地球上で最も毛深い動物
「大人1枚ください」
「大人1枚ですね。1800円になります」
平日の午後、久保は大学から数駅の水族館の受付にいた。受付の女性は、平日の午後に成人男性が一人で水族館に?と内心思ったが、態度には出さずチケットを久保に渡した。
中には入ると比較的空いていた。小さな子供連れの母親や小学生と教師のグループが数組いるだけで、デート中のカップル等はほとんどいなかった。
鮎や岩魚がいる淡水魚コーナー、カクレクマノミや珊瑚礁が綺麗にディスプレーされた熱帯魚コーナーを足早に通りすぎ、全面ガラスでできた水槽トンネルを通り2階へ上がる。クラゲプラネタリウムホール、触ってみようタッチプールを抜けると、一番奥の水槽に、久保の目的の動物が気持ちよさそうに泳いでいた。横で作業スタッフがブラシで岩や床をゴシゴシと擦っている。
「地球上で最も毛深い動物が思い浮かばないなんて、俺もバカだな」
久保は嬉しそうにその動物に話しかけるように独り言を言った。
しかし、実際に毛を手に入れて齋藤教授の衣類に付着していた毛と比較しなければならない。どうしたものかと考えていると、清掃を終えた作業スタッフが重い金属の二重扉を開け、久保のいる観客側へ出てきた。
「すみません。僕、帝都大学工学部の者ですが、、」
とっさに久保は嘘をついた。
「あぁ、菊池先生の所の方ですか。どうされたんです?」
「研究に関連する件で、、、対象動物の抜け毛を採取してくるように言われたんですが」
「抜け毛ですか。ちょうど今清掃したところで、ありますけど、、、苔やゴミと混じってますけど、これでいいんですか?」
作業スタッフは透明袋を少し持ち上げ、そこに入った枯葉や緑褐色の苔、茶褐色の粘り気のある得体の知れない浮遊物と絡まった多量の毛を指差した。少し臭いそうだ。
「はい」
久保はそれがどうしたと言わんばかりに答えた。
「そうですか、、、。じゃあ、このままどうぞ」
作業スタッフは濡れたままの透明袋を久保に手渡した。作業員スタッフは暑いのか、首に巻いたタオルを緩め、長靴にきつく入れたズボンを捲ろうと頭を屈め、四苦八苦している。
「ありがとうございます」
「そういえば、今日は菊池先生は、、、あれ?」
作業スタッフが頭を上げると、久保の姿はなかった。