道化師と門番の約束
「私たちは『四季の塔』に居ない間、どこに住んでいるのか、ご存知ですか?」
『春の女王』の問いに道化師は肩を竦めました。知らないというポーズをしたのです。
「この疑問は『廻りの国』の国民ならば一度は思ったことでしょう。しかし誰も真相を知らないのです。それはこの国にかけられた魔法なのです」
本来であれば重要であろうことをあっさりと言う『春の女王』に『冬の女王』は横目で睨むだけで何も言いませんでした。
おそらくですが、懸想している相手を暴露されたこと以上に恥ずかしいことはないようです。だから姉が何を言おうとどうでもよいのでしょう。
「道化師さん。私たちは『廻りの城』の奥深い場所で眠りにつくのです。自分の季節が廻るまで、静かに何もせずに過ごすのです」
『春の女王』は無表情で言いました。喜びや怒り、哀しみや楽しみなどは表に出しませんでした。
「ふうん。それは退屈そうだね。だけど、どうして春の女王はこうして『四季の塔』に居られるのかな?」
道化師にしては真面目な問いでした。まあ誰にでも思いつく発想ですが。
「妹が首にかけているペンダントの魔法です。この『四季の塔』に居る間、次の季節を担当する女王とだけ話せる仕組みになっているのです」
「あれあれ? 寝ているんじゃないのかな?」
「肉体は寝ていても魂は寝てはいませんよ」
「はあ。やっぱり女王は凄いんだなあ」
「そんなことはありませんよ」
そこで『春の女王』は皮肉混じりの笑みを見せました。
「普通の人間だって、寝ている間も魂は起きています。でないと寝ている間に魂は離れてしまいます」
『春の女王』の言葉は道化師にとって分かりにくいものでしたが、そんなことはおくびに出さずに「ふうん。分かったよん」と答えました。
「それで? 春の女王がここにいるのは分かったけど、そのことと冬の女王が替わらない理由はどう結び付けられるのかな?」
道化師の問いに『春の女王』は溜息を吐きました。
「妹は寝たくないと駄々をこねるのです」
「子供扱いしないでください!」
『冬の女王』は顔を真っ赤にして怒りました。
「私から見たらまだまだ子供です。ただの人間に恋をしてしまうなんて、そなたはまだ諦めていないのですか?」
道化師はこの言葉で二つの情報を得ました。
一つは女王たちが『ただの人間ではない』ということ。
もう一つは『冬の女王』が恋をしているあの『門番』が『ただの人間』だと思い込んでいることでした。
これらの情報を頭に入れた道化師は『春の女王』の言葉を待ちます。
「話が逸れてしまいましたね。先ほど言ったように妹は彼を見たいがために『四季の塔』を出たがらないのです」
そんな理由で国が滅びかけているなんて、国民が聞いたらどんな反応するのでしょう。
「まあ女王はこの国を出ることは許されていません。それに隣の国まで見通せる建物などこの『四季の塔』を除いてはありませんしね」
『春の女王』は呆れているようです。
道化師は「なるほどなるほど」と言いながら、また望遠鏡を覗きました。
『不眠の国』の城の入り口に立っている門番は確かに美しい顔をしています。
望遠鏡は魔法がかけられているらしく、門番が目の前にいるようにはっきりと見えます。
門番は立派な鎧を着ています。鎧は黒を基調としていて、前面に大きな金色の十字のマークが書かれています。腰には青銅の剣、盾は左腕に付けられています。兜は着けておらず、美しい絹のような赤毛を汚くないように切り揃えています。
望遠鏡で見る限り、美男子と言っても良いくらいの美しさを備えています。男である道化師にはピンと来ませんでしたが、女性にだけ分かる魅力というものがありました。
それは色気と言ってもいいですし、魔性と言ってもいいでしょう。
あるいは――呪いと言っても間違ってはいません。
「それで? ボクは何をしたらいいのかな? 乙女の恋愛話でも聞けばいいのかな?」
道化師が少し馬鹿にしたように言うと、『春の女王』は「妹が書いた手紙を渡してほしいのです」と言いました。
「ちょっと! お姉さま! なんで――」
「そなたが何度も何度も書き直していた手紙を知らない私ではありません。それにようやく書き終わったことも知っています」
赤面の『冬の女王』と涼しい顔をしている『春の女王』。二人は向かい合っています。いや睨んでいるというほうが正しいでしょう。
「分かったよん。門番に手紙を渡せばいいんだね。お安い御用さ」
道化師はその場でくるくる回りながら、軽い感じで応じました。
「あなた! ちょっと軽い感じに答えないでくださる!? 私は賛成したつもりは――」
「じゃあこのままでいいのかな?」
『春の女王』が答える前に、道化師は言いました。
「このまま冬のままだったら、『廻りの国』の国民たちは死んじゃうよん? 君のワガママで国民が死んでもいいのかな?」
「…………」
『冬の女王』はそれを聞いて言葉を失いました。彼女自身、このままで良いはずが無いと思っていたのでしょう。
「道化師さんの言うとおりです。妹よ、そなたがあの門番を恋焦がれる気持ちは正直言って分かりかねます。しかし、このままで良いはずが無いのはそなた自身、痛いほど分かっているでしょう」
「お姉さま……」
「道化師さんを信じましょう。だってこの道化師さんはこの塔に入れたほどの実力を備えた者です。この塔に入れたのは道化師さんを除いて、あの大泥棒しかいなかったのですから」
大泥棒という言葉を聞いて、道化師はぴくりと反応しました。しかし二人の女王はそれに気づきません。
「大泥棒? ああ、夏のお姉さまが会ったというあの大泥棒ですか?」
「そうです。まあその話は置いて、早く手紙を道化師さんに渡すのです」
『春の女王』が急かすと『冬の女王』は部屋の隅に置かれた机の引き出しから、分厚い手紙を取り出しました。
「さあ、道化師さん。その手紙を持って、あの妹が懸想している門番さんに渡してください」
「いちいち懸想しているとか言わないでください。恥ずかしいです」
「じゃあさっき言ってた『事情を話して良い例外の人』は門番のことだったんだね」
道化師が確認すると『春の女王』は頷きました。
「その通りです。門番さんには全て話しても結構です」
道化師はここで悩みました。門番にかけられた呪いのことを言うべきか、悩んだのです。
「えとえと……」
「道化師さん? どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもないよん♪」
道化師は言うのをやめました。世俗のことを知らない女王たちに言っても問題が解決するはずがないと思ったからです。
「ではボクはここでドロンするよん。二人とも元気でね」
「はい。道化師さんも息災で」
「……その手紙、ちゃんと届けてくださいね」
『冬の女王』は渋々といった感じでしたが、道化師はそんなことを気にせず、部屋から出て行きました。
「さてさて。どうしたらいいのかなあ」
道化師は螺旋階段を逆立ちしながら下ります。道化師は歩くスピードと同じくらい逆立ちで歩くのが慣れていたのです。
道化師は門番の呪いについて、全ては知りません。呪った人間と呪いの内容は知っていますが、どうして呪われたのかとどうやったら呪いが解けるのかを知りません。
「まあいいや。本人に聞けば分かるよね」
またもノープランでした。そこが道化師の悪いところでもあります。
道化師が『四季の塔』から出ると、大男たちは道化師に詰め寄ります。
「おい道化師! 『冬の女王』と会えたのか? どうしたら交替してくださるのか?」
道化師は何も答えずにぱあんとその場に響き渡るような大きく手を叩きました。
その音で気を取られた国民たちは呆然としてしまいます。
その隙を突いて、道化師はその場を離れます。
まるで魔法のようですけど、これは魔法ではありません。そもそも道化師は魔法を一切使えないのです。
道化師は後ろから「ちくしょー!」という大男の声を聞きつつ、『不眠の国』へと足を運びます。『不眠の国』は歩いて半日くらいかかります。
道化師は自分のペースで歩いていきます。
山を越えて谷を越えて。
そうやって着いたのはきっかり半日のことでした。
すっかり日が暮れてしまいましたが、『不眠の国』は明るいままでした。
ここで『不眠の国』について語りたいと思います。
『不眠の国』とはその名の通り、国が眠ることがなく、いつも明るいままでいるのです。
夜は家の一軒ずつに松明を灯すように法律で義務付けられています。
また『不眠の国』の城、『不眠城』も常に明るく輝くように、白く発光する特殊な石で作られていました。
だから道化師は迷うことなく『不眠城』に辿りつくことができました。
その道中、『不眠の国』の城下町ではがやがやと騒がしく人々は騒いでいました。
道化師は市井の噂に耳を傾けます。
「おい、いよいよ『廻りの国』に攻め込むみたいだぞ!」
「今、あの国は何故だか知らないが弱っているらしい」
「その理由は『冬の女王』が交替しないからだそうだ」
「我らが『不眠王』も明言したらしいな」
なんということでしょう。このままだと『廻りの国』は滅んでしまいます。
道化師は口に出さずに心の中で焦りを感じました。一刻も早く門番に会わないといけないなあと思ったのです。
そんなわけで、道化師は得意の芸をすることもなく、『不眠城』の入り口まで来たのです。
そして、道化師はとうとう門番に出会ったのです。
「……誰だ?」
「やあやあ。初めまして門番。ボクは道化師。華麗な道化師。君に届け物があるんだ」
そんなことを言いつつ、道化師は門番に近づきます。
「それ以上近づくと――斬る」
その言葉に道化師は足を止めます。本気だと分かったからです。
「どうしたんだい? 何か嫌なことでもあったのかい?」
「貴様のような怪しい人間を通さないことが俺の仕事だ」
門番は無表情で答えました。しかしあの『冬の女王』が懸想するだけあって、なんとも美しい端整な顔立ちをしていました。
「うーん。門番に届け物があるんだけど」
「俺に届け物だと? 貴様、俺のことを知らないのか?」
もちろん道化師は知っています。
「うん。呪われた門番だって知ってるよ」
「その俺に届け物など嘘に決まっている」
「嘘じゃあないよ。ちゃんとここにあるよ。手紙を預かっているんだよん」
そう言って手紙を手品のように取り出す道化師。
「これは『廻りの国』の『冬の女王』から、門番への手紙だよん」
「……そんな嘘みたいな話が――」
「いいから受け取ってよ。それでボクの仕事が終わるから」
「なんだ? 『廻りの国』の配達人は、そんなふざけた格好をするのか?」
「さっきも言ったけど、ボクは道化師さ」
訝しげな門番でしたが、『冬の女王』の手紙とあっては受け取らないわけにはいきません。その理由はたとえ敵国だとしても『四人の女王』に敬意を払わない者はいないからです。
門番は道化師から注意を向けて、手紙を読み始めました。
道化師はその間暇だったので、その場で玉乗りを始めました。それも玉の上で片手で逆立ちをするという難しいものでした。
「……読んだぞ。まさか俺に恋しているとは思えなかった」
道化師は門番に向かい合います。
「それで? 返事は――」
「無理に決まっているだろう」
即答でした。まあそうだろうなあと道化師も思いました。
「一応、理由を聞いておくよん」
「まず顔も知らない女性を好きになれとはおかしいだろう。次に俺は『不眠の国』の住人で『冬の女王』の国とは敵対している。さらに俺は呪われているんだ」
「……だよねー。ボクも無理だと思ったんだよん」
門番は道化師に言いました。
「貴様は俺の呪いのことは知っているんだよな。だけど『冬の女王』は知らないのは何故だ?」
「女王は世間知らずなんだよ」
「俺が『不眠の呪い』にかけられていることも知らないのか」
「うん。そうだね」
「今も俺のことを見ているんだろう? だったら何故眠らない俺をおかしいと思わないのだ?」
道化師は頭を捻って考えます。
「多分だけど、『冬の女王』は恋に夢中で忘れているんじゃないの? 普通の人間は眠るのが普通だって、頭にないんじゃないの?」
道化師の推測に門番は納得しました。
「なるほどな。だとしても俺は『冬の女王』の想いを受け取るわけにはいかない。そう伝えてくれ」
道化師は困りました。断ったことを伝えるとどうなるか分からなかったからです。
「どうしても駄目なの?」
「しつこいな。無理なものは無理だ」
道化師は悩んだ挙句、自分の首を絞めることを言い出しました。
「じゃあ約束しよう。ボクが君の呪いを解いてあげる。その代わり、一目でいいから『冬の女王』に会ってくれるかな?」
そんなとんでもないことを道化師が言うと門番は流石にびっくりしました。
「貴様にそんなことができるのか?」
「できるできないじゃないんだよん。やるしかないんだ♪」
「……どうしてそこまで『冬の女王』の願いを聞くんだ? 『廻りの国』を救うためか?」
道化師は首を横に振りました。
「ではなぜそこまで必死になるんだ?」
道化師は静かに言いました。
「ボクの望みは『国樹シーズン』の一枝をもらうことさ」
「……貴様は名誉のために動く人間には見えないな」
門番が指摘すると、道化師は黙ってしまいます。
門番は続けて言いました。
「あれが欲しがる人間などたくさん居るが、実際に手に入れたいと思うのは一握りだ。最近だとあの大泥棒ぐらい――」
そこまで言って、門番は何かに気づいたようです。
「まさか、貴様は、あのおおどろ――」
「違うよん。ボクは大泥棒なんかじゃない」
道化師は顔を背けて言いました。
「ボクは道化師。器用な道化師。ただそれだけだよん」
そう言って道化師はその場でくるくる回りました。
「……まあいいさ。貴様が大泥棒だろうとなんだろうと、呪いを解いてくれるならそれでいい」
門番は道化師と約束します。
「もしも俺の呪いを解いたら、『冬の女王』と会ってやる。これで構わないな?」
「分かったよん。ボクに任せてちょうだい」
このときの道化師は例によって例の如くノープランでした。そうやって約束によって自分の身が縛り付けられているのに気づかないわけがありませんが、道化師にもやらなければならないことがあるのです。
それはたとえば大事な大事な約束だったりするのです。
「それで? 『魔女』がどこにいるのか知っているかな?」
道化師が聞くと門番は「ああ、知っている」と苦虫を噛んだ表情になります。
「この街の東に『魔女』がいる。誰も寄り付かない、小さな小奇麗な家だ」
「分かったよん。それじゃあ早速行くね」
道化師はこれまたあっさりと『魔女』の元へ向かいます。
その背中に門番は声を投げかけます。
「おい道化師! 気をつけろよ!」
道化師は振り向くことなく、手を振って答えました。
さてさて。この様子を見ていたのは二人を除いて誰もいませんでした。
その二人と言うのは、一人は『冬の女王』です。姿は見えますが、何を話しているのか分からずにやきもきしていました。
そしてもう一人――
「ひっひっひ。あたしのところに来るつもりだねえ」
暗い部屋で光る水晶玉を覗く一人の女性。
ぶつぶつ言いながら、彼女は道化師の来訪を待ちます。
「さーて、あの道化師はどんな約束をあたしとしてくれるのかしら」
この世界には魔法を扱う者は数多く居ます。
しかし呪いを扱う者は数少ないのです。
それは呪いは危険極まりないものである証拠なのです。
そして呪いを扱う者を人々は畏怖と嘲りを込めてこう言います。
――『魔女』と。