96.悪魔の襲来(2)
満月の輝く夜。雲一つない明るい夜だった。
もぞり……
真夜中、フジノは何かを感じてはっと目を覚ました。
辺りはまだ真っ暗だ。
(何だ……?何かくる)
すぐに身を起こして部屋を見回す。
(この感覚、知ってる)
前世で何度も経験した嫌な気配に背中がピリピリする。
フジノは気配をたどって窓の方を見た。
カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいる。今夜は満月なので外はいやに明るい。
そんな中、窓を開けてないのにカーテンがゆらりと揺れていた。
昨日、取り替えられたばかりの薄い緑色のカーテンだ。目立たないが品のいい刺繍が入っていた。その刺繍の一部がぼんやりと光っている。
「!」
フジノはすぐにカーテンを焼こうとして止めた。
召喚術は既に発動していると分かったからだ。
今から燃やしても意味はない。
ならばやるべきことは一つだ。
フジノはすぐにベッドから降りて、ルームメイトのヨハンを起こした。
「ヨハン! すぐに起きて」
ルームメイトの寝起きが悪いのは承知だ。フジノは声をかけながらヨハンの額の髪の毛を少し燃やした。時間の余裕はないから手段を選んでいる暇はない。
「っ!…………あっつ! えっ? 熱い! なに、なになに!? え!? フ、フジノ!?」
飛び起きるヨハン。炎に浮かび上がったフジノの顔に怯えて後ずさる。
フジノは炎を消すと、ベッドの下に置かれているヨハンの剣をヨハンに押し付けた。
「おはよう、ヨハン。はい、これ君の剣」
「えっ? 剣? えっ?」
ヨハンは混乱しながらも剣を受け取る。騎士の性分だろう。
「ヨハン」
フジノは反応が鈍いままのヨハンの肩をぐっと掴んで、真剣な声で話しかけた。
「すぐ、ちゃんと、起きて。でないと死ぬから」
「…………分かった。起きたと思う」
ヨハンも新人とはいえ帝国騎士団の騎士である。フジノの緊迫した様子にヨハンの顔つきは一気に引き締まった。有事だと悟ったのだろう。
フジノはきびきびとヨハンに簡潔に伝えた。
「すぐに悪魔が来る。魔方陣はもう発動してしまっているから防げない」
伝えながらフジノは騎士服のズボンだけ履いて、寝巻きをそこへ押し込んだ。自分の剣も持つ。
「え? 悪魔?」
ヨハンもフジノにならって、てきぱきとズボンを履きながら聞き返してくる。
「カーテンに刺繍で召喚の魔方陣が組み込まれていたみたいだ。よくやるよね。考えただけで気が遠くなるよ……もう来るよ、下がってて」
フジノはヨハンを窓から遠ざけるとカーテンに向かって構えた。
剣に魔力を注ぐ。
ゆらり、ゆら……
フジノの後ろでヨハンは揺れるカーテンから音もなく人の頭程の大きさの緑色の気持ち悪い生き物が出てくるのを見た。
それは体の大半が顔だった。大きな目玉と牙の生えた口を持ち、手足は枯れ枝のように細く小さな翼が生えていた。禍々しい気配を纏っていて良くない物だと分かる。
「キィ」
おまけに鳴いた。
「うわあ」
ヨハンは小さく悲鳴をあげた。悪魔を見るのは初めてだ。気持ち悪い。
フジノは目玉の悪魔の全貌を確かめてから剣を一閃した。
パシャッ。
目玉の悪魔はあっけなく飛び散って消える。
「え? よわ……」
「弱くはないから。最下級の悪魔だけどね。悪魔には物理攻撃はほとんど効かないんだ。ある程度の魔力か魔法をぶつけないと消えない。ヨハン、魔法を使えない君は不利だ。剣を貸して」
そう言うと、フジノはヨハンの了解は得ずにヨハンの剣を取り魔力を注ぐ。
「これで、五匹くらいなら倒せると思う。よく考えて大切に振るんだよ」
「あ……うん。フジノが優しいと何だか怖いな。僕、もしかしてマジで死ぬのかな?」
少し心細げにヨハンが言う。
「…………」
フジノは絶句してから、ヨハンの肩をぎゅっと掴んだ。死ぬとか止めて欲しい。
出来たら自分がヨハンに付いててあげたいけれど、そういう訳にはいかないのだ。目覚めた瞬間からすごく嫌な予感がしている。
悪魔を見てそれは増していた。
根拠はないが、ハナノが狙いなんじゃないかと思うのだ。思うだけで総毛立つ。
だからフジノはこれからすぐに女子寮に向かうつもりだ。
「早めに魔法を使える奴を見つけて、援護に回れば死なない。死なないでよ」
「あ、うん。分かった」
「他の部屋にも来てるね。でも騎士で起きてるのは強い人と勘のいい奴だけだろうな……今から全員起こすから、ヨハンが説明してあげてね。僕は皆を起こしたらすぐにハナの所に行くから」
「え? 起こすってどうやって……?」
戸惑うヨハンを無視してフジノは集中すると、自身の風魔法を放った。
無数の小さな風の塊を男子寮の外壁に当てたのだ。
バァンッ、と大きな音がして、各部屋の窓ガラスが割れる。フジノの部屋も例外ではない。
「うわっ」
ヨハンは飛び散る破片を腕で防いだ。
寮内の至るところから、同じような音と悲鳴が聞こえてくる。
「突風を当てて窓ガラスを割った。これで皆起きたでしょ。悪魔は物理は効かないって説明よろしくね。あと、ヨハン、死なないでね」
フジノは早口でそう告げると、ヨハンは真剣な顔で頷く。それを見てフジノは窓から身を翻した。
「えっ、ちょっ、ここ三階っ」
ヨハンが慌てて窓に駆け寄った時には、風魔法で衝撃を緩めて難なく着地しているフジノがいた。
フジノはそのまま騎士団本部近くの女子寮へと駆けていく。
少し駆けてから振り返り、男子寮の前に建物の高さを越す炎の壁を出現させた。
「えっ!」
炎の明るさと熱を感じながら、ヨハンがびっくりしていると、上空でいくつかの「ギィィッ」という悲鳴が聞こえた。
さっきの目玉の悪魔とはまた違うスレンダーな豚みたいな悪魔が燃えている。
「ふわっ」
ヨハンの口から、息なのか悲鳴なのかよく分からない声が出る。
寮の中からは、「キイッ」という鳴き声と、怒声のようなものが聞こえてきた。
ヨハンは先ほどの『ヨハン、死なないでね』というフジノの言葉を思い出す。
ヨハンはぐっと剣を握ると、部屋を出て廊下を走った。




