表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/144

[4a-12]He did it!

 布津野は、ぼぅ、と二人のダンスを見ていた。

 ダンスの知識があるわけではない。だから、それが上手いのか下手なのか、凄いのか普通なのか、そういった甲乙をつけて楽しむことは出来ない。しかし、布津野はとても楽しんで見ていた。

 絵になるなぁ。

 二人ともとても綺麗な人間だったし、すらりともしていた。それがリズムに合わせて何かしら動いているだけでも見応えがある。周囲の人たちの様子を見てみると、彼らも歓談や食事やらを忘れてジッと見入ってしまっている。

 なんだか照れくさいなぁ、と布津野は思わず頬がゆるんだ。あの子は自分の娘なのだ。なんだかもったいない。自分でも信じられない。

 ああ、お酒が飲みたくなってきた。

 手近にグラスがないのか視線を彷徨わせていると、


「あら、素敵な方ね」と背後から英語がした。


 布津野が振り返ると、とても背が高い黒髪の美女がいた。

 その英語は、布津野が片耳に入れた翻訳機を通して、「貴方はとてもハンサムだ」と日本語に訳される。機械音声は男性のものなのに、話しかけてきたのが美女だったこともあり、布津野は色々と処理が追いつかずに呆然としてしまった。


「……」


 こういった時、言葉を失ってしまう。

 通訳が欲しいな、と思ったがナナはここにいない。ならば、榊さんにお願いしよう、と思い至った。しかし、通訳が居たとして、何を言えば良いのだろうか? 「ありがとうございます」だろうか、あれ、だったら、「サンキュー」でいいじゃないか。榊さんに聞かなくてもそれくらいなら分かる。


「……サッ、サ」

「よろしければ、私たちも踊りません?」

「サンキュー」

「嬉しいわ」


 あれ? 妙なタイミングでサンキューになってしまった。

 機会音声は告げている。「私たちも踊りましょう」と、そして、「私は嬉しい」と……。

 どうして踊るのだろうか。もしかして、あの真ん中で踊るのか? それはあり得ないだろう。

 ちらり、とナナと有名俳優とのダンスを見る。みんながため息をつきながらそれに注目していた。

 ……あの横で、踊れというの? それもこんな美女と僕が。それ、なんて罰ゲーム?


「あの、すみません」と日本語で反射的に手を振った。

 その手を黒髪の美女は、がしり、と掴んで笑う。

「さ、行きましょう」


 そして、女性とは思えないほどの力強さで、引っ張られる。

 なんてことだ、アメリカの人はパワフルだと聞いていた。噂以上だ。まるで男のような力強さで引っ張られている。


 ——誰か、助けて。


 恐怖で押し潰されそうになりながら、後ろを振り返った。孤児院の子ども達がこちらを見ている。みんな、こちらのほうを見て、呆然としていた。


「さあ!」と、彼女は声をかけて、強引に正面を向かされる。


 見上げるほどに背の高い人だ。

 切れ長の瞳に細い顎、間近に見ても毛穴すら見分けがつかないきめ細やかな白い肌。


「両手を」

「……はい」


 有無を言わせぬ口調に負けて、恐る恐る手を差し出した。

 彼女はがっしりと両手を掴む。もう逃げられない。

 どうしてこうなったのだろう。僕じゃなくて、孤児院の子たちはイケメンばかりじゃないか。こういうのは、イケメンの仕事なはずだ。それがどうして、僕なんだ。

 なんだか、泣きたくなってきた。


「ふふ」と、美女が笑って、「まずはこっちの方に」と掴んだ右手を伸ばして誘導する。


 一歩、美女がステップする。

 それに遅れて半歩、布津野はすり足をした。

 ああ、と布津野は自分が情けなくなった。普段から合気道しかしていないから、すり足になってしまう。西洋風はどうも分からないのだ。

 しかし、そのギャップに悩んでいる間に、次のステップが追いかけてくる。

 慌てて交差させた足がもつれる。倒れそうになるのを、美女が引き上げて立ち直す。足が地につかない。まるで、糸でつるされた操り人形のように、右に左に、前後ろ。

 ちゃんと動かなきゃ、と思って力を込めれば彼女の誘導を邪魔してしまう。逆に力を抜けば、引っ張られたり、置いてけぼりにされてしまい、慌てて追いかける羽目になる。

 もう、恥ずかしくて恥ずかしくて。この女の人も、めちゃくちゃ笑ってるし……。


 その様子は端から見ていて、とても奇妙な光景だった。

 二組の男女が踊っていた。

 その二組は対照的だった。

 片方は完璧なペアで、もう片方はちぐはぐだった。

 一組は美しい男と少女の踊り。全てにおいて調和して、何一つの不純物が無かった。しかし、もう一方は何か間違っていた。根本的に違っていた。もはやダンスではなく、美女の後を追いかけた小男が転びまわる寸劇みたいに見えた。

 しかし、周囲の視線はちぐはぐな方に奪われた。

 わっ、と小男が転びそうになるたびに観客は盛り上がった。

 美女に助けられた小男がなんとか、くるり、と回った時には、会場のみんなは胸をなで下ろして拍手喝采を浴びせた。次のステップに足を滑らせる様子に固唾をのんで見守っていた。

 はたして、あの男はこの一曲を踊りきれるのか。

 それは名作のスペクタクル映画のように、人をハラハラとさせた。その男はとても頑張っていたのだ。しかし、その頑張りが空回って上手くいっていない。女がそれを助けようとする。笑いながら、嬉しそうに。

 観衆は固唾を飲み込んで、胸を痛める。

 応援していた。

 やり遂げて欲しかった。

 男は本当に頑張っているのだ。


 ……やがて、音楽が終わる。


 男のよろめいた足が大地を踏みしめて、最後は、ぴたり、と止まった。


 He did it! 

 

 歓声が沸き上がった。

 拍手と、ブラボーと、口笛と、興奮を混ぜて、聴衆はあらゆる賞賛を男にぶつけた。男はもうへとへとになって、崩れ落ちそうだった。それを黒髪の美女が抱きとめてねぎらっているようだ。

 聴衆は大変良いものを見た気がした。あるべき男女の関係性がそこにあった。女が導き、男は頑張るのだ。そうでなければ、やりきることは出来なかった。

 喝采の中心で、その男女は互いに見つめ合っていた。


 その男であるところの布津野忠人は、混乱していた。


 おかしいな、と思った。

 終わったのだという安心感のお陰でようやく冷静になることができたのだ。

 自分は今、この美女の胸の中に抱かれている。

 それは彼が知っている女の胸とは違っていた。女の胸はもっと柔らかい事を彼は知っていた。胸だけじゃない。女の人は色んな部分が優しくできているのだ。

 でも、彼女のそれは、ちゃんと筋が通っていて、力強くて、肌は綺麗だけど、とても頼もしい感じがした。

 彼女の顔を改めて見る。

 綺麗な肌に、整った顔立ち、どこかナナに似ている。冴子さんにも似ている。切れ長の目なんかは、ロクにそっくりだ。瞳の色も、赤い……。


「あれ?」

「くっ、あ……もう! 無理!」


 あーはは! はは!!


 よく聞いたことのある声を上げて、彼女は笑い出した。

 それは日本語だったし、男の声だったし、悪戯っ子みたいな愛嬌があった。


「……ニィ君?」

「はい、なんですか」

「どうしたの?」

「そんな事よりも、布津野さん」


 にんまり、と笑ってニィ君は手を引いて、ちゃんと立たせてくれた。

 彼は背筋を伸ばして、しゃん、とお辞儀する。ドレスの背中が大きく開いて、新品の滑り台のような白い背中がのぞいていた。


「二曲目が始まりますよ」


 顔を上げたニィは奪い取るように布津野の手をとると、そのままステップを踏み出した。





 その後、レセプションは大いに盛り上がった。

 急なダンスプログラムに戸惑っていた参加者も、布津野と謎の美女のダンスを見て次々と参加した。参加していた政治家夫妻も、孤児院の子どもたちも、大いに布津野に勇気づけられた。

 あれくらいなら、きっと自分にも出来るだろう、と。

 布津野は結局、あの後は三曲も踊ることになった。

 二曲目はニィに振り回されて、最後の一曲はある政治家の夫人に請われて踊ることになったのだ。その政治家夫妻もダンスに参加していたのだが、ちょうど曲の終わりに布津野たちと男女を交換する流れになった。


「ご苦労様、楽しかったわ」


 曲が終わった後に、夫人は布津野にお辞儀をした。


「さ、サンキュー、です」


 布津野は、肩を激しく上下に動かしながら、何とかお辞儀をする。


「どうだった? アメリア」


 小太りのアメリカ人が、美女に扮したニィ君と手を取り合ってこちらに近づいてくる。ダンスの途中で入れ替わった男の人のほうだ。彼は女になったニィ君と踊ったはずだ。女なのにニィ君だ。不思議!

 アメリアと呼ばれた夫人が、にこり、と笑う。


「ヘイデン、そちらはどうだった? とっても美しい人だけど」

「刺激的だったよ。お前でなければ浮気していたさ」

「あら、こちらもよ」


 二人は、まるであるべき姿に戻るように手を取り合って、軽いキスを交わした。

 布津野はそれを見て目を丸くする。海外ではしっかりとした愛情表現がされると聞いていたが、実際に目の前でキスをされるとビックリしてしまう。自分と冴子さんではああいった事は出来ないな、と思った。

 それともう一つ発見があった。この翻訳機は女性の声は女性音声で、男性の声は男性音声でするらしい。なるほど、だからニィ君の声は男性音声だったのか。もっと早くに気がついていれば……。


「ありがとうございます。私の妻のわがままを聞いて頂いて」


 ヘイデンと呼ばれた小太りの男が、布津野に手を差し出した。

 反射的にそれを握ると、力強く握手される。困ったな。何か言わないといけないけれど、英語だ。本当に困った。

 ヘイデンは構わずにつづける。


「たしか、貴方は今回の国連青年大使団の団長でしたね」


 まずいな、そう言う話は榊さんかGOAの人がいる時じゃないと答えられない。どこにいるのだろう? はやく助けて。


「ええ、その通りよ。ヘイデン」


 と、美女のニィ君が助け船を出してくれた。

 ヘイデンさんは笑顔を浮かべてニィ君に語りかける。


「おお、ニーナ。君と彼はどんな関係なのかい?」


 ニーナとは、どうやらニィ君の女性名らしい。

 ニーナ(ニィ君?)は、両手を自分の肩にのせて身をもたれ掛けてくる。……重い。とても重です。


「ただれた関係よ」


 その英語は翻訳されて「良くない関係」と訳される。

 何が良くないのだろう。確かに良い関係とは言えないかも知れない。ニィ君に女装癖があったなんて知らなかった。

 まぁ、と夫人は顔をしかめ、ヘイデンはにやりと笑う。


「ニーナは、イライジャの恋人だと思っていたよ」

「可愛そうなイライジャ。彼との時間は遊びなの」

「それはそれは。話題の大統領候補にスキャンダルだ」

「冗談よ。イライジャとのパートナーシップは仕事上のもの、そして彼には単なる片思いよ。タダヒトには奥さんと子どももいるの」


 そう言って、ニーナは頬を膨らませた。


 ……なんだ、これ。


 布津野は問題を起こさないように出来るだけしゃべらないようにしていた。しかし、耳から入ってくる翻訳は、ニィ君の言いたい放題だった。

 ヘイデンさんはというと、ニィ君の戯れ言を真に受けたのか、こちらをじっと見ている。


「私はヘイデン。バージニア州の知事をしている。こちらはアメリア、私の妻だ」

「あ、……ええ、と」


 英語、僕、しゃべれない。

 何と言えばいいのだろう。アイ アム ジャパニーズ。アイ ノット キャン スピーク イングリッシュ?

 呆然としていると、横からニィ君の日本語が聞こえた。


「俺が通訳しますよ。日本語でどうぞ」

「ありがとう」


 深呼吸して間をとる。落ち着いて、当たり障りのない返事をすればいいのだ。州知事だって? 偉い人なんだ。もうわけが分からない。


「僕は布津野忠人です。あの、英語がしゃべれなくてすみません」


 ニィ君がそれをすぐに英語に通訳していく。

 ヘイデンさんは、ほう、と驚いていた。


「失礼ながら、外交官なのに英語が苦手とは珍しいですな。それに……タダヒトとお呼びしても良いですか?」

「え、はい。……イエス」

「では、タダヒト。貴方は日本人なのですか?」


 ああ、そうだよね。と布津野は頷いた。

 未調整は確かに日本人っぽくない。今や日本人といえば、最適化された人のことを表すのが、外国での常識なのだろう。


「こんなのですけど日本人ですよ。未調整なんです」

「……なるほど」


 ヘイデンさんの目が細くなる。


「アメリカに来られた目的は?」

「ああ、えーと」


 修学旅行だと思っていたのだけど、どうやらこれは違ったらしい。今の自分は、国連の青少年なんちゃら大使団の一人ということになっている。たしか、国際交流とか教育プログラムとかがついていた気がする。


「もしや、大統領選ではありませんかな?」


 にこやかにヘイデンさんは聞いてきた。


「?」


 大統領戦? なんぞ?

 そう言えばニュースで聞いたことがある。

 アメリカは大統領選挙を控えている。最近は、なんか人気俳優が候補になって大盛り上がりだと言っていた。アメリカはずっと二大政党制だったのに、三人の候補者が戦うことになりそうだ、とニュースにはそう書かれていた。


「タダヒトとしては、イライジャを応援しているのでは?」

「えっと……」

「イライジャの自由至上党は、最適化も個人の自由だと容認する立場だ。無色化計画を推進する日本にとっては、都合が良いのではないかな、とね」


 どういう事なのだろう。

 アメリカの人はあけっぴろに政治の話をするのだろうか? ヘイデンさんは政治家のようだから、そういったのは慣れっこなのかもしれない。

 返答に困ってしまって、女装しているニィ君のほうを見る。


「どういうこと?」

「さあ、どういうことでしょう? 私には分からないわ」


 すっかり、女口調になっている。


「……なんて答えたらいいの」

「適当に誤魔化せばいいのよ。ここら辺で一番美味しいレストランの場所とか聞いてみたら。明日は一緒にそこに行きましょう」


 相変わらず適当な事を……。しかし、そうするのが一番良さそうだ。

 ヘイデンさんのほうを振り返る。せっかく来たのだから、美味しいものを食べたい。


「あ、あの。美味しいレストランはどこですか?」


 ニィ君がそれを通訳する。

 翻訳機の音声が「あなたのパーティーでは、イライジャよりも美味しい物を出しますか」と言っていた。

 うん? ちょっとニュアンスが違う通訳になってない?

 ヘイデンは、ほう、と息をひそめた。


「我々の政党パーティーはまだ材料を集めている最中さ。最適化についてはこれから情報を集めて吟味しなければならん。しかし、共保党よりかはタダヒトにとって気に入って貰えると思うがね」


 意味が全然分からない。慌てて、訂正しようとする。


「えっと、ちょっと違う気がするのだけど。僕が聞きたいのはレストランの場所なんです」


 慌てる布津野の肩をニィは両手で抑えて、にっこり、と笑う。その艶やかな唇から英語が流れる。


「タダヒトはとても喜んでいるわ。今度、お食事を手配します。後ほど、こちらから招待しますわ」


 布津野は自動翻訳に耳を傾ける。

 なんだか良く分からないけど、とりあえず食事に行くことになっている。一体、どこのレストランなのだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

遺伝子コンプレックス
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ