62.廃神殿の任務(3)
ハナノがアレクセイの強さ大興奮する少し前、ハナノとアレクセイが魔方陣の光の中に消えた地上の廃神殿にフジノは一人残されていた。
「…………」
無駄だろうな、と思いながらも入り口の石に魔力を注いでみる。
「…………」
何も起こらなかった。
(そうだろうな。そんな気がしてた)
フジノはため息を吐く。
アレクセイはすぐに追ってこいとは言わなかった。つまり追えないのだろう。
「先の一組が戻って来ないと、次は入れないんだろうな」
ぽつりとつぶやく。
「うーむ」
アレクセイはは三十分で戻ると言っていたし、待つしかないようだ。
ハナノもアレクセイと一緒なら安全だろう。ハナノが一人で地下の本殿に行ってしまったとか、ハナノが一人でこっちに残されていた、という事態よりはずっとマシな状況だ。
三十分で戻れる、という事は中はそんなに広くはないのかもしれない。
(迷路やトラップや祭壇を守るドラゴンなんかもいないのかな)
それらを思い浮かべると不安になる。
(でも三十分で戻れるらしいし、存在しない事にしよう)
たとえ存在したとしてもアレクセイなら何とかするだろうし、ハナノを危険に晒すような事もしないだろう。
そう思ってから、フジノは気付いた。
(僕、団長を信頼してるんだな)
出会ってたった半年なのに、ハナノを預けても心配しないほどにフジノはアレクセイを信頼している。
「……………………ふん」
なんだかちょっと面白くない。というか大いに面白くない。
フジノは面白くない気持ちを抱えながら、手近な階段に座って二人をのんびり待つ事にした。
❋❋❋
廃神殿の階段に腰かけて、フジノは離れた所を飛ぶ蝶を目で追っていた。
やる事なんてそれくらいしかないのだ。
それくらい平和でのんびりしていた。
先ほど下の方からかすかな地響きのようなものが聞こえた以外は、風と葉が揺れる音、鳥の鳴き声しか聞こえない。
さっきの地響きは少し気になるが、どうしようもない。今は三十分で戻る、と言ったアレクセイを信じて待つだけだ。
そんな時だった。
フジノは何かが地面を擦る音を聞いた。
スルッ、シュルッ
草がかさかさとかき分けられる音もする。
フジノの顔つきが変わる。
背中がピリピリした。
(何か来る)
まあまあの魔力。
こちらに向かっているのは、まあまあ強い奴だ。
フジノは立ち上がって剣を抜いた。
気配のする方へ目をこらす。
やがて、森の中からゆっくりと静かに一匹の魔物が出てきた。
それは上半身がバクで下半身が蛇の異様な姿の魔物だった。
バクの部分は黒く、蛇の部分は白い。
ぬめりとまとわりつくような気配。
黒い顔には白目だけの笑っているよう半月型の目が4つ付いている。口角も上がっていて、道化師の仮面のような不気味な顔だ。
(夢魔だ)
フジノはすぐにその魔物を識別した。
夢魔は精神魔法を使う上級魔物だ。
(相変わらず、顔が気持ち悪いな。何で、こんな森の浅いとこにいるんだ?)
フジノは冷静にそう思いながら見ていると、夢魔の白目がぐるんと回り目が合った。
(あ、目が合った)
はっとするが、すぐに気を取り直す。
夢魔なら、倒すにはどうせ目を合わすしかないのだ。
すぐにフジノの視界から今まであった廃神殿の柱も階段も、その先にあった森も、今現れた夢魔も消えた。
辺りは見渡す限り真っ白だ。
(来る)
真っ白な世界でフジノは慌てずに目の前を見つめた。フジノはハナノが来ると思った。
揺るがない決意ですぐにハナノを斬ると決める。
これから目の前に現れるであろうハナノを斬る。
(落ち着け)
本物のハナノは今、アレクセイ団長と廃神殿の本殿の中だ。
ハナノはここにはいない。
現れるのは、絶対にハナノじゃない。
(大丈夫、斬れる)
瞬きを止め、覚悟を決めて剣を握る。
斬らないと殺られるのは自分だ。
(僕が殺られたら、誰がハナノを守るんだ?)
(絶対に斬る)
(それがたとえハナノの姿をしていも)
でも、決意したフジノの前に現れたのはハナノではなかった。
フジノの目の前に現れたのは、フジノに哀願する黒髪の痩せ細った少女だった。
「っ!」
フジノは激しく動揺した。
それが夢魔が作り出す幻だと頭では分かっていた。
でも斬れない。
斬れなかった。
何度見たか分からない夢の中の少女。
前世で自分が殺した魔王の少女だ。
ここに居るはずはない。
ここに居るはずはないのだ。
それでもフジノは、今、自分の前に実際に少女が居るとしか思えなかった。いや、思いたかった。
理屈では押さえられないほどに、心が求めた。
(君の名前を……)
その時、脇腹がかっと熱くなる。
フジノは自分に致命傷が与えられたのだと分かった。
毒が回ってふうっと意識が遠のく。
(あ、これ、ダメなやつだ)
足に力を入れて傷口に魔力を集中させるが、フジノに治癒魔法は使えない。
魔力を集めたところで、気休め程度に毒の回りを遅らせるくらいしか出来ない。
分かってはいるが、魔力を集中させた。
やらないよりは、やった方がいい。
夢魔からの次の攻撃はない。
(僕もこいつも、僕がすぐに死ぬ事を知ってるんだ)
夢魔の世界の中だからなのか、毒のせいなのか、死にかけなのにフジノはひどく落ち着いていた。
過ぎていく時間が長い。
傷口がドクドクと脈打つのを感じる。
やれやれ。
やれやれだ。
自分の馬鹿さ加減に呆れる。
(そうだ、僕は馬鹿だ。この少女は僕の中の幻影だ。
名前なんて、僕が知らない事を僕の中の幻影が知ってる訳ないのだ)
「はあ」
ため息が洩れた。
(僕、この子の名前知りたかったんだ)
自分がこんなに切実にそれを求めていたとはフジノ自身も知らなかった。
(さすが精神系の上級魔物。すげえな。僕も知らない僕の事、分かるんだなあ…………)
体がどんどん痺れてくる。
辺りはまだ真っ白で、目の前の少女はひざまづいて哀願したままだ。
(まだ、倒せるな)
フジノは剣を持つ手に力を込めた。
(たぶん、僕は助からない)
でも、ハナノのためにもこいつを倒しておくべきだ。夢魔はアレクセイでも倒せない可能性がある。
(てか、さすがに倒せないんじゃないかな。夢魔ならまだハナノの方が倒せるかも……思い切りはいいからな)
妹を思い出してフジノの口角が上がる。フジノは口元を綻ばせながら剣を振り上げた。
「何度もごめん。でも僕はハナを守らなくちゃいけないんだ」
フジノはそう言って、黒髪の少女に剣を突き立てた。
夢魔は頭部に四つ、両手の手のひらに一つずつ、合計六つの目がある魔物だ。
いずれの目でも目が合った瞬間に心を読まれて、読まれた次の瞬間には自分の心の中の一番奥の柔らかな場所にあるものを悟られる。
夢魔と目が合ったら、その瞬間から絶対に迷ってはいけないし躊躇ってはいけない。
目の前に現れたものが何であれ、現れた瞬間に斬らなくてはならない。
目が合った時点で、対象者は夢魔の幻覚の精神世界に取り込まれているので、体感時間と実際の時間は異なっており一瞬は一瞬ではないのだ。
少しでも躊躇うと夢魔の尻尾の一撃が来る。
その一撃は致命傷だ。尻尾は鋭いし、即効性の毒を持っているからだ。
そして、実は現れた幻覚は夢魔そのものであるので、迷いなく斬り捨てることができれば、この魔物を倒すことができる。
何も知らずに遭遇した場合は生き延びる確率はとても低いが、攻略法を知ってさえいれば、そして何であれ斬り捨てる強い意志さえあれば、倒す事自体は苦労しない魔物だ。
(知ってたのになあ……ごめん、ハナ)
薄れゆく意識の中、フジノはそう思った。




