[4a-11]ダンス
ホテルのレセプション会場は、スーツ姿のアメリカ人たちで賑わっている。
このパーティーは、表向きは国連の青少年国際交流プログラムだった。そこに集まっている人は連邦政府や州政府の政治家や官僚ばかりだ。しかし、彼らはこれが本当に国連のレセプションであることを真に受けているものはいない。
日本が遺伝子最適化を合法化し国際的に孤立してから、国連は日本にとって重要な外交手段となっていた。日本の圧倒的な経済成長もあり、今や国連の運営資金の半分以上を日本が一国で負担している状態だ。その資金的影響力を背景にして、国連は比較的日本に有利な判断をすることが多い、と見なされていた。保守派政治家の一部は「国連は日本に乗っ取られた」と、日本の国連支配に警鐘をならす者も多い。
そんな背景から、日本からの青少年使節団に対しては、多くの政治家たちが警戒の目を向けていた。しかし、同時に好奇心もあった。海外渡航を禁止されていた日本人の子どもを実際に目にすることはほとんどない。中継TV越しに映る姿を見るくらいだ。
その最適化された子どもたちを見ようと、大した広報もしていなかったレセプションには多くの政治家たちが集まっていた。
「おいおい、大物もいるじゃないか」
イライジャは会場に着くなり、さっ、と会場中を見渡した。
立食形式のカジュアルなものに見える。しかし、流石は日本のおもてなしか、覗いて見えた料理は豪華なものばかりだ。世界一の金満国家は伊達じゃない。
「やあ、イライジャ」
イライジャに向かって、手をあげる男がいた。
「ヘイデンじゃないか。貴方のような大物がどうして?」
ヘイデンと呼ばれた白髪まじりの小太りな中年は、がはは、と豪快に笑った。
「お前ほどじゃないよ。大統領」
「よせよ。弱小政党の候補になっただけだ。いわゆるバスタブの泡みたいなやつさ。バージニア州の知事さまにおだて上げられるようなものじゃない」
「しかし、凄い勢いで伸びてるそうじゃないか。今朝のタイムズで読んだぞ。お前の言う弱小政党の支持率が10%を突破したらしい。民衆党員の私としても侮れない数値だ。名実ともに、三番手だ」
「素人のハリウッド野郎が候補になったから、お祭り好きが騒いでいるだけさ」
二大政党である共守党と民衆党以外の弱小政党たちをまとめて、第三政党と呼ぶ。いずれも支持率が数%も満たない政党ばかりだったが、その中でも自由至上党は近年急激に支持率を伸ばしてきた。
その背景に、アメリカ失墜への不満があると言われている。
かつての米国覇権体制を懐かしむ有権者たちは、日本の台頭に対して為す術のなかった二大政党に愛想をつかしていた。彼らの行き場を失った支持は第三政党に流れ込み、自由至上党に多くの人が集まっていた。
「ヘイデン。政治家である君の助言が欲しい」
「未来の大統領にか?」
「よしてくれ。実のところなれるとは思っていない」
「ほう、それは問題だな。それで?」
「いや、もちろん新聞とかアドバイザーとか、いろいろと勉強はしているんだが……政治のことがいまいち分からない。何というか、実感が沸かないんだ」
ふむ、ヘイデンは大きく頷きながら、目を細めてイライジャを見上げる。
「世間では大変なことになっているらしい」とイライジャ。
「ああ、大騒ぎさ」
「今の大統領が、日本の例の計画を受け入れて、」と、言いかけたイライジャをヘイデンはぴしゃりと遮った。
「受け入れてはいない。ハワード大統領は、検討の余地があると表明しただけだ」
「ああ、そうだったな」
「それが、今回の大統領戦の最大の焦点だ」
ヘイデンはテーブルに並べられた料理皿を手に取りながら、フォークでソーセージを刺した。
「保守派である共保党は、南部の教会を支持基盤にしている。彼らにすれば遺伝子最適化など容認できん悪徳だ。今のところ、共保党は大統領のこの判断に慎重な構えだ」
「そこも分からないんだ。同じ政党だろ」
「大統領と所属政党の対立なんて珍しくもない。政党内にもグループがあるんだ。宗教的保守派が強く反発して、その他は共保党員の動向を様子見している」
「そうなのか。共保党は保守的だから、最適化には絶対反対なのかと思ってた」
「頭の堅い共保党にもリベラリストもいればリアリストもいる。日本にやられたのは確かだ。その日本が最適化を公開した。中国はこれを受け入れる方針だ。発展途上国にも手をあげる国が出てきている。我々は現実的な選択を迫られている。神に頼ってばかりじゃいられんよ」
ヘイデンはワインに口をつけた。
「民衆党は?」
「我らが民衆党の方針かね? 詳しくは公式HPを見てくれればいい。遺伝子最適化については、独自に検討委員会を設けて検討している最中だ。共守党よりかは前向きではある」
「ああ……」
「もはや、最適化なしでは負けるのは明白だ。連中が唱える創造科学では話にならん。重要なのは、アメリカに最適化を導入する上で現実的なガイドラインとは何なのか? それを国民に示さねばなるまい」
口元をハンカチでぬぐっているヘイデンを見て、イライジャは無力感を覚えた。彼のようなちゃんとした政治家は、このように自分の意見をちゃんと持っているのだ。
アメリカにあるべき最適化とは何か?
そう問われても、自分は考えた事すらもない。
「ヘイデンは、最適化に賛成なのか?」
「おっと、君は政治家にしては率直すぎるな。……この事は有権者には黙っていてくれ。ウチはリベラル派が多いが、敬虔なプロテスタントも多い」
「もちろんだ」
「賛成、というよりも、容認せざるを得まい。党内ではまだ方針をまとめきれてはいないが、私個人としてはもはや仕方のないことだと感じている」
「そうなのか」
「最近、日本政府が公開した最適化以降の社会統計データを見てみろ。ハーバードの教授がデータをまとめてたレビューが先日投稿された。目を通しておくといい。最適化がもたらした経済成長だけではく、犯罪率や自殺率などの悪い部分もちゃんと把握できるようになっていた」
そのデータとやらが、ニィが言っていた日本のプロパガンダなのだろう。嘘をつくのが情報戦ではない。ちゃんとした事実を、ある解釈に誘導しやすいように公表する。それが政治のやり方なのか。
「でも、日本が公開したデータなのだろう。信じられるのか?」
「それを確かめるために、ここに来たのだ。日本人の子どもたちがここに現れるのだろう? 最適化された子供達。私が思うに、この子供使節団こそ日本政府の外交の要だ。そうだろ? イライジャ」
「なんのことだ?」
急に質問を返されて、イライジャは戸惑う。
「今、話題のハリウッド・スターで大統領候補のお前が、こんな報道陣も来ないような小さなレセプションに顔を出すわけがない」
ヘイデンの老獪な目が鋭く光っている。
「お前のバックについているのは日本人だ。違っているかい?」
「……」
その時、ワッ、と歓声が上がった。
会場の入り口のあたりだ。そこには日本人の子どもたちが一群となって姿を現したのだ。皆が同じ服を着ていた。日本のティーンエイジャーたちは制服でそろえる習慣がある、と聞いたことがある。
顔も、みんな同じように美しい。あれでは区別がつきにくいだろう。背も高くてすらりとしている。あれでも、一応はアジア人なのだ。
その一団の先頭にやけに目立つ人物が二人いた。
一人は白髪赤目の飛び抜けて美しい少女。ナナとかいう嗅覚のするどい娘だ。その白さのせいだろう。周囲から一人だけ浮いて映えて見えた。
もう一人は、あの小さな男だ。
まるで白鳥の群れに紛れ込んだドードーのように、周囲をキョロキョロとしながら歩いている。飛べない鳥はよちよち歩きで足下もおぼついていない。その傍らには、白い少女が手をとって寄り添っていた。
「……さて、仕事だ。ヘイデン、今日はありがとう。また色々と教えてくれ」
「ああ」
イライジャは日本人の一団の前にむかって、大股に歩き出した。
近づいてみると本当に美男美女ばかりだ。その中にあっても、なおも人の目を引く少女がいる。母も町一番のべっぴんだった。
「失礼」
イライジャは一団の先頭の前に立ちふさがると、片手を上げて挨拶をしてみせた。突然の侵入者に、周りの人間があっけに取られるが、やがてその正体に気がついた。
「ちょっと、あれはイライジャじゃないか」
「ハリウッドの大統領候補かよ。どうしてこんなところに?」
「しかし、何と言うか……張り合いがあるじゃないか」
途端に、周囲がざわつきだした。
イライジャは30歳を過ぎているが、かつては美青年ハリウッドスターとして名をはせた俳優だ。最近は、歳相応の男性的な魅力が出てきた、という評価もある。俳優として今が最も脂がのった時期だろう。アメリカで最も魅力的な男性として名を馳せている。
そんな彼は、最適化された子どもたちを前にしてもまったく引けを取ることはなく。むしろ年齢の分だけ色気で圧倒していた。
「イライジャって、まさか! あのイライジャ・スノー」
驚きは日本の一団からも上がってきた。
イライジャは、ほっ、と胸をなで下ろす。どうやらハリウッドは日本でも通じるようだ。これなら30にもなるおっさんが、少女をダンスに誘っても許されるかも知れない。
ちょうどその時、示し合わせたように(示しあわせたのだが)会場にミュージックのイントロが流れてきた。会場のスタッフが手拍子を鳴らし出し、照明がほんのりと暗くなり、天井から色とりどりのレーザー光線が会場を駆け巡る。
かなり無理矢理な感じで、ダンスムードに変えられつつある。目の前の子供たちも、きょとん、と戸惑っていた。
——相変わらず、強引だな。ニィ。
ここが十代の若者が集う場所なら、これで盛り上がれなくはないだろう。
しかし、ここに集まったのは、半分は腰が痛み出したアメリカの老人で、残りはシャイな日本人の若者だ。
ここから何とかするのが、俺の仕事かよ。
イライジャは意を決して、ナナのほうに近づいた。そして、出来るだけ優雅に頭を下げて、手を差し出す。
「お嬢さん、よろしければご一緒に」
「……」
ちらり、と視線だけ上にあげて少女の顔を覗きみる。
彼女は、あどけない笑顔で、ふふ、と笑っていた。
「もし、踊って欲しいなら、」と少女が口を押さえる。
どうして、日本の女性は笑う時に口を押さえるのだろう? 笑えば何かを吐きこぼす風土病でも流行っているのかもしれない。
「私のお父さんから許可を取ってください」
そう言って、少女はしがみついていた背の低いアジア人を、じぃ、と見る。
ダディ……。
まさか、この二人は親子とでも言うのか。
思わず頭を上げて男の方に目を凝らす。普通のアジア人だ。この男の名前は、タダヒト・フツノというらしい。
「んっ?」と男は目を丸くした。
「あの……」
と、イライジャは戸惑った。
ここに来て、この男のことがさらに分からなくなった。それでも、やらなければならない事がある。馬鹿なことだがニィに頼まれたのだ。
「お嬢さんを俺にください」
だが、口から出た言葉は適切とは言い難かった。自分でも驚いた。Give me your daughter.は、流石にないだろう。
「オ〜、イエス。プリーズ」
しかし、男は癖のつよい日本英語であっけなく了承した。
「ちょっと、お父さん!」と少女が何か言う。日本語だ。意味は分からない。
「え、」
「なんでOKしちゃうのよ」
「だって有名人だよ」
「いいの? それでいいの? お父さんは本当にそれでいいの!?」
「お父さんは、ナナが踊っているところを見てみたいな」
「……もう!」
日本語で何やらもめてはいたが、やがて少女はこちらを睨みつけて一歩前に出た。ものすごいふくれっ面だ。なぜか機嫌を損ねてしまったらしい。悪いのはニィなのに、俺じゃないのに……。
少女は、ひらり、と手差し伸べた。
慌ててそれを取る。
しかし、少女はこちらを見ようともしないで、後ろを振り返り、もう一度日本語で男に向かって言う。
「ナナ、お父さんと踊りたかったな」
「お父さんは踊れないよ」とフツノは手を振っている。
「バカ!」
そう言うと、少女は勢いよく進んでいった。
イライジャは慌ててそれを追いかけた。
なんて日だ。
今から俺はこのご機嫌が下り坂の女の子と踊らなければならない。周囲には踊ろうとする人間はまだいなかった。当たり前だ。誰もダンスのことなんて聞かされていないのだ。まずは様子を見る。それが淑女紳士の当然の行動だ。
いきおい、会場の中央に少女と二人きりで立つことなる。
音楽は一区切りになって、あたりは、しん、と自分たちに注目している。時々、「これは見物だ」「綺麗な二人」などとすでに観客気分を決め込んでいる。
しかし、目の前の少女は、もの凄い不機嫌な顔でこちらを睨みつけているのだ。
音楽の曲調が変わった。リズムは緩やかなチャチャチャ。
選曲はなかなか良い感じだ。素人でも問題なく踊れるだろう。なるべくステップは簡単なものに誘導しよう。せっかくのダンスだ、楽しみたいが……。パートナーの様子を見る限り、どうしようもないかもしれない。
ため息を一つ。両手を取って、足を踏み出す。
初めはゆっくりと、一通りの流れを共有できたら、少しずつギアを上げていく。この娘を中心に世界が回るように、自分はなるべく大きくステップをふむ。
やれ、十代の相手は楽じゃない。
2、3曲も踊れば、彼女に謝って終わらそう。失敗しても構わないだろう。どうせ困るのはニィなのだから。
少し、刻むリズムが早くなった。
くすっ。
自分が誘導する回転に、可愛らしい笑い声が混じった。驚いて、視線を下にむける。
不機嫌だった彼女の表情がゆるんでいた。リズム感は悪くない、すでにステップを楽しみ出している。どうやら、不機嫌はリズムについてこれなかったみたいだ。
悪くないかもしれない。ノってきた。
両手をとりあって世界を、ぐるり、と回す。
娘が笑う。
何よりだ。この年頃の女の子は注目されることが大好きだ。自分も機嫌の良い娘は嫌いじゃない。
娘を中心に世界を回した。
この娘の笑顔の向こうにあの男が見えた。ぼんやり、とこちらを眺めている。
その男の背後から、黒髪の背の高い美女が近づいて来ていた。口が裂けるくらいに、にんまり、と笑っている。
どうやら、ニィが動き出したらしい。
良かった。俺はちゃんと仕事を成し遂げることが出来たのだ。
……。
どうして、自分はこんなに苦労をしているのだろう。
まわるまわる。とまって。くみかえて。また、まわる。
その度にこの娘は楽しく笑う。それは、やはり母を思い出させる。それを見たいがために、がんばった日々を思い出した。
もう、それでいいような気がした。





