55.トルドとの会話
「ハナノ、ハント子爵をサーバルさんの夫と間違えたらしいな」
サーバルの父ハント子爵と勇者の広場で出会った翌日。いつもの街の巡回の途中でトルドがにやりとしながらハナノに聞いてきた。
「うっ、なぜそれを」
「サーバルさんから聞いた。あはは、しかし、夫とはなあ」
「だってあれがまさかお父上とは思いませんよ。ものすごい美形でお若く見えますよね」
ハナノは昨日のキラキラ甘口ミルクティーを思い出す。
「だよなあ。俺も騎士団に挨拶に来られた時、すっげえびっくりした」
「一緒に居た同期の女の子も驚いて興奮してました。あの若さの秘訣は何かしらって」
「あ、それ、ローラって子だろ?」
「よく知ってますね」
「女性騎士は少ないからな。ローラは美人だし」
トルドの言葉に確かにローラは美人だとハナノは深く頷く。
「ところで昨日はハント子爵夫人は一緒じゃなかったのか?」
「サーバルさんと子爵だけでしたよ」
「そうかあ、子爵夫人も驚く若さだぞ」
「へえ、夫婦揃ってなんですね。子爵は夫人の事を“女神アナイス”と呼んでました。お綺麗なんでしょうね」
「一度、見かけた事あるけど、あれなら拐われても惚れちゃうの、分かるなあ。俺も強気な感じの女の方が好きだし」
「うん? 拐われても?」
不穏な響きの言葉にハナノは聞き返した。
後半のトルドのタイプについてはスルーだ。どうでもいい。
「あれ? 子爵夫妻の馴れ初め聞かなかったのか?」
トルドが楽しげだ。話したくてうずうずしているようにも見える。
「初対面ですよ。聞けませんよ。そんなにドラマチックなんですか?」
トルドの様子にハナノもちょっとわくわくしてきた。
ハナノは最近、ローラが貸してくれる恋愛小説にちょっとはまっているのだ。
昨日だってリロイのサーバルへの溺愛ぶりを見てすごく盛り上がってしまった所だ。
(あの口許のクリーム拭うやつ、ドキドキしたなあ。ああいうの、カノンさんもさらっとやりそうだな…………あ、いかん、想像したら鼻血出そう)
ハナノは子爵ではなくて銀髪の方のキラキラを想像して勝手に盛り上がりそうになり、頭を振ってそれを追い払った。
「ドラマチックというか衝撃的だな。当時の社交界は激震したってうちの母親が言ってた。ハナノは゛砂漠の楽園゛知ってるか?」
「本で読んだ事ならあります。オシドリアの街ですよね」
得意顔でハナノは答える。
゛砂漠の楽園゛オシドリアは帝国の南の国境の先に広がる広大な砂漠にぽつんとある街だ。
帝国にも、砂漠の更に南にあるフレイア王国にも属さない、治外法権を持つ享楽の街。
「うん、それ。リロイ・ハント子爵はまだ子爵令息だった18才の時に、友人とオシドリアを遊びで訪れて誘拐されたんだ」
「えっ」
「誘拐って言っても、オシドリアでは完全にビジネスだけどな。あそこの砂漠の遊牧民は誘拐が認められてるんだ、人質を手厚く扱うならば罪に問われない。摘発しても摘発しても悲惨な事件が続いたから合法にしたらしい」
「誘拐が合法って凄いですね」
「合法にしてから酷い事件はなくなってる。身代金も専門の仲介が入って妥当な額に設定されるんだよ」
「へえぇ」
世の中にはいろんな仕事が有るなあ、と感心してしまう。
「誘拐保険もあって護衛のビジネスもある。あと街に入る時に一定の額を払えば魔法の印をつけられて、これがある奴は誘拐されない。かなり高額だけど」
「へえー。遊ぶのも大変ですね。そこまでしてオシドリアに行きたいんだ」
「金さえあれば楽しいらしいからなあ……。ま、それで子爵は誘拐されたんだが、本来ならあるはずの身代金の交渉が全くないまま半年間も音信不通だった。そして半年後、身代金も払ってないのに無事に帰ってきた。子爵の子供を宿しているという女性を伴ってだ」
「おおー、ではその女性が?」
「うん、アナイス子爵夫人。で、その時の子供がサーバルさん」
「わお。え?子爵は誘拐された先で夫人と出会ったって事ですか?」
読んでいる恋愛小説とはかけ離れている出会いだ。せめて男女の立場は逆ではないだろうか。
「うん。表向きは子爵が誘拐されたのを、アナイス夫人が助けて恋愛関係になったってなってるけど、サーバルさんが言うには子爵を拐ったのは夫人が頭領をしてた一族らしい。つまり誘拐犯の頭だな」
「えぇ、そこから恋になります?」
無理じゃない?
「いやあ、夫人を見たらなるかもって思うよ。凄い妖艶な美人だぜ。子爵の一目惚れだってさ」
「妖艶な美人……」
ハナノはサーバルの妖艶な美人バージョンを想像しようとしたが上手くいかなかった。
サーバルには申し訳ないが、妖艶な美人とサーバルの間にはかなりの隔たりがあると思う。
(そもそも、腹筋がしっかり割れてる妖艶な美人はあんまりいないよね)
ハナノはそう思いながらサーバルの腹筋を思い出す。サーバルの腹筋はしっかりシックスパックに割れているのだ。
寮の風呂は共用なのでハナノはその見事なシックスパックを知っている、何なら触らせてもらっている。その腹筋はガチガチに硬くてすごく羨ましいが妖艶さはない。
「うーん…………トルドさん、シックスパックが邪魔をしてサーバルさんの妖艶な美人バージョンが上手く想像出来ないです」
「うん?いきなりだな、シックスパックって腹筋か?」
「はい。サーバルさんは腹筋が六つに割れてるんですよ。そこから妖艶な美人にするのは難しいです」
「え?ハナノは何でサーバルさんを妖艶な美人にしようとしてるんだ?腹筋とか関係なく難しくないか?」
さらっと失礼な事を言うトルド。
「あれ?だってサーバルさんはアナイス夫人に似てるってハント子爵は言ってましたよ?」
「えー……いやー、髪と目と肌の色以外は全然違うと思うなー」
「子爵はとてもよく似ている、と」
「それは、大分偏った意見だな……。並べたら全然違うぜ。てか、サーバルさんの腹筋シックスパックなんだ、やっぱ凄いなあ、俺、勝てない訳だよなあ」
トルドはしみじみと遠い目で打ちひしがれた。打ちひしがれながら「もっと頑張ろ」と呟く。
「とにかく、子爵夫人は子爵が連れて帰ってきちゃうくらいの魅力ある方だったんですね」
アナイス夫人を想像するのを諦めてハナノは言った。
「うん。子爵もあの見た目だし並んだ様子は圧巻で、そもそも誘拐はけっこう大事になってたから社交界は大騒ぎだったってさ」
「でも、夫人は砂漠の遊牧民でしょう。帝国民ですらないのによく結婚できましたね」
当時のアナイス夫人は平民ですらなかったことになる。そんな結婚、ハント家がよく許したとものだ。神殿での結婚の誓約はどうしたのだろう。
「当時の皇后陛下、今の皇太后が夫人を気に入って何とかなった」
「わあ、無理矢理なんですね」
「政治的にも利用できたらしいけどな。」
「政治的?」
「オシドリアの心証が良くなるのは帝国に取っての旨味があったんだよ」
オシドリアの街の歴史は古い、そこは700年ほど前に砂漠の遊牧民と同じ部族が立ち上げた街で、建設当初は今よりもずっと南にあった。当時は帝国の南に広がる砂漠は今ほど広くはなく、砂漠の道を通って帝国とフレイア王国の国交もあり、オシドリアは交易の中継地点だった。
やがて砂漠の侵食が北へと進み、帝国とフレイア王国の国交も途絶えてしまう。オシドリアは街を北へ移設して国交の中継地点ではなく、選ばれた客のみを受け入れる享楽の街へと軸足を移したが、砂漠の遊牧民は元々王国側の民族だった事もあり、現在でもそこはフレイア王国からの品物の数少ない輸入ルートとなっている。
フレイア王国は魔法への造詣が深く、独自の発展を遂げていて帝国では手に入らない魔法の品がある。
オシドリアの交易ルートが残っているから、帝国はそんな魔法の品を細々と仕入れる事が出来ているのだとトルドは説明してくれた。
「こっちの貴族に砂漠の遊牧民を受け入れるのは、オシドリアの偉いさん達の心証がいいだろ?実際、ちょっと恩恵あったらしいぜ。フレイアからしか手に入らない物ってあるしなあ」
「フレイアからしか手に入らない物?」
「有名なのは、魔封石だな」
「まふうせき」
「魔力を封じる石だよ。魔法使える罪人とかに使う」
「初めて聞きました」
「一般には出回ってないからな。本部にもあるぜ、そんなのが使用されるのは結界破れるくらいの実力者になるけど」
「へえ」
「帝国では失われた魔法もフレイアには存在してるらしいけど、正式な国交はもう何百年も断絶してるから本当かどうかは謎だな」
「何だか浪漫がありますねえ」
失われた魔法のある、砂漠の南の王国。ちょっとわくわくしてしまう。
「得体は知れないけどなあ。砂漠の拡大だってフレイアのせいだっていう研究者もいる」
「えっ、そうなんですか」
南の砂漠の拡大が帝国の大きな憂慮となっているのは帝国民なら誰でも知っている事だ。一年や二年で変化があるものではないが、帝国一広大な南端の精霊の森が縮小している影響で精霊の森以外での魔物の出没は確実に増えている。じわりとした不安は広がっているのだ。
「まあ、分かんねえけどな。フレイアのせいにしてんのは一部の過激な奴らだし」
「ふーん」
そんなやり取りをしていると、猫の救助の要請が入ってハナノ達は会話を打ち切り現場に向かった。駆けつけた先では建物の壁の隙間に挟まって動けなくなっていた子猫を無事に救出する。
この日の街の巡回では、道案内が16件、猫の救助が1件で、トルドは今日もハナノにジェラートをおごってくれた。




