LIMIT11:身の回り全てを活用しろ
「おまえさんが着とった旅装束、あんなにヒラヒラしたのは泥仕事には向いとらんだろうからな。ほれ、受け取れ」
「おっと、感謝しやす」
一夜明けて早朝の05:17
年季の入った草刈り鎌と、ヤマ爺の息子が着ていた紺色の農作業着を、剱は手渡されていた。
さっそく着てみれば、彼の恵まれた体格に一分の緩みや締まりがないまま丁度良く馴染んだ。
(コレ思ったよりピッタリフィットするな……そういや昨日のヤマ爺、逢魔時にやって来た俺に一切動揺してなかったっけな……)
これを持って推し測るに、今の日本でも珍しい六尺五寸の黒目黒髪を目の当たりにしながらも、ご老体に迷惑以外の表情が何一つ見られなかったのは、自分の息子を見上げるのに慣れていたからなのだろう。
「とりあえず、最初にこの鎌で何をするんで?」
「それを今から話すところだ。付いて来い」
ヤマ爺の真横を維持しながら、これまたしっくり馴染む事で靴擦れの心配をしなくて済んだ長靴で、剱は言われるがままに家から出る。
「ここからあそこの防風林までの一帯、所々裸んぼになっとる土地が見えるか?」
「赤裸々ならぬ渋茶裸々なら、えぇばっちしと」
「あれは全部ワシの田んぼだ。おまえさんには半分向こうまで生い茂ってるあぜ草を刈ってきてもらう。あと、ゾウムシやカメムシとかの害虫が湧いて稲を植えられないから、終わったら放置せずにあのこんもりした草の山まで集めるようにな。分かったか?」
「あいさ、合点!」
忙しなく指が動くヤマ爺の指示に従い、剱はぱっと左手で草を掴み、右手の鎌で根っこごと行かんと一思いで薙ぎ切る。
「こんな感じで?」
「ばかやろう、そこまで切りすぎると雨で土が流れちまうだろうが。ワシの動きを見ておけ」
農業初心者のお手並みを拝見していたヤマ爺が、彼の近くで腰を屈める。
「地面から拳1つ分の間隔で持ってからだな、こんな風に……」
鎌を的確に引いて戻して2往復すると、鼻に残るが形容し難い独特の匂いが、草に出来た切り傷から滲み出る。
「ざくざく、といった感じだ」
姿勢をそのままに、剱に顔を向けて語りかける。
「それとさっき見てて気づいたが、おまえさんの刈り取った草が水路に少し流れていた。あれぐらいなら良いが、やりすぎると下流で詰まってしまうから極力落とすんじゃねぇぞ」
「承知」
真剣な眼差しで返事をすれば、ヤマ爺に教えられた通りに改めて草を握り、同じように鎌を動かす。
「これでどうで?」
「ふむ、さっきよりは比べもんにならんぐらいに良くなったし、上出来だ」
剱の肩に手を置き、ヤマ爺が「よっこいしょ」と辛そうに立ち上がる。
やはり彼も、生物に必ず付き回る体の節々の老朽化には逆らえないらしい。
「にしてもおまえさん、刃物の扱いが上手いな。飲み込みも随分と早いようだし、何か剣術でも齧った事があるのか?」
「実家と旅路の中でちょいとばかし、ってところでさぁ」
「そうかい……それじゃ、この調子で頑張れ。手が空いたらワシの方も手伝えよ?」
「承知」
「これで……今日刈り終わった分は全部ですぜ」
「ご苦労さん。やはり、若いもんがいると作業効率が上がるもんだな」
07:12
小休憩を挟み、剱は腰に手を置いて背中を伸ばし、ヤマ爺は腰を手で叩いて和らげる。
そんな彼らの前には横並びしている草山が3つあり、左から右へ行くほどに剱より高くなるよう積まれていた。
「さて、作業もひと段落した所で、次はこの中で最も低い山についてだ。良い具合に水分が抜けているから、直近の米を炊く分だけ燃料として使う。灰は肥料にもなるので、ずっと置いていると腐って勿体無いから、残った分は全て燃やす。使えるもんは全て使うのが一番だからな」
「でしたら、ここから如何程取り出すんで?」
「三分の一程だ。ワシが火をつける間に、おまえさんは家に帰って釜の近くまで運んでおけ」
「承知」
言われてから2分と経たずにこなすと、ヤマ爺の所まで戻る。
「終わりやした!」
「おう、本当に早いな……それじゃ最後の大仕事として、あのビニールハウスまで行くぞ」
若干ながら剱のバイタリティに引くが、燃え立つ草山を後に、気を取り直してから移動する。
「ここは分かりやすく説明すれば、野球場のグラウンドと同じぐらい広い田んぼに植える稲を、種もみから最適な状態にまで育てるための場所だ。そして今、この道具で苗を踏んで鍛える段階まで来た。ここからは言わずとも分かるな?」
コロコロローラーの3倍は大きい“健苗ローラー”を、ヤマ爺が手渡す。
「俺がここの分を担当するんでやすね?」
「その通りだ。使い方についてはワシが今見せるように、ゆっくりと苗を曲げる感じで一回通りすぎるだけで良い。それじゃ任せたぞ」
「承知」
ヤマ爺がハウスから出ると、剱は鼻歌まじりにローラー掛けを始める。
草刈りと比べれば苦に感じず、そうする余裕があるぐらいの作業だったため、これはたったの30分足らずで終わらせた。
「ならば飯にしよう。夜は手伝ってもらうまでは適当に過ごしとけ」
ヤマ爺にそう言われ、炊き立ての白飯以外は残り物で構成された昼食をとってからは、昨日と同じように刻が過ぎていった。
「ほれ、働いてくれた分の駄賃だ」
また一夜明けて剱が出立する日。
支度を済ませた彼に、ヤマ爺から麻袋が2つ渡される。
「これは……干し飯と生米じゃありやせんか」
「おまえさんは旅人だろう? いつでも食えて長持ちするのが良いんだろうが、時には炊き立ての米も恋しくなると思ってな。念のために両方渡しておくぞ」
「かたじけない!」
剱が深々と頭を下げる。
「老人が1人で消費するには毎年多い量を作ってんだから気にするな。とりあえず達者でな」
「あい、俺もこれでお暇させていただきやす。本当に……本当にありがとうございやした……」
彼のここまでの粋な計らいに、苦悶に顔を歪めたのを隠すように、剱は背中を向ける。
「その前に1つだけ、聞き忘れた事がありやしたわ」
「藪から棒になんだ?」
だがすぐに、立ち去ろうとするふりをしながら尋問を始める。
「実に申し訳ないし罰当たりだし失礼ですけど、おととい家中を掃除させてもらった時、骨壷が2階の物置きに大事にしまわれてたのを目にしましてね。中をちょっと覗かせてもらえば、もちろん骨粉が詰まっていたわけなんですが、アレは誰の物です?」
「まさかおまえさんがそこまでの人でなしとは思わなかったぞ……」
「俺の質問に答えてください」
食料を貰って歓喜に満ちた目から、不都合な事を隠されて敵意に満ちた目へ、振り向きざまに切り替わる。
「……『誰だ』と言われても、もちろん死んだ婆さんの──」
「ありゃぁ山下菊、アンタの家内さんのじゃねぇ。彼女なら、とっくの昔に共同墓地に埋葬されているはずだ」
「……本当にどうしたんだ? さっきからずいぶんとおかしな事しか言ってねぇな。人間の目で骨粉から個人を特定するのは無理に決まってるだろ?」
ヤマ爺の顔が徐々に赤く、拳は硬く、体も震え始める。
「それよりも、人様の大切なもんを勝手に覗いただけでなく、嘘つき呼ばわりしたんだから今すぐ謝れ」
「俺は今アンタがとぼけているのを看破しているんですよ。なんせ、その不可能に近い事をできているからな」
(とは言え、墓地については会議の時に頭に入れたものだし、壺についても千紗さんに視てもらったから分かったんだけどな)
「……どこか怪しいと思ってはいたが、ここまでの恥知らずの大間抜けなら聞かずにはいられんな。おまえさんは何もんだ?」
「最初に会った時と同じように、俺はただのしがない旅人としか言えませんよ。今につまらない身の上話を始めたところで、何の意味もないんですから」
剱は、自身の左隣で生じた2次元の穴を、炎のようにゆらめく輪郭を持つ青白い鞘へと成形する。
「それよりもヤマ爺、アンタにもう1度聞きます。あの粉が菊さんの物でないのなら、壷の中には一体誰のが納められているのですか?」
「…………」
最初の怒りはどこへ行ったのか、ヤマ爺はすっかり黙る。
剱も同様で、答えてもらうまでは下手に動けなくなる。
《バキ……》
しかし、彼の後ろから何かが静けさを破る。
《バキバキ》
音の主が段々と近づく。まるで、誰かがヤマ爺を問い詰めているのを感知したかのように。
「ブァモォォォォォォ!!!!!!」《バキバキバキバキ!!!!!!》
ところが、木々を薙ぎ倒して草むらを掻き分けて登場したのは、クマ!
今更ここまで来て、剱達の最終障壁となるのは、まさかのクマだ!
「まさかこんなに上手く釣れるとは思わなかったぜ! クマさんよぉ!」
「SENSI……!? おまえがどうしてここに……!?」
気配で来る事に気づいていた剱は、平常心を保ちつつ、刀を鞘から引き抜く!
ヤマ爺は、剱の(クマに化けた何者かと結託している)という読みが外れていたらしく、ただ唖然としている!
「待機班、ヤマ爺の確保と護衛をしてくれ! クマは俺とフリーさんで対処する!」
ただし、どれだけ秒単位で変わりやすい状況であろうと、ここで最も優先すべき事は重要参考人の安否である!
剱が取り乱さずに通信すると、オレンジ色のジャケットを羽織った少女が、参考人の後ろへ音も無く現れる!
「ほいほいっと、このおじいさんを連れ帰るんだよね?」
「バウッ!」
少女がキャンディを舐めながら聞いていた所に、クマが右の大振り!
幼体の爪でも、ジーンズを着た人間の太ももを容易く引き裂く威力を持つ!
成体の発達した筋肉も相まって繰り出された一撃! まともに食らえば、良くて行動不能! 悪ければ即死あるのみ!
「させねぇよ!」
剱が握る刀も、条件に当てはまるのであれば、どんな物でも抵抗なく斬れる威力を持つ!
クマの手と衝突する瞬間、下から弧を描いて両断しようとする!
(か、硬ぇ……! いつもは豆腐を斬るのに似ているが、コイツの場合はまな板を斬っているようだ……!)
だがやはり【教団】絡みであるためか、一筋縄では行かずに厚い毛皮までしか刃が通らない!
「ぬぁりゃぁあっ!」
「ブァァァ!!!」
ただそれでも、深く傷口に食い込ませながら押し返す!
クマは《ズキンズキン》とくる痛みに、身をよじってのた打ち回る!
「今のは危なかったー! マジビビるってー! でも明らかこの人を狙ってるぽいし、ここは撤収あるのみ!」
少女は肝を冷やしながらも、ヤマ爺の肩に右手を置く。
「つるぎっち! 助けてくれてマジありがとーだから、またあとでね!」
「応! また後でな、シオン!」
2人が瞬間移動で戦線を離れば、クマが全身の毛を逆立てて起き上がる。
剱の表情が引き締まる。
「大嶽剱、推して参る」