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[4a-10]あの女

 布津野たちはアメリカのバージニア州に到着した。

 パスポートの確認やボディチェックなどの手続きを済ますと、ロビーに待ち受けていたスタッフに連れられてバスに乗せられた。


「どうなっているんだい?」


 英語がまったく分からない布津野は、乗せられたバスの中で不安になって、付き添いのごとく隣に座っている榊に聞く。


「ニィ隊長が手配していたようです。今はホテルに向かっています。30分後には到着する予定です」

「へ〜、そうなんだ」


 布津野は座席から腰を浮かして、バスの内部を眺め回した。

 そこには孤児院の生徒たちが座っている。他にはGOAの隊員が数名と隣に座っているナナもいた。GOAは日本政府との連絡役として派遣されているらしい。

 布津野は座席に腰を下ろしながら頬を掻く。本当はロクと冴子さんにも来て欲しかったのだが、お仕事で忙しいらしい。とても残念だ。


「旅行だと思ってたのにな」

「ね〜」と榊とは反対側に座っていたナナが同意する。


 榊が布津野の袖を引く。


「しっかりしてください。布津野さんは使節団の団長なんですから」

「いや、だから。僕は旅行だと聞いて」

「そんなわけないでしょう。現在、一般人の海外渡航は簡単には許可がおりません。それに、これはニィ隊長の工作活動の一環です。合衆国政府に関わるためにも、ある程度の外交理由をもった形で入国が望ましいのです」

「……はぁ」


 こういうのじゃなかったのにな、と布津野はため息をつく。

 想像していたのは修学旅行だった。みんなでアメリカに行って、ニィ君と合流して、ビーチに行ったり、BBQしたり、夜更かししたりする青春の1ページ。夏の思い出。

 しかし、実際に来てみれば、子どもたちがワイワイとはしゃぐ声はなんてない。聞いたところによると生徒たちは事前にちゃんと説明を受けていたらしく、これが単なる旅行ではないことを十二分にわきまえていたらしい。

 なんで、僕にだけ何も教えてくれないの?

 布津野はバスの窓から、外の風景を眺めた。空港を抜けたばかりの開けたハイウェイ。遠くに海がひろがっている。日本よりも土地が広いせいでアメリカの景色は雄大だ。見ているだけで、こちらも気持ちが大きくなってくる。

 はぁ。せっかく水着をもってきたのに。


「榊さんは凄いね」


 内心の失望を隠すために、布津野は榊に話しかける。


「何がですか?」

「英語がしゃべれるから」

「……当たり前じゃないですか。全員できますよ。ナナちゃんだって」

「えっ」


 驚いて反対側に座るナナの方に振り返る。


「へへ」と笑ったナナは、「ナナ、お父さんの通訳になるね」と言ってくれた。

「すごいな」


 これが最適化された人たちの凄いところだ。

 榊さんたちに至っては、中国語も完璧だ。本当にうらやましい、と思う。ちゃんと英語を勉強してこなかった自分が悪いのだけど……。


「自動翻訳機、使いますか?」


 榊が小さなイヤホンつきの小さな機器を、ごそごそ、と取り出す。


「ん、そんなのあるの?」

「ええ、英語に限らず代表的な言語には対応したものですね。周囲の音声データを機械的な中間言語にコンバートして日本語に再変換して出力するタイプのものです。文脈や専門用語には弱いですが、日常会話程度なら問題ないでしょう」

「すごい! 使う使う」


 両手を出して、榊さんからその素晴らしい機械を受け取った。渡されたのはワイヤレスイヤホンだった。


「当然ですが、これでヒアリングはある程度なら対応できたとして、スピーキングは出来ませんから」

「ああ、そうだね」


 イヤホンを耳に詰め込みながら、布津野は頭をうなだれる。

 それでも、ありがたいのだ。初めての海外旅行で気がついたのだが、周りの会話や標識が分からないのは本当に不安だ。これがあるだけでも随分と違ってくるだろう。


「ね、お父さん」とナナが覗き込む。

「なんだい」

「しゃべりたいときは、ナナが通訳するよ」

「うん、お願いします」


 へへ、とナナは笑って。「If you want to play with me, you have to get permission from my daddy.」とつぶやく。


 布津野が耳に入れたイヤホンから機械音声が聞こえてくる。


(もし私と遊びたいなら、お父さんの許可を獲得しなければならない)

「なんだい、それ」と布津野はナナに聞く。

「ん〜、予行練習」

「なんの?」


 うふふ、とナナは笑って答えなかった。

 一体、なんだろう。

 嬉しげに笑い転げるナナの顔を眺めながら、布津野は首をかしげた。

 向こうの窓に広がる景色はただただ広くて、布津野にはこれからの行く末が分からない。それでも、バスは進んでいく。

 布津野は座席の背もたれに身をまかせることにした。




 ニィはホテルの玄関から顔を覗かせて、バスから降りてきた布津野たちの様子を窺っていた。

 降りてきたばかりの人だかりには、懐かしい顔ばかりだった。かつて一緒に戦い抜いた鬼子の仲間たち。副長の榊の真面目くさい表情。そして、何より布津野さんのあの間抜け面。そして、その隣には、長い白髪の赤目をしたナナが……。


 ——不味い。


「おい、行かないのか? まさか、お前にようやく人前の羞恥心が芽生えて、その格好が世間一般からズレている事に気がついたか?」


 ニィは布津野たちから目を離さずに、イライジャの軽口に応じた。


「その発言は、世の中の性同一性障害トランス・ジェンダーに苦しむ人を傷つけるわね」


 服装に影響されているのか、ニィは口調まで女装している。

 こいつは形から入って、戻って来られなくなるタイプだな。と、イライジャは感心する。役者向きの性格だ。機会があれば、共演してみても面白いだろう。今度、勝手の利く映画会社に推薦してみよう。


「……トランス・ジェンダーに苦しんでもいないお前が、女装でふざけているほうが彼らと傷つけると思うがな」

「私は状況に合わせて、高度に服飾を最適化しているだけよ」

「だったら、どうして隠れている」

「……認めたくはないけど、失敗したかもしれない」


 ニィは振り返ると、口を覆って驚いてみせた。

 それは、しくじった様子のポーズだ。ふむ、少なくとも、顔だけでオーディションを通過した新人若手女優くらいの華はある。演技は多少くさいが、素敵な笑顔でなんとか許されている感じだ。


「そいつは珍しいな」と、イライジャは感心してみせた。


 珍しいのはニィが失敗したことではない。ニィが失敗を認めたことだ。

 この少年と行動を共にするようになって半年ほどになるが、非常に頭が良く、それ以上に行動が突拍子もない彼は、実のところよく失敗している。

 しかし、ニィはその失敗を認めない。持ち前の要領の良さで、後で挽回してしまって無かったことにしてしまう。上手く納めた後に「全て計画通りだった」とうそぶいて笑う。

 そんなニィが珍しく、失敗する前に失敗を認めているのだ。


「あの女がいるの……」

「女?」

「そう、あの人の横に、ピッタリ、とべたついて離れない女よ」


 ニィがそう言って物陰から指差すので、「どれ」とイライジャは顔を出して覗き込もうとする。やれ、これじゃあ金曜午後8時のホームコメディーだ。ニィはキミー役に決まりだな。

 イライジャは薄笑いを浮かべながら、ひょい、と顔を出してみた。

 しかし、ニィが指差したその先を見たとき、

 イライジャの時間は凍り付いた。

 白い髪、紅い瞳、華奢な体つき、幸せそうな微笑み。

 まだ、少女だったが、それはマムの面影をそのままに動いている。


「どうしたの?」とニィが肩に手をのせる。


 イライジャはそれにすら気がつかなかった。

 目の前の光景に意識が吸い寄せられて離れられなかった。幼い頃に何度も遊んでもらった母、菜園の手伝いをすれば褒めてくれた母、料理をする母、キスをしてくれる母。……そんな母は、部屋でひっそりとよく泣いていた。

 しかし、その呆然が過ぎ去った後に沸いたのは怒りだった。

 母が笑いかけているのは、知らない男だ。背の小さい昔の日本人。そのゆるんだ表情を母に向けている。

 もしかして、あんなのがタダヒトなのか?


「ねぇ! イライジャ」と、ニィが耳元で鋭く呼びかけた。

「……ああ」


 イライジャは我に返って、ニィのほうに振り向いた。

 美しい顔がこちらを覗き込んでいる。やれ、重傷だな。もはや、マザー・コンプレックスであることは明白だ。口の堅いカウンセラーを探さなければならないだろう。


「どうした?」

「……あれが、タダヒトなのか?」

「ん、ああ。そうだあれが布津野さんだ」

「そうか」


 イライジャは、今度は落ち着いてフツノのほうを見る。

 幾分かは冷静になって、その光景を見ることができた。よく見ればその集団には確かな中心がある。何かある度に、みんながその中心に注意したり、声をかけたり、笑ったりする。

 その中心は、どうやらタダヒトが立っている場所らしい。そして、母に似たその少女は、そこから離れようとはしない。


「……好かれているな」

「ん」

「流石は、フツノサン、か」

「まあ、ね。……貴方から見た布津野さんの人物評も興味深いわ。でも、今はちょっとした緊急事態なの」

「だったな。で、彼女の何が問題なんだ?」

「ええ、あの娘はナナよ」

「ナナ」


 日本人にしては発音しやすい。良い名前だ。


「彼女なら、一目で私の正体を見破るわ」


 どういうことだ、と眉を寄せてニィのほうを振り返る。


「説明は後。これは理屈じゃないの。例え、性転換手術をして、変声機を喉にインプラントして、戸籍上の性別も変更したとしても、ナナは私が男だと見破ってしまう」

「……匂いに敏感なのか?」

「ええ、犬並みよ」

「香水は?」

「無駄ね」


 どういうことなのだろう。

 そう言えば母も匂いに敏感だった。入浴を嫌がってシャワーで流しただけだと、すぐに嗅ぎ分けられて怒られたものだ。


「そこで、プランBよ」


 ニィは人差し指を立て前屈みになる。

 無いはずの胸の谷間が覗く。こいつ、どうやって谷間を作っているだ? ちくしょう! 日本の技術力は計り知れない。


「……どうせ、今思いついたのだろう?」

「それはプランCよ」

「ならばCを聞かせろ」

「イライジャ、時間がないの。まずはBを説明させてもらうわ」


 ニィは身を起こして、まるで恥じらいのある淑女のように、ドレスの胸のあたりを整えた。こちらに向かって小さく舌を出し、ウインクまでかぶせてくる。

 奇妙な敗北感に襲われた。


「まずは、ナナを布津野さんと引き離す必要があるわ。ホテルのスタッフに予定の変更を伝えて、まずはレセプション会場に誘導しましょう」

「まるで最高のアイデアみたいに聞こえるな。それで?」

「そこで、貴方がナナにダンスを申し込む」

「ん、ダンスか……。ダンスだと!? 俺が?」

「ええ、得意でしょ。最悪、リンボーダンスでもいいわ」

「待て、レセプションはダンスパーティーなのか?」

「ダンスパーティーにしたわ。今ここで」


 ……こいつ。

 イライジャは、じとり、とニィを睨みつける。こういった行き当たりばったりが本当に多いのだ。大方、俺の大統領選挙もこんな感じで思いついたに違いない。


「そこで、ようやく布津野さんは一人になるわ」

「一人にならなかったら? 他にも沢山の子どもたちがいるじゃないか?」

「貴方はどうしてそう悲観的なの? まるで日本人みたいよ」

「どうやら、母は日本人だったらしい」

「血筋を言い訳にするのはよくないわ。ここはアメリカよ。自由もお金も権利も勝ちとらなきゃ」


 お前こそ、慎みとか落ち着きとか、どこかで落としてしまった日本人の美徳を、這いずり回ってでも拾ってくるべきだ。


「そして、一人になってしまった布津野さんを……、ふふ」


 しかし、ニィはどうやらプランBの続きを妄想するのに忙しいらしい。指を口にあて、時折、うふふ、ふふ、と不気味な笑い声をこぼしている。

 イライジャは空を仰いだ。

 母の秘密を知りたいと思い、ニィにそそのかされてここまで来た。もう、後には引き返せないところまで来てしまったのだ。それなのに、頼みの少年は女装が趣味で行き当たりばったり。今は、妄想をはべらせて笑っている。

 本当に自分はどこに行くのだろうか。



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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

遺伝子コンプレックス
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