100.悪魔の襲来(6)
ハナノ達がたどり着いた男子寮は騒然としていた。
怒声が至る所で聞こえて、火魔法や風魔法が炸裂している。奥の棟には誰かが召喚したゴーレムが出現しているようだ。
建物が複数あるのと、現れた悪魔が多すぎるせいで現場の統率は全く取れていない。敷地内のどこかにはアレクセイとラッシュがいるのだろうが、これを纏めるのは無理だろう。
到着と同時に不安を煽る音でアラートが騎士団全体に鳴り響く。ハナノはその音に身をすくめた。
「全員で中に入るのは止めた方が良さそうだな」
セシルはそう言うと、どこかの部屋から吹き飛んできたらしい机を寮の正面入り口に据えた。
引き出しに入っていたノートとペンを拝借すると、本部と大きく書いて机の上に置く。
「ハナノには本部をお願いしたい。いいかな?」
「えっ、は、はい!」
「緊張しなくても連絡係みたいなものだ。私が向かう棟を伝えておく。後は中のことで分かったことがあればここに書き出す。ミドリが来たらミドリと変わりなさい」
「はい」
本部と聞いて身構えたハナノだが、内容を聞いてほっとした。それなら出来る。
「フジノは念の為にハナノに付いておいた方がいいね」
セシルの言葉にフジノが頷く。
ここまでの道中で豚の悪魔は現れておらず、到着してからも出てくる気配はない。先ほどの十体で中級の悪魔は全てだったようだが、もう少し様子を見た方がいいだろう。
「寮から出ていく悪魔がいたら、倒しておいてくれるとありがたい」
「分かりました」
セシルは最後にローラにしっかり休んでおくようにと言うと、建物の中へと入っていった。
程なくしてミドリと当直の騎士たちが到着した。
女子寮や、男子寮の奥の既婚者向けの居住区から駆けつける騎士もちらほらと現れだす。
男子寮内からは負傷者を担いだ者たちが出てきだした。
ミドリは現場の指揮を取り、中の状況を聞き取っては応援を送り、並行して簡易の救護所の設営を進めた。
ミドリが来てからハナノとフジノは応援の騎士達と共に救護所を整えた。
寮内からリネン類を取ってきて地面に敷き、風よけの衝立を立てる。ハナノはここでスリッパも手に入れた。
いつの間にかカノンが寮内から戻ってきていて、救護所の差配はカノンが取り出す。
そこからハナノはカノンと一緒に運ばれてくる負傷者の応急処置にあたった。
悪魔に噛みつかれた者や、魔法の巻き添えをくった者、暗闇の戦闘でガラスの破片や仲間の剣で切り傷を負った者、重症から軽傷まで負傷者は様々だ。
早急に治癒が必要な者はカノンが、緊急性が低い傷の者はハナノが請け負い治癒にあたる。
ハナノの治癒魔法の能力では、大きな怪我はかなり時間をかけないと治せないからだ。
ハナノはやってくる負傷者の怪我の原因を聞き、状態を見て手当てを続けた。
時間が経つにつれて負傷者はどんどん増えた。
「ハナノ? 何でいるんだ? あ、治癒の応援か。なあ、カノンはどこだ?」
最高潮に忙しい時、ハナノにそう声を掛けてきたのはトルドだった。
傷の手当てでしゃがんでいたハナノが見上げると、トルドはヨハンを背負っていた。
背負われた同期の顔が青白く、ハナノの顔が強張る。
「大丈夫だ、命に別状はない」
ハナノの様子にトルドはそう言ったが、その声色は硬かった。
「カノンさんならあっちの奥です」
「分かった、ありがとう。お前、ムリすんなよ」
トルドは礼だけ言うと、ハナノが示した方へとヨハンを連れて行った。
その背中に「ヨハンはどうしたんですか?」と問いかけたいのをハナノはぐっと飲み込んだ。ヨハンの状態は気になったが、詳しく聞いているような余裕はない。
“命に別状はない”とトルドが言ったのだから死んだりはしないはずで、だけどハナノには手に負えない重傷なのだ。ハナノが怪我の様子を聞き取る時間は無駄にもなる。
男子寮からはまだ炎のはぜる音や、何かが割れる音が響いてくる。
救護所のほうにも時々パタパタと目玉の悪魔が飛んできて、それらはフジノが一瞬で焼いていた。
ハナノはヨハンへの心配を一旦しまって、目の前の負傷者に集中した。
その内にカノンとハナノの他にも治癒魔法が使える騎士が数人加わったが、負傷者に対して治癒魔法使いが絶対的に不足していた。
城や魔法塔に頼めばもう少し人は増えるのだが、この時はまだ襲撃の全貌が分かっておらず、城から人員を割くのは見送られた。同じ理由で城の警備にあたっていた近衛騎士と第四団の騎士達もそのまま据え置かれた。
一晩明けてみれば襲撃されたのは男子寮だけだったのだが、それはまだ判明していなかったのだ。
休む間もなく治癒魔法をかけ続け、気が付くと辺りは白々としてきていた。
やっと負傷者の列が途切れ、昨夜から初めてやる事がなくなったハナノはひと息つく。
周囲を見回すと男子寮の騒ぎも大分落ち着いてきていた。
焼け焦げた臭いが鼻につくが、辺りはすっかり静かになっている。
所狭しと負傷者が並んでいた救護所も、重傷者は既に本部に運ばれ、今いるのは仮眠や休憩を取る軽傷者達だけだ。
ハナノは膝を抱えて眠るローラを見つけてその横にぺたりと座った。ローラにはラッシュのに加えて、もう一枚上衣がかけられている。誰かが貸したらしい。
ローラの様子を窺うと顔色はやはり悪いままだ。
ハナノは眠るローラのこめかみに右手をあてて魔力を注いでみたが、反発があって上手く入っていかない。
(人相手に魔力を注ぐのは難しいって、そう言えば習ったな)
相性が合わないとそのほとんどが無駄になるらしい。
そもそもハナノの右手から出ている魔力はほんの少しだ。だからこの行為の効果は気休め程度にしかならないのだが、それでも何かしたかった。
「ハナノ、お疲れ様」
ローラに魔力を注ぎながらぼんやり座っていると、カノンがハナノの隣へやって来た。
その顔色は悪く、かなり疲労の色が濃い。
一刻を争うような重傷者の応急処置を一手に引き受けていたので、かなりの魔力を消費したようだ。
「大丈夫ですか?」
ハナノの問いにカノンは苦笑した。
「んー、あんまり大丈夫ではないかなあ。ちょっとあの人数は魔力が持たないね。ハナノは凄いね、まだまだ余裕がありそうだ」
カノンはどさりと地面に腰を下ろすと、膝に腕を乗せて項垂れた。
いつものそつのない様子がかなり崩れている。
「私は軽傷者ばかりでしたし」
「それにしたって一晩中、治癒魔法を使い続けてその余裕は凄いよ、本当に桁違いの魔力があるんだね」
カノンは項垂れたままで、しゃべるのも億劫な様子だ。
そんな場合じゃないのに、疲れ切ったキラキラの銀髪にハナノの胸は少し疼いた。同時にこの人の力になりたいと思う。
ハナノはローラに当てていた右手をそうっとカノンへと伸ばし、銀色の髪の毛越しにその額に触れた。
「……ん?」
「少しになりますけど私の魔力をあげます。ゆっくりしててください」
ハナノは自分の魔力をカノンへと注ぐ。
ローラより反発は少なく、すんなり入っていく気がする。同じ治癒の属性だから魔力の相性がいいのかもしれない。
「心なしかちょっと楽だよ」
カノンはそう言ってくれるが、こんな一瞬で楽になるわけはない。
「これだけで回復なんてしてないでしょう」
「ハナノの気持ちが嬉しいんだよ。でも、無理はしないでほしいな」
「平気です。私、魔力だけは途方もなくあるらしいので遠慮せずに受け取ってください」
「ふふ、分かった。でも、本当に少し楽だよ」
カノンが顔をあげる。その顔は少し調子を取り戻した笑顔だった。
ハナノはフジノが戻って来て、不機嫌に割り込んでくるまでカノンに魔力を分けてあげた。
その朝の内に男子寮の敷地内で、大量の魔力を貯める魔道具に囲まれた男が数人、自死しているのが見つかった。
現場の様子からその男達が悪魔を召喚して騎士団を襲ったのは間違いはないようで、遺体と魔道具が回収された。
100話まできた……感慨深いですね。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
今回のチャプターは作者的にはかなり血を滾らせて書いたのですが(特に96〜98話)、伝わっていたかな?伝わってたらいいなあ。因みに書きながら一番燃えたのは98話のミドリの登場シーンです。伝わっていただろうか汗
いつも、ブクマや評価、いいね、感想をありがとうございます。とても励みになっています。そろそろ二章も大詰めですので、もう少しお付き合いいただければ嬉しいです。




