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[4a-14]ビーチ

 ニィが布津野たちを引き連れたのはビーチキャンプだった。

 布津野はやはり海に遊びきたのかと内心喜んだ。

 青い海と砂浜が広がっている。しかし、人の姿は見えない。波は少し荒くて白い飛沫が青を散らしていたし、砂浜は石ころや岩が散在してレジャー用に整備されてはいない。観光客を狙う店舗もなく、その代わりに無骨な感じのする大きなテントが砂浜奥の林と一体化したように数個設置されているだけだった。

 それで布津野は、やや、と戸惑った。

 ちょっと違う気がした。遊びにくるビーチとは違う気配がしたのだ。いや、しかし、これがニィ君が用意した自分たちだけのプライベートビーチの可能性はまだある。


「ニィ君」と布津野は左を見る。

「なんですか」とニィは右を見た。

「ビーチだよね?」

砂浜ビーチですよ。どうしました? そんな簡単な英単語も分からないほどの愚か者でしたっけ」

「ここは……遊べるのかい?」

「もちろん」


 ニィは、くるり、と布津野のほうを振り返って「みんな、準備しろ」と周囲に声をかける。すると孤児院の生徒たちは荷物を下ろしてなにやら取り出したり広げたりと準備を始めた。

 女の子たちが上着を脱ぎ始めたのが見えて、布津野は慌てて視線を逸らす。


「あっ、女の子の更衣室は? えっと……」

 くっくっ、とニィは笑って「何を期待しているんですか? 布津野さん」と声をかける。

「えっ、でも……。もうみんな子供じゃないし、ね」


 きょろきょろ、と周囲を見渡しても適当な建物はなさそうだ。そうだ、奥にみえるテントを使わせて貰えないだろうか? 


「なにが、ね、ですか」とニィが問い詰める。

「こういうのはちゃんとしないと」

「ちゃんとしないといけないのは貴方の頭ですよ。エロ親父」

「いや、でも……」


 落ち着いた様子のニィに、布津野は疑問を持った。

 この子は性癖は少し変だ。その一つに露出癖も含まれていたのかもしれない。世の中には人間は生まれたままが一番と主張するヌーディストがいることは聞いたことがある。ここは、彼らのためのヌーディストビーチなのかもしれない。

 しかし、それを他の子たちに強制するのは良くない。この子たちが持っている強烈な集団同調性をもってすれば、ニィ君の性癖にみんなを従わせてしまうことだってできるだろう。

 でも、みんなにはちゃんと自分で考えて自分で決められる子になって欲しいのだ。


「ニィ君、僕は君がどんな性癖をもっていても構わないと思う。がんばって、受け入れるよ」

「なかなか大胆な告白ですね。うれしいですよ。ありがとうございます」

「でも、みんなにそれを強要するのはダメだ」

「ええ、同感です。俺が他人に受け入れられがたい性癖の持ち主である、とそうを決めつけるのもダメだと思いますが」

「だから、ちゃんと男女別に更衣室をつくって水着に着替えよう」

「水着!? まさか泳ぐつもりですか?」


 ニィは両手を上げて大げさに驚いて見せた。

 布津野は眉を寄せる。


「当然だよ。せっかくなんだから」


 せっかく用意してもらったプライベートビーチなんだから、みんなで存分に楽しみたい。お酒を飲んでもいいのかな? いや、やめとこう。榊さんに怒られる。

 ……ロクがいなくても、なかなかのんびりと満喫は出来ないな。


「流石は布津野さんです! そのような戦術があるなんて思いつきもしませんでした。オスマントルコの艦隊山越えに匹敵する発想です。貴方だからこそでしょう。分かりました。さっそく作戦に組み入れさせて頂きます」


 ……ん、さくせん?


「ニィ隊長! 総員、準備を整えました」


 後ろから榊さんの声が聞こえた。

 もう気が終わったのか。

 ゆっくりと振り返る。そこには水着姿は一つも無かった。かわりに迷彩服を身にまとい、両手に大きな銃を持ち上げて整列する生徒たちがいる。その顔面には日焼け止めクリームのかわりに緑色の迷彩塗料が塗りたくられている。

 ニィは片手をあげてそれに答える。


「さて、今回はアメリカ海兵隊との模擬戦になるわけだが……」


 あれ? 水着は? 模擬戦? 海兵隊?


「急ですまないが、作戦を変更する」


 榊さんが、にやり、と笑って「いつものことです」と応じる。

 布津野は不思議に思った。ニィ君といるときの榊さんは、どことなくニィ君と似たような仕草をすることが多い。それは榊さんだけではない。他の子たちも不敵に笑っている。

 みんなは、多分、ニィ君の真似をしている。


「どうやら、布津野さんは泳ぎたいそうだ」


 はは、と笑い声がこぼれる。

 ニィはそれを片手で鎮めて、砂浜を少し歩いて海岸を指し示した。


「この海岸に強襲上陸してくるアメリカ海兵隊に対して、我々は防衛側だ。空薬莢の銃に着弾判定レーザーを使った人の死なない模擬戦。アメリカ軍は兵に優しいという評判はまさしくだな。遊び紛いの訓練でぬるく仕込まれるらしい」


 また笑いがこぼれる。


「短期間の模擬戦であるから、防衛側には機雷などの防衛準備はない。想定は遭遇戦。携帯武器だけを用いた迎撃戦だ。携行迎撃ミサイルもなければ迫撃砲すらもない。開始時間も決まっている。榊副長」

「はっ」

「細かい説明を、布津野さんにも理解できるように、な」

「了解。隊長は?」

「海を眺めて勝利をイメージしてくる。ふむ、そうか……布津野さんは泳ぐのか」


 そう言ってニィは集団から離れて海岸のほうに歩いていく。片手を顎に当て、もう片方の手を地平線を指でなぞるように水平に切り払う。何やら思案をしているようだ。


「あ、あの……」


 布津野はようやく現実に戻ってきた。


「布津野さん」と榊が、すっ、と近くに寄ってきた。

「あの……」

「説明させて頂きます」

「あ、はい」


 榊は咳払いをひとつついて手元の資料に目を落とす。パラパラと数枚めくって視線を数巡させた後、ちらり、と布津のを見上げた。まるで出来の悪い生徒に配慮する家庭教師みたいな視線を感じた。


「アメリカ海兵隊についてご存じですか?」

「名前だけなら」

「分かりました。時間もありませんので簡単に申し上げます」

「……助かるよ」

「海兵隊は防衛ではなく外征に特化した緊急展開部隊です。陸空海軍の機能を独自に所有し主に空挺作戦や上陸作戦の先陣をとることが多い部隊です。一般的にはアメリカ合衆国の精鋭部隊として認識されていますね」

「はぁ」

「これは私たちと海兵隊の模擬戦になります」


 模擬戦らしいことは聞いていた。知りたいのはどうしてそんなことになっているのか、という理由なのだ。

 布津野が質問を重ねようとした口を、榊は一瞥して押さえ込む。


「表向きは私たちは国連の青年大使団ですが、アメリカの中枢には我々はGOAの育成部隊であることになっています。正確にはニィ隊長がそのような情報を流出させ、アメリカ政府に働きかけました」

「えっと、つまりどういうこと?」

「アメリカ政府は日本の軍事力を検証したいのです。仮想敵国の戦力分析は重要な戦略行動です。特に、最適化個体の兵士としての能力はアメリカ軍にとって必要不可欠な情報です。彼らがこの模擬戦を快諾した理由はそこにあります」


 布津野は、きょとん、と呆然としてしまった。頭の空白の奥で、まただ、と叫ぶ自分の声が聞こえる。また僕はなんかとんでもない事に巻き込まれている。

 榊は布津野に構わず続ける。


「この模擬戦は日本側にも思惑があります。この件については日本政府も了承しました。もちろん、ロクもこの件を知っています」

「ど、どうしてだい?」


 ロクの顔を思い浮かべる。渋い表情が目に浮かんだ。あの子がこんな滅茶苦茶を認めるわけがない。是非とも止めて欲しかった。


「日本はアメリカに対して日本侵略が現実的に不可能であることを証明したいのです」

「……」

「万が一、日本とアメリカが戦争になった場合、その先陣を切るのは合衆国軍の最精鋭である海兵隊です。迎え撃つのはGOAになるでしょう。この模擬戦はそのシミュレーションです。しかし、もしこの模擬戦で、海兵隊がGOAの育成部隊である少年少女に負ければ……」


 にた、と榊は笑った。それは攻撃的な笑みだった。不敵な自信も見て取れた。この子たちは自分たちが絶対に勝つと確信している。その理由の大きな部分をニィ君が担っていることを、布津野は直感した。


「そうなれば、アメリカの軍事戦略は修正を強いられるでしょう。ニィ隊長のお言葉を借りれば『勝てない戦争をこの国は知らない』のです。その無知が駆り立てる不安が無色化計画の受け入れに繋がる。少なくとも、日本と戦争をしよう、とは思わなくなる」

「それがこの模擬戦の意味?」

「ロクたちはそう判断したそうです」

「……」


 この子たちはまだ子供なのに、本当に大きな事を背負っている。

 単純にすごいと思う一方で、違和感もあった。

 ニィ君を中心としたこの子達の環境は、殺したり殺されたり繰り返すことが当然になってしまっている。そして、それが誰よりも上手にできる自分たちを誇らしく思っている。そんな集団の一員であり続けることが一番大切になってしまっている。

 自分自身ではない何かに依存しているのに、自分たちは最高だとはしゃぎ回っている。それで自分自身が出来ているのだと、安心している。


 ——本当に子どもなんだ。


 布津野は笑って榊に向かって手を伸ばした。

 その手はゆっくりと伸びて、榊の小さな頭の上にのる。榊はそれを目を閉じて受け入れた。くすくす、と手の下でこの子は笑っている。まるで子どものように、まさに子どもだから。


「ニィ君とはちゃんと話した?」

「……まだ、です」


 彼女の声が沈んだ。


「ダメだよ」

「……」

「ニィ君に甘えてちゃ」


 ビクッ、と榊は身を震わせた。

 その瞳は一杯に開かれて布津野のほうを見上げていた。

 傷つけてしまった、と布津野は思った。もしかしたら、自分はとても残酷な事を言ったのかもしれない。そんな気がした。この子たちは甘えさせてもらえなかったのだ。かわいそうな子たちなのに……。ああ、でも言ってしまった。見上げる瞳は震えている。泣きそうだった。ずっと我慢していた彼女の繊細な部分を傷つけた。


「……ごめん、なさい」


 小さくか細い声を聞いた時、布津野の胸の奥に後悔が落ちた。

 自分に言わなくても良かったこと言ったのかもしれない。彼女はひた隠しにしながら頑張り続けていた。なんとかしない。そんな事は、彼女も気がついていたのだ。それなのに自分はまるで知ったように、当たり前の事をひけらかして、刺して傷つけては喜んでいる。

 最低の大人。


「いや、ごめん」と反射的に謝った。


 とりあえずで謝れてしまう自分は汚い。思い詰めて泣いてしまうこの子はとても綺麗なのだろう。

 見ていられなくて目を逸らそうとしたとき、榊は一歩前にでて自分の胸のあたりに顔を押しつけて、ぐす、と鼻をすすった。彼女の右手が肩を掴む。彼女には左手がない。その小さな拳が震えている。


 波の音。

 高い日差し。

 白く輝く砂浜に黒い影が落ちている。

 綺麗な子どもたちと汚い大人。


 榊が泣いているのをみんなから隠すようにして、布津野は彼女の頭をそっと抱き寄せた。



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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

遺伝子コンプレックス
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