[4a-05]一番
「カメラの位置は目線の高さだ、角度は水平器を使って微調整しろ」
ロクの指示が飛び交っていた。
彼は密かに手配していた撮影機材を搬入させ、孤児院の生徒たちに指示を飛ばして稽古場に設置させていた。生徒たちも普段のロクとは思えないような気迫に押し出され、また、彼ら自身も今日の出来事にワクワクを抑えきれず、率先してロクの指示に従っていた。
いつの間にか、映画撮影に使われるような巨大なビデオカメラが四隅に二台ずつ設置されてしまった。生徒の一人がロクに、なぜ同じところに二台も設置するのか、と聞いたところ、ロクは真顔で「万が一、片方が故障したらどうするんだ」と答えた。
集まって来たのは機材だけではない。
今夜の話を聞きつけた宮本をはじめとするGOAの面々もぞくぞくと姿を見せ始めた。孤児院とGOAには対抗戦が継続されており両者の間には強烈な競争意識があったが、実のところかなり仲が良かったりする。両陣営は手を上げて挨拶をし、仲良く混じり合って談笑を始め、今宵の勝負の行く末を予想しあって談義に花を咲かせていた。
その他にもちらほらと人が目についた。モドキーズらしき若者たちも集まっていたし、黒条会の構成員と思わしきいかつい男たちの一団も現れた。その中には黒条百合華の姿もあった。
そうやって、稽古場は人と物がごった返し始めていた。しかし、喧噪は少なく、どこか整然とさえしていた。
いつもなら、こういったイベントでは周囲を賑やかしてまわる宮本や紅葉さえも小声で左右に語りかけるばかりで大人しい。皆は稽古場の隅で柔軟体操をしている布津野の様子をチラチラと窺い見ながら、抑えられきれぬ興味を小声で交わしていた。
皆からの注目を集めている布津野は、珍しいことに、ピリッ、と張りつめた雰囲気がうかがえた。集まった人々も、それをどことなく感じとっていたのだろう。邪魔をしてはならない、あれはどうやら本気の様子だ、と自然と声を潜めてささやき合う。そうして、やがて訪れるその時を座して待っていた。
しかし、そんな布津野に声をかける人物がいた。
「お父さん、やる気?」
「……ん?」
ナナは前屈をしていた布津野の横に座り込んで、その顔を覗き込む。
「どう見える?」
ナナの大きな瞳を見つめられた布津野は、今の自分の色にどんなのだろうか、と知りたくなった。
「ん〜、」とナナは目を細めて、「普通?」と首をかしげた。
「そっか、普通か」
それも悪くないな。
「でも、やっぱり違うかも」
「あらら、緊張しているのかな」
頭を掻いた布津野は「背中、押して」とナナに柔軟体操の補助を頼んだ。ナナは、ぴょん、と跳ねて背中にまわると、両手をつきだして布津野の背を押す。
「う〜」とナナが踏ん張れば、
「く〜」と布津野の呻き声があがる。
布津野は体の筋を伸ばしながら思う。
いまいち、分からないのが自分の実力。
最近になって、褒めて貰えることが多くなった。昔は何も出来ない奴だと言われ続けていた。ロクからは相変わらず怒られてばかりだけど、認めてくれる人が増えてきた気がする。
そういえば、初めて自分を認めてくれたのは覚石先生だった。まだ十代だった自分が一番認めて貰いたいと思った人。自分にはこれしかないのだと思った合気の先生。その人が、僕を初めて認めてくれた人だった。
そして、今、その人と対峙することになる。
正直、心の置きどころが分からない。
「ねぇ」
と、ナナが力を緩める。
押し込まれていた背が少し起き上がって、ナナは布津野の首に腕を回してもたれかかった。
「ねぇ、お父さん。わがまま、言ってもいい?」
ナナの息が、耳をくすぐる。
これはずるいな、と布津野は思った。ナナにこんな風におねだりされたら、どうしようもないじゃないか。ナナがお嫁さんになったら、夫となる人はとても苦労することだろう。
「ナナは、お父さんに負けて欲しくないな」
そのまま、ぎゅっ、とナナが抱きついてきて、小さな声で「言っちゃった」とつぶやいた。
「ナナ……」
布津野の声が困惑に染まる。
ナナは、ぱっ、と後ろに跳んで、にっこり、と笑った。
その無邪気な仕草の、邪気の塊のようなお願いに布津野は狼狽した。
「覚石先生はとても凄い方なんだよ」
「お父さんにとってはそうかも。でもね。ナナにとっては、お父さんが一番なの」
ナナは一歩近づいて、声を落として続ける。
「ロクにとっても、お父さんが一番なんだよ」
布津野は思わずロクの姿を探した。
ロクは、いつの間にか周囲に設置されている撮影機材の点検をしていた。同年代の子どもたちの中でも、ロクはとても目立つ。すらりと高く均整のとれた体躯に、白髪赤目の美しい容貌。とても忙しいはずのロクは、その貴重な合間の時間をみつけては熱心に合気道を学んでいる。そんな彼に、今から自分の合気の全力を見せなければならない。
もし、今日の仕合に欲を持ち込んでいいのなら……。
ロクにちゃんとしたものを見せてあげたい。
あと、できれば、ナナにかっこ悪いところは見せたくはない。
「困ったな」と布津野は頭を掻いた。
目標が出来てしまった。
もう自然体にはなれないかもしれない。腹に納めた感情が胸に上がってきて鼓動をはやめる。これを呼吸に落とさなければならないのか……。これはどうも、本当に困った。
黙ってしまった布津野を、ナナは含み笑いを浮かべながら眺めて、すぅ、と目を細めた。
「ねぇ、お父さん」
彼女は笑う。乱れるの布津野の色があまりにも美しかったのだ。
「応援しているよ」
◇
覚石が姿を初めに見つけたのは宮本だった。
宮本は本当のところ、布津野に話しかけたかったのだが、布津野の雰囲気がただならぬ様子だったので珍しく遠慮していたのだ。手持ちぶさたになった彼は、孤児院の玄関のほうを、じっ、と監視していたのだ。それで最初に覚石が玄関に現れたのを発見することが出来た。
彼は二メートルもあるその巨大な体躯を低くして、玄関に現れた覚石のほうに駆け寄っていった。その後を部下であるGOAの面々が同行する。
「覚石先生!」
「おお、宮本さん」と覚石は手をあげる。
「この度は、このようなお披露目の機会にご招待頂き。誠にありがとうございます」
「いやいや、そんな。お勤めもあるのに、急な連絡で済まんかったの」
「とんでもない。例え戦時中でも飛んできますよ」
宮本はさっと後ろを振り返って、着いてきた隊員たちを紹介しはじめた。
「緊急で召集しましたが、待機中の奴らは全員連れてきました」
「ほうほう、流石はお国の兵。強そうじゃ」
「ご冗談を、ここにいる全員が束になっても布津野の旦那には勝てません」
珍しく宮本は真顔で応じる。
それは誇張でもお世辞でもなく、事実だった。
今日、ここに集まれたのは数十名いたが、彼らが皆が近接戦闘に特化した隊員というわけではない。市街地や屋内での強襲作戦に特化した隊員はそれ専用の特別訓練を受ける。そして、彼らはGOAの中でも戦闘のエキスパートとして一目置かれる存在なのだ。
その最精鋭を四人同時に相手して布津野は勝った。ここにいる数十名などものの数ではないだろう。
「ほう」
「もし事前に連絡があれば、全隊員が参加を希望してごった返す事件ですよ。こいつらは運がいい。きっと、帰ったらみんなから嫉まれて、どつき回されること請け合いだ」
「ほほ、愉快じゃの」
覚石は小気味よく笑った。
「して、先生。失礼なことを一つ聞いても?」と宮本がニヤリと口を歪めた。
「失礼と分かってるなら、聞かんでもよかろう」
「はは、しかし、興味に負けて聞きたくてたまらんのですよ」
「なんじゃい」
覚石が片目を閉じて顎を撫でたのを見て、宮本は目を輝かせた。
「前にも話しましたが、俺は旦那にボロくそに負けました」
「ふむ、聞いたよ。よう覚えとる」
「先生、俺は本気だった。ニィを倒しに行ったあの作戦だ。その時の俺は実戦だった。でも、旦那は俺を、俺たちを……、殺さないように優しく倒した」
「……らしいの」
「先生、今日は旦那の本気が見られる。そういうことですよね」
宮本の問いかけに、覚石の顎をなでる手が、ピタリ、と止まった。
「さて、」
と、覚石は虚空を見上げる。
「どうかの。あやつは馬鹿じゃてな。それも相当の大馬鹿じゃ」
「……」
「大方、今でも勉強させてもらおう、などと勘違いしておるじゃろうてな。まぁ、そういうのが今の合気道じゃからの……。ま、どんな結果になるかは、あやつ次第」
そう言いおいて、覚石はすたすたと歩き出した。
その背中に向かって、宮本は声をかける。
「先生! 違うかも知れませんよ」
「ん」と覚石が振り返る。
「俺は、旦那と何回も仕合してきました。仕合じゃあ、俺は結構勝っているんです。あの旦那にね。だが……」
宮本が歯を見せて笑う。その笑みには獰猛さがうかがえる。
「今日は、ロクとナナが見ている」
覚石の眉が寄って、怪訝な表情を作った。
「あの二人が見ている時、旦那は一度たりとも負けた事がないんだ」
覚石の眉が開いて、ほっ、と声が漏れた。
「こわい、こわい」
そうつぶやくと、覚石は声をあらためて宮本たちに言う。
「儂ももう長くはない。出来れば、お国を守るみなさんには、人を殺める術を見て頂きたいと思うとる。表に出すような技ではない。道場では指導もしとらん。……しかし、布津野がそれを受け継いだ。これからの事を見て、お役に立てて頂けるとありがたい」
覚石が頭を下げる。
反射的に、宮本たちは敬礼を揃えた。
そして、覚石は稽古場の中に消えていった。





