アンは本当に天真爛漫な女の子なのか
『赤毛のアン』が名作とは思うのです
赤毛のアンと云う作品があります。
解説不要の超有名作品。時間や文化の違いと云う手厳しい批評家の目にさらされ続けても尚色褪せない作品であります。
その感想を紐解くと
いわく
「天真爛漫なアンが愛らしくて素敵!」
いわく
「アンみたいな想像力豊かな子と友達になりたい!!」
…… そう?
ディスるつもりはありませんが、なんか違うくね? と思うのですよ。
正直、アンは物語としてはありだけど、現実世界だと友達になりたくないタイプ、いや、近づきたくない人だと思いませんか?
例えばね
ギルバートにニンジンとからかわれて、激怒して書き取りに使う石板で殴りかかる、とかしちゃう子です。
狂暴です。
いや、ギルバートは確かに悪い。人の容姿をあげつらうのは絶対ダメです。でもね、この時のギルバートはどちらかと云うと気になる女の子の気を引こうとしたんじゃないかなぁ、と思うのです。
天然パーマでちょっとかわいらしい女の子に、やあやあ、くるくる髪の毛か巻いてるや、と言ってみたら激怒されてタブレットで殴られたって感じでしょうか。
う~ん、リモコンで殴って、騒ぎになったお相撲さんを思い出す。
このあと、ギルバートはごめんなさいと、謝っているのです(お菓子を添えて!)が、アンは一生許さないと誓うという執念深さを見せます。
まあね、人には許せないことや、触れられたくないことってあるよね。
うん、これはギルバートが悪かった。そうしましょう。
次いきましょう。
さて、こんな話もあります。
親友のダイアナを招いてのパーティーでりんご水と間違えて葡萄酒を飲ませてしまう話があります。
マリラが後で、一本丸々飲むまで分からないなんてどうかしてる、と言っておりますが、まさにそう。一口飲めばわかるだろ。注意力散漫過ぎるっしょ。
ダイアナ、実は知ってて最後まで飲んだのか?
それはさておき。娘を泥酔させられて怒ったダイアナのお母さんはアンとダイアナのつきあいを止めさせます。その時、アンは謝るのですがダイアナのお母さんはガンとして許してくれません。結果、アンは地団駄を踏んで言い放ちます。
「人が謝罪しているのだからあなたはそれを受け入れなくてはいけません」
…… (ーωー) うぉい!
どっかで聞いた話しだぞ。
どの口が言ってる?!
このエピソードから類推されるアンの属性は
情緒不安定
注意力散漫
自己中心的
むう。
アンってちょっと変わった女の子~、で済むか~い!
ぶっちゃけ行動パターンが分からない。
かの高畑勲先生がアニメ化する時にアンの気持ちが分からなくて原作通りに作ったと言われておりますが……(かの巨匠にして、手が加えられなかったのですね)
確かにね。そう思います。
これ、愛情欠乏症の子供の特徴だったりするのです。そこが分からないとどうにもアンの行動パターンが読めない。
あんましこんなことばかり書いてるとアンが好きな人から猛反発くらいそうなんですが、モンゴメリーさんって、天真爛漫な女の子の愉快な話が書きたかったのではなく、愛情欠乏症の女の子が静かな愛に見守られて大人に成長する物語が書きたかったのではないのかなぁ、なんて思うのです。
アンがパッと見、明るいせいでその闇の部分に目がいかず、「感性が普通とちょっと違った自由な女の子」と解されてしまってるんじゃないのかと、腐った果実の歪んだ感性は思うのでした。
ほら、だってさ、物語後半、アンは憑き物が落ちたように物静かになるでしょ。あれ、違和感ないすか?
もしも、モンゴメリーがアンの明るくて、少し突飛なところを是としてたなら、大人になってもその地の部分は残すと思うのですよ。それがすっかり削ぎ落とされているのを見ると……
なんてね!
腐った果実の感性ですので、あまり気にしないでくださいね。
お し ま い
2019/06/26 初稿