104.ハナノの覚醒(4)
「消えた……帰ったのか?」
悪魔が消えてフジノは呟く。
「どうだろうな、仮契約はしたと言っていたが気配は完全に消えたな」
ラグノアがそう言いながらやって来て、ハナノの呼吸と脈を確認した。
「気を失っているだけだろう。あれだけの魔力を出し入れしたから負担がかかったのだろうな」
フジノはそっとハナノを抱え起こして袖で汚れた口元を拭い、ハナノが握りしめている金色の指輪を取った。
「…………」
フジノは指輪をじっと見つめた。
金色のそれは少し熱を持っている。内側には細かな模様がぐるりと彫られていた。ただの模様ではなさそうだ。
「フジノ、指輪をこっちへ。ハナノはそれを嵌めた途端に様子がおかしくなった。騎士団で調べよう」
いつの間にか側まで来ていたブレアが手を差し出す。
フジノは素直に指輪を渡した。
「すまない。君達を危険にさらした」
指輪を受け取りながらブレアは言った。
「いえ」
「咄嗟に男爵も斬ってしまったしな。生かしておくべきだった。今ならいろいろ分かったかもしれない」
「今なら?」
フジノが聞き返すとブレアは申し訳なさそうな顔になった。
「ドローリスは黒だったようだ。恐らくだが、さっきまでは自らに強力な洗脳をかけていたのだと思う。彼がハナノに触れた途端に邪な意図が感じられるようになった。指輪の何かか、ハナノ自体が洗脳が解ける鍵だったようだ」
「そうですか……でもすぐに斬ってくれてよかったです。僕も殺すつもりだったけど間に合わなかったかもしれない。たぶんあいつはさっきの悪魔と契約しようとしてたんだ」
もしドローリスの企みが成功していたらと考えるとぞっとする。
ハナノをあっという間に奪われていただろう。フジノはぐったりする妹を抱く腕に力を込めた。
「これだけ上層部が揃っていたのに不甲斐なかったな、すまない」
ブレアが再び詫びてきたので、フジノは首を横に振った。
「いえ、だから何とかなったんです。あの、ハナノは」
「念の為に団長用宿舎に運ぼう。騎士と侍女を付ける」
ブレアはそう言ってから団長達に指示を出す。
「ラッシュ、さっきの爆発で騎士達が集まるだろうから整備しろ。セシル、君はこの指輪について調べてくれ。慎重にするように。ラグノア、ドローリス男爵の屋敷の捜索をやり直すから第一団で行って欲しい。今回は君も現場に足を運んでくれ」
三人の団長がそれぞれ承諾の意を返す。
ブレアは最後にアレクセイの方を向いた。フジノもそちらを見ると、アレクセイの顔色は随分悪かった。一気に魔力を使ったせいだろう。サーシャがそっとその腕を支えている。
「アレクセイ、君はまず休め」
「まだ動けますけど」
「倒れられては困る、休め」
「はい」
アレクセイにセシルが寄っていき何かを囁く。アレクセイはそれに力はないが笑顔を返した。
部屋の周囲は集まった騎士達でざわざわし出していて、ラッシュが外へと出ていく。
フジノは再びハナノをぎゅっと抱き締めた。その顔を見ると目尻には涙が滲んでいる。
妹は滅多に泣かないのに。
「…………」
フジノはハナノが激しく嘔吐していたのも思い出す。あの嘔吐は顕現した魔力のせいなのだろうか。
(前世なんか思い出してないよな?)
フジノの背筋がすうっと冷えた。
ハナノが前世を思い出してしまっていたらと思うと動悸が激しくなる。魔王の少女は、自分はもう人間じゃないと泣いていたのだ。あれをハナノに味わってほしくない。
(大丈夫だよな、廃神殿の時も思い出してなかったもんな。きっと大丈夫)
フジノはそう自分に言い聞かせ、ハナノを団長用宿舎へと運んだ。今夜は侍女が交代で付きっきりになってくれるらしい。フジノも隣の部屋で休ませてもらえることになり、フジノはハナノが目を覚ませば夜中でも起こしてほしいと伝えた。
❋❋❋
その夜遅く、ハナノはぱちりと目を覚ました。
そこは知っている部屋だった。前に高熱を出した時に寝かされていた団長用宿舎の客間だ。
顔だけ動かして自分の状態を確認する。ハナノは寝巻きに着替えさせられていて、騎士服は畳まれて枕元に置いてあった。
ハナノはしばらく天井をじいっと見つめから、部屋を見回す。
部屋の隅には前に自分を世話してくれた侍女のレイチェルが椅子に座って眠っていた。
眠らされているのだとハナノには分かった。
「悪魔……さん?」
暗闇に向かって、呼び掛けてみる。
「はーい」
可愛らしい返事があって、わざわざベッドの下から青い髪の男の子が出てきた。
「やっぱ主ともなると、気配を消してても分かるんだね。繋がってるんだなあ、心強いよ」
悪魔は乱れた髪の毛を頭を振って払うと、当然のようにハナノの右手を両手で包み、人さし指を咥えてちゅうと魔力を補給した。
「あなたは悪魔であってるの?」
「君達は俺のことを悪魔というね」
ハナノが聞くと悪魔はハナノの人さし指から口を離してニヤリと笑った。右手は掴んだままだ。
「悪魔にしては、あんまり禍々しくないね」
「まだ何も契約してない無垢な状態だからね」
「契約すると禍々しくなるの?」
「契約によるよね」
「記憶よりも見た目がずいぶん可愛らしいと思うんだけど」
「そりゃあ、主に気に入ってもらえるようにしてるからね。ドラゴンみたいにもなれるし、もっと大人な男にもなれるぜ。大人な男のバージョンは前に会ってるよ」
「そうなの?」
前とは前世のことだろうか。
どうやら、魔王だったらしい前世の自分。
「前の時は直接話してないもんなあ……あれはちょっと悔しかったな、もうあんなの嫌だ。今回は良さげな環境じゃん」
「えーと、ありがとう?」
「うん。しかし、あれだね、偉大なるマナ持ちが同じ魂なんて珍しいよね、前に死ぬ時なんかした?」
ハナノは首を傾げる。
「同じ魂? それで記憶があるのかな。何かって何?」
「転生の魔法みたいなやつ、約束とかでもいいんだけどまあいいか、大人の男の方がいい?」
悪魔はそう言うと、一瞬で大人の男になった。
現れた男は上半身が裸で、妖しい色気を纏った美丈夫だった。そんな色気むんむんの美丈夫がハナノの右手をそっと握っていて、ハナノは慌てた。
「いやっ、それはいいです。さっきの可愛いやつで」
「そう?」
ぽん、と悪魔は男の子に戻ってくれる。
良かった、落ち着く。
「可愛い方が好きかな。ところで、あなたは私の命令を聞くの?」
ハナノは目覚めた時に一つの決断をしていた。それが叶うなら、この悪魔と契約するつもりだ。悪魔がうっすらと笑う。その笑顔は美しく冷たい。
「代償はもらうけどね、代償は命令による。何が望みかな?」
「そういう顔だと悪魔っぽいね。望みは私を勇者の剣の元に連れて行くこと。誰にも気付かれずに、誰も傷付けずに」
「…………行って何をするの?」
悪魔から笑みが消え、警戒するような顔になる。
「連れて行ってくれるだけでいいの」
「質問の答えになってないよ。ねえ、何するの? 俺、もっと主と一緒に居たいよ。やめようよ、それ。大丈夫、何か方法はあるよ。昔は主とのんびり暮らしてたこともあるもん。どうしてたかは全部消されてるけど過ごした時間は覚えてるんだ。だから、きっと大丈夫なんだよ」
小さな男の子が必死に縋ってくるのに胸が痛むがハナノはきっぱりと言った。
「もう、決めたの」
「嫌だよ。俺にそれを命じないで」
悪魔は瞳をうるうるさせてきたが、ハナノは動じなかった。もう二度と大切な人を傷つけるようなことはしたくないのだ。
「私を勇者の剣まで連れて行って。代償は何を払えばいい?」
ハナノの言葉に悪魔はびくりと身を震わせたが、すぐに平静を取り戻した。
「はあ……こうなったら思い出に残る代償をもらお」
「思い出?」
「うん、魔力じゃなくて思い出をもらう」
「……魔力にしとこうよ」
何だか嫌な予感がしてハナノは言ったが、悪魔はニヤニヤしだす。
「乙女から何か貰うなんて久しぶりで、わくわくするなあ。髪の毛がもう少し長かったら髪の毛にしたかったけど、短いからなあ……」
悪魔はしばらく嬉しそうに考え込んでから言った。
「口付けをちょうだい」
「えっ、く……キスってこと?」
「うん、したことないでしょ。そういうの分かるんだ、だから主の初めての口付けをちょうだい」
悪魔はあくまでも無邪気にハナノを見上げてきた。
「いや、確かにしたことないけど」
ハナノは動揺した。かあっと顔が火照る。
キスは、子供の時に両親や兄達の頬にしたことはあるけど、あれ子供の遊びである。悪魔的にもカウントしないようだ。
「ね、勇者の剣の所、連れてってあげるよ。だからキスして。先払いね」
悪魔が上目遣いでハナノの目を覗きこんでくる。
見た目は可愛い男の子だ。
この見た目ならキスくらいなら出来そうだけど、あくまでも今の見た目が男の子なのであって、中身はきっとさっきの大人の男だ。
いやいや、あれにキスするとか無理だ。
「ま、魔力じゃダメかな?」
「えー、嫌だよ。ほらほら早くしないとあのお兄さんが起きちゃうよ? いちおう眠らせたんだけど、あの人、勘がいいからさ。他の人達もそろそろ限界」
「ほ、ほっぺでもいいかな?」
「えー…………しょうがないなあ。じゃあそれで」
悪魔は不承不承だが頷いた。
ハナノはほっとしてぷよぷよした可愛らしい頬にちゅっとキスをしてあげた。
「ふむ、代償はいただいた。お前の望みを叶えよう」
「あ、ちょっと待って、騎士服に着替えるから。向こうを向いててね」
悪魔がさっそく行動に移そうとするので、ハナノは慌てて止めると、騎士服に着替えた。
着替えながら、こういう時でも意外に冷静だし変な拘りも出るんだな、と他人事のように思う。
「お待たせ」
「では改めて、お前の望みを叶えよう」
騎士服姿のハナノに悪魔は言った。




