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珈琲と依頼

久保は自分の店の鍵を解除し、店のガラス戸にかかったボードをクローズからオープンに裏返した。店舗は全体が白一色で、ほぼ立方体の小さな建物だ。店内の焙煎機と繋がった銀色の煙突が設置されていて店名のbeans labo.が銀色で店の壁に書かれている。店内は打ちっ放しのコンクリートの壁で、商品である珈琲豆と最低限のテーブルや椅子があるのみだ。

久保はステンレス製の細口のポットに水を入れ火にかけた。沸騰するとその湯でセットしたV60の円錐型のコーヒードリッパーを温め、温度計でお湯の温度を確認後、先日焙煎したばかりのエチオピアの珈琲豆を1人分挽こうとした。

カランコロン。ドアに着いたベルが鳴る。

「つっかれたー!久保、俺のもよろしくー」

スーツ姿の整った顔立ちの男が店に入ってきた。

「影山。またサボってんじゃねーよ」

久保は当たり前に珈琲豆を2人分に変更した。ミル機によって珈琲豆が細かく砕かれ、香ばしい香りが店内に漂う。

「営業にとって、お茶の時間は業務内なの。外回りはストレスが多いしね。分析室に引きこもってた久保君には分からない辛さもある訳ですよ」

久保は影山を無視し珈琲を淹れ始める。ふんわりと甘苦いにおいが漂う。

「しかし、2時前に一人珈琲って、やっぱり個人経営は悠長なもんだな」

「さっきまで配達に行って、今帰ってきたんだよ。なんか疲れたし、、、」

「またクレーマー退治でもしてきたんでしょ?」

「そんなんじゃねぇよ」

「ふぅん。まぁ、いいや。夜、前言ってた日本酒が充実してるらしい居酒屋に行こうぜ。会社の取引先だけど、黙ってりゃばれねぇよ」


カランコロン。また、ドアのベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

久保は影山との会話を中断して客の方を見た。ショートカットが良く似合うスラリとした女性が立っていた。上質なスーツに身を包み、かなり仕事ができそうな佇まいだが、やや落ち着かなそうにしていた。

「はじめてですか?うちはスペシャリティコーヒー中心の珈琲豆の販売がメインなんですが、イートインもできます。これ、今ちょうど淹れたばかりの珈琲です。よかったら飲みながら、ゆっくり見ていってください」

久保は試飲用の小さなコーヒーカップを女性に渡した。

「ありがとうございます。あの、久保さん、少しご相談したいことがあります」

女性は、言いずらそうに切り出した。

「どうして俺の名前、ご存知なんですか?」

「すみません。私は齋藤と申します。実は、先ほどのカッペリーニで食事をしており、久保さんのご活躍を拝見しておりました。ウェイトレスの方に事情を説明し、このお店のカードをいただいて来ました。実はどうしても見ていただきたい毛があるのです」

「来ていただいて申し訳ないんですが、、カッペリーニでの件は偶発的なことで、普段はそういう検査のとかはしてないんですよ」

久保は申し訳なそうに断る。

「でも、毛についてとてもお詳しいですよね?!」

「それは、、、以前の仕事の知識で、、、今は珈琲豆屋なんで」

久保は頭をボロボリとかく。

「いいじゃんかよ、話くらい聞いてあげたって。ねぇ、齋藤さん?」

影山が口を挟んだ。齋藤に向けて爽やかな笑顔を向けている。

「あなたは?」

「僕は影山と言います。こいつとは、大学時代からの付き合いで、今は食品会社会社の営業をしております。こちらよろしかったら名刺をどうぞ」

「ありがとうございます。影山さん、YT食品会社なんですか!すごい大手ですね」

齋藤は慌てて自分の名刺を取り出し、名刺交換した。

「そんなことないですよ。まぁ、久保も同じ会社だったんですけどね」

「そんなんですか?!」

「そ。こいつは、期待有望の異物検査員だったんですよ」

「異物検査員?」

齋藤は首を傾げる。

「食品に混入した異物が何なのかを分析する人のことです。例えば、この毛が何なのかとか、この破片の材質は何か、とかね」

「だから、久保さんは毛にお詳しかったんですね」

「そうなんです。な?」

影山は久保に言葉を投げたが、久保は自分のことを勝手に説明され不機嫌なのか何も言わず、影山を睨んだだけだった。

「まぁ、齋藤さん、それで久保に相談したいことって何なんですか?」

いつのまにか影山が話の進行をしている。

「でも、久保さんは、、」

「大丈夫です。久保は一度興味を持ったら、分析しないと気が済まない性分なので、話したもん勝ちですよ。まぁ、知られたくないことも知られちゃう可能性もありますけどね」

影山が齋藤に耳打ちした。

「はい、、、。相談したいというのは夫のことです。私は精密機器メーカーの営業をしており、夫は帝都大学で助教授をしております。私は出張で家を開けることが少なくなく、夫は研究のため夜も大学に泊まる日もあり、一緒にいる時間は多くはありません。ですが、これまでお互いのプライベートを尊重し、順調にやってきたつもりでした。しかし、最近、夫が浮気をしているのではないかと思っておりまして、、、」

「夫婦揃ってご優秀なんですね。旦那様は帝都大学の先生なんですかぁ。それで、不審な点でもあったのですか?」

影山が確認する。

「はい。実は最近、夫の衣類に女性のものと思われる長い髪の毛がよく付着しているのです。最初は気のせいかと思いましたが、私が家を空けていた時に夫が来ていたシャツには、必ずその髪の毛がついているんです」

「お二人の毛ではないと判断する理由は?」

久保が久しぶりに会話に混ざった。

「私も夫も黒髪です。しかし、夫の衣類についているいずれも髪の毛は茶色のものなんです。できれば、私の勘違いだと思いたいのですが、その為にも是非誰の毛のものなのか調べていただきたいのです。久保さん、できますでしょうか?」

「できなくもないですが、興信所や探偵に頼んだ方が早いと思うんですけど」

「実は先日、探偵を雇って調査してもらいました。その結果、夫には仕事と関係なく、2人きりで会っている女性が3名いることが判明したんです。しかし、結局会うだけで、浮気はしていないという報告でした。でもその3人というのが全員、私の知人だったんです。追記調査もできたのですが、夫が大学に勤めていて世間体を考慮しなければならないことや、3人を疑うのも辛くて、それはお断りしました。でも、どうしても夫の衣類に付着している髪の毛が誰の者なのか気になってしまうんです」

齋藤は右腕で左の二の腕をぎゅっと掴んでいた。

「久保ぉ、毛ぐらい見てやれよ。そんなの数分で終わるだろ?」

「そんなのケースバイケースなんだよ!これだから営業のヤツは。まぁ、毛を見るだけなら、、、」

「ありがとうございます!」

齋藤の顔が明るくなった。

「次来る時に旦那さんの衣類に付着していた毛を数本持ってきてください」

「分かりました。あの、浮気相手の候補者の毛もですよね?」

「それはとりあえずいらないです。まぁ、偶然手に入れられたらでいいですね。調査しているのを疑われるのはまずいんでしょ?」

「分かりました。よろしくお願いします」

齋藤はやや納得しない様子で返事をする。


「なんで浮気候補者3人の髪の毛はいらないんだ?」

久保と影山は居酒屋にいた。

「信頼性のない事前情報は分析の邪魔にしかならないんだよ。その3人が関係あるかはまだ分からない」

「別な奴が浮気相手かもしれないってこと?」

「ていうか、俺はまだそれが髪の毛だなんて断定していない」

久保は日本酒を口にしながら、焼き鳥を手に取った。

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