毛根とカルボナーラ
「 なんなんだっこの店は!客に自分たちの毛を食べさせるのかっ、、」
男が声を荒げた。猫背で細い体型、整髪剤でぴっちりとセットされたヘアスタイルからは、いかにも神経質そうな雰囲気が漂う。
「大変申し訳ございません!もしよろしければ新しいものをすぐにご用意致しますので、もうしばらくお待ちください」
20代のウエイトレスはランチタイムで客足の多い時間帯にも関わらず20分以上前から謝っていた。
「また毛入りパスタを出す気なのか?1本ならまだしも3本も入っていたんだぞ。私の毛ではない、クリーミーなソースにねっちょりとよく絡んでるだろ。ぁあ、、気持ち悪い、、本当に食欲が失せるよ」
店内にいる客の8割は同じカルボナーラを食べてる。その中には無表情ながらも手が止まってしまう者も多くいた。カルボナーラはイタリアンレストラン カッペリーニの看板メニューで、卵をたっぷり使った黄白色のクリーミーなソースが濃厚だが後味がさっぱりしていると評判なのだ。
「申し訳ありません。ただ、他のお客様もいらっしゃいますのでもう少し声のトーンを抑えてください」
「私は被害者だというのになんだ?その態度は。君じゃ話にならない、店長を呼んできてくれ」
「店長は只今ミラノへ出張中で不在です。本当に、、申し訳ありません!もしよろしければ別なメニューに変えていただくことも可能ですので、、」
「もういい、私は帰る。食べてログのレビューが良いからせっかくの休憩時間を使って来てみたのに。この事実は食べてログのレビュー写真付きでて書き込んでおくよ」
「、、、!」ウエイトレスはもうどうしたらよいか分からず、今にも泣き出しそうだ。
「うるっせぇなクレーマー。せっかくの美味しいカルボナーラに失礼だろ」
カウンター席で一人で食事をしていた男が頬杖をつきながら言った。痩身で身長は180cmあるかないか、ぼさぼさの黒髪であっさりとした顔つきのどこにでもいそうな20代後半の男だ。特徴といえば目つきが若干悪く、指が長く器用そうな手をしている程度。
「久保さん、、」
ウエイトレスが男の名を呼んだ。
「クレーマーって、、私はそんなんじゃない、私は被害者だろ。突然口を挟んできて何なんだ君は」
「お客さん、その毛が店側で入れたって、よく自信満々に言えるね」
「そんなことは、このパスタを見れば分かる。私はほとんど口をつけていないし、パスタ全体をかき混ぜてもいない。それなのに毛は3本も入っていてソースにも絡んでいるんだ。私の毛だったらパスタの上に付くはずだろ」
神経質男からは自信がみなぎっている。
「一口でも食べたら、お客さんの毛の可能性ゼロじゃなくない?毛は軽いし少し混ぜただけでもソースになんてすぐ絡むでしょ。ちょっと見して」
「おいっ、なんなんだ勝手に!」
驚く神経質男を無視し、久保はカルボナーラを奪い取った。
「その3本の毛、湾曲具合や太さがよく類似してる。混入源は同じである可能性が高い。いずれも毛根あり、反対側の端部は先細り、または斜断状、、、」
久保はジーンズのポケットから取り出したVixenの携帯用ルーペで拡大し、毛の細部を見ている。
「この毛は3本ともかなりの確率でお客さんのだね」
「はっ? 何を言っている。見ただけなのに、なぜそんなことが分かるんだ。DNA鑑定でもしない限り私のだなんて特定できないだろ」
神経質男は怪訝な顔つきをした。
「そんなことしなくても分かるよ。まぁ、その毛を貸してもらえれば、カタラーゼ試験で加熱前か加熱後に入ったかを調べられるし、あんたの毛をくれるならDNA鑑定もできなくはないけど。そんなのは無駄な検査だね」
「な、なんなんだ君は、、知ったような口を利くな」
「とりあえず、店側もつくり直すって良いってんだからもういいじゃん。だからネット載せるのなんてやめなよ」
久保は説明がめんどうになったのか、自分の席に戻りたそうだ。
「どうせ分からないんだろ。それにネットに何を書き込もうが私の自由だ。この事実をネットで共有することは、私のような被害者を出さない為にも、この店の為にもなるだろう?私は悪気があってこんなことを言ってるのではない。食べてログでのこの店のレビューがあまりに高評価だから期待していたのに、実際に来てみたら毛入りパスタが出されて本当に失望したんだよ」
「そんなことしたら自作自演男ってレビューにでも書かれて、余計にストレス増えて、抜け毛増えちゃうよ?」
久保は冷ややかな笑顔で言った。
「っつ!!!だまれ!!根拠がないくせにしつこいな!それともそこの役立たずなウエイトレスにいい顔したいのか?」
神経質男は顔が赤らみ、髪が乱れ、激怒している。
「……。はっきり言わなきゃ分かってくれなそうだね。根拠を言わないのは俺なりの優しさなのに」
「どういう意味だ?」
「さっきも言ったけど、この毛はかなりの確率でお客さんの毛だよ。一応言っとくけど、3本の毛は外観や質感から、獣毛ではなく人の毛であることは確かだ。ただ毛根は、人毛にしてはいずれも細長い形状をしている。普通、人の毛の毛根は丸みを帯びてふっくらしている。この細長い形状は、びまん性脱毛症の人の毛の毛根に見られる特徴なんだよねぇ」
久保は含みを持たせて話している。
「……?」神経質男は怪訝な顔つきで久保を睨んでいる。
「お客さんは、頭皮全体の毛量が万遍なく減っている状態からして、おそらくびまん性脱毛症だと思うよ。さっきの俺の言葉でのイラつき具合から、抜け毛は気にしてるよね?」
「それは……、あんなこと言われたら誰だって怒るだろ、、」
「びまん性脱毛症は女性に多い脱毛症だけど、男性でもめずらしくはない。俺が見たところ、店内にびまん性脱毛症の人はお客さん以外にいない。俺はこの店と顔見知りだからシェフも知ってるけど違う。お客さん、イライラしていてストレス多そうだし、食生活にも問題あるんじゃない?もしネットに毛のことアップするなら、俺がコメントにでも今言った正しい説明を書き込んであげようか?」
久保はわざとらしい優しい笑顔でニコっとした。
「、、、もういい。きゅ、休憩時間が終わるので、、失礼する」
神経質男は、カッペリーニ特製の無農薬レモンの皮ごとパウンドケーキを黙って受け取り去っていった。
「久保さんっ、本当に、ありがとうございました!店長もオーナーもいなくて、もう死にそうでした」
ウエイトレスは泣いて いるとも笑っているともとれる顔つきで礼を言った。
「別に。俺、美味しい食べ物をぞんざいに扱わうヤツとか嫌いなだけなんで。カルボナーラごちそうさまでした。いつもながら美味しかったです。そんじゃ、またよろしくお願い致します」
「はい!珈琲豆配達してくれて助かりました。お気をつけて」
久保は店内を後にした。