婚約破棄してきた騎士団長は全『徳ポイント』を失い、来世は下等生物に転生することが確定しました
私の名前はアミー。
王国の聖女なんて大層な呼ばれ方をしている。
けれど、実際はとても地味で目立たない存在だ。
そして騎士団長の婚約者。
……「だった」と言うべきか。
「アミー! この僕が、なぜお前のような女と婚約し続けなければならないのだ!」
目の前でそう叫ぶのは、私の婚約者である騎士団長、プレータ様。
騎士団長の執務室で眉間に深い皺を刻み、私を汚物でも見るような目で見下ろす。
「お前には華がない。隣にいても何の自慢にもならん。僕の隣に立つ女はもっと美しく誰からも羨望の的になるような存在でなければならん!」
――まあ、ひどい言われよう。
でも、私には彼の言葉が少しも響かなかった。
今までほとんど彼が私を一方的に利用していたようなものだ。
長年連れ添った相手への最後の情けとして、私は静かに問いかけた。
「……プレータ様。本当に、よろしいのですか?」
私の言葉に、彼は鼻で笑う。
「もちろんだ!ああ清々する!これでお前のような地味な女から解放されるのだからな!」
高らかに宣言するプレータ様。
その顔には、私という足枷を外すことができたという喜びが満ち溢れていた。
そう。
私という、彼に幸運をもたらし続けた、最大の支援者を失うとも知らずに。
「……分かりましたわ」
私は、ふわりと笑みを浮かべた。
きっと今の私の顔は、後光でも差しているかのように、穏やかなものだったに違いない。
それが逆に彼の癇に障ったのか。
プレータ様は「気味の悪い女だ」と吐き捨てた。
私は何も言わず、静かに一礼してその場を去った。
執務室の扉を閉めた瞬間、私は心の中で、私だけが使える特別なシステムを起動する。
(——これより、騎士団長プレータへの『徳ポイント』の譲渡を全面停止。及び、これまでに譲渡した全ポイントの即時回収を開始します)
私の脳内にだけ存在する表示。
そこに表示されたプレータ様の名前の横にあった天文学的な数値のポイント。
それが、みるみるうちにゼロになっていく。
そして、そのポイントはすべて、私へと移されていく。
そう、これが聖女である私の本当の能力。
他者の善行を『徳ポイント』として可視化し、貯蓄し、そして他者へ移動させる。
そのポイントは、持ち主にあらゆる『幸運』をもたらす力がある。
私が地味な恰好をしているのも。
贅沢をせず、欲しいものも我慢しているのも。
ひたすらに善行を重ねて徳を溜め込んできたから。
プレータ様がこれまで手にしてきた数々の武勲や名声。
魔物との戦いでいつも絶妙なタイミングで味方の助けが入ったことも。
昇進をかけた試合で、相手が信じられないようなミスを連発したことも。
すべて、すべて——私が必死に溜め込み、彼に譲渡し続けた『徳ポイント』がもたらした幸運だったのだ。
「さようなら、プレータ様。あなたにあげた幸運は、すべて返していただきますね」
私はもう振り返らない。
これからは、この莫大な徳を、私のために、そして、本当に大切な人のために使うのだから。
◇ ◇ ◇ ◇
プレータ様との婚約が破棄されてから、面白いほどに彼の転落劇が始まった。
訓練中に足を滑らせて捻挫したとか。
部下からの人望を失い、指示を聞いてもらえなくなったとか。
国王への報告書で、ありえないような誤りをして叱責されたとか。
そのすべてが、これまでなら私の『徳ポイント』で回避できていたことだ。
幸運という名の加護を失った彼は、もはやただの無能な男。
一方で、私は溜め込んだ徳を、ある方のために使い始めていた。
その方とは、第三王子のボーディ様。
彼は王位継承権が低いことから派手な活躍こそなかった。
しかし、誰にでも分け隔てなく優しく、常に民のことを考えて行動されている。
心から尊敬できる方だった。
プレータ様の婚約者だった頃、地味な私を馬鹿にすることなく、いつも気遣ってくださったのはボーディ様だけだった。
「アミー嬢顔色が優れないようだ。無理はしていないかい?」
「アミー嬢が淹れてくれるお茶は格別だね。忙しい合間の何よりの癒やしだよ」
その優しい言葉と笑顔に、私がどれだけ救われてきたことか。
――だから、私は決めたのだ。
この力は、ボーディ様のために使おうと。
まずは、ささやかな幸運から。
(ボーディ様がずっと探しておられた古文書が見つかりますように)
そう願って徳を少し使うと、翌日には街で偶然会ったボーディ様が嬉しそうに報告してくださった。
「アミー嬢聞いてくれ!諦めていた古文書がふらりと立ち寄った店で偶然見つかったんだ!まるで奇跡だよ!」
「まあ、それはようございました」
満面の笑みを浮かべるボーディ様に、私も心からの笑顔を返す。
私の徳が、早速役に立った。
胸がぽかぽかと温かくなる。
またある時は、ボーディ様が国の治水事業について頭を悩ませていた時。
(ボーディ様の計画に、素晴らしい知恵を持つ協力者が現れますように)
そう願うと、数日後。
引退していた伝説的な技官がボーディ様の計画に感銘を受けて協力を申し出てくれた。
計画は面白いように進み、ボーディ様の手腕は国王からも高く評価される。
徳の力によって、私たちは面白いように引き合わされ、会うたびに心を通わせていった。
彼は私の内面にあるもの——彼が言うには「陽だまりのような温かさ」を深く愛してくれた。
「君といると、どんな難題も乗り越えられる気がするんだ」
そう言って私の手を取るボーディ様の瞳は真摯で、私の心を優しく溶かしていく。
――ああ、誠実な人のために力を使えることが、こんなにも幸せだなんて。
私の人生は、プレータ様と決別したあの日から、ようやく本当の意味で輝き始めたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
私がボーディ様との幸せな時間を育んでいる頃。
元婚約者のプレータ様は、いよいよ免職寸前まで追い詰められていた。
周囲の騎士団員からの怒りを買い、完全に孤立していると風の噂で聞いた。
そんなある日の午後。
私がボーディ様と王宮の庭園でお茶を楽しんでいると血相を変えたプレータ様が怒鳴り込んできた。
「アミー! 貴様僕に何の細工をした!!」
その剣幕に、周囲の侍女たちが怯える。
しかし、ボーディ様は静かに立ち上がり、私の前に立つと、毅然とした態度で彼を制した。
「騎士団長、無礼であろう。彼女は私の大切な客人だ」
「ししかし第三王子殿下!この女が僕を陥れたのです!」
王族であるボーディ様を前にして、プレータ様は強く出られない。
その姿は威厳など微塵も感じさせない哀れなものだった。
私はボーディ様の背中から顔を出し、にっこりと微笑んだ。
「プレータ様人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいな。私は何もしていませんわ」
「嘘をつけ!お前と婚約破棄してから僕の周りでは不幸なことばかり起こる!お前が何か呪いをかけているに違いない!」
呪い、ですって?
――心外だわ。
私はただ、あなたにあげていたものを返してもらっただけなのに。
「呪いではありませんわ。ただ返してもらっただけです」
私はゆっくりと、彼に、そしてボーディ様にも聞こえるように語り始めた。
私の聖女としての本当の能力のこと。
彼の幸運がすべて私の徳によってもたらされていたこと。
「あなたの武勲も、名声も、危機からの脱出も……すべて、私が長年溜め込んできた徳を、あなたに譲渡していたからですわ。でも、もうやめました。あなたは、その幸運の価値を理解できなかったのですから」
プレータ様の顔がみるみるうちに青ざめていく。
信じられない、というように目を見開いている。
「そして、あなたから回収した徳は今、すべて私と……私が本当に幸せにしたい方のために使わせていただいています」
そう言って、私は隣に立つボーディ様を見上げた。
ボーディ様はすべてを察したように、優しく微笑んで私の肩を抱き寄せた。
「そういうことだったのか。アミー嬢、ありがとう。そして、元騎士団長殿」
ボーディ様は冷たい光を宿した瞳でプレータ様を見据える。
「君が手放してくれた幸運と、そして何より、こんなにも素敵なアミー嬢を僕にくれて、心から感謝するよ」
――完璧な追い打ちだった。
プレータ様はがくりと膝から崩れ落ち、その場に土下座した。
「アミー!僕が悪かった!どうかもう一度僕に幸運を!許してくれ!」
見苦しく許しを請う元婚約者。
けれど、私の心は氷のように冷え切っていた。
「お許しするも何も、もうあなたにあげる徳は1ポイントたりとも残っていませんわ」
私はさらに、絶望の淵にいる彼に、最後の一撃を食らわせることにした。
「それよりもプレータ様?徳がマイナスになった人間がどうなるかご存知かしら?」
「……え?」
「徳というのは魂の輪廻と深い関わりがあるのです。このままではあなたは人間として輪廻することを許されず、苦しみの中下等な生物に生まれ変わることになりますよ?」
例えば、そうね。
じめじめとした土の中で、名もなき虫として一生を終えるとか。
「これから毎日、人の嫌がることを率先して行い、善行を積まないと……大変なことになりますわね。まあ、今のあなたにそれができるかは分かりませんけれど」
私の言葉に、プレータ様の顔から完全に色が失われた。
その瞳には深い、深い絶望が浮かんでいる。
彼はもう、何も言うことができず、ただ震えるだけだった。
これが、誠実な心をないがしろにした者への正当な報いなのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
あの一件の後、プレータ様は騎士団を免職になった。
実家からも勘当され、どこかへ姿を消したと聞いた。
彼がこれからどんな人生……いえ、来世を送るのか、私にはもう関係のないことだ。
そして私はボーディ様から正式にプロポーズを受けた。
もちろん、答えは「はい」以外にありえない。
私たちの婚約は国中から祝福され、盛大な祝賀会が開かれた。
ボーディ様の隣で、私は生まれて初めて心からの幸せを噛みしめていた。
「アミー。君と出会えて私は世界で一番の幸せ者だ」
「私もですわボーディ様。私の力はこれからはあなたと、この国のために使います」
私の特別な力は愛する人々を幸せにするためにある。
ボーディ様の優しい笑顔に包まれて、私はそっと誓った。
かつて「華がない」と言われた地味な聖女。
今、最高の伴侶を得て、誰よりもまばゆい光を放っている。
本当の幸せとは、見た目の華やかさではなく、心の繋がりの中にあるのだと、世界中に証明してみせる。
私とボーディ様の物語は、まだ始まったばかりだ。