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筑波中堅教員研修

杉下が管理職になる前に筑波での中央研修に参加したことがあった。そこで大きな出会いがあった。文部科学省の英語教育担当の今井氏との交流だ。今井氏の夢が杉下の気持ちを高めてくれた。

 杉下栄吉は管理職になる前、二本松中学校で教務主任をしていた。最も忙しい役職で時間と教務を管理していた。そんな激務の中で20008年の夏休み中から9月初めにかけて4週間、茨城県のつくば市の国立筑波教員研修センターで中堅教員研修という中央研修を受けるチャンスを得た。

 杉下は大学の同級生だった寺崎君といっしょに、福井から米原までしらさぎで行き、そこから東海道新幹線で東京駅に到着した。そして山手線で秋葉原まで移動して、つくばエキスプレスに乗車してつくば研究学園都市まで行った。

 つくば駅前からは同様に中堅教員研修にやってきた鹿児島の先生も同乗してタクシーで向かった。

「研修センターまでお願いします。」とお願いすると運転手は

「はい、どちらの研修センターですか。」と聞き返してきたが3人ともよくわからなくて口ごもっていた。しばらくすると

「はい、こちらでしょうか。」と運転手が車を止めて言った。外を見るとそこは建設技術研修センターと書いてあった。杉下はカバンから書類を取り出して

「ここではありません。国立教員研修センターです。」というと運転手は田舎からやってきた中年男性3人に

「この辺りには国の研修センターがたくさんあります。研修センターだけでは何処かわからなくて、しっかりと言ってくださらないとこういうことになります。」と言って車をまた走らせた。杉下はこのシーンで思い出したことがあった。それは韓国のソウルに行った時のことだ。慶福宮に行きたかったがうまく伝えられなくて地図を見せて慶福宮の位置を指さした。しかしタクシーは昌徳宮という別の王宮まで連れていかれた。海外でよくあるタクシーのぼったくりの手口である。そのことを思い出した杉下は思わず

「ここは日本なのにタクシー詐欺があるのか。」と言いそうになった。しかし争いごとにはしたくなかったので、言われるままに料金を支払ってタクシーを降りた。

 目の前には教員研修センターと書かれた石碑が置かれ、階段を昇るとゲートになっていてその奥に施設の中庭が広がっていた。中に入ってい行くと受付があり名前を言うと部屋のカギとこれからの生活の手引きが冊子になっているものを頂いた。自分の部屋に入り集合時間の10分前に開始式が予定されている講堂に入っていった。

 開始式で様々な説明を受け、早速オリエンテーションが始まった。そしてすぐに講義も始まった。講義の講師はテレビのコメンテーターとしてよく出てくるような一流の講師陣だ。特に「時事情勢」の授業では毎週日曜日の朝の政治番組でコメンテーターをしている元政治記者が最近のニュースの裏側を解説してくれた。

 4週間の授業の中で最も印象的だったのが教育法規演習だった。この授業は講師に文部科学省の若手官僚が毎回招聘される。4週間の最後の週に2日間にわたり行われた。1日目は文部科学省官僚の今井典弘による講義だったが、その中でグループごとに問題が出され2日目に授業で問題の解決策を長文で発表した。過去に起きた学校事故の事例をもとに、法律的にどのように解釈するかとか、最も有効な解決策はどういうことかなどをグループで1晩の間に答えを導き出して発表するのである。

 杉下のグループに出された問題は

「学校の学年行事で自然体験学習に出かけ、テントを設営してから山道を登って上流の滝を見学に行った。ところが天気予報は1時間後くらいに豪雨の予報が出ていた。しかし学年主任と引率責任者の教頭が話し合って、まだ降ってないし1時間で戻れるだろうと判断して、学年の生徒120名を連れて

山道を登って行った。しかし滝につくと雨が激しくなり、川は見る見るうちに水量を増してきて、子供たちは川のように水が氾濫した道を戻ることになった。しかしその途中で10人が流され、翌日死体となって下流で発見された。この学校の問題点を指摘しなさい。」という問題だった。

 夕食後班のメンバーが集まって解決策を話し合った。過去の判例などを参考にして学校の教員の処分例などを考えた。

 しかしそれからが思い出に残っている。8時からは食堂で文部科学省の官僚の今井氏を囲んで懇親会が催された。

 杉下は官僚の今井氏に

「文部科学省ではどんなお仕事をしているんですか。」と聞いてお酒を彼のコップに注いだ。すると今井さんは

「このお酒は黒龍ですね。福井県の有名な奴ですね。有難うございます。」と言ってグラスのお酒を一口飲んだ。そして

「僕は大学を卒業して一度は民間企業に就職したんです。でもなんか違うかなって思って、公務員試験を受け直したんです。同じ年の連中とは3年遅れて入省しました。だから出世は難しいかもしれませんが、今取り組んでいるのは日本の英語教育の改革です。大きく分けて2つあるんですが一つは小学校から外国語活動という授業を始めたい。もう一つは大学入試の英語で話す(speaking)を評価するという事です。」と熱く語った。今井氏を囲んで10人位が耳を澄ましていたが、杉下は少し難しい話だなと思った。しかし質問を続けて

「大学入試を変えるって言うのはずいぶん昔からそう言う声は上がっているけど実現してないから、難しいんじゃないですか。」と言うと今井氏は落ち着いた雰囲気で

「そうかもしれませんね。でも何とかしないと日本の英語教育は他の国に比べて、ひどく遅れているんです。中学、高校と6年間も英語をみっちり学んでいますが、英語を話せる人はほとんどいないんです。インドや韓国、中国の学生はほとんどが英語を習得しています。この違いは何なのか。そしてその差を埋めないと日本の国際的な地位は下がり続けると思いませんか。」と言われ、杉下は愕然とした。国の官僚のことをそれほど知らなかったが、こんなに日本のことを危惧してどうにかしないといけないと大きな野望を持って仕事をしていることを知ったのだ。

 そこからは杉下も今井もそれぞれのこれからの夢を語り合った。ちなみにその後の話の中で彼が東京大学出身だという事も教えてもらった。

彼が語った日本の英語教育の大改革は英語教育に携わっている人たちはみんな感じていたことだった。中学校でも高校でも授業改善することの必要性はみんな感じていて、コミュニケーション教科なんだから話せるようにすることが大切なことは十分に分かっていた。しかし恥ずかしがって先生や外国人講師の発音を積極的に真似しようとしない子供たちに、時間をかけて発音することの大切さを強調するよりも、受験対策として長文読解の訓練をすることの方が、必要度が高いという結論に達したし、生徒や保護者からの要望も大きかったのだろう。そのたびに大学入試が変わらない限りは変化を期待できないと何十年も前から言われ続けてきたのだ。だからこそ文部科学省の上層部で英語教育の改革のために本丸である大学入試改革が必要だったのだ。杉下は彼の活躍を期待してその日の懇親会を終えた。





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