02. 倉知の家
倉知家の者は歳を取るのが早い。
とは言っても、生物の常識を変えるような話ではない。
倉知……元は、『藏知』と書き、日本創世の物語にも登場する神々に連なる由緒正しき一族と言われている。
『藏』は、隠して閉まっておくの意。
『知』は、神様に誓いが通じて物事を悟るの意。
総じて、倉知家は、「神様の御心、真意を悟り、秘して守る」“真理の守人”の血筋を起源として成り立つ。
後の世に、『藏』が転じて、『蔵』となり、その後『倉』と記されるようになった。
そうして、古から蓄え、守ってきた知識を家宝と敬いながら綿々と続いてきた家柄である。
実際、倉知家の人間は本家、分家に関わらず多くの者が年若くして世に輩出され、日本のみならず世界を動かすようなポストに付いている。その分野も広く、政治、経済、金融、科学や医療など技術や研究に携わる者たちも多い。
遺伝によるものか、家風によるものかはわからないが、世に出て行く者たちは一分野に特化して優秀であり、才能を発揮する傾向にあった。日本での学校制度には馴染まず幼くして海外へ渡り、飛び級を経て学び巣立ってゆく。
あくまでも倉知家内部でのしきたりだが、14歳を持って成人とし成人の儀を行う。
成人して世界に出て、15や16で重要な成果を成し遂げたものさえいる。
故に、倉知家の者は歳を取るのが早いのである。
かなり異質な家柄だと思う。
しかし、異質な者たちの中にあって、時に凡庸な者も生まれる。
それが、“うち”である。
うちの父は、幼年の頃からきらめくような才能の片鱗を一度も見せたことはなかった。
倉知の家にあっても、才なきものは海外へ出されることなく日本国内での修学を行う。
父も才なきものと見切りを付けられ、ごくごく普通に学生時代を過ごし、大学卒業と共に就職した。今は、都市銀行の支店勤務で課長をやっているらしい。学校の友達や、周辺の大人たちは「銀行で課長やっているなんてすごいじゃない」なんて言ってくれることもたまにあるが、正直、何がすごいのかぜんぜんわからない。ただのサラリーマンだし。そんなおべんちゃらを言われても、へらへらにやついて目を逸らすことぐらいしかできない。
凡庸の子は、凡庸。それが僕だ。
母は、父の凡庸さから、倉知家の中では劣等感を強く感じているらしく不機嫌な表情が顔に染みついているような人だ。
この人は笑ったことがあるんだろうかと思った。
自室から一階のリビングに下りて、朝食をテーブルに並べている母を見て、ふと、そんなことを思ってしまった。
「早くしなさい、学校に遅れるわよ。まったく、あなたって子は」
いつもと同じだ。
毎日、毎日、毎日……同じ事を繰り返してこの日の朝も始まった。
次話は来週以降になります。すみません。
数話分書きためてから投稿します。