[4a-02]茶番
ロクは人差し指をこめかみに押し当て、うなり声を飲み込んだ。
「……ふざけているのか? ニィ」
円卓の会議室。
その席についている十二人は、白髪赤目の少年少女たちだった。彼らは、円卓中央に置かれているモニタを注視している。そこには三つのモニタを組み合わせて三角錐にしたものが置かれていた。
そこには皮肉を含んで笑うニィが映っている。
「おいおい、自惚れるなよ。お前相手にふざけたところで何が楽しんだ? ロク」
その嘲る声をロクは久しぶりに聞いたのだ。
ニィは欧米での外交工作を一任されていた。無色化計画の要となる重要な任務だ。であるのに、ニィはまともな報告を寄越した事などなかった。そのような自分勝手は本来許されるべきではなかったが、ニィは首相の直接委任であることを盾にして、再三の報告要請を無視し続けてきた。
そのニィが自ら、今後の方針を報告すると言ってきた。先の主要国首脳会議で無色化計画を公表してからすでに五ヶ月が経過している。アメリカとイギリスは予想外にも検討の余地を見せた。その理由は不明のままで、一部ではニィの工作によるものだと噂されている。
ロクはこめかみに指を押し込んで、モニタを睨みつける。
「まともな報告もしなかった奴が急に意思決定顧問委員会を招集したかと思えば、意味不明な発言。ふざけているとしか考えられない」
「当然じゃないか。意味が不明じゃないと意味がない」
「……」
「どうした。説明が欲しいのか。最適解?」
ロクは我慢できずにうなり声をもらした。
手で目頭を抑えて頭をふる。誰かに代わって欲しい。今すぐにだ。
ロクのその願いが通じたのかもしれない。ロクのちょうど向かいの円卓に座っていたレイが口を開いた。
「私にも説明して頂きたいものです」
その声にモニタ上のニィが肩をすくめる。
レイは両手を組んで卓上に体重をのせてモニタを覗き込んだ。
「無色化計画に曖昧な態度をとるアメリカは今、大統領選挙を控えています。この選挙が計画に与える影響は大きい。ニィが援助を必要とするのは分かります。委員会としても最大限の支援をするべきだと、私は考えています」
ニィは「そうだろう、そうだろう」と大げさに頷いていた。
「しかし、いささか要求している内容に疑問があるのですが……。その布津野忠人という人間を派遣しろ、とはどういう意図があるのでしょうか。記憶に間違いがなければ、その人はロクの養父だったはずです。活動資金やGOAの諜報員の派遣であれば分かるのですが」
「そこだ」
「そこ、ですか」
「まさしく、重要なのはそこだ。改良素体ですら理解できない行動が必要なんだ」
ニィは指を一本立てて、それをクルクルと回しだした。
「レイ、この状況でアメリカを無色化計画に参加させるにはどうすれば良い?」
「……難しいですね。私なら長期的なアプローチを取るでしょう。最適化容認の言説を醸成するために大学やメディアに理解者を育てつつ、まずは最適化を望むアメリカ人の日本での施術事例を作り既成事実を積み上げていきます」
「素晴らしく優等生だ。おそらく、そこでしかめっ面を固めている最適解も同じようなことを考えているだろう。どうだ、ロク?」
ロクは目を細めてニィを睨んだ。本当に疲れる。
「聞きたいか?」
「ああ、是非にね」
ロクは、ふぅ、とため息がこぼした。
「僕ならアメリカ連邦政府は相手にしない」
「……ほう」
「例えばカリフォルニア州政府あたりにアプローチするだろう。州法で最適化を合法化するように仕向ける」
ニィの口元がゆがんだ。なぜか嬉しそうに見える。
「州政府は独立した司法機関を持ち、軍隊すら保有し自立している。なるほど、合衆国の分裂を画策するか」
「いや、違う。確かに、カリフォルニアは独立派が比較的多い地域だが合衆国から分裂させる必要はない。最適化を合法化し、アメリカ国民に対してそれを具体的な選択肢を提示してもらえば良い。かつて、この州がキリスト教会からの反対を押し切って同性婚を合法化したようにだ」
「加えて、カリフォルニア州は多くの移民が流入する地域だ。そうなれば、最適化を望む人々が世界中からカリフォルニアに集中し爆発するだろう」
「……三年でいい。その状態を維持しさえすれば、連邦政府もこの勢いを止めることは難しくなる」
「ふむ、」
ニィは両手を大きく開いて「まあ、悪くはないアイデアだ」と肩をすくめた。
ロクはそれを、ちらり、と一瞥して口を開く。
「ニィ、いい加減にしろ。お前ならこの程度はすでに検討していただろう」
本当にやる気があったならな、とロクは口の中でつぶやいた。
「まあな。しかし、俺が思い描いているのはもっと違う。もっと劇的な何かだ」
「それに、なぜ父さ……。一般人の派遣が必要なんだ」
「一般人?」
ニィは目を丸くして、手を口に当てた。
「なるほど、確かに一般人だ。しかし、はたして一般人か?」
「ニィ、ちゃんと答えろ」
「答え?」
ニィは髪をかき上げて、ロクを見下すように目を細めた。
「そんなものをまだ探しているのか」
「……いい加減にしろ」
いよいよ、我慢も限界に近い。
「なぜ、米国工作において布津野忠人が必要なんだ」
ふぅ、とニィは深くため息をついた。
「本質的な目標は、アメリカにおける最適化の世論の誘導と形成だろう。その達成のためには決定的に欠けているものがある。お前たちはそんなところで円になってないで、もっと外を知るべきだ。必要なのはアメリカの意識改革。これには象徴が必要だ。そう、カリスマだ」
「……」
「アメリカ的に言い変えれば、ヒーロー」
「まさか、それが父さんだとでも?」
突然、ニィは笑い声を上げた。
「そう! それだ。なるほど、お前は最適解なのかも知れない。不愉快だが認めてやろう。布津野さんがヒーローになる。いや、布津野さんをヒーローにする。俺が」
「ニィ、ふざけるな」
ロクが上げた声を、ニィは指をくるくると回して紛らわした。
「南北分裂の危機にはリンカーン、第二次世界大戦にはルーズベルト、黒人差別にはキング牧師にマルコムX……。アメリカの歴史の節々にはヒーローが祭り上げられ、彼らを御旗にこの国はその体質を何度も変えてきた。この国は変革に英雄を必要とする」
「あり得ない」
「あり得ない? しかし、英雄もいないのに変革を起こすなど、それこそあり得ない」
「ニィ、アメリカ工作において英雄を祭り上げるのは良い。手段の一つだ。しかし、父さんなんて馬鹿げている。第一、あの人はアメリカ人ではない」
「そう……しかし、未調整だ」
ニィは、両手で口を覆い、ゆっくりと目を閉じた。噛みしめるようにつぶやく。
「今、世界は英雄を求めている。分からないか? 穴倉に引きこもったモヤシどもには想像も出来まい。今、世界は怯えている。憎き日本が秩序を破壊して世界を無色に染め上げようとしている。世界中の未調整が、すなわち古き人類が、この変化に恐怖している。困惑に打ち震え、臆病な威嚇を轟かせている。彼らはきっと待っている。渇望しているに違いない。自分たちの英雄を。未調整のヒーローを……」
ついに、ロクは眉間に皺が切り傷のように走った。
「妄想はいい加減にしろ」
「人は常に偶像を求める。次の新しい人類に負けない英雄を。未調整として生きる勇気をくれる理想像を。次の世代に最適化を施す勇気を」
「……それが、父さん、だと」
ニィが顔を覆っていた両手を開くと、そこから嗤いを浮かべた顔が覗く。
「あくまでも可能性の話だ。候補は他にもある。布津野さんもその一人というだけだ」
「……」
「最有力はイライジャだな」
「お前が見つけてきた映画俳優か。本気で彼を大統領にできるのか?」
「いや、彼には英雄になってもらう」
「分かった。……なるほど」
ロクは頭を左右に振って、椅子に背を預ける。
ニィの方針がおぼろげに見えてきた。狙いも理解できる。突飛ではあるが試してみる価値はありそうだ。他国の要人を後押しして英雄に仕立て上げ、その国の指導者につかせる。蓋を開いてみれば、冷戦時代には散々とやり尽くされた常套手段だ。
だからと言って、父さんが不要なのは間違いない。父さんがアメリカの指導者になることはあり得ないのだから。どうせ、これは意味のない自分への当てつけに違いない。ニィは自分の嫌がること敢えてしているだけに過ぎない。
「理解はした。しかし、父さんはやはり不要だ」
「残念ながら、布津野さんは絶対だ。この茶番にはカリスマ的な俳優がどうしても必要なんだ。老い先短いスポンサーがあせって撮影は開始されてしまった。しかし、脚本家はセンスゼロの堅物で、筋も落ちも決まらずに淡々と展開が消化されている。広告費だけは盛大つぎ込んだが、肝心の中身は教育番組の人形劇のように退屈で空っぽだ。必要なのはここから傑作に挽回できる名優だ」
「……」
「それに、実のところお前の許可などいらない。布津野さんとは、個人的にアメリカに遊びに来てくれるように約束したからな」
「なんだと!」
ロクは背もたれから身を起こして、モニタを睨みつける。ニィは不敵な笑みを浮かべていた。また、父さんは勝手なことを!
「ついでに、ナナも連れてきてもらいたい」
「おい、ニィ!」
「ナナ、そこにいるだろう。布津野さんとこっちに遊びに来ないか?」
ロクの隣で退屈そうに座っていたナナが、ぴょん、と椅子から跳ね起きた。
「え、アメリカ! お父さんと?」
「どうだ?」
「行く! 行く行く! 絶対に行く!!」
「ナナ!」
ロクが厳しい声で制止するのを、ナナは頬を膨らまして睨み返す。
「何よ、お父さんと海外旅行だよ。海外は初めて! ナナは行くの!」
「そんな簡単にはッ」
ロクがそう言いかけたのを、ニィの声がさえぎる。
「ついでに、榊たちも連れてきてくれ」
「夜絵ちゃんたちも! 絶対楽しいじゃん。絶対、絶対に行く!!」
「……おい、ニィ」
ついにロクは円卓の上に身を乗り出した。
「一体、何を考えている」
「実働の部隊がいる。アメリカのブロードウェイの足下は異国人には暗い。ナナの目が必要だ」
「……GOAならいくらでも派遣する。榊たちの存在は極秘なんだぞ」
「GOAなどいらん。必要なのは俺の部隊だ」
「しかし、」
「すでに、おぼろげだがストーリーは見えてきている。必要なのは合理的な判断ではなく、狂気の番狂わせだ。無難な脚本をひっくり返す大逆転が必要なことは、お前でも分かるだろう? 脚本通りにしか動けない優秀な人材はいらない。これからは全てアドリブだ。俺の予想と期待を超えれる人は、あの人しかいない」
それに、と言葉を置いて、ニィはじっとロクを見た。
「実は、この件はすでに首相にも通してある。榊たちは米国への青年使節団として派遣してくれれば良い。ナナの護衛も徹底する必要がある。布津野さんであれば問題あるまい?」
「……」
ロクは凄まじい形相でニィを睨みつけたまま、奥歯を噛みしめていた。





