82.お茶会への招待(3)
「おはようございます。ハナノ様とご友人様」
食堂の入り口にやって来たハナノを初老の紳士がにこやかに迎えた。
数日前に声をかけられたばかりの老紳士である。
「ホーランドさん。おはようございます。また会いましたね」
ハナノは老紳士の名前を呼んで挨拶をした。
そんなハナノに隣のローラはぎょっとしてハナノとホーランドを見比べたがハナノは気づかなかった。
「皇太后様のお茶会の招待状は届きましたでしょうか?」
「あれ? なんで知ってるんですか? ってそうか、ラッシュ団長のじいやさんですもんね」
「はい、爺は何でも知っております」
このやり取りにローラは「は? じいや?」と軽く困惑しているのだが、ハナノはそれにも気付かない。
「ドレスなどのご準備はありますか?」
「あー、それが私の実家は田舎も田舎の男爵家なんで、ドレスも靴もなんにもなくて困ったのですが、友人に借りられることになりました」
「ほほう、そちらのご友人様でしょうか?」
ホーランドがきらりと目を光らせてローラを見る。ローラはびくりと肩を揺らした。
「はい、ルームメイトなんです。ホーランドさんは今日もラッシュ団長にご用ですか?」
「いえ、本日はハナノ様に会いに参りました」
「私に?」
「貴女のお茶会用のドレスを揃えるようにと、皇太后様より頼まれております」
「…………え? こ、皇太后様ですか? でもホーランドさんはラッシュ団長のじいやさんでは」
ちょっと焦るハナノ。
たとえ皇帝陛下の弟君とはいえ、ラッシュはラッシュであるのでそこには気後れしないが、皇太后となると完全に雲の上の人だ。
「もちろん、私はラッシュ様のお母上の皇太后様にもよくしていただいております。今回のハナノ様へのご招待は完全にこちらの都合でございます。ご生家も遠方だと伺っておりますし、準備にお困りなのではと参りました。ご友人の借りるなんてとんでもない、お召し物はこちらでご用意しましょう。もちろん費用もこちら負担します」
そう言ったホーランドには断らせない妙な迫力がある。
「は、ええ、でも」
「ご遠慮なさらないでください。急なご招待になってしまった方にはいつもそうしています」
「はあ」
「アレクセイ様には既に本日の勤務免除の許可を取っております」
「!」
アレクセイの名前にハナノはぴしりと背すじを伸ばす。
「回数に上限はありますが帝国騎士団において、貴族が社交のために勤務免除を受けるのは認められております。また、今回は皇室からの招待です。皇室直属の第二団ともなれば、万全の態勢で臨むのはもはや任務とも言えるのではないでしょうか」
「!」
ますます背すじを伸ばすハナノ。
「朝食を食べられましたら、ドレスをあつらえに街へと参りましょう。こちらでお待ちしてます」
「はい! …………あ」
思わず返事をしてからハナノは我に返る。
ドレスのことなんて何も分からないのだ
「あのー、でも、私はドレスとか着たことがなくてですね……」
ハナノは助けを求めて隣のローラを見た。
心得たとばかりにホーランドが頷く。
「でしたらそちらのご友人様にも一緒に来ていただいてアドバイスいただいては?」
「えっ、私も!?」
ホーランドの提案にローラが狼狽える。
「確か第三団所属のローラ・アルビンスタイン様ですね。ローラ様の勤務免除についても私からセシル様にお伝えしておきましょう。それでは後ほど」
ホーランドはにっこりとしてそう告げると去っていく。
「…………」
なし崩し的にドレスをあつらえることが決まってしまい、ハナノは呆気に取られながらホーランドを見送った。
「……ローラ、何だか、ごめん」
しかもローラを巻き込んでしまった。
「いえ、いいのよ……相手は元鬼宰相のホーランド閣下だもの。今も皇太后の相談役でかなりの影響力があるわ。あの方がそうすると決めていたなら断るなんてそもそも無理よ。そんな方と買い物……気を遣うわねえ……」
ローラはどこか遠い目でぶつぶつと呟く。
「え? 鬼? なになに?」
「気にしないで。どうやらハナに対しては、じいやさんで行くらしいし」
「ホーランドさんのこと? 少し前に挨拶してくれたんだよ」
「そう。私のことも調べていたみたいね」
「ローラは有名だから知ってたんじゃないかな。美人で強いもの。トルドさんもよくローラのこと聞いてくるよ」
「トルドさんはね……閣下は調べ上げたんだと思うわ。皇室で取り込むつもりなのかしら」
「ええっ、ローラを!?」
驚くハナノにローラが微笑む。
「違うわよ。まあいいわ。とにかくハナとお買い物に行けるみたいだしそれは嬉しいわね」
「えへへ、そうだね。ちょっと予定とは違うけど私もそれは嬉しい」
二人は、これはこれでいいか、と笑い合って食堂へと入った。
食堂の片隅にはいつものようにフジノがスタンバイしていて、ハナノが皇太后のお茶会に出席することと、本日の予定について話すと露骨に嫌そうな顔をしてきた。
もちろんフジノは猛反対してきたが、決まってしまったものは仕方ない。ハナノは何とか双子の兄をなだめてローラとホーランドと共に街へと向かった。
❋❋❋
そうしてハナノは今、帝都の有名高級ブティックのソファに腰かけている。
ここが有名高級ブティックであることをハナノは知らなかったが、店構えからしてお高いことは分かった。
また入店する時にローラがぽつりと「マダムミレーのお店を貸し切るなんて」と呆れながらつぶやいていたので、きっと有名でもあるのだと察している。
(私、ものすごく場違いなんじゃないかな……)
美味しいのかどうか全然分からない複雑な味わいの紅茶を頂きながら、ハナノはぱらぱらとドレスのカタログをめくった。
めくっているが頭には入ってこない。
どれもこれも自分には似合わないと思う。
ローラはというと、しっかり楽しむ事に決めたようで店の人と一緒になってすごく熱心にハナノのドレスについて考えてくれていた。
隣でデザインの型や生地について何やら熱い議論が交わされている。
因みにドレスのカタログに値段は書かれていない。
ハナノはくらくらした。
ここに来るまではお金は立て替えるつもりだったが、どうしたって払える額にはならないだろう。
皇室側で仕立てると言っているのだし、払うと申し出るのは失礼にもあたる。
(立て替えは諦めよう)
ハナノは遠い目で決心して、費用については気にしないことにした。
「ハナ、何でもいいから希望は言っておきなさいよ。何かないの?」
「じゃあ、首周りは詰まっているのがいいな。ハイネックがいい」
ローラの問いかけにハナノはカタログを閉じて答えた。
ブティックの後は靴屋と宝飾店を回ると聞かされているのだ。胸元が出ていればネックレスを買うことになると思う。
ハナノは普段はネックレスなんて付けないのだ。不要である。
(きっと高いだろうし、もったいないよね)
靴屋はともかく、宝飾店に行くことを考えると憂鬱だ。
(何ならイヤリングも要らないんだけどな、イヤリングを付けずに済むようなデザインのドレスなんてあるかな……)
フード付きのドレスについて考えていると、背後に控えたホーランドが聞いてきた。
「なぜ首周りが詰ったものを? そういうのがお好きなのですか?」
「そうすればネックレスを付けなくていいからです、ホーランドさん」
「ふむ、費用についてはお気になさらないでいいんですよ」
「普段は付けないですし、お気持ちだけで大丈夫です」
「そうですか、わかりました」
「せっかくだから肩くらい出してもいい気はするけど残念ね。じゃあこのあたりかしら」
ローラは不満そうにしながらもドレスの型の候補をあげていく。
「生地の好みはある?」
「動きやすくて軽いやつかな」
「ふーん、色は?」
すぐにハナノの前に色見本が広げられる。
ざっと目を通してからハナノは迷いなく薄いグレーを指さした。
騎士服の色である。
「変わり映えしないわねえ、ちょっと藤色っぽくてもいい?」
「うーん、いいよ」
「こちらの色を選ばれた理由は何でしょうか?」
背後からのホーランドからの再度の問いかけだ。
「騎士服と同じ色がいいんです。その方が落ち着くと思うので」
「なるほど、そうですか」
おおよその形と色が決まり、簡単なデザイン画が示される。
「あら、可愛いじゃない」
「ほんとだ、可愛いかも」
ドレスなんて要らないとも思っていたが、こうして見るとワクワクしてくる。
刺繍や飾り、裾の広がり方なんかはもう全く分からないので全てローラとデザイナーさんにお任せすることにしてハナノは採寸を行った。
採寸を終え、細かい修正を行って打ち合わせは終了だ。ドレスは五日後には届くらしい。
「……ローラ、オーダーメイドのドレスって五日で出来るものなの?」
いくらドレスに疎くとも、五日は早すぎると思う。ハナノがこそこそとローラに聞くとローラもこそこそと返してきた。
「出来るわけないでしょう。きっと唸るような権力とお金が動いてるわよ」
「おう」
(唸るような権力とお金……)
ちらりとホーランドを見るとにっこりされた。その笑顔には凄みもある気がする。
この人、本当にじいやさんかな、なんて考えていると「それでは靴屋に参りましょうか」と穏やかに促されてハナノは靴屋へと向かった。
早速にドレスに合わせた靴を買う。靴への要望はヒールが低くて歩きやすいこと。こちらはすぐに決めることができた。
そして最後の宝飾店。
ハナノの前にキラキラしたアクセサリー達がずらりと並べられる。
絶対にガラスではない、本物の輝きを放つアクセサリー達。
ハナノは一気に腰が引けた。
「ロ、ローラ……」
「落ち着いてハナ、お茶会なんだしさりげないやつを選べばいいのよ。あんまりいろいろ考えずに付けたいな、と思うのを選びなさい」
ローラのアドバイスに気を取り直したハナノは居並ぶアクセサリーの内、小振りなものを見回した。
「あ」
その中で小さな金のフープイヤリングに目が止まる。
それは憧れの女騎士であるサーバルがよくしている金色のフープピアスに似ていた。形はこちらの方がころんと丸みを帯びていてずいぶんと上品ではあるが、似ている。
「それ?」
「うん、これがいいかな。どう?」
「いいんじゃないかしら。付けてみる?」
「うん」
ハナノはドキドキしながら生まれて初めてのイヤリングを耳に付ける。
金のフープイヤリングを付けた自分は少しだけ大人びて見えた。
「へへへ、これにします」
ハナノはにこにこしながらそう言って、包んでもらったイヤリングを大切に抱えた。
「イヤリングは大分お気に召したようですね。ご決断も早かったですが、何が決め手だったのですか?」
店を出たところでホーランドがすかさず聞いてくる。
「憧れの方が同じようなものをされてるんです。その方はピアスですが」
「なるほど、不躾な質問ですが憧れの方とはどなたでしょうか?」
ホーランドの瞳の奥が鋭く光った気がする。
「第二団のサーバルさんという方です」
「ああ、サーバル・ハント様ですね」
「はい! よくご存じですね」
「ええ、情報は大切ですから」
そう言うホーランドの瞳が穏やかなものに戻っている。
買い物が全て終わったのは昼過ぎで、ホーランドはハナノとローラをカフェに連れて行ってくれた。
そこで遅めの昼食とデザートをいただく。
お茶会当日は、皇宮侍女の方々が騎士団本部まで来てくれて、ローラも一緒に準備を手伝ってくれる段取りとなった。
ここまで来ると、ローラも一緒だしハナノはずっとお茶会が楽しみになってきた。
楽しめるといいな、と思う。




