LIMIT17:熱中するなら程々に
ラボの在任者にとって珍しい日、つまりは取り急ぐような任務が無い日。
ダチ公コンビにとっては、まさしく今日がその日であった。
「ふぅ〜〜〜〜〜〜良い湯だぜぇ〜〜〜〜〜〜」
「同感〜〜日々の疲れが癒やされるぁ〜〜」
模擬戦が終わり、あの場に居た人々は事務処理や看病のために一時解散。
それから夜が訪れた現在、ダチ公コンビは共同浴場で身体をウンと伸ばし、温かい快感に浸り始めていた。
「にしたってよぉ、オメェの方から風呂に誘うのは珍しいな。何か訳でもあるのか?」
「久しぶりに裸の付き合いをしたかっただけだ。例えば、家族は元気にしているか、最近の調子はどうだ、とか他愛のない会話をしてな」
「なるほど」
剱は自分の顔にお湯をかけた後、手拭いを頭上に乗せる。
「で、家族は元気か?」
「そうだなー、親父はもちろんだろ。母さんたちはいつも通り優しいし、弟妹は聞き分けが良いから、俺が居ない間に他人に迷惑を掛けちゃいねぇ。天花については、相も変わらず可愛いってとこだな」
「あぁ、あの娘か」
ビー玉のように透き通った瞳と桜色の長髪を持ち、和洋どちらも似合う女の子を、越は思い出す。
現代日本でも続く武家ともなれば、分相応な許嫁が居るのは何ら不思議では無く、
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花
気品という概念が人の形をもって産まれたのが、伊剣天花その者であった。
但し1点だけ、将来の旦那様について語る姿がツグミである点を除けばだが。
ここに関しては、彼曰く「幼い時に初めて顔合わせをしててよ、そこで起きた出来事がきっかけなのかもしれねぇな」との事である。
「とにかく「様付けはやめてくれ」って言ってるのに、通話する度に『私も早く剱様に会いたいです!』って嬉しい泣き声を聞かせてくる物だから愛おしくてなぁ」
「おっ? 文面が急に変わったがなんだ? 惚気話か?」
「オメェが『教えてくれ』って言ったから、ありのまま話してるだけだろうが」
「そうかよ」
顔を合わせて「ハハハ」「カカカ」と笑う。
「まっ、俺から言えるのはこんぐらいだ。そっちはどうなんだ?」
「最近は特にバタバタしている。父さんがちょっとした事件を任されてて、事務所に篭りっきりだからな。母さんは『俺は大丈夫』って言ってるのに過度に心配してくるし、爺ちゃんが落ち着かせてる感じ」
「家族の半数がいつ帰って来るか分からないんなら、そりゃオバさんが心配気味になっても仕方ねぇよ」
「帰省までまだまだ日数があるのも事実なんだから、俺は不可抗力だろ?」
越は浴槽にもたれかかり、天井を見上げて答える。
「……一理あるが、連絡する頻度は?」
「2日から3日のペースで1度」
「ならば、温情の余地有りか」
「どこ目線で言っているんだ?」
「当然、弁護士の父を持っているダチ公を持っている俺目線」
「喧しいわ」
自信満々に親指を差す剱に、越は「ブフッ」と吹き出しながらツッコむ。
それから1拍置くと、入浴者数が増えてきた浴場から自分の隣でくつろいでいる彼へ、視線を下げてから動かす。
「……こうしてみると変わらないな。大所帯に囲まれるようになった事以外は、去年までと何も変わらないな」
「……だな。休日にゃぁ時雨も連れて旅行へ行かなくなった以外、何も変わっちゃいねぇ」
「んじゃ、ガキの頃と比べて変わってない俺たちに、恒例行事のサウナ勝負行ってみるか? 負けた方は──」
「『勝った方に好きな牛乳瓶を1本奢る』だろ? 良いぜ、乗った」
剱がニタリ顔で答える。
(さっきの1件で顔色が良くなってたが、これで顔付きも本気になったか……調子を上げてきたな……)
(越の奴、今日は俺に気を遣ってんな……別にそこまでしてくれなくても良いのによ……)
((だが、勝つのは俺だ!))
「……深夜にしてようやく重要事項を伝えた私も悪いが、本当に君たちの負けず嫌いは似ているな。時雨ちゃんから『意地を張らない』って前に言われてなかったかい?」
後日、地上では人々が通勤通学を始めるようになった頃。
ラボの会議室に、【監視犬】をはじめとした3つの部隊が集結する。
その室内では他にも、サウナで茹で蛸みたいに熱されていたというダチ公コンビを、千紗が正座させていた。
「昨日の今日で本当にお恥ずかしい限りです……すいませんでした」
「俺もガキの頃から越と競い合ってたからつい……すいません」
反省札に『僕は、親切心による忠告を蔑ろにしてしまう悪い子です』と書かれるのが似合いそうな越と、姿勢だけは手放しで褒められる剱が、知人に心配を掛けさせた事を謝る。
「だったら、今日の任務には参加できるね?」
「「はい……」」
「だったらいつも以上に時間が押されているから、説教は省いて手短に行こう。空いている席に座りなさい」
場のタイミングを見計らっていたピボが、室内の明かりを消しながらモニターを起動する。
「今回の任務は、東北地方の〇〇市で開催される周年記念フェスティバルの警備だ」
赤い点で示されたエリアに、越の気持ちが一瞬だけざわつく。
(……1週間前に救助任務として向かった村と場所が近い。ただの偶然か違うのか気になる所だが、今は黙って聞いておくか)
「2日前に明日人君が捕らえた【賜り者】によれば、目的は浄化という名目での虐殺、現場には3名ほど刺客を送ってくるらしい」
「話してる途中で済まない。お前にしては珍しく人数がはっきりしてないが、どうしてだ?」
千紗の説明の節々が曖昧である事に、4年来の付き合いを持つコマンドが手を挙げて指摘する。
「ミュークの記憶で分かる範囲が、敵の作戦の発案段階までだったからだ」
「なるほど、了解」
「悔しいがこういった不利もあって、我々の対応はどうしても後手に回ってしまう。3部隊も集めた理由だって、その点を人海戦術でカバーするためだ。ともかく、現状で把握している敵メンバーのプロフィールを配るから、頭に入れておいてくれ」
「そして最後、我々には前提として、一般人から死傷者を出さない事と【賜り者】を1人残さず捕らえる事、この2つがあるのを承知しているはずだ。しかし我々が今置かれている状況下では、そんなのはただの無茶振りでしかないのも、私は承知している。それでも、全力を尽くして遂行してくれ」
確固たる意志で、要望では無く、命令を下す。
「質問が無ければ、これで以上となる。各自、移動開始だ」
「「「了解」」」
「母ちゃん母ちゃん! からあげも食べたい!」
成長期真っ盛りの少年が、屋台が26も立ち並ぶフェスティバル会場の中を走り回る。
総勢で1000人にも上る参加者の活気に当てられつつ、新品のスニーカーを履いていた事もあって、その速度はさながら疾風だった。
「はいはい、そんなに慌てない。まずは口についてるケチャップを拭いてからね。それに、宗助はもうお兄ちゃんなんだから、妹を置いて1人で行かないの」
やんちゃ過ぎる我が子を、しっかりした芯を持つ優しい母親が引き留める。
「そーゆーのはだってランちゃんが遅いからじゃん」
「あら? 唐揚げの事は考えられるのに、妹の事はそうじゃないんだ?」
「……あーもー! 分かったよ! こうすれば良いんだろ!」
ほっぺと不満を膨らませるが、まだまだ1分目しか溜まっていない胃袋には及ばず、しょうがなく妹と手を繋ぐ。
「にぃに、ランといっしょなの、イヤ?」
「別に嫌じゃねーけど、なんて言えば良いんだろうな……」
自分の愛憎入り乱れた気持ちをまとめようとするが、長男である彼は小学生でもある。
言いたい事を相手に上手く伝えられない時期の子供にとっては、お箸で小豆を掴むのと同じぐらいに難しい作業であった。
「ってか、答えるのもメンドーになってきた。とりあえず俺から離れるんじゃないぞ」
「……うん」
兄の困り顔から何も感じ取れなかったランの姿は、周囲から見れば、頭からはてなマークを生やしていると錯覚されてしまいそうな物になっていた。
しかしながら彼女は、理解していなくとも理解していないなりに、信頼する兄の右手を強く握り返した。
「それじゃ行くぜ── 「あっこら、ちゃんと前を見ないと」──ってぇ!」
宗助は胸を弾ませ、青色のキャラポーチに入れた小銭を《チャリンチャリン》と鳴らしてて走り出す。
すると直後、母親の忠告が間に合わず、自分の胴と変わらない太さの脚と激突してしまう。
「あーもう! 慌てないって注意したのに! うちの息子が迷惑をかけてしまってすいません! 怪我や汚れは無いですか!?」
「……別に気にしなくとも良い。俺もちゃんと下を見てなかったからお相子だ。だが詫びたい気持ちがあるってんなら、アンタの息子にいくつか聞かせてもらおう」
ぶつかってきた子供と目線を合わせるべく、無愛想な顔をしたバイカー衣装の男は右膝を付く。
「小僧、お前の名前は?」
「そ、宗助……です」
「ふむ、ではソースケ、お前は妹の事を愛しているか?」
「えっ?」
宗助は、かつて父に連れられた水族館で1度だけ見た事がある。
ガラスを隔てた先ですぐの距離で、手を伸ばせば触れそうな距離で、ジンベエザメを見た事がある。
そして今、そのジンベエザメと同じ圧倒感を持つ大男の口から、まさか『愛』という単語が出て来るとは思わず、宗助は面食らう。
「真面目に聞いているんだからまっすぐ俺を見ろ。良いか、人間に必要な物は愛情だ。もっと言うと、家族だけじゃなくて他人も思い遣れる気持ちだ。お前は持っているか?」
「多分だけど……違うと思います……」
「だったら、今日から妹に愛情を掛けろ。今のご時世、どこもかしこも足りないからな。まずは妹へ、次に他人だ。そうやって愛情を広めてくれ」
伝えたい事を伝え、大男は立ち上がる。
「俺からの頼みだ。分かったら、気を付けて歩けよ」
「……はい、ありがとうございました」
大男の話す内容を理解できずとも覚えた宗助は、手を振ってくる彼へお辞儀をしてから別れた。
(おいおい、流者さんよォ、少しばかり害獣と戯れ過ぎてちゃァいなかったかい?)
去って行く小僧を見ていた大男の脳に、軍用の通信インプラントを用いて、陽気に別称を呼ぶ声が直接流れる。
(燥音、子供はまだ救える存在だ。俺らと同じ信者になれる可能性も持っているのなら、害獣呼ばわりするのを謹んでおけ)
(へいへい)
流者に注意され、燥音は後頭部で手を組みながら返事する。
(それで? このタイミングで話し掛けてきてどうした?)
(ついさっき空環も入場したんで、全員揃ったのを確認しましたぜ)
(了解した。予定時刻になるまでは持ち場を離れないようにしろよ)
(へ〜い)
緊張感のかけらも無い燥音との通信を切ると、流者は害獣の群れへと紛れて行った。