怖いもの
「ねえ。人間がこの世で一番怖がるものって何だと思う?」
彼女がいきなり問いかけてきたので、俺はしばらく首を傾げてからやがて力なく首を横に振った。
「分からないや」
「うん。それが正解」
「へっ?」
「人間ってね、得体の知れないものに脳が恐怖を感じるようにできてる生き物なのよ。得体が知れないというだけで人は必要以上に物事を恐れてしまうし、逆にその正体さえ分かればその恐怖を途端に消し去ることができる。ほら、幽霊の正体見たり枯れ尾花って、日本でも昔の人が歌にしていたじゃない」
「随分と詳しいんだね」
「まあ、地頭の良さと披露できる雑学の数には自信があるかもね。私が大学生だったら、日本の東京大学の受験に合格できるくらいの頭の良さはあるかしら」
「そんなの言われても、馬鹿の俺には分かんないし。そもそも、君ってどう見ても人間じゃないじゃん」
俺がそう言うと、彼女はクスクスと可笑しそうに笑い出した。
そう、彼女は実家にもう何年も引き篭っている俺の部屋に突如として現れた人外だった。一応生物学上の性別はメスらしく二人称を彼女としているが、彼女は人外としか言い表せない存在だったのだ。
彼女自身が語る出自によれば、地球から遠く離れたどこかの惑星の出身らしい。謎に日本語が堪能な彼女から出身地である惑星と名前を聞き出したのだが、肝心の固有名詞が聞いたこともない宇宙語の発音で理解が及ばなかった。ともかく人類が未だ探索しきれていない領域に存在するどこかの惑星からやって来たのだと言う。
そしてそんな遠い存在となれば、その容姿一つ取っても我々人類の及ぶ範疇を雄に超えてくる。地球上の生物は界、門、綱、目、科、属、種からなるリンネ式の分類などでその個体を判別できるので大まかな特徴は口頭でも伝えることができると思うのだが、地球外生命体である彼女にはそれが通用しない。人体や身近な地球上の生物を例に説明できるパーツがただの一つもないのだ。
また絵に描き起こせというのも困難な容姿をしている。まず表面が何とも形容しがたい色味をしている上に感触も他に例を見ないもので、あえて言うなら人間というよりはパソコンのデータやAIに近いかもしれない。彼女は確かに現実世界に存在して俺の目の前に現れているのだろうが、人間である俺の価値観からすると彼女を生物と区分するにはあまりにも現実味が感じられなかった。
そして何より、自分でも言っていたように彼女はずば抜けて頭が良い。
今も引き篭っている実家の部屋で彼女と出会い地球についてまったく知らないという話を聞いたのもつい最近のことなのだが、それから1ヶ月も経たずに現在の彼女ははまるで人間の友達と話しているように流暢に話す。最初から日本語を流暢に話していたのにも驚かされたが(彼女によればこの現象はスマートフォンの自動翻訳のような能力で脳に直接訴えているらしい)、それ以外の時事や歴史といったネタの知識の吸収スピードが人間のそれではなかったのだ。
これが他人の話だったなら、俺もきっと何を馬鹿なと笑い飛ばしていただろう。しかし彼女の存在はそんな人間特有とも言える俺の従来の価値観を木っ端微塵に打ち砕いた。
「うふふ。あなたが色んな話をしてくれるから地球に来てから退屈しない毎日を過ごせているわ。今日はどんな話を聞けるのか楽しみね」
彼女はまた奇妙な笑い声を発する。
やはり彼女の存在は架空のものではないか、ある日突然考えも及ばない方法で彼女に襲われはしないか、そんなことを考えると毎回際限のない恐怖に呑まれそうになるが、とうの昔に職を失いどうせ他にすることもない俺はそれらを掻き消すように今日も彼女に話を聞かせるのだった。




