LIMIT13:時期は見逃すな
ヒビが小さな物とて1つとして見当たらない純白で滑らかな大理石で形作られ、荘厳なる雰囲気をギリシア建築が深く彫り出した大広間。
ローブを着た4人が、腹上で手を組み、右人差し指で《トントントントン》叩きながら腕を組み、瞼を閉じながら静かに腕を組み、フード部分をひしと掴み、円卓を囲んでいた。
《ガララララ……ゴン》
「皆々様方、私の到着が遅くなった次第、心の底から大変申し訳なく、ここで深くお詫びさせていただきます」
黒くて重厚なオークの扉が開かれ、緑色の腕章を着けたモノクルが仰々しく登場する。
「【宣教師長】!! 俺たちを10分も待たせたのは一体どういう了見だ!?」
「いつぞやの【教皇】猊下からの勅令を完遂できなかっただけに飽き足らず、過去に類を見ないほどの大幅な遅刻……信心を微塵とも感じ取れないその姿勢を、今ここで背教行為と看做しても良いのだぞ?」
同じく、黒色と赤色の腕章をそれぞれ着けた2人が叱る。
1人は、重力が穏やかに逆流したような髪型で、矢尻に似た鋭い目つき。
1人は、どこをどう切り取っても左右対称しか見当たらない位に、完璧に整った容姿を持つ。
そんな彼らを「まぁまぁ」と宥めながら、宣教師長は自席に腰を落ち着かせる。
「【誅罰師長】に【民衛師長】、そんなに捲し立てなくとも良いではないですか。私の方で色々諸々立て込んでいたのを覚えているはずですから、今回ばかりは目を瞑っていただけますかね?」
剰りにも衣服がダボついているため、安全ピンを使って黄色の腕章を固定している幼児の方に、手を向けて示す。
「そばに居る【調資師長】がわなわな震えている事ですし……」
円卓内最大の席に鎮座する白色の腕章に、目線を映す。
タルタロスよりも深い影によって、その御顔を拝見することは叶わないが。
「教皇様も、我々が争うのを見て御心をこれ以上痛めたくないようですから、気を取り直して定期集会を始めましょう、ね?」
「…………チッ、好きにしやがれ」
どうにもいけ好かねェし気に食わねェ態度をしやがる宣教師長だが、時間をこれ以上無駄にしたくない誅罰師長は渋々ながら話を切り上げる。
「感謝致します。さて、早速ではありますが、最初に報告したい方は誰かいますか?」
民衛師長が右手を挙げる。
宣教師長が「どうぞ」と促す。
「教皇猊下の御力により、依然として不審な輩は出没していません。信者たちの間でもごく稀に小競り合いがあるだけで、他は万事順調、至って平和です」
ここで浮かぬ顔をしながら、顎に指を添え出す。
「ただ、1つだけ懸念すべき事が。居住区以外の領地に侵入している輩は逐次排除しているものの、ここ数ヶ月で【ラボ】の手先に捕えられる件数が、日本にて増加しています。人員の補充はまだ間に合っていますが、このままだと民衛師1人1人の負担が大きくなるのを避けられません」
「あぁ、それについては私に心当たりがあるので、最後に発言させてください」
「ハァ? んだよそれ? テメェ本当にふざけてんじゃ──」
誅罰師長が思わず喰いかかるが、教皇が無言ながら左手で制す。
何をも表に出さない彼の方の意を、唯一その掌のみが代弁する。
「──チッ、だったらとっとと聞かせてもらうからな」
「だとすれば次に報告するのは……」
「もちろん俺だ」
右親指で自身を示す。
「とは言っても、俺たちは『ごく稀に起こる小競り合い』に軽い罰を科すだけだから、少々手持ち無沙汰ではあるがな」
「そうやって不満げにならずとも良いではないですか。誅罰師が暇である時は、密偵や裏切り者がいないのと同義なのですからね。処刑などの物騒事は、無いに越した事はありませんよ」
「……全くもって不服だが、テメェのその意見には同感してやる。ともかく、俺からは以上だ」
すると対面の調資師長へ、右人差し指を定める。
「で、今度はなし崩し的にそっちの番だぞ」
「ハ、はヒャい!」
最初のあの雰囲気に当てられすぎたのか、極度に怖がっていたあまりに声が裏返る。
「落ち着いて、ここには我々しかいませんから。ゆっくり深呼吸して、自分のペースで話してください」
「……で、でしたら僕からも特に報告する事はありません……はい……信者たちへの物資は、世界各所の農業区や労働区、今ある補給ルートで充分賄なえていますので……確かに最近1人死にましたが、例え断絶されたとしても、保存できる【賜物】を持つ方のおかげで備蓄は半世紀分はあります……」
かなり無理をして話したため、ここで深く「はーー……」と息を吐き出して体の硬直を解く。
「僕からは以上です……」
「良く頑張ってくれました。まだ居てもらいますが、しばらく休んでも構いませんからね」
「そうだ、肝心なコイツの話を聞けてねぇからな」
「だからそう急かさないでください」
幼児の背中を摩っていた宣教師長が「コホン」と咳き込む。
「ともかく、心を構えてお聞きください」
入室時から今まで見せていた笑みが消え、空気が張り詰める。
「私が『いつぞやの勅令』で向かった村、そこで我々が求める者を見つけました」
「「「!!!???」」」
金塊を見つけた採掘士のように、師長たちの目の色が一瞬で変わる。
「お前それを本気で言っているのか!?」
「ええ、いたって大真面目です。正確には、繋がりのある者ですが。名は大嶽剱、【超越者】を賜った界進越の親友です」
誅罰師長が勢い良く身を乗り出す。
「教皇! 俺に今すぐ行かせてくれ! 俺の【賜物】なら、忌々しいラボを壊滅させた上で連れ出せる! 昼飯までに釣りが来る位ェだ!」
「……………………」
教祖の様子は変わらず、それを見た誅罰師長の腰は、元あった場所へ徐々に戻っていく。
「……わーったよ! 成長し切るまで待っておく!」
「7年前から撒いていた麦の芽が開かれんとしている今、それが最善です。収穫するにはまだ時期尚早なのですから、黄金色に輝き出すまではこちらの準備も進めておきましょう」
「だったら、その間の信者たちの犠牲はどうする?」
「それこそあなたが言ったように、ラボを壊滅させた上で一緒に取り返せば良いだけでは? 幸いにも、同じ【賜り者】らしい人道的な拘留をされているので、彼らが辛い思いをする事は無いのですから」
疑心と自明を持って、互いの目線が交わされる。
「なら、俺たちの方針はそこ以外は変わらないんだな?」
「えぇ、それで合っています」
「……だったらこの集会は終わりだ。ここで解散しようぜ?」
「私は構いませんが、他の人はどうですか?」
右手を順繰りに差し向ける。
「私は近辺の見回りがある」
「僕もこの後に用事が……」
「なるほど……満場一致ということでしたらお開きにしますか。では、次の集会に会いましょう」
立ち上がって「失礼します」と言い残すと、そこにいたのが嘘みたいに瞬間移動して去っていく。
「遅刻するぐらいなら最初っからそうしろよ……」
モノクルがいた空間をじっと見ると、誅罰師長は半ば呆れを含めて悪態を吐く。
「へいお待ち! 真鯛の昆布締め、〆て4貫!」
ラボの食堂の片隅を間借りし、ちょいと凝った改装をしたカウンター。
ねじり鉢巻に青き板前姿が、繊細な指使いで豪快に腕を振るう。
「ありがとよ」「ありがとう、剱くん」
寿司下駄に置かれた薄明るい赤虹を、ダチ公と連れ添いが箸を使って口元に運ぶ。
(美味ぇな……理屈だとかそんなの捏ねくり回すのメンドくさくなるほど美味ぇ)
力強い弾力を持つ甘みを噛み締め、後味に残る昆布を確かめながら、2人は熱い緑茶に右手を伸ばす。
「久しぶりに剱くんの握った寿司を食べたけど、気のせいか腕が急激に上達していない?」
「べらぼーに美味い米を持ち帰っただけだ、時雨。ラボでは前々から上物の魚を使ってるのもあって、この際にと思ってな」
「そういう事か」
越は湯気を吹き冷まして、火傷しないようにゆっくりと飲む。
「大将、私からも頼めるかい?」
そこへ後ろから、サングラスを額に掛けた女性とその護衛が現れる。
「へいらっしゃい! 何を握りやしょうか!」
席についた彼女たちへ、剱は緑茶を淹れながら注文を伺う。
「では、タコとマグロの漬けを1貫ずつ頼むよ」
「俺は玉子と海老天を頼む」
「へい承知! ピボ! お客さんのネタを用意してくれ!」
「合点承知の助!」
世界各国の権威が力を合わせて生み出した【ピボ・メディア】は、従来のAIとは桁も格も違うラーニング性能を持つ。
そのためか人間臭い思考回路に成長していき、誰もが使う方のネットの海で学んだ独特な口調で返事をすれば、冷蔵庫へ向かって行った。
「千紗さん」
「言わんとしている事は分かる。ただ、今は剱君に付き合ってあげてくれ」
見知ってから10年余りの長い付き合い。それ故に、越と剱はお互いの気持ちが口に出さずとも伝わる。
ならば、先の真鯛に僅かに含まれる苦味を【能力】を使わずに感じ取れるのは当然である。
「確かに、この距離じゃあいつの地獄耳に拾われてしまうか……だったら次の任務は?」
「君が回収してくれた日誌、覚えているかい?」
「あの金箔が貼られた教典とは違って、なんの変哲も無い本ですか?」
直近で潜入した廃倉庫で、力任せに開けた引き出し。
その中で、1番上に置かれていたのを思い出す。
「そうだ。あれの痕跡を辿ってみると、著者が今は九州に居る事が分かった。身柄を確保するべく、部隊を早速向かわせているところだ」
「待ってください? だとすれば、俺の出番は無いんじゃ?」
「君にはできる限り万全な状態で望んで欲しいんだ。なんせその道のプロに任せているのだから、成否次第で動きが変わる」
絶えず喋っていた為に喉が渇き、緑茶を飲んで湿らせる。
「成功すれば君を新しい任務地に派遣できる。だが、失敗したら九州に向かわせねばならない」
「敵がなかなかの手練れだから、とか言うんでしょう?」
「そうだ。とにかく、君はいつでも行けるように準備しておいてくれ。伝えたい事はそれで全部だ」
「了解」
油が《ジュージュー》《パチパチ》と2種の音色を奏でる中、剱は静かに飾り包丁を入れる。
職人と比べれば、贔屓目を入れても握りは1歩及ばないが、ネタの仕込みに限れば1歩先を行く。
これによって、彼は職人と同じ土俵に立ちながら競い合える、といった評価である。
「へいお待ち! そちらの別嬪さんにタコとマグロの漬け、ついでにアオリイカで〆て3貫どうぞ!」
寿司を下駄に置いた瞬間、何も無かったネタの表面に鹿の子模様が浮かび上がる。
客の前に出してから完成する芸術に、千紗は驚嘆の念を抱く。
「ただ、大将、私はイカを頼んだ覚えは無いぞ」
「俺の奢りです。ちょいと地獄耳に挟んだだけですからね。九州じゃ今が旬で、ガリと同じ口直しをできる役割を持つのは、東北西南どこを見渡してもコイツだけですよ。タコとマグロの間に召し上がってください」
「そういう事なら、ありがたく頂こう」
剱は彼女の感謝を受け止めながら、申し訳なさそうな顔でジャックに向かい合う。
「そうそう、ジャックの兄さんには悪いが、ネタが揃うまでもうちょい待っててくだせぇ」
「分かった」
ジャックが淡々と返答しながら腕を組むと、千紗は一足先にタコを食べる。
「……美味しいな」
「でしょう? 剱の寿司はその感想だけで良いんですよ」