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4 われらのシロヴィニスカ2

本日一話目です

…はい。アラン・リークスフォーは僕ですが。


……誰です?


…ああ、これは失礼しました。

貴族様だとは思わず無礼を…。ああ、お許しいただけるのですね。ありがとうございます。

すみません、下町育ちなもんで、言葉遣いとかは勘弁してくださいよ。


『清き手のシロヴィニスカ』の話を聞きたい?


なんで、あいつのことなんて聞きたいんですか。

もうあいつは死んだんですよ、そんなの聞いたって……え? 詩を作る趣味がある?


しばらく異国に住んでたから詳しくないが、噂を聞いて興味が湧いた?


…はあ。まあ、あいつは伝説的でしたから、詩の題材になるのかもしれないですけど。



……俺に語れることなんてないですよ。


ああ、すみません、言葉が乱れてしまって。

え? その方がいい? 実際に詩にするかどうかはさておき、英雄の実際の姿を知りたいからざっくばらんに語ってほしい?

変な人ですね。


…まあ、いいですよ。

俺だけがいつまでもこうやってもやもやしてるのも馬鹿らしいし、話したら俺もすっきりできるかもしれないし。


でも、俺が言ってたなんて他の奴に語らないでくださいよ。

他の奴らはみんながみんな、あいつに夢を持ってるんで、実際を知ったらどんな暴言吐かれるか分かったもんじゃねえ。


……って言ったって、何から話したもんですかね。


印象を一言で言うなら?




…気持ち悪い、ですよ。



ああ、あいつは気持ち悪かった。


人間としてどっかがおかしかったんだ。



……そもそも俺とあいつが初めて会ったのは、どっちも五歳かそこらくらいでしたよ。

俺はろくでなしの親が借金抱えて逃げやがったもんだから、孤児院に拾われたんですがね。そこで会ったんです。


いや、孤児院っつったってそんな憐れみ深いところじゃないんですよ。

痩せこけたガキを集めて、そこら中で乞食をさせては上前を跳ねるようなとこでした。そもそも孤児院ったってスラム街にあるんですから、院長もガラの悪い男でね。


拾われてきた時、あいつは体中に殴られた痕があって、顔は青あざだらけ、膨れ上がってよく分からないくらいで、髪もぼさぼさ、酷い有様でしたよ。

まあ、どのガキもそんな感じで拾われてくるんですが、中でもハーセルは酷かった。


…ああ、ハーセルっていうのは、そこでのあいつの呼び名です。

あいつの担当がハーセル大通りでの乞食だったんで、そのまんま呼んでただけです。

俺は親からもらった名があったんですが、ハーセルはゴミって呼ばれてたらしいんで、院長が適当に付けたんですよ。


…まあ、院長も悪い男じゃなかったですよ。

実際、院長に拾われてなかったら俺もハーセルも死んでただろうし、一応は感謝してるんですが。

まあ、スラム街の大人ってのはみんなそんなもんですよね。


酒に酔ってどれくらい暴れるか、って尺度くらいですよ。それに関しちゃ、あの院長はまだマシだったかな。



それからは十歳だかそれくらいになるまでずっと、乞食をしたり院長に殴られたりしながら生きてましたよ。

ちょっとした喧嘩に巻き込まれて死んじまうガキもいましてね、いざとなれば自分たちで自分の身を守るっきゃなかった。



そんで、ハーセルと俺は孤児院の中でも喧嘩に強かったんですよ。


俺は上手いこと立ち回るのが得意だったから、大男相手でも攪乱してやればそれなりに喧嘩になったし、ハーセルはとにかく打たれ強かったし、力が強かった。

親に殴られ続けて育ったせいか、どんだけ相手が強かろうと怯まないんですよ。


だから、十三になった時だったかな、一緒に街の警備隊に入ったんです。

このままスラム街で一生を終えたくないって思って。そこそこ腕が立つ奴は、大体同じこと考えて警備隊に入ってましたよ。


入ってからは大変だった。


俺はガキの間では負けなしだったんですけど、警備隊の男たちはバカみたいに強くって、きつい訓練に吐いたり、夜勤でふらふらになったり。

ハーセルも俺とおんなじように、性別とか関係なく揉まれまくってました。そもそもハーセルは見た目が男寄りだったんで、俺もあいつを女として意識したことは無かったんです。



……ハーセルがあんな風になったのは、見た目のせいもあると俺は思ってる。


…あー、すいませんね、口調が。


その、警備隊に入ってこれまでよりかはまともな食事を食えるようになって、俺もハーセルも痩せこけたガキ状態から、どうにか見られるくらいにはなったんです。


それでハーセルの背が伸びて、俺を追い越しました。


ひょろひょろで痣だらけでガラの悪いガキだったはずなのに、背が伸びてちゃんと肉が付いてみたら、女どもが目の色変えて追いかけまわすような見た目になっちまったんですよ。


その見た目につられて、貴族まで寄ってきたんです。貴族と言っても、下っ端の方でしたけど。


もちろん、ハーセルは功績も上げてた。

それと、俺は上手いこと逃げ回って隙を狙ってとどめを刺す戦い方でしたけど、ハーセルは粘り強さと胆力で真っ向から迎え撃つタイプだったんで、貴族様たちから受けが良かったんですよ。

まるで騎士みたいだ、って。


ハーセルは確かに、ちょっと変なくらいに腕力や体力がありました。

最初は別になんてことないんですが、訓練をして、追い詰められれば追い詰められるほど、成長するんです。

体の造りとかが俺らとはちょっと違うんじゃないかって感じだった。


俺が技なら、ハーセルは力でした。

男と女なんで、普通は逆だと思うんですけど。



はい? 英雄の器?


聞いたことないですけど。


何かしらの災いが起こる前に神が遣わすもので、普通の人よりも伸び幅があったり、少し特殊な力を持っていたりする?


はあ、そんな伝説があるんですね。

…まあ、英雄の器って言われたら、そうだったかもしれないですね。



……ほんとに、器って言葉がぴったりでしたよ、あいつは。



なんでそう思うかって?


…あいつには、自分が無かったんです。

空っぽって言いますか、なんていうか……求められる通りに自分を曲げて作り変えちまうようなところがあった。


警備隊で、下っ端貴族たちに目を付けられ始めた頃がまさにそうでしたよ。


ハーセルの見た目と剣の使い方につられて寄ってきた貴族たちは、ハーセルに騎士っぽい行動を期待するんです。

でも、実際のあいつはスラム街で育った、がさつでガラの悪い奴です。当然口調なんて酷いもんだし、安酒飲んでくだ巻くし、喧嘩が起これば俺と一緒に乱入する。女らしさ以前に、山賊みたいなもんでしたよ。

もちろん、俺もおんなじようなもんでしたが。敬語なんて概念すら知らなかった。


警備隊の奴らなんてみんなそんなもんでしたから、それまではあいつもそのままでよかった。


でも、警備隊だって金がなくてカツカツでやってますし、ハーセルがうまいことお貴族様たちから気に入られたら、警備隊にも支援があるかもってんで、ハーセルにみんなが期待しちまったんです。


だから、お貴族様が見学に来た時には、あいつは罵倒を控えて、あんまり喋らずに、騎士っぽく動くようになりました。

おかげで援助が増えて、大助かりだった。



…ああ、すいません、貴族様に向かってこんなこと言って。



それよりも君が思った率直なことの方が聞きたいから問題ない?


…ほんと、変な貴族様ですね。


じゃあ、続けますよ。

あとから怒るのは勘弁してくださいね。



それで、口を開けば罵倒やら品の無い言葉やらが出ちまうんで、あいつはあまり喋らなくなった。邪魔だからって短く切ってた髪も、伸ばして後ろで結ぶようになった。

貴族様たちは、あいつの銀髪を気に入ってましたからね。


そうしている内にあいつは少しずつ功績を積み上げていって、王城付きの護衛兵に昇格したんです。


警備隊ってのはあくまで街に所属してるもんなんで、一般人に過ぎないんですよ。街の住民が払ってる街税の一部を給料としてもらってて、街で騒ぎがあれば鎮圧しに行ったり、私兵を持ってない貴族様に頼まれて街の外の魔獣を討伐に行ったりしてました。人によっては店をやりつつ兼業してるってのもいましたね。


対して、王城付きの護衛兵ってのは、王に仕えて、王から給料をもらうんで、警備隊とは全く違うんですよ。


お客さんは名家の方みたいなんで、こんな庶民の感覚なんて分からないと思いますが、下っ端貴族の三男あたりが口減らしに入ってくるくらいにはいいとこです。そういう訳で、そこに入ってるってのはそこそこの自慢になるんですよ。

ただの兵士とは違いますからね。

試験もそこそこ厳しくってね、ある程度実力がなくっちゃぁなれないんだ。


俺も必死で警備隊で頑張って、あいつを追いかけて、すぐ後に護衛兵になりましたよ。


でも、俺が入るよりも前に、あの大氾濫が起きちまったんです。

異国に住んでたってことじゃあんまり詳しくないかもしれないですが、噂くらいは聞いてらっしゃるんじゃないですか?



魔獣で森が溢れかえりました。


そうです、暗黒の森ですよ。暗黒の森は、前はもう少し小さかったんです。

あの大氾濫以来、普通の森だったところを呑み込んで、拡大したんで。


その時までは普通の森だったから、ちょっとした魔獣の発生だって思われて、護衛兵が討伐のために向かわされたんです。何人か騎士も送られたって聞きました。

護衛兵はあくまで王城と王都の警備が専門ですからね、王都の外の魔獣討伐にしては、まあまあ力を入れてた方なんだと思いますよ。


でも、送り込んだ後になって異変が分かった。


暗黒の森に闇の力がなんとか…って。詳細は俺みたいな庶民には知らされてないですけど、なんか異常があったらしいです。

だから、少し倒したところで、魔獣はあとからあとから湧いてきちまいます。


もう切り捨てようって話になったらしいですよ。


暗黒の森に張ってある聖なる結界と同じやつを森に張って、隔離しちまって、中に取り残された護衛兵たちは見放そうって。


増援を送ってもしゃあないから、これ以上兵を犠牲にするよりかは押しとどめる方がいい、って、酷い話ですよね。



聖なる結界ってのは、生き物を一切通さないんだそうです。


…ああ、貴族様の方がそれには詳しいですかね?


…はあ、穢れた存在だと通さない?



それってつまり、血に濡れてたり殺人をしたことがあったりしたら穢れてるってことですよね。生まれたての赤ん坊なら通れるんでしょうかね。


…生きてるだけで穢れてるって言いたいのかよ、ったく。神殿の奴らはこれだから。




……それで、ハーセルも取り残された護衛兵の中にいました。



俺だって、もう無理だと思いましたよ。

あれだけの魔獣が湧いてる光景なんて絶望でしかありませんでしたから。




……でも、あいつは帰ってきたんです。


しかも、同じ部隊の仲間を二人連れて。



俺は帰ってきた瞬間を直接見てはませんけど、見たやつの話だと、その二人はぼろぼろで気を失ってて、あいつが二人を担いで帰ってきたらしいです。

当然、ハーセルも血みどろで、弓や皮鎧やらはほとんど使い物にならなくなってたり、失くしてたりしてて、折れた剣だけを握りしめていたって、聞きました。


ハーセルに助けられた二人も、片耳を失くしてたり、指を失くしてたり、酷い有様でしたけど、生きてたんです。



あの絶望から三人も還ってきた、って。


誰もが熱狂してました。

王様だって、護衛兵が何百人も死んだって発表するより、三人が奇跡的に生還したって宣言する方がいいに決まってますからね。

大々的に取り上げられて、花火なんかも打ちあがって、お祭り騒ぎでした。


家族を失った人たちがどう思ってたのかは知りませんけど。俺は幸い、ハーセル以外の知り合いいなかったんで。


あと少し遅かったら結界張り終わっちまうっていう寸前だったそうで。

結界を張るために森の近くで準備してた集団と出会ってすぐにハーセルは倒れて、そのあとしばらく動けずに寝込んでたって聞きました。


俺も見舞いに行ったけど、会えやしませんでした。怪我をしている英雄様には、いくら幼馴染だっつったって見習い護衛兵なんぞ会わせられないって、侍女だかなんだかにすげなく断られましたよ。


助けられた二人は、ハーセルのことを神みたいに崇めてちまってた。

こうしてまた食事ができて風呂に入れるなんて奇跡だって。

惨劇を乗り越えたってことで三人揃って褒賞もらって、それなりの額が懐に入ってましたからね。それを元手にちょっとした商売でも始めれば、一生それなりにつつましくやってけるくらいの額でしたよ。



そこから、でした。


ハーセルへ向けられる期待が止まることなく増え続けていったのは。


ハーセルの怪我が完全に治って、しばらくしてから会った頃には、別人みたくなってましたよ。俺がきつい遠征から帰ってきてみたら、貴族令嬢の誘拐事件を解決したとかなんだとかで、理想の騎士に仕立て上げられてて。私闘事件がなんとやらで、さらに持ち上げられて、名声は止まらなくなった。


物腰は穏やかで、ゆっくり丁寧な言葉で喋って、剣の使い方だってお綺麗な正統派剣術になっちまってて、性格までまるっきり違っちまってたんだ。



…だから、最初に気持ち悪いって言ったんですよ。


あいつは、ハーセルは、望まれた通りに自分を作り変えちまうんです。どう行動すれば周りが喜ぶか、って、そればっかりで。


だから周りは付け上がってどんどん高望みする。

そんで、やつはそれをこなせちまうからタチが悪ぃんだ。


できないって、もう無理だって言っちまえばよかったのに。


あいつだってそう簡単にこなせる訳じゃねえ。



…そもそもあいつ、そんなに頭良くなかったんです。


計算も遅いし、ちょっと難しい話をしただけで「あ”ぁぁ、わっかんねぇ」ってすぐに音を上げてた。買い物に行かせるとどっちが安いのか分からないって俺に泣きついてくるばっかりで。

口の回る商人に高値で売りつけられては、後でしょっちゅうキレてましたよ。


手先も器用じゃなくてすぐに物壊すし、味覚音痴だから料理はド下手だし、ちょっとした殴り合いのつもりが力加減ができなくてやり過ぎちまって焦ってたし。


初めての警備隊での任務が終わって二人で飲みに行った時なんて、俺が酔っぱらって呂律回らなくなってるのを見て大笑いしてたと思ったら、結局あいつも飲み過ぎて二人して吐きながら帰ったことだってあった。



だから、…だから、別にあいつは天才でもなんでもなくて、ただ馬鹿みたいに真面目過ぎて、不器用で、努力するのが得意過ぎたから、あいつは、ハーセルは、使い減らされていっちまって、………あれ、俺、泣いて…?




……すんません、ちょっと待ってください。

いまは、まともなこと話せそうにねえや。



うう、ずっと考えねえようにしてたのに。


…いや、お客さんが悪いんじゃねえんです。お客さんに話したのがきっかけではありますけど、ずっと、あいつが死んでからずっと、あいつのことばっか考えながら、それでも考えないようにしてたんですから。


…はは、矛盾してますよね。





……ハーセルは、遺体すら残らなかったんですよ。


あいつの最後の任務なんだったか、知ってますか。


暗黒の森での単独魔獣討伐、ですよ。



あいつは人と感覚が違うっていうか、普通の人なら傷付くようなことでもあっけらかんとしてると思えば、なんでもないことで心に傷を抱えちまって、体丸めては涙をこらえるような奴なんです。


本当は傷付きやすかった。


それで、あいつにとっての衝撃は、他人から失望されることだった。

少しでも思ってたのと違うって思われると、それだけでどうしていいか分からなくなるみたいでした。


あいつはやたら気が利いて先回りして色々なことやってくれる癖に、変なところで鈍いから。どうしてほしいかはっきり声に出して伝えてやらねえと、あいつはすぐ途方に暮れちまうんですよ。



きっと、あの大氾濫の時も、あの二人が生きたいって望んだから、あいつは無理をして必死で二人を助けて戻ってきたんです。

もしあの二人がいなかったら、どうしていいか見当も付かなくなって魔獣に食われてたと思いますよ。ひょっとしたら、魔獣の食いたいって望みを受け入れて自分から食われかねない。



……だから。

だから、ハーセルはもう戻ってこなかったんだ。



ハーセルが第一王女様の護衛騎士をやらされてたことは知ってますよね。


王女様は、わがままなことで有名だったんですよ。


王様がたった一人の娘だからって甘やかしちまったせいで、好き放題に育っちまったみたいです。

そんな王女様の護衛なんてやったら、あいつは全力でわがままに応えようとしちまったに決まってる。



そうやって心の比重を王女様に傾けていって、疲れ切ってすり減りながら全部を捧げて、それで失望されたら。



…壊れちまうに決まってるんですよ。




ハーセルは強かった。


多分、この国で一番でしたよ。

そんな兵器みたいなやつが心を壊してたら、そりゃ恐れるのも分かりますよ。

気が狂ってこっちに牙を剥いてきたらどうしようって、処分したくなる気持ちも、一応は分かる。


…でも、だからって。

だからって、暗黒の森に一人で送り込むなんて。


用済みだから死んでこいって、命令するようなもんじゃないですか。


……いや、死んでこいってはっきり命令されたんなら、あいつはっ、……あいつはまだ、幸せだったんですよ!


あいつは頭がおかしかったから、他人から求められることでしか生きられなかったから、死ぬことをはっきり望まれてるって分かれば大喜びで死んだかもしれませんけど!



……って、お客さんも貴族でしたよね。


王様にこのこと報告したりするんですか。


…はあ。しない?


…いや、別にもういいですよ、報告したって。

既に死んだ奴のことをこんなに長々と根掘り葉掘り聞いてくるなんて、ただの趣味じゃないんでしょう?


俺、少しは頭回る方なんですよ。



…もうどうでもいいんです。


もちろん、あいつを使いつぶして絶望させて殺した王様や王女様や貴族様に恨みはありますよ。


でも、俺だってあいつに期待をして、失望した一人ですから。


シロヴィニスカなんて気取った名前付けられて、長ったらしい名字与えられて、俺の知ってるハーセルがいなくなっちまうことに失望した。

そもそも、あいつに騎士らしく振る舞って、警備隊に援助してもらえるよう貴族様に媚売ってほしいって最初に願ったのは俺らでしたから。



……最後に、一回でいいから、また、あいつと安酒飲んでくだらないこと喋りたかったな。




……俺、行きつけの居酒屋があるんですよ。


安くてまずい酒しか無いんですけど、あのぐちゃぐちゃした無法者がたむろす雰囲気がたまにどうしようもなく懐かしくなって、行っちまうんです。


一応俺もそこそこに出世したんで、職場では礼儀作法とか求められますから、肩が凝って。

結局、心根はスラム街の悪ガキのまんまですから。



最初にハーセルと飲んだのもそこですよ。

それ以来ずっと行ってなかったんですけど、一年前くらいにふと見かけて、寄ったんです。

あいかわらず酒はまずかったし、客もガラの悪い奴ばっかだった。よく潰れてねえなって思いましたよ。


それでおやじに、あの銀髪の連れは来ないのかいって言われたんです。


もう十年くらい前だろうによく覚えてるなって言ったら、あんたと会うのは確かに十年ぶりかもしれないが、銀髪の方は二年前くらいまでときどき来てたって。


俺が居酒屋をもう一度見つけたのが一年前なんで、今から数えると、ハーセルが居酒屋に来てたのは三年前ってことになりますけど。


おやじがハーセルに向かってあの時の連れはいないのかいって聞けば、誘いにくいって苦笑してたんだと。



三年前って言ったら、あいつが王女様の護衛になる前で、騎士に叙勲された後ですよ。


つまり、あいつは騎士の正装を脱ぎ捨てて、こそこそと安酒飲みに来てたってことです。

おやじの話じゃ、喧嘩が勃発すれば、割り込んだり賭けを始めたりして、無法者たちとよろしくやってたらしい。


それ聞いて以来、あいつがまたいつか来るんじゃねえかって思ってたまに飲みに行ってたんですけど、一度も来なかった。


名前と顔が売れ過ぎたからか、忙しかったのか知りませんけど。


それで、スラム育ちの幼馴染なんて汚点になっちまうし、俺のことはどうでもよくなったんだろうなって、俺は勝手に失望してました。



……でも、護衛騎士様になっちまったからって遠慮せずに、引け目なんて感じずに、誘やぁよかったんだ。

居酒屋まで連れていくのは無理でも、酒瓶持っていって、押しかけりゃよかった。



……もしかしたら生きているかもしれないって?


え? それだけ強かったなら、森を抜けて反対側の国まで逃げている可能性があるかも?



お客さん、慰めですか?


魔獣が食おうとして襲ってくる中で、自分の命の方を優先して魔獣を切り捨てるなんてこと、絶望してるあいつにできるはずありませんよ。


腕やら足やら差し出しかねないんです。



…あいつは、頭がおかしかったから。

気持ち悪かったから。


不器用だったから。



だから、俺もあいつのことなんてさっさと忘れて、寝なきゃならないんですよ。明日はまた仕事があるんですから。


お客さん、ハーセルがまだ生きているんじゃないかって心配なら、確実に死んでるって安心して王様に報告してもらっていいですよ。


それじゃ、俺は寝るんで。

夜も更けてきましたし、気を付けて帰ってくださいよ。


随分と長話に付き合ってもらっちまいましたね。じゃあ、さよなら。




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