タバコの絵の少女
年の瀬も押し迫った大晦日の夜、一人の男がタバコをくわえて街をぶらついていた。
行き交う人々は慌ただしくも、どこか幸せそうな表情を浮かべて通り過ぎていく。その笑顔を見るたび、男は目を伏せた。煙たがられるのは慣れていたが、あの満ち足りた表情にはどうも耐えがたかった。
びゅう、と冷たい風が吹き抜ける。男は肩を縮め、コートの襟で顔を覆った。すると、タバコが唇から滑り落ち、乾いた音を立てて地面に転がった。
「チッ……」
舌打ちし、ポケットを探る。しかし、出てきたのは空っぽの箱。
男はため息をつき、吐き出した白い息が冷たい夜空に溶けていくのを、恨めしそうに見つめた。
――おっ。
視線を戻したとき、ふいに視界の片隅にぼんやりとしたオレンジ色の光が映った。目を細めると、そこに『タバコ』と書かれた小さな看板が浮かんでいた。
男は喜んで駆け寄り、年季の入った引き戸を開けて中へ入った。
店内は薄暗く、外観同様に時代の埃をかぶったような雰囲気だった。床は打ちっぱなしのコンクリートで、壁には傾いた写真がいくつも飾られている。木製の棚にはタバコがずらりと並んでいたが、そのどれもが古び、ビニールの外装がくすんでいた。
「ん?」
眺めていると、男の目に一つ妙なパッケージが飛び込んできた。手に取ってみる。それは少女のイラストだけが描かれた無銘の箱だった。銘柄も説明も記載されていない。
「外国製か? 子供をパッケージに使うとは、なかなか攻めてるな……」
「お客さん、それはただのタバコじゃありませんよ」
突然、背後から低い声がした。驚いて振り返ると、暗がりの中できらりと二つの光が瞬いた。目を凝らすと、そこに老婆の顔が浮かび上がった。どうやらこの店の主らしい。老婆はゆっくりと歩み寄ってきた。
「えっと、ただのタバコじゃない、とは……?」
男が尋ねると、老婆はゆっくり口元を歪め、にやりと笑った。
「欲しいものを思い浮かべながら吸うと、それが目の前に現れるんですよ」
「え? ははは、またまた……」
男は笑い飛ばしたが、老婆は微動だにせず、ただその笑みを湛えている。男は気まずくなり、咳払いをして視線を外した。
値段を訊ねると、他の銘柄と大差なかった。男は少し迷ったのち、結局そのタバコを購入した。
アパートに戻った男は、畳に寝転がり、一本取り出して火をつけた。
「欲しいものねえ……えっ」
ぼんやりと思い浮かべる。すると、驚いた。吐き出した煙の中に、自分が憧れていた高級車が現れたのだ。だが、それはほんの一瞬だけ。すぐに消えてしまった。
今のは見間違いだったのだろうか……。そう思った男はもう一度吸い込み、煙を吐いた。すると再び煙の中に、高級車――そのフォルムが浮かび上がった。
男は跳ね起き、唇からタバコを外し、まじまじと見つめた。
「このタバコ、本当だったのか……でも、小さかったよな……」
せいぜいラジコンほどの大きさ。吐いた煙の中に現れるのだから、それは当然のことだった。もっとも、この狭い室内に実物が出てきても困る。そう考えた男は、今度は札束を思い浮かべながら、煙を吐いた。
思ったとおり、煙の中に分厚く重なった札束がふわりと浮かび上がった。しかし、掴もうとすると、たちまち霧散してしまう。
続けて宝石、高級時計、金塊と次々とイメージを変えて試したが、どうしても手に入れることができない。そっと手を伸ばしても、煙を乱さずに触れることは不可能だった。
男は苛立ち、立て続けにタバコに火をつけた。貪るように吸っては、煙を激しく吐く。
「クソッ、なんでうまくいかねえんだよ! 何もかもよ!」
減っていくタバコの本数に焦り、男は声を荒げた。だが、ふと何かを考えるように黙りこくる。やがて、ケタケタと笑い出した。そして――
「ははははは! 金! 女! ごちそう! クリスマスツリィィィィ! 家族うぅぅぅぅ!」
男は欲しかったものに囲まれ、笑い続けた――満ち足りたような表情で。
「危ないですから下がってください! 下がって! そこのお婆さん、下がって!」
「間もなく鎮火します! 皆さん、安全な距離まで下がってください!」
燃え盛るアパートの一室から、黒煙が激しく立ち上る。爆ぜる音、焦げつく臭い。人々はざわつきながら火事の行く末を見守る。
欲をくべ、大成したその煙が、欲しいものを与えるものとは露知らず。『どうせ、寝タバコだろう』と疎むばかり。もっとも、その事実を聞いたところで信じないだろうが。今、空に流れた星にも気づかず、ただ眉をひそめる。
ただ一人、老婆だけが笑みを浮かべ、リアカーを引いて静かにその場を離れていく。その荷台には、少女の絵が描かれたタバコが山のように積まれていた。