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[4a-07]間合い

 ——どうやら、終わったらしい。


 互いの拳を引いて礼を交わした覚石と布津野。それを見ていた観衆たちは徐々に実感を取り戻していった。

 繰り広げられた攻防は、静かなものだった。戦いとは思えないほど、静謐せいひつですらあった。

 その二人はそのまま正座にもどり、もう一度深く互いに礼をした。

 それを見て、本当に終わったことを確信できた。

 拍手は誰もしなかった。

 そういった喧噪じみた賞賛は不要な気配があった。今、見たもの、感じたもの、その本当の価値を十分に理解できない自分を恥じる気持ちを、それぞれが噛みしめていた。

 終わった後も、全員が反応に迷い、静かな間がしばらく続いたのだ。


「いや、まいったの」


 立ちこめたその沈黙を破ったのは、覚石のひょうきんな声だった。


「あてられたわい」

「当たりましたっけ?」と布津野は首を傾げる。

「違うわ。当たっとらん。馬鹿め」

「はぁ」


 よっこらしょ、と覚石は立ち上がると、はいた袴を、ぱんぱん、と叩く。そして、押し黙ったままの周囲の人間をぐるりと見渡すと口を緩めた。


「そうじゃ。まだ、ここの皆には言ってなかったの」


 覚石のよく通る声が、静まりかえった稽古場に響き渡る。


「お集まりの皆さん。ありがとう。さて、本日をもって、布津野には免許皆伝を申し渡しました。ご存じの通り頼りない奴じゃが、まあ、合気の実力は当代一じゃな」


 ここで初めて、周りからため音が漏れる。


「合気を学ぶ理由は人それぞれ。しかし、ここに集まっている方々は強くなるためにやってる人が多かろう。弱いよりも強いほうが良い。布津野も昔は弱っちかったがの、最近はめっきりと強うなったわ」


 かっかっかっ、と愉快そうに笑う。


「皆さまは布津野の弟子じゃから。師の儂からもよろしくお願いします。布津野をどうぞ、お引き立てください」


 覚石はそう言って、ぺこり、と頭を下げた。

 全員があわてて、頭をさげる。

 そして、覚石は、ひょい、と頭を上げると布津野の方に振り返った。


「ちゃんと指導せえよ。布津野」

「頑張ってはいますが、」

「いかんぞ」

「……すみません」


 今日はよく褒められて、よく怒られるな、と布津野は頭を掻く。

 覚石は歩み寄ると、座ったままの布津野に向かって言い聞かせる。


「あの子たちを、ちゃんと強うしてやれ」

「……はい」

「よし」


 覚石は、ひらりと背を向けて歩き出す。

 向こうに座っていた紅葉に声をかけると、「どうじゃった、どうじゃった」とはしゃぎだす。あっ、と言う間もなく、宮本やGOAの隊員、孤児院の生徒に囲まれて、ご機嫌な声を上げだした。

 どうやら、先ほどの戦いについて講釈を始めたようだ。隙間から、覚石が身振り手振りで大げさに語るのが見える。ほどなくして、宮本さんを引っ張り込んで技をかけ出した。わっ、と盛り上がる声がする。

 「敵わないな」と、布津野は改めて頭を下げた。




 ◇


「父さん」「お父さん」


 自分もあの輪に加わって先生の大げさな解説を聞きたいな、などと考えていると、左右からロクとナナの声がした。


「やあ、どうだった?」

「格好良かったよ〜!」とナナが飛びついてくる。


 あ、幸せだな。

 最後に自分のことを引き立てて頂いた覚石先生には大感謝だ。お陰様でナナに格好良いところを見せることが出来た。本当にありがとうございます。

 一方のロクは、膝がつき合う距離で側に座り込んで、押し黙ったままこちらを見ている。


「……」

「頑張ったんだけどなぁ」


 ちらり、とロクの様子をうかがうが難しい顔をしてばかりで反応はない。

 やはり、ロクはなかなか手強い。ロクは色んな所に気がついてしまうから、先生に譲って頂いた部分が分かってしまうのだろう。それでも、精一杯頑張ったのだ。あれ以上にカッコいいのは、自分にはできない。


「父さん……、あの間合いはどうしてですか?」

「間合い?」

「遠すぎるでしょう」

「ああ、」


 やっぱり、ロクは賢いな。大切なことによく気がつく。でも、今回は大丈夫だ。その答えはちゃんと用意している。


「そうだね。あれは二人分の間合いだ」

「それは分かってます」


 ロクの顔は真剣だ。

 そう言えば、最近はロクに教えてあげられることが少なくなってきた。たまにあったとしても、今回みたいな難しい事ばかりだ。二人分の間合いの話。もう、こんな難しいことぐらいしか残ってないのかもしれない。


「それは、相手と歩み寄るためだよ」

「……意味不明です」


 ロクの綺麗な眉が、ぴくり、と動く。

 あれ、おかしいな。自分にしては上手いこと説明できたつもりなんだけど……。


「ちゃんと、教えてください」

「困ったな。どうしよう……」


 確かに、冷静になってみれば意味不明かもしれない。

 実際、二人分の間合いになったのは何となくだった。先生と対峙したとき、その領域の広さに気がついて、間を余計に置いた方が良い気がしただけだ。

 後半にいたっては、半歩の距離での応戦になった。そう考えると、間合いはあまり重要じゃない気もしてくる。


「あっ、え、っと、……」


 ロクは相変わらずのしかめっ面で顔をよせる。


「あの距離で、とどくのですか?」

「え、とどかない、と思うよ」

「じゃあ、どうして?」

「どうしてって、先生は同時に前に出るから」


 だから二人分の間合いが必要になる。はず。

 布津野のその説明に、ロクの眉が少し開いた。


「どうして、覚石先生も前に出ると?」

「……確かに、出ないかも」


 急に自信がなくなってきた。

 言葉にすると、自分が間違いだらけになっちゃうから、苦手なんだ。


「そんな事より、」と布津野は話題を変えようとした。「見ていてどうだった?」そう、ロクに褒めてほしかったのだ。

「相変わらず、分かりにくかったです」

「……だよね」


 しょんぼり、と肩を落とす。

 その時、「もうっ」と頬を膨らませてナナが口を挟む。


「ロクは馬鹿なんだから」

「なんだよ」

「馬鹿だから、分かんないのよ」

「ナナは分かったのか?」


 ロクが、わずかに口を尖らせた。


「もっちろん」とナナは胸をはる。「お父さん、とっても格好良かったじゃない」

「……それはナナの感想だろ」

「あら、かっこ悪かったの?」


 かっこ悪かったかな? と布津野もナナにつられて、ロクのほうを覗き込んだ。

 少し身を引いたロクは、今度は渋い顔をした。


「まぁ」と口をごもらせて、顔をそむける。「まあまあ、だったと思いました」と言って、すぐに「意味は不明でしたけど」とすぐに添えた。


 ロクが、まあまあ、と言うなら喜んでも良さそうだな。

 そう思うと、良いアイデアがふと浮かんだ。

「そうだ」と手を叩いて稽古場の隅に置いていた鞄からそれを取り出してロクに渡した。


「先生から頂いたんだ」

「これは、刀ですか。脇差わきざしですね」

「良いものらしいよ」


 受け取った小刀を確かめるロクに、布津野は「抜いてみて」と言う。

 ロクは首を傾げながらも、刀の鯉口こいぐちを親指で押して、ゆっくりと刀を抜いて見せた。

 刃が姿を見せる。

 光を弾く刀身を見て、ロクは、ほぅ、と息をついた。


「それをこちらに向けて構えてごらん」


 布津野はそう言って、立ち上がった。

 ロクは刃の美しさから目を引きはがして、慌てて立ち上がる。鞘を畳みに置いたまま。右手に持った刀を持て余して立ち尽くしている。


「ほら、構えてみて」

「でも、」とロクは戸惑った。

「半身の前に刀を置けばいいよ。刀身を体の中心線に沿わせるように。切っ先は僕の喉に向けて」


 ロクは言われるがまま半身を切り、刀身を真っ直ぐ伸ばして布津野に向ける。

 布津野はすでに構えていた。

 ロクは、刀身の白さに、ぞくり、とした。その刃は自分の中心線から伸びている。その刀身に寒気を感じた。

 今、自分と父親の間に、白刃の殺意がぎらついている。

 急に右手が重く感じた。不安で動けなくなった。今、自分がやっているのは、やってはいけない事のはずだ。手にした殺意を人に向けている。父親に向けていた。

 父親を見る。その充実した気がこちらを圧してくる。

 近い、と思った。怖い、とも思った。恐怖した。

 ……正直に言えば、怒られる、と思った。

 ロクの体は意思を置き去りにして、いつの間にか後ろに飛び退いていた。

 遠くになった父親の表情が崩れる。

 

「……ちょうど、二人分の間合いだね」


 と、その声は遠くから聞こえる。

 ロクは目を見開いた。

 父親と自分の距離は、確かに二人分も開いている。


「この間合いは、殺意を前に置いた二人が、歩み寄るために必要な距離なんだ」

「……」

「これより近い間合いでは、殺す以外はなくなってしまう」


 布津野はほっと息をついて、気を緩めた。

 だから、覚石先生は殺してしまったのだろう。

 きっと、あの時の先生とその兵士の距離は一人分しかなかったのだ。

 二人の間の緊張感は潮が引くように元に戻る。

 ロクは慌てて切っ先を布津野から外した。柄を両手で抱え込むように持ち替えて、刃を下にむける。周囲をキョロキョロと見渡して、置きっ放しになった鞘を見つけると、駆け寄ってそれを拾い上げて刀をもとに戻した。

 手早く刀袋に包み直したロクは、それを両手で布津野に差し出す。


「覚石先生から聞いたのだけど、」


 受け取った刀を脇に置きながら、布津野は座り直した。


「はい」とロクも座る。


 無言で、ナナもその横に正座した。


「戦争中にね。相手を斬り殺したことがあったらしいよ」

「……」

「出会った時には目と鼻の先でね。お互いに撃とうとしなかったのだけど、相手が銃を向けながら後ろに下がろうとした時に、技がでてしまったらしい。……先生はそれを後悔されている」

「……」


 どうして、このことをロクとナナに伝えたのか、布津野は自分でもよく分からなかった。次に言うべきことも用意していなかったので、布津野は途方にくれて頭を掻いた。伝えたいことは多分あるのだけど言葉にはならない。

 ナナの目が細くなって、ゆっくりと頷いていた。ナナには色々見えるから、伝わったのかもしれない。

 ロクは、真剣な瞳でこちらを見てる。

 自分はいつだって、この子に十分を与えてやれないのだ。


「……そんな感じかな?」


 ハハッ、と曖昧に笑ってしまう。

 ロクは恐る恐る問いかけてきた。


「戦時におけるPTSDについてでしょうか?」

「うん? PTSD」

「心的外傷後ストレス障害、のことです。戦争や災害などで生命の危機にさらされた経験が引き起こす心的障害のことです」


 ロクは本当に色んな言葉を知っているな、と布津野は感心する。


「覚石先生のケースでは殺人の加害行為の正当化不全が困難です。相手の明確な攻撃行動がない場合での殺人をした場合は、兵士のその後の精神生活に強く影響を与えます。先生がそれに苦しんでいるのは多くの症例にもあるとおりですが……」


 ロクが言ってる事はいつも正しい。

 ダメなのは、ちゃんと言葉に出来ない自分だろう。


「……そうだね」


 布津野は脇によけた刀を手にとって、それを眺めた。

 美しい殺人道具。

 その気持ち悪さを、僕はロクに伝えることが出来ないのだ。



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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

遺伝子コンプレックス
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