3 われらのシロヴィニスカ1
あ? レイディーン?
誰だそいつ?
少し前まで王立騎士団にいたはずだ、って?
ああ、お前さんの言ってるのは『清き手のシロヴィニスカ』のことか。レイディーンなんて名字で呼ぶやつァいねえもんだから分かんなかったな。
いんや、称号とかじゃねーよ。まあ、通り名みたいなもんさ。
他には…『白百合の騎士』とか『清廉なる白銀』とか…あとはなんだったかね、『氷れる微笑』なんて呼んでるご令嬢方もいらっしゃったな。
ずいぶんと仰々しい呼び名だよな、笑っちまうぜ。
ご令嬢方はやっぱり白馬の王子様ってやつが好きだからなァ、容姿端麗で品行方正な騎士様がいたら、そりゃお熱を上げちまうのも分かるってもんさ。
でもまあ、俺ら王城勤めの兵士の間ではもっぱら『清き手のシロヴィニスカ』って呼ばれてたがな。
ん?
何が清いんだって?
他の通り名は見た目に起因してるようだが『清き手』はいまいち分からんって?
キインって、随分難しい言葉使うやつだな。
あー、お前さん、奴の逸話を知らんクチか?
ほら、剣技場であった私闘事件の顛末をさァ。
お?
ほんとに知らないのか。
だったら俺がちょっと語ってやろうじゃないか。
顔が赤いってぇ?
いやいや少々酔ってるかもしれねえが俺の頭はまだはっきりしてるぜぇ。
言ったらマズい話なんじゃないかって?
お前さん、心配性な野郎だな。
ま、それはだいじょーぶってもんさ。あれは事件っつーか、……伝説だからな。
うぉっと、…ごほん。
よし、じゃあ語ってやるぞ。
それは…奴が第一王女殿下付きの護衛騎士になる前のことだったな。
三年くらい前かァ?
正直よく覚えてねえけど、まだ奴の名がそこまで売れてない頃ってか、…いや、有名ではあったんだよなぁ、前から。でもまあ、平民上がりってことで名が売れちまってたからな、貴族出身の騎士様からはボロクソ言われてたな。
お?
おいおいお前さん、奴が平民出身だって知らねえのか?
え? 貴族か、少なくとも名家出身だと思ってた?
おいおいおい、遅れてるなぁ。
これはあんまり言っちゃぁまずい話なんだが、お前さんにだけ特別に教えてやるぜ?
あいつはなぁ、スラム街で育ったっつー話だぞ。
奴の幼馴染だっていう男に聞いたから間違いない。
ん、そいつの名前が知りたい?
…おお、いいけどな、街の警備隊にいるアラン・リークスフォーって男さ。
そんなの聞いてどうすんだか。
吟遊詩人の唄で聞いて以来、興味があって調べてる?
…ほーん、そんなこともあるのか。まあいい。
それで、私闘事件の話に戻るぞ。
奴はその時点で圧倒的に強かったんだ。魔獣の氾濫に巻き込まれながら仲間を生還させたり、誘拐された貴族のご令嬢を救い出したり、そりゃぁ噂話には事欠かない大活躍をしてたもんだからな。
そいで、ついに叙勲の話が出たんだな。
平民上がりの兵士風情が、一代限りとはいえ貴族様になって騎士になるんだぞ?
その発表があったときには王都中の庶民が湧いたさ。俺たちの希望の星、ってな。
まあ、お貴族様は面白くないよな。
なにせ、奴は恐ろしいくらいに完璧でな。日が昇る前から鍛錬始めて、日が暮れて周りが帰っちまったあとでも鍛錬場を一人で片付けて、食堂で残り物のスープすすってるような奴だったからな。
何にも文句言わねえし、やたら気が利くから色々やってくれるんだよなぁ。
奴と同じ所属じゃない俺でさえ、奴には何度か世話になったさ。いつ寝てるのかってくらいよく働いてたな。
あ?
女だからって僻みとか無かったのかって?
……まあ、そりゃあったさ。
女だったら家の中で料理作ってろ、って言う奴はいくらでもいたけどな。
……奴は訳分かんないくらい正しくてな、真っ直ぐでな、……高潔だったんだ。
男とか女とか関係無しに、もはやあれは『清き手のシロヴィニスカ』って性別なんじゃないかってくらいにな。
そりゃあな、俺だって奴に嫉妬したことはあった。
周りにちやほやされまくってたしな。
でもな、男の俺が任務で失敗してしょげて帰ってきたら、奴が全部完璧にこなしておいてくれたから問題ない、なんて経験してみろよ?
その上で怪我を心配されて、功績は俺のものになってるなんて気遣いっぷりだぞ?
…ああ、山賊が出たってんで討伐の任務だったのさ。
かなりきつい任務だったな、あれは。
大失敗したのは俺だけだったが、他の奴らもちょいちょいやらかしててな、その失敗を全部まとめて奴が片付けといてくれたんだ。
とはいえさすがの奴も、頬に傷なんか付いててな、服も埃っぽくなって、疲れた顔してるんだ。
奴自身の任務もこなした上で、苦労しながら俺の分もこなしてくれてたなんて、もう何も言えねえだろ。
ご令嬢方がきゃーきゃー叫ぶあの綺麗な顔に傷付いてんのに、一切気にせずに俺の心配しかしないなんて、……もう何も言えねえよ。
嫉妬してる自分が恥ずかしくなっちまうよ。
…奴は誰よりも漢だったから、な。
そんな話はいいから私闘事件のことを話せって?
おいおいおい、せっかく人が秘蔵の思い出語ってやってたってのに、うるさい奴だなぁ。
はー、まあいいさ、話してやるよ。
きっかけは鬱憤の溜まった貴族の騎士様さ。
名前はアレクセイヤ・ポンドデモン。
甘やかされて育った次男で、いかにも貴族のぼんぼんって感じの奴だったな。
騎士になれば女たちからきゃーきゃー言われて毎日いい暮らしができると思って、家のコネで騎士になったんだろうな。
そういう貴族の騎士は珍しくないな。中でもアレクセイヤは身分自慢が大好きで、なんつーか、裏でこそこそと嗅ぎまわるような嫌らしい男だったさ。
そう、陰湿でな。『清き手のシロヴィニスカ』とは正反対だった。
『清き手のシロヴィニスカ』は叙勲されてからますます有名になってな。奴に救われた貴族令嬢なんかは本気で懸想してたんじゃねーかな。真剣過ぎる追っかけ令嬢たちが怖いくらいだったさ。
手紙を何通も送りつけたり、自分の爪入りの焼き菓子持ち込んだりな。
奴が女だってこと完全に忘れてたのかね。
まあ、あそこまで完璧で高潔に過ぎると、男とか女とかどうでもよくなるのかね。
男装の麗人ってことで喜んでたのかね。
まあ、いい。
そんでしばらくはアレクセイヤも、奴に向かって聞えよがしに皮肉言うくらいで済ませてたんだ。
でもある日な、アレクセイヤと他の騎士が手合わせをしてたところを奴が通りかかった時のことだ。
アレクセイヤが奴に手合わせを申し込んだのさ。
どう考えたってアレクセイヤに勝ち目なんかねえのに、こんなにたくさん人が見てるところで言い出すなんて何なんだと思ったな。
自分の誇りが大事で仕方ない連中のはずなのに、ってな。
で、『清い手のシロヴィニスカ』は断ったんだ。
アレクセイヤに恥をかかせないためだと思うがな。奴は手合わせで手を抜くような奴じゃなかった。相手のために負けてやるなんてことはせず、綺麗にこてんぱんにする奴なのさ。
そんなところも、王城勤めの兵士たちに人気だったところなんだろうな。
『清き手のシロヴィニスカ』には男も女も関係なく惚れてたさ。まあ、俺だって惚れてたようなもんだな。
断った奴に対して、アレクセイヤは言い放ったさ。
「そんな素敵な魔道具を付けてらっしゃるのに、私との手合わせが怖いので?」みたいなことをな。
そうだ。『清き手のシロヴィニスカ』は足輪型の魔道具を付けてたのさ。魔道具なんて高いもの、普通は買えないよな。物によっては一つの領地丸ごとでもあがなえないようなのだってある。
ましてや普通に身に着けられるような小型の魔道具なんて、一体どれだけするのかさっぱりさ。
俺たちはそんなこと知らなかった。それまでは、ただの飾りとかお守りだと思ってたな。
アレクセイヤは『清き手のシロヴィニスカ』のことを嗅ぎまわって、弱みを探し当ててたんだ。
アレクセイヤは勝ち誇ってたさ。その魔道具は一日になんちゃら回しか使えないから、自分とは手合わせしたくないんだろう、って詰め寄ってな。
その日、奴はちょいときつめの任務を終えた後だったらしいんだ。魔道具の使用回数を超えたことを計算した上で、アレクセイヤは奴に声を掛けてたって訳だ。
相変わらず嫌らしい男だなァ。
で、俺らも『清き手のシロヴィニスカ』は自分を強化する魔道具を付けてたって思っちまったんだ。
だからあれだけ強かったんだなって納得しちまってな。
あんなに鍛錬を真面目にやってたんだからある程度は強いんだろうが、あの化け物じみた強さは魔道具のおかげだったんだな、とな。
アレクセイヤは怒涛の勢いで詰め寄って、周りを扇動してな、『清き手のシロヴィニスカ』が魔道具を外してアレクセイヤと決闘せざるをえない状況まで追い込んだ。
他にも付けてるかもしれないからって、魔導師を呼んでおいて、他に反応が無いか確認させる徹底ぶりさ。
女だから隠す場所だってたくさんあるだろうって侮辱して笑っては、魔道具が無いかって奴の体を撫でまわさせて、な。
魔導師がいるんだから触って確認する必要なんてねえのにな!
『清き手のシロヴィニスカ』は言い逃れもなんもせず、ただ俯いてされるがままになってたんだ。
結局ほとんどの防具まで剥がされてな。
随分と薄着にさせて、真剣での勝負だと。
条件は、負けた方は勝った方の言うことをなんでも一つ聞くって決まりになった。
アレクセイヤは、自分の奴隷にでもしたかったんだろうな。
そんで、決闘が始まった。
アレクセイヤが予想外に鋭く切り込んだもんだから、ただのぼんぼんじゃなかったんだな、って思ったさ。
これは『清き手のシロヴィニスカ』の失墜か、ってな。腕の一、二本は飛んじまうかと思った。
この時はまだその通り名はそこまで広がってなくてな、みんな、それぞれ適当に読んでたけどな。
そのあとだ。
奴は確実に切られるって寸前まで動かなかったんだ。
だから、やっぱり素早さとかを魔道具でかさ上げしてたんだなって俺らは思い込んだ。
アレクセイヤの剣が奴の腕に食い込む。
派手に血飛沫が飛んで、アレクセイヤがにやにや笑ってるのが見えたんだ。
そこで、奴は剣を放り投げやがった。
地面に突き刺さった剣を見て、誰もが呆然としたな。
奴は左腕でアレクセイヤの剣を受け止めながら、右の足でアレクセイヤの胴を蹴り飛ばしたのさ。
素早過ぎて俺にゃぁ見えてなかったが、後から考えると、その瞬間に右手でアレクセイヤの剣を奪ったんだ。
刃が食い込んでる左腕を跳ね上げて、衝撃と驚きで思わずアレクセイヤが剣を持つ手を緩めたところを奪ってな。
骨まで刃が食い込んでたに違いない。どんだけ痛いか想像も付かないくらいだってのに、そんな無茶な戦い方しやがって。
アレクセイヤは「ぶべっ」みたいな情けねえ声を出して吹っ飛んだ。地面に落ちて呆然としてるアレクセイヤに向かって奴は恐ろしい速度で迫って、アレクセイヤの腹に膝を食い込ませて、腕を足で踏みつけて動けなくしてから、剣を首に突きつけたんだ。
その時の奴の表情が、俺の位置からは見えたんだ。
歯を食いしばって、酷く辛そうな顔だったんだ。
もちろん、傷が痛いからなんて理由じゃない。どれだけ負傷しようと、どれだけきつい任務だろうと、弱音なんて零したことのない奴だからな。
奴はいつも人当たりのいい微笑を浮かべてるばっかりだった。疲れ切ってる時だって、こっちを安心させるように笑ってたさ。あとは、きつい戦場で味方を鼓舞するときの凛とした表情だな。
だから、あんな顔は見たことがなかった。
アレクセイヤは怯えと驚きが入り混じった顔をしてたな。
何が起こってるのかさっぱり分からなかったんだろうな。
不正に強化されてた『清き手のシロヴィニスカ』の本性を暴いて好きなように蹂躙できると思ってたのに、吹っ飛ばされて剣を突きつけられてるんだからな。
それは、騎士の技とかそういう決闘じゃなかったさ。
ただ、奴の圧倒的な力だけがあった。
言っちゃぁ悪いが……ばけもんだった。
獣みたいな力だったさ。
あの魔道具は力を抑えるためのものだったんだなって、俺らは悟ったんだ。
でも、その力を使ってるのは『清き手のシロヴィニスカ』なんだ。高潔な魂を持ってることには変わりないんだ。
アレクセイヤは震える声で降参した。
対して、奴は酷く後悔してるような、そんな表情のまま、アレクセイヤに向かって一言二言話して、薄着のまま、どくどくと血を流したまま、立ち去っちまったんだ。
後から聞いた話じゃ、この決闘を自分から申し出たことにしてほしいっていう願いだったらしい。
こりゃぁあくまで私闘だ。自分から申し込んだ上に、見当違いの理由で相手を侮辱して、さらに負けたともなればアレクセイヤは騎士身分剥奪だってありうる。
それを防ぐために、だろうな。
勝者の権利をそんなことに使うなんて、まったく、ただの『清き手のシロヴィニスカ』じゃねえか!
……つまり、分かっただろ。
奴は、『清き手のシロヴィニスカ』なんだ。
見た目はそりゃお綺麗だったけどな。
銀雪のような髪に氷青の瞳、だったかぁ?
顔立ちも、男よりっつーか、中性的っつーか、そういう感じに整ってたからな。背もそこそこ高かった。
騎士の正装に身を包めばそりゃ映えるに決まってる。ご令嬢方がたいそうな通り名で呼びたがるのも分かるさ。
でも、俺らはあくまで奴の心のことを『清き手のシロヴィニスカ』って呼んでたんだ。
…ああ?
腕は大丈夫だったのかって?
いんや、左腕はもう駄目んなっちまってた。
なんでも、適当に血止めしただけで、私闘をめぐっての沙汰が下りるまで自主謹慎ってことでずっと部屋にいたらしい。
意味が分からねえよな。
すぐさま治療すれば……いや、あの怪我じゃあどっちにせよ左腕は使えなくなってたか。
奴は右利きだったから致命的とまではいかないが、これからの騎士生命には大打撃だ。
で、王都中にその話が広まって、非難ごうごうさ。
『清き手のシロヴィニスカ』に惚れてたご令嬢方がアレクセイヤを暗殺しようとする騒ぎまで起きてな。ほんとーにあの時の騒ぎは恐ろしかったな。
女って怖ぇよなぁ…。
それからだな、『清き手のシロヴィニスカ』の通り名が衛兵や警備隊の間に広まったのは。
そいで、さすがの国王陛下もお動きになってな。
『清き手のシロヴィニスカ』を第一王女殿下の護衛に任命なすって、同時に宝剣を下賜なさったんだ。
あの神秘剣レーツェラインをな。
かの宝剣は、正当な持ち主の傷を癒すって話だからな。もちろん持ち主を選ぶ剣だが、奴は当然、剣に持ち主として認められた。
それで左腕も治り、万々歳ってとこだ。
それで王女殿下とはどういう関係だったかって?
おいおいお前さん、俺はしがない一兵士だぞ?
そんなの知ることできねえや。
さすがに護衛騎士に任ぜられてからは、奴と会うことも無かったからな。随分と忙しくしてたようだが…。まあ、王女殿下はあの『清き手のシロヴィニスカ』が自分だけの護衛騎士になったってことで大満足だったらしいがな。
王女殿下からのおねだりだったとも聞いたけど、ほんとかどうかは知らねえよ。
奴について俺が知ってることは、これで全部さ。
…ああ、ほんとにこれっきりだ。
もう奴の逸話は増えねえもんな。
でも、正直な、俺ぁ、奴が死んだってのは嘘なんじゃねえかっていまだに思っちまってるんだよ。
死んだなんて信じられねんだ。あんなに輝いてたのにもういないなんて、おかしいじゃねえか。
…はー、完璧過ぎたから神様が早く欲しがったってことなんかねぇ。
切なくなるもんだな、まったく。
…まあ、話はこれで終わりさ。
……ん?
そういやお前さん、……誰だ?
同僚だと思ってたが、同僚なら奴のことくらい知ってるはずだよな?
…なんでお前を同僚だと思った…? お前の顔なんて見たことが……、いや、お前の顔が見えねえぞ…?
ここでの出来事は忘れろって?
…あ、ああ、分かった、全部お前さんの言う通りだな。
分かった、復唱するよ。
ここでの出来事を俺は忘れる。
今日はただの城壁警備で、何も起きなかった。誰とも会わなかった。
俺はこのあと家に帰って、普通に寝て、朝を迎える。
…ああ、分かったよ。
……って、何の話だったか? いや、俺は誰かと話してたのか? いんや、誰とも会っちゃいねえなあ?
うーん、変な酔い方しちまったかな。警備ん時に酒飲んでたなんてばれりゃぁまずいよなァ。
まあ、もうすぐ夜が明けるからな。
家に帰って、さっさとベッドに飛び込みたいもんだなぁ…。