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腐った果実の斜め下備忘録  作者: 腐った果実
3/4

物を書く、表現すると言うことの怖さ

誰かを傷つけることになっても自分を表現しようとすることは、悪いことなのでしょう


その欲望に負ける

 我らはみな罪人なり

  我らはみな偽善者なり


 素人なりに書いたものを不特定多数の方に提示してる者として、怖いと思うこと、気をつけなくてはと思うことがあります。


 主人公の女の子がデパートか何かで行方不明になります。すわ、誘拐かと、両親他家族全体で大騒ぎになりますが、女の子は無事帰ってきてみんな安心、笑顔でミュージカル風の大合唱で幕。その時の歌が『ケセラセラ』。


 映画でそんなシーンがありました。


 『ケセラセラ』と言うのはヒッチコック監督の『知りすぎていた男』の挿入歌です。

 歌の内容は女の子がお母さんにお金持ちになれるかしら?と問いかけて、それに対してお母さんは“will be will be“(なれるかもしれないしなれないかもね、見たいなニュアンス)と答える、といったものです。

 日本語では『なるようになる』と訳されて歌われています。

 前述のシーンも『なるようになる』との大合唱な訳です。

 果実はそれを、『世の中、色々あるけれどなるようになるさ。心配してもしかたないよ。だってなるようになるんだから』と言っていると受けとりました。

 実際、映画では女の子は無事戻って来ており、ただただ、家族の奔走ぶりが大袈裟で、滑稽に見えて愉快愉快なシーンなのです。

 が、ふと現実の世界では、子供が行方不明になって戻って来ない家族のかたが存在するんだよね、と思ったのです。その人たちがこのシーンを見た時にどう思うのだろう?と思ってしまいったのです。


 モヤっとしました。怖いな、と思いました。


 念のために言いますが、この例に上げた映画や映画の関係者を責めているのでも、批判、非難するつもりもありません。製作されている方々も全くそんな意識がなかったと思います。


 果実が言いたいのは、物を書く、表現する、発表するという行為は、このように無意識のうちに全く意図しない方々を傷つけてしまうリスクがある怖いものだ、と言うことです。


 じゃあ、偉そうなことを言ってるお前は完璧にできているかと問われると、全く自信はありません。それに余りに意識しすぎると何もできなくなる恐れもあるとは思う気持ちも正直あります。

 結局のところ、ほどほどに留めるしか無いのだろうと思いもします。

 それでも、書くという行為、発表する行為に対して常に大丈夫だろうか、この表現は誰かを傷つけたりしないか、傷つけるとしたらどのくらい影響するのだろうか、と想像するのは止めては駄目なんだろうと思っています。



2019/07/18 初稿

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