな目で見ているか知っている。何をさせたいかまで理解している。

 何の理由もなく、俺がリィナをいたぶりたい訳ではないとも。他に術がなかったことも解ってる。それでもお前が俺から離れたのは、お前に俺が殺せなかったから。唯それだけの理由。今だって俺が苛ついていた理由を、リィナは知らない。知ろうともしない。気付いたのはロイルだけ。

 リィナもそうだ。外見だけだ。恵まれた器をもちながら、お前は俺の望みに至らない。もっと上手く騙してやること、考えつかなかったのではない。その“嘘”を吐かなかったことが、俺がリィナに向けた最初で最後の愛情だ。俺がお前を傷付けたのではない。それに気付かない愚かな妹よ。そんな貴様だからこそ、俺はお前が憎む以上にお前を憎んでいるのだ。いつも被害者面で、俺を知ろうともしない。その“顔”でそんな態度を許せるはずがないだろう? 


 「嬉しいけど、兄さんがこっち睨んでるわ。貴方に甘えるのはこのくらいにしておくわ、八つ当たりされたら面倒だもの」

 「兄貴は何だかんだ言ってリィナのこと好きだもんな」

 「え? 嘘でも止めてよ、気持ち悪いわ。兄さんが溺愛してるのはロイルでしょ? 」


 二人まとめて地下室に連行したくなったが、今は時間がない。命拾いしたな愚妹に愚弟。貴様等は本当に何も見えていない。自分自身に向けられる目を正しく理解していない。他人を愛せても、自分を愛せない人間に価値など無い。そんな無価値なお前達を、この俺が愛してやろうとした。価値のある俺に必要とされることで、はじめてお前達は意味を持つ。


(だと言うのに何故……)


 何とも無しに手を開く。そこには何もない。俺は全てを失ってきた。そう、悲しむ時間も惜しいだろう? だからこそこの手は、より多くの金を、大きな国を掴めるということだ。まだその手に何かを掴んだままの兄弟達の、誰よりも。


 「ロイル」

 「ん? どうした兄貴? 」

 「そんな調子では、貴様は長生きは出来んぞ」


 かつて、何より大事にしていた。俺はそんなお前を捨てた。お前に私が捨てられた日に。だからこそ今の俺がある。誰よりこの国の王に相応しいこの俺が。そうとも、俺には弱みなどない。大事な物など何もない。俺自身さえ、目的のためならば俺は捨てられる男だ。


 「兄貴、俺には素直なのにな……心配してくれるのは嬉しいけどよ、今心配してやるのは俺じゃねーだろ? 」

 「いったい何時の話をしている? 貴様等が無駄話をしている内に、理解した。さっさと付いて来い」


 惚けて間抜けな表情の、ゴミ共を俺は一瞥して息を吐く。


 「そこの精霊が逃げ帰ってきたように、馬車は囮だ。あの短時間だ、奴は近場に潜んでいる。血の匂いが解らぬような、どぎつい匂いのする場所に」


 *


 「あのさエルム君。今更だけど、本当に良かったの? 」

 「ええ。コーディさんは僕を助けてくれました」


 彼女は先に僕を逃がしてくれようとした。それでも彼女を置いていくことは気が引けたし、外に逃げても僕が一人じゃ変わらない。どうせまた二の舞だ。

 エルムはそう考える。


 「僕は混血です。大したことは出来ないけど、怪我の治療くらいなら出来ます。だから助けて貰った分くらいは付き合わせて下さい」


 彼女の家族がまだ生きているなら、僕の回復数術が役に立つかも知れない。彼女の剣を拝借し、少し僕の血を牢に流しておいたけど……クレプシドラはまだ来ない。あの程度の血では足りなかったのか。僕一人で何処まで出来るか解らないけど、彼女を一人にはしたくなかった。


(安心するんだ、コーディさんは)


 不思議だな、女の人なのに。だから離れたくないのだろうか。


 “浅ましいな”


 ふいに脳裏に響いた男の声は、幻聴だ。僕の思い込みだ。それでもあいつなら、きっと同じ事を言う。


 “あの女の代用品か? 助ければ自分を好いてくれると思ったか? ”

(消えろヴァレスタ! あんたに何かを言われる筋合いはない。僕から……俺から居場所を奪ったあんただけには!! )

 “一つ教えてやろう。お前はこう思っているのだろう? 間に合わなければ良い。この女の大事な子供がもう死んでいれば良いと思っているのだ”

(思ってない!! )

 “互いに代用品同士、傷を舐め合い求め合いたい。それがお前の本心だろう!? ”

 「ち、違っ……! 」

 「エルム君? 」


 幻聴に言い返す言葉が、実際に口に出てしまった。取り乱す僕の顔を、彼女は心配そうに覗き込む。


 「どうしたの? 凄い汗。顔真っ青だし、何か……数術使いの君にしか解らないことでも見えた? 」

 「え、……あの……すみません。この香りが、なんか嫌な感じで」

 「うーん、そうね。もしかしたら嗅覚数術って奴? あんまり吸い込まない方が良いかも。服の袖で鼻と口覆って行きましょ」


 動揺の訳を教えるには、時間が足りない。咄嗟に溢れた言葉でも、そう嘘でもなかった。頭がクラクラするような、香水の香りが鼻につく。それも一種の……誰にでも使える数術。

 強すぎる匂いは、別の何かを隠すための嘘。それだけの理由がここに在る。匂いの強い場所が、この場所の中枢だろうと彼女が言った。


 「エルム君、匂いの元素を数値で見られる? 」

 「すみません、そこまでは……」

 「いいのいいの。あの男が向かった方に行けば行くほど匂いは強くなってるから、危険に近い所が一番真実が眠ってる所よね。何時でも戦えるように覚悟だけは決めておいて、さて……と」


 この地下にいる、人間の数はそう多くない。部屋の物色をする感じでは、それなりの人の出入りはあるようだけど、これまで遭遇した見張りの数は片手で足りる。外に出払った人間達は、混血を探しに行っているのだろう。もしコーディリアの家族がここにいないなら、留まることでこれからやって来るかもしれないその子達を救えるかも知れない。それまで混血狩り達を殺し続ければ、クレプシドラも気付くだろう。


 「うーん、全然駄目。この鍵でもないか」

 「貸して下さい。このくらいなら……」


 やがて僕らが行き着いたのは、もう一階層下のエリアだ。隠し階段の下には扉があって、当然施錠が為されている。

 見張りから奪った鍵束に、正解がある保証はない。これまで通った扉には全く施錠がされていなかった。慌ただしく去ったルナールが、駆け込み最後に鍵を掛けたのがおそらくこの場所。この先にはあの男と、混血に関する秘密がある。

 扉には観音開きのドアノブの鍵、その他に錠前がある二重構造。錠前は既に誰かが外していたが、扉自体の鍵は施錠されている。鍵束の鍵はかなりの本数、全ての鍵を試して時間を失うのは勿体ない。僕は扉へ近付き鍵穴に手を向けて、そこに水の元素を送り込む。ここは地下。水源が近いらしく水の元素が満ちている。クレプシドラがいなくても多少の数術は発揮出来そう。

 僕は集中し目を閉じる。指先に感じる冷たさを形にするイメージで……ここにあの子はいないけど。クレプシドラと小さく精霊の名を口にする。それで式は完成だ。辺りの数値が僅かに光り、瞼の向こうを眩しく思う。草木が急速に伸び根を伸すよう氷の花が広がって……目を開けずとも指先には冷たさが、成功したのだ。


 「わぁ、どういう手品? 」

 「錠に水を流して鍵を作りました。鍵ならこれで開けられます」

 「すごいのね、ありがとうエルム君」

 「いえ……」


 喜ぶ彼女が優しく僕の頭を撫でた。だけどその手はほんの少し、ぎこちない。慣れていない? こういうことに。驚き見上げたその先で……彼女ははじめて仮面が剥がれたように、不器用な笑顔を浮かべていた。


 「コーディ、さん……? 」

 「ごめんね、あんまりこういうの……慣れてなくて。……私が、撫でられてばかりだったんだ。“お姉ちゃん”に」


 困ったように笑った後に、彼女は扉に手を掛けた。僕に背を向けるよう……部屋を覗き込んだ彼女、その異変に僕は気がついた。今度は彼女が、声を出している。小さく譫言のように、どうしてと。彼女は一体何を見たのか、僕もそっと扉の中を覗き込む。


 「ひっ……! 」


 思わず息を呑んだ。だけどその息も、この扉から吸い込んだ空気を取り入れての行為なら、僕は今すぐに死にたい。

 僕はセネトレアに来てもう何年……この半年東に居たけれど、実際に混血が殺される場面を目にはしていない。それは僕の傍にいてくれた人が、僕を守ってくれたから。後はあの男が悪趣味だったから。だけどどんな悪趣味な男が、まともに思えるような光景がそこには広がっていたのだ。

 床に転がる手足は白い。その細さ、小ささから……それがまだ年端もいかない子供の物だと解る。そんなものが、部屋のあちこちに転がっているのだ。これは、混血を商品として壊す殺し方じゃない。無価値な物として、破壊することに喜びを見出している、そんな狂気を感じる惨状。


 「落ち着いて、コーディさん。まだ貴方の大事な人と、決まったわけではありません」


 小さく絞り出したのは、なんて冷たい声だろう。自分が薄情なのだと悲しく思う。誰かが取り乱せば、自然と誰かは冷静となる。そういうことだとわかっても、自分はやはり人ではないのではないか。欠けた者なのではないかと不安を感じる。


 「ああ……そう、だな」


 あんなに饒舌だった彼女が、たったそれだけしか答えられない。自分の我が子以外の犠牲者であっても、「それなら良かった! 」と割り切れない、優しい人なのか。セネトレアには長くないのかも。


(……違う、この人は)


 彼女の本当、その片鱗を垣間見て……僕は震えている彼女の手を取り、扉の中へと促した。


 「とりあえず、中に入りましょう。手掛かりはここにあるはずです」

 「あ、ああ……」


 二人で進んだその背後、閉る扉の音が重たく響く。


 「ようこそ、聡明なお嬢さん」

 「!? 」

 「まんまと罠に掛かってくれたな。逃げ出すチャンスはあった。それでもこうして来る辺り、貴方は私が思ったとおりの人だろう」

 「ルナール……っ」


 やられた。この男が囮! やけに人が少なかったのは、外から錠前に施錠をするためだ。


 「兄に随分冷たい目をするな」


 来るのが遅くて待ち侘びていた。そう言わんばかりの男の態度。暇すぎて混血を何人殺しただろうと、奴は転がる肉塊達を数えだしている。そんなな男の言葉にコーディリアは激昂し、剣を抜く! 僕も慌てて追いかける!


 「誰が兄だっ! お前が姉さんを殺したんだ!! 」

 「随分な熱の入れ様だな。復讐のために、高貴な赤眼も捨てたか」

 「お前達が姉さんにしたことを、俺は絶対許さないっ! 姉さんは何も悪くなかった!! 」

 「ふむ。しかしそれなら、ここへ何をしに来た? お前の頭だ。この俺を殺すだけなら別の場所でも出来ただろう? 憎む男の血を継ぐ子を何故助けようと思った? 嗚呼そうか! お前がその手で殺したかったのだな、あっはっはっは! これは良い! 良い同胞の誕生じゃないか! お前の姉は残念だったが、本当に弟にしてやろうか? 義兄弟の契りでも結ぼうか? ははははは! 」

 「ふざけるなっ! お前はそれでも、人間なのか!? 」

 「今俺は、ある計画に忙しくてな。丁度いい。何、可愛い弟を殺したりはしない。ルナール様は寛大だからな」


 追い付いたところで……悲しいことに僕は、二人の打ち合いを見ていることしか出来なかった。攻撃数術を使おうにも、二人の距離が近すぎて使えないのだ。それならせめて回復を、そう思っても負傷をしないのだ。二人の攻防は長く永く続いている。ルナールという男……ふざけた思考をしているが、強い。防戦一方に変わっても防げているだけコーディリアもなかなかのもの。女性の細腕で長剣を振り回すこと自体……


(“姉さん”? )


 会話の端々から二人の関係を察するに、コーディリアの姿は“嘘”!? ルナールは彼女を“弟”と呼んでいる。剣が振り回せるのも、子供慣れしていないのも……彼女が弟だったから。ルナールは自らを公爵と名乗った。それが真実なら、彼の恋人の弟も……それなりの身分の人。耳に馴染む共通語はシャトランジアで聞くそれと同じ。セネトレア風の訛りもない。


 「タロック出じゃ、セネトレアの格言は知らないか? 惚れるような女は男と疑え。初々しい娘は男と疑え。ここでは有名だぞ? 」


 二人の決着は、ルナールの……そんな言葉で幕切れとなる。コーディリアは悔しかっただろう。彼の身の上を思って、同調するよう胸が痛んだ。


 「なぜ、姉様を……殺、した!? 姉様には、もっと良い相手がいた! それでもあんたに応えたのに!! 」

 「……理由はあれの不貞だな。お前も知っているだろう、あれは混血を産んだ。俺とあれからは決して生まれることがないゴミを」

 「違うっ! お前じゃ姉様を殺す理由が欲しくて、罠を仕掛けたんだ!! 姉様は被害者だ!! 」


 倒れながらも吠えるコーディリアに、慌てて駆け寄り回復数式を。そんな姿も見えていないのか、青い彼の瞳は憎しみとルナールだけを映していた。


 *


 「なんだ、なんか騒がしいな」


 ロイルは再び戻った店内に、鼻を隠して呟いた。

 兄の読みではこの店のどこかに、エルムを隠した部屋がある。それを探しに……リィナと共にここで暴れて目を引いて、精霊と兄を捜索に専念させる。それが目的だったのだが。


『ええー! 美を愛する皆様お待たせ致しました! 今宵は楽しい催しを開催しております、ふるってご参加下さい!! 』


 店内の壇上には縛り付けられた少女が見える。いや、女に見えるがあれは男だ。


 「……見るな、リィナ」

 「どうしたのロイル? 」


 嫌な匂いがする。そういう感じがする。


『今宵の主役は、貴重も貴重のカーネフェリーの少年だ!! こんな美少女顔でも歴とした男の子! さぁさぁお立ち寄り下さい、あ! そこの可愛いお姉さんもどうですか? 』

 「あら、私が可愛いですってどうしましょうロイル? 」

 「ああ、リィナは可愛いけど照れてる場合じゃないと思うぜ」

『カーネフェリーのこの年頃の子と、一夜を過ごせる滅多にないチャンス! これで生まれるのが男の子ならば一攫千金! 一生遊んで暮らせるチャンス!! さぁさぁまだまだ参加者募集中ですよー! 』


 司会者の本題を聞き、リィナも我に返ったようで冷めた視線を取り戻す。店内には人が殺到。表通りからも客が流れてきているようだ。

 助けてやりたいが、もう暴れて良いのだろうか。ここに議会の貴族でもいたなら大事だ。


(いや、変装してるからオッケーなのか? )


 リィナはディジットを真似た姿髪型に。俺は黒衣と眼鏡を装備して……洛叉の振りをしている。こんなに健康そうな闇医者がいるか! とクレームが来そうだけどそうは言ってられねぇ。俺はアスカに変装したかったんだ、でも兄貴に却下された。金髪の男は目立つからってなぁ……


 「この子何処の子!? 遊びに飢えてるどこかのご養子なんでしょ!? そこのお家の年収幾ら!? 」

 「金! 金ならあるんだ!! おじさんにも参加資格はあるだろう!? 」

 「きゃああああ! こんな若いカーネフェリー近くで見るのはじめて!! 」


 この人だかりでは、隠し部屋を見つける事など出来ない。一方で、指名手配中の男が姿を隠すのも容易。


 「俺が言うのもなんだけどよ、大丈夫なのかこの国」

 「もう駄目だと思うわ」


 もう暴れる? とリィナが視線で聞いてくるが、簡単には頷けない。


 「兄貴かせーれーが探し当てるまで無理だぜ、たぶん」

 「ロイル、それって貴方らしくて貴方らしくない。冷静で格好良くて嫌いになりそう」

 「……解ってる、俺様も請負組織だからな。リィナの依頼なら断らねーよ」


 リィナは優しい。だけどとても冷静だ。見捨てる、助けられない相手を俺なんかより素早く正しくリィナは解る。そんなリィナがこういうのだ。これは、俺に出来る仕事だ。


(いいや……)


 リィナが俺を見ている。俺とは違う、緑の瞳で。一人では何も決められない俺に、俺の心を教えてくれる。リィナは、俺のためにならないことはしない。何時だって俺のことを考えてくれている。


 「今のロイル、今日死んだら後悔しそうな顔してるわ」

 「リィナ」

 「私も思い出してる。リフルさんのこと」


 西になんて帰れないのは俺達も同じだ。あの小柄な殺人鬼が見つかったという話は聞かない。エルムに助けられたのは、あいつではなく兄貴だけ。


(今度アスカに会ったら、殺されるかもしれねぇな)


 目の前の少年を助けたところで罪滅ぼしにはならないが、目覚めは今日ほど悪くはならないだろう。


 「待てよ」

 《黒髪のお兄さん、順番は守って! ちゃんと整理券を買ってくださいね!? 》

 「そいつが本当にカーネフェル人だって保証はあるのか? どこのどいつか名前を言って見ろ」


 乱暴に壇上までの道を作り、俺の得物を見せてやる。鞘のベルトに付けられた、この歯車型の装飾を、知らぬ者はここにはいない。東裏街にそんな奴が居るならもぐりだ。ここの人間ではない。


 「俺は、gimmick。うちのお頭を殺した犯人は、変装の名人。それから女みてぇな顔した綺麗な子供だ。そいつは殺人鬼SUITの可能性がある。迂闊に手を出してみろ、毒殺されるのはお前達だぜ」


 *


 隠し通路は何処にある? 話を聞く限りなら……リゼカが消えた場所の付近だ。そう、おそらくは……

 ヴァレスタは店の天井に目をやった。そこへ精霊を投げつければ、すっと壁へと溶けていく。


 《な、何するんだばかー!! 》


 客の目は壇上へと向いていて、誰もこちらへ気付かない。屋根裏からしか通じていない部屋があるのだ。


 「風の元素が多い場所へ行け」

 《何だよえらそーに!……お、本当にあっちから風だ!! あったぞヴァレスタ! 》


 精霊が騒ぎ出した場所。壁一枚向こう。一度精霊を呼び戻し、奴を踏みつけ俺も天井板へと上る。水の噴射で簡単にそこまで登れたが、精霊は不満そうだ。


 「この俺に足蹴にされたのだ。少しは誇れ」

 《埃臭い》


 小さな隠し部屋、その床板を開いたところで、精霊が二重に文句を吐き出した。完全にそれは無視をするとして……床下から現れた階段に、精霊の目が輝いた。


 《ヴァレスタ! はやくっ!! 少しだけど、エルムの匂いだ!! 》

 「何故貴様が俺の肩に乗る? 」

 《今の噴射で力使い果たしたんだよ! 血をもっとくれるかお前が走れ! いや不味いから走れ! 》


 こんな精霊よりロイルを連れてくるべきだった。ヴァレスタはそう後悔をする。

 同じ鼻が利くでもアレの方が扱い易い。だが愚妹には数術の才が無いのだ。あったところでこの水虫とは相性が最悪だがな。先程も抱き付いたせいで無駄に水の元素を消費していた。それを先程の噴射の所為にするとは、小賢しい真似を。


 「この俺を走らせるなど、大層な身分だな水虫っ! 」

 《誰が水虫だっ! 》

 「ならばゴミ虫っ!! 」

 《無駄なことばかり言ってるから疲れるんだろー! 》


 飼い主に似て、俺への敬意がなっていない。躾直そうにも知能指数が低すぎて、懐柔さえままならず。精霊とは斯くも尊大な生き物なのか。人間よりも遙かに扱い難い。道具としては優秀であっても、扱いこなせない代物は害にしかならない。あれが戻らぬのならば始末も検討しなければ。

 ここにはいない少年への悪態、罵詈雑言を胸の中で呟いて……怒りを足へと送り込む。


(ああ、なんて日だっ!! )


 第二公の縁者。埃沙の情報で見た第二公……あれは本人ではない。他の侯爵達も、第三公以外はそうだ。あの女は危険過ぎる。島一つを預かる者が、そう簡単に姿を現したりしない。王さえそうなのだ。刹那姫との婚姻に姿を現したのは……“父”ではなかった。

 セネトレアの治安は最悪だ。支配者達は用心深い。命を失う危険性を熟知している。影武者の二、三人は当然控えさせている。


(それもこれも、あの殺人鬼の所為だ! 殺すならもっと、上から殺せ!! 何の情報も与えず革命を遂げろ!! )


 それを雑魚貴族共を幾ら殺したところで何にもならん。より上の警戒が増すだけだ。そのために俺がこんなに苦労する。簡単な話だ。感情さえ捨てて冷静になれば良い。結果的に其方の方が被害は少なく、奴の望みは実現できる。それを目先のゴミを救うことばかり考えて、愚行ばかりを繰り返す。俺と同じ色をしながら、俺が決して選ばない悪手ばかりを繰り出して。だが何より許せないのは、そんな男に殺されかけた俺自身。


 「ちっ……」


 第二公が第一島に、混血狩りをしに来たのなら。俺が表向き死んだことで、東の混血狩りは今……手が付けられない。グライドにはまだ荷が重く、第一gimmickのことで今は多忙。まとめ役が消え収拾が付かなくなっている混血狩りに、第二公の手の者が加わったのなら……話は変わってくる。

 混血狩りは、混血憎しで動く烏合の衆だ。俺がそれをまとめたのは、俺の正体を守るために他ならない。とは言え、唯殺すだけでは意味がない。混血が狩り尽くされれば混血狩りの敵意と憎悪は余所へ向く。混血は狩るが、狩り尽くされてはならないのだ。故に商人としての利を俺は奴らに説いて来た。


 “混血は高価だ、しかしそれは生前ではなく死後に”


 生きた混血一匹を買う金が無い者でも、欠片ならば手が届く。そんな小金持ちから少しずつ金をせしめる。その一つ一つを割高にすれば、分解しパーツとして売り捌く方が総合的に高価となる。混血本体は変態からしか需要がないが、解体してしまえば別の市場の需要が生まれる。数術学、生物学、医学方面、美容整形、呪術……それから各種死体愛好家。


 “殺すことが目的。それでも我々は商人だ。それが金になるならば、どんな物でも利用するべきだ”


 狩り、加工、流通。全てを執り行うには人手も時間も必要だ。その時間と手間が、混血を全て根絶やしにはしない。今日も安価な純血が溢れている。価値の無い者同士、安易に寄り添い勝手に生まれて増えるだろう。


(混血は、必要だ。俺が王になるために)


 愚かな民衆をまとめるためには、生け贄が要る。憎悪の対象が存在し続ける限り、愚民は王を崇めるものだ。これを利用しない手などない。そういう観点からなら、第二島からの訪問者は迎合すべき相手ではある。けれど礼儀がなっていない。この俺の庭で、好き勝手暴れられるのは気分が良くない。


 《ヴァレスタ、ここだ》


 精霊が指図し俺を導いた小汚い牢。そこは男が一人倒れている。ざっと見たところ外傷は軽度の打撲くらいなもので、これでは致命傷とはならない。相手は女子供か、毒を使ったな。西の殺人鬼の真似事をする輩がやって来たか? ここにあのガキもいない。


 「おい、クレプシドラ」

 《お、死んでる。折角だし頂きまーす! 》


 俺の肩から飛び降りた、血水の精霊は男の首にかぶりつき、その血を上手そうに飲み干した。俺の方が明らかに美形だし血も美味だと思うが、この水虫は顔の悪い血が好きなのだろうか。悪趣味だな。


 《うー、あんた何か俺を馬鹿にしてる目だ! 死ねば大体美味いんだよ》

 「あれはまだ死んではいないはずだが」

 《エルムは生きてるけど、死んでる香りがするんだ。うん、エルムは俺への目印に血を残してくれたんだな。壁とか床に少しずつ血痕がある》


 穢れた元素を取り込んで、血水の精霊は再び人間サイズへと戻る。大きさを増し、血の匂いに対しても敏感になったのか、先程よりもはっきりとした口調で精霊が俺に指図する。


 《はやく、こっちだヴァレスタ。なにしてるんだ? 》


 解かれた縄と、切られた縄に手を当てて……考え込む俺の姿に奴は疑念を呈す。


 「情報系はそこまで得意ではないのだが……少しは力を貸せ」


 “過去読み”……まだ時間が経過していない内は、読み取れる情報も多い。埃沙からそしたように、情報を物に触れて引き出そうと試みる。精霊が傍に居るならやってやれないこともない。失敗しようと、俺の目ならば脳死は起こり得ない。そんな気持ちで軽く試してみただけだった……だったのだが。


 *


 「おお、其方は確か……倶胝クテイじゃったか? しばらく見ぬ内にこれまた……女子のように愛らしいのぅ」

 「刹那様に、名を覚えていただいたとは……光栄です」

 「セネトレア行きの妾の身辺警護。買って出たのは其方じゃろう? 理由はなんじゃ? 妾と一晩を共に過ごしたかったようには見えんな。妾としては其方が本当に男か確かめながら楽しみたい所なのじゃが」


 あの美しい姫と共に甲板で海を見ている、長い黒髪の少年。彼の双眸は赤。色合いはそれなりに濃く、彼が平民ではないことを言外に告げていた。


 「姉が……あの国で死んだと聞きました。俺はそれを、真実を確かめに行きたいのです」

 「ふむ……倶盧舎クローシャの件、確かに残念であった。妾もあれは知っておる。其方二人は、幼少よりタットワの家に出入りしていたな」

 「姉様には劣りますが、どうぞお召し上がり下さい」

 「くくく、愚かよのぅ其方姉弟は。此方の気まぐれで、何時殺されるかも分からぬと言うにこの妾にまで菓子を振る舞うのだからのぅ」


 占いの名家に入り浸る用事? 少年の家業は何か。農業や神事を取り仕切る立場にあるらしい。


 「王家の方は神々と同じです。神の扱いは心得ています」

 「ほぅ、何じゃそれは」

 「神のなさることは、どうにもならない、と。人に出来るのは祈り懇願することだけです」

 「くくく。食を満たせば他の欲も失せるというもの。神をいい気にさせ操るのは得意なようじゃ。それはローシャもそうであった。それが何故、ヘマをしたのか確かに妾も気になるのぅ」

 「刹那様、どうか姉のことを覚えていて下さい。俺の名など、忘れてしまって構いません」


 どうか姉の二の舞にならないでくれと、少年は姫に懇願をする。それはあの悪女を案じてのことではなく、それでは姉が浮かばれないからだと少年の顔には書いてある。それと同時に……


 「……死ぬ覚悟こそあれど、其方の細腕で何が出来る? たかが女のために復讐とは。其方は酔狂な男ぞ」

 「たかがではありません、姫様。俺にはたった一人の姉でした」

 「ほほほ、なにやらこそばゆいのぅ」


 真剣な少年の物言いに、あの刹那姫が僅かに照れる。


 「妾に良い策がある。乗っては見ぬか? 」


 ちょっとした悪戯を教えるように、無邪気な子供のように邪悪な姫の深紅の瞳が笑みに変わった。




久々の更新。某方からgimmickメンバーの年賀状を頂きまして、テンションが上がりました。裏本編書きたいけど本編進めないと書けない息抜きに。

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