03. 成人の儀 2
奥の間に到着した。
奥の間は大広間からはずいぶんと距離があるようにも感じたので離れにでもなっているかと思っていたが、棟続きの最奥の場所、廊下の突き当たりにある部屋だった。
中庭をぐるりと回り込むような形の廊下を渡ってきたせいで遠く感じたのかもしれない。
廊下に面した襖を開けると、意外にもこぢんまりとしたごく普通の和室があった。
大広間よりも狭いし、大広間は建具などにも凝った装飾がされていたが、この部屋にはそんな装飾もない。質素な造りの茶室のようでもあった。
襖を開けると、巫女装束を着た女性が三つ指をついて挨拶の言葉とともに迎えてくれた。
「本日は皆さまの吉き日祝ぎ奉ります」
そして、奥に進むようにと一行を促すように膝を突いたまま脇に避けてくれた。
当主様のあとについて部屋の奥に進むと壁の大半を占めるような大きさの祭壇があった。
その祭壇の中央、御神体の丸い鏡が恭しく祀られている。
当主様は、装束の袴を折るように手を当てながら祭壇の前に音も立てずに座り静かに大きく一礼したのちこちらに向き直った。
僕たちも当主様を真似るように静かに正座で座る。
最前列が成人となる僕たち。
ついで重鎮たち。
一番後ろに両親たち。
今回成人となるのは四名。男子三人に、女子一人。
重鎮たち、両親たちと並ぶとちょうど当主様を頂点にして三角形のような形で並ぶことになった。
皆の姿勢が整うのを待って当主様がこれから成人の儀を執り行うことを簡潔に述べ、身体を回し御神体と正対する。
朗々とした声で、独特の音階を奏でるように祝詞を唱えて儀式は始まった。
掛けまくも畏き
伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に
生り坐せる祓戸の大神等
諸諸の禍事・罪穢
有らむをば
祓へ給ひ清め給へと
白す事を聞食せと
恐み恐みも白す
祝詞を唱える当主様の脇では、先ほど出迎えてくれた巫女様がシャリンシャリンと澄んだ音を鳴らしながら神楽鈴を持って舞っている。
正直、当主様が唱えられる言葉の意味も巫女様の舞の意味もよくわからなかったけれど、儀式の間は瞬きをするのも憚られるような厳かで神聖な空気が満ち満ちていた。
どのくらいの時間が経っただろう、一際大きく鈴の音が響いて儀式の終わりを告げた。
ご祈祷が終わり当主様がまたこちらに身体を向けたので少しほっとした気持ちになったが、それでも姿勢を崩すことはできず固まったように当主様からの言葉を待った。
しかし、当主様からのお言葉は意外にもありきたりなもので「成人としての心構えを持って、倉知家の者としてこれからも正しく精進に励みなさい」というような内容のものだった。
あまりにもあっさりとした訓示の言葉であったが、長々とした話を聞かされることなくこのまま終わりそうで正直助かったというのが本音のところだ。
「成人の儀、以上をもちまして終了いたします。当主様ご退室」
巫女様の言葉に合わせて全員で深く頭を下げて礼をする。
皆の礼に見送られて当主様はそのまま部屋を出て行った。
頭を上げるタイミングを見計らいながら『これでやっと終わりかな』とそれまで張り詰めていた気持ちも緩みそうになっていたところだったが、巫女様の次の言葉を聞いて緩みかけていた気持ちがこれまで以上にピンと張り詰めみぞおちのあたりがきりきりと痛み出した。
「当主様は席を立たれましたが、皆さまにはもうしばらくここに残っていただきます。これから当主様との個別面談を別室にてそれぞれ行っていただきます。準備が整いましたら声をおかけしますので、お一人づつ隣のお部屋に進んでくださいませ」
……嘘だろ……当主様と個別面談なんて……
当主様と直接話をする機会なんてこれまで一度もなかった。当主様と会うときはいつも両親が一緒で脇に控えていればよかった。希に声を掛けられたときだって挨拶をして「はい。はい。」と相づちを打つぐらいだった。
それが一人で当主様の前に出る?そんなの緊張しまくりで……ほんとに胃が痛くなってくる。
こんなに緊張しているのは僕だけなんだろうか?他のみんなは平気なんだろうか?
そう思いながら、横並びになっている成人の儀を終えた他の子たちの様子をそろりと窺ってみる。
背筋を伸ばして姿勢よく静かに座っているだけで、他のみんなにはなんの変化も見られない。
……やっぱり他の子は当主様と話することに慣れてるんだろうなぁ……
うちのように特別な才能のない家族は当主様と会う機会も多くないし、僕自身は倉知家の中で引け目を感じているせいで、当主様どころか他の親族からも距離を取っているのでなおさらかもしれない。
ここに並んでいる同じ年のみんなのことも殆ど知らないし、顔を見かけたことはあっても口をきいたことすらないのだ。
こうして緊張して、当主様と一人で会うことにびくびくしている自分がちっぽけで惨めな存在に益々思えてくる。
そんなうつうつとした思いに捕らわれながらもう一度他の子たちの様子を視線だけで見回してみた。
この中で一人だけの女子。僕と反対側、列の一番端に座っている女の子に目が止まる。
――倉知夢鳳
この子のことだけは知っている。倉知家の中でも別格な存在だ。
神様のご神託を賜ることが出来る今世唯一無二の存在と言われている、倉知家の巫女。
神様に仕える女性のことを総じて巫女と呼んでいるが、彼女の場合は一般的な巫女とは違う、『口寄せ』とか『シャーマン』に近い巫女。原意としての巫女。
言葉を覚えて間もない幼い頃から神様の声が聞こえたらしい。
ほんとかどうかはわからないが、よちよち歩きの小さな女の子が神様の声を聞き預言めいた言葉を大人たちに伝えたらしい。
原意的巫女の素養を持った者は倉知家の中でも希有な存在だ。
数世代に一人現れるかどうかの存在だと聞いたことがある。
こうして彼女を近くで見るのは初めてだが、以前にちらっと見かけたときの印象からするとずいぶんと小柄な感じだ。一般的な同世代の女子よりもたぶん小さいだろう。そして細い。決して病的とは言わないが、健康的な体つきとも言えない感じ。
そんな、細身で小柄な体つきとは反対に、他人を寄せ付けない、触れようとすると弾かれそうな特別な雰囲気を纏っている。
ここからではあまりのぞき込めないので横顔の一部しか見えないが整った顔立ちをしているのは間違いない。大きなくるっとした感じの瞳をしているが、目尻が切れ長なせいでちょっときつめな印象も受ける。
肩甲骨あたりまで伸びた黒髪を後ろで一つにまとめているので少しつり目気味になっているせいかもしれない。“凜としている”という表現がまさにぴったり、しっくりとその表現に収まるような女の子だ。
倉知夢鳳、彼女に意識が向いていたせいで、これから当主様と面談するという緊張感が少しだけ紛れたかもしれないと思い始めたところで、声がかかった。
「当主様のご用意が整われましたので、お一人ずつ入ってください」
そうして、僕が一番に指名された。