[4a-01] 黒髪の美女
お久しぶりです。半年ぶりです。
また再開しました。毎日19時投稿予定です。
今回もよろしくお願いします!
アメリカのアパラチア山脈北部の山間。
季節は冬が終わったばかりで肌寒く、日が落ちはじめて薄暗かった。
日中は晴天だったため夕暮れ時にはシンと冷え込んだ。雲ひとつないために、わずかな暖気も空に逃げてしまい冷気が張り詰める。特に、針葉樹に覆われた山間部の谷間には冷たい空気がたまりこみ、夜には骨身を震わせるほどに底冷えするだろう。
そんな山間に小さな町があった。
静かな町だ。古き良きアメリカを体現したような風景がそこに広がっている。
夜を迎えようとしている町は穏やかだが、静まり返ってはいなかった。町の中心から、かすかにカントリー調のギターが聞こえて来る。思わず鼻歌を合わせたくなるゆったりとしたリズム。時折妙に調子が外れることがある。その町で唯一の酒場で住人が演奏でもしているのだろう。
ギターの音が乾いた空に良く響いている。酔客の唱和が始まった。風や鳥や虫の音もそれに添えられている。
「悪くないわね」とその女はこぼした。
彼女は人の目を引く外見をしていた。
背が高い。180cmにもなるだろう。その長い黒髪をたなびかせて、喪服のロングドレスを大股に歩くたびに衣擦れの音を立てている。それと対照的に彼女の肌は初雪のように白かった。
もし、彼女を近くで見る者がいれば思わず目を疑ったであろう。
彼女の顔は、異常なまでに美しかった。
薄く塗った口紅が、その白い肌に映えて輝いているように見える。軽く伏せた長い睫毛の下は切れ長の目が伏せられている。小さく整った鼻梁はすぅと適切に伸びていた。
女は、町の中心から流れてくるギターの音色に背を向けて、外れにひっそりと建っている一軒の家の前に立ち止まった。
小さいが良い家ね、と彼女は思った。頑丈で手入れが行き届いている。その家の主人の性格が伺える。
窓から溢れる光はない。町はずれである事もあり辺りは静まり返っている。まるで無人かのように見えるが、そうではない事を彼女は知っていた。
この家は、つい先日に家主だった女性が死んだばかりだった。この小さな町から出る事はなかったその女性の葬式は、近隣住民と唯一の息子だけでひっそりと営まれた。
今、その一人息子が家の中にいるはずだった。
しかし、彼は家の照明を落として留守を装っている。死んだばかりの母親を弔い悲しんでいるのだろうか。アメリカの葬式では、故人を偲んで晩餐が催されるのが一般的だ。しかし、家からは物音一つしない。来客を拒む意思をそこから強く感じられるようだった。
彼女は周囲を窺った。人影は見当たらない。この小さな町から孤立したように、ひっそりとこの家は寂れている。
女は家の正面を避けて、裏庭の方へと迂回した。生前まで綺麗に整えていたのだろう。芝の高さは短く揃えられ、花壇の花は数こそ少ないが色とりどりで丁寧に並べてある。そして、その奥には小さな菜園が見えた。
ツンとした甘酸っぱい臭いが女の鼻腔をくすぐる。奥に背の低い木がいくつも見える。赤々と実る味がこぼれ落ちそうなのが見えた。リンゴを育てていたのだろう。
女は裏庭に侵入すると、そっと家を見上げた。
二階の窓が開け放たれ、光がわずかに漏れているのが見える。カラリ、とグラスに入れた氷を転がす音が女の鼓膜をわずかに震わす。息子が酒でも飲んでいるのだろう。少なくとも、あの息子があの部屋にいることは間違いない。何度も調べてきたのだ。
女はもう一度、周囲に視線を巡らせて人気がない事を確認すると、そのまま身を屈めた。ロングスカートの裾を掴んで、びり、っと切り裂いて白い太ももを露出させる。
そして、おもむろに、家に向かって駆け出した。
風が鳴って、空気を破る。
その疾走に追いつけず、彼女は長い黒髪が後ろに水平に流れた。
彼女は大地を蹴って、家の壁に足を置く。
そして、壁を蹴り上げてさらに上へ、
続けて二足、
腕を伸ばし、開け放たれた二階の窓枠に手をかけると、そのまま、するり、と体を中に入れた。
彼女が家の中に着地すると、目の前には呆然と立ち尽くす男が一人いた。
「初めまして、ミスター」
「……」
男は、ロックグラスを片手に持ったまま動かない。まだ十分に状況を飲み込めていないのだろう。
「美味しそうな匂い。アップル・ブランデー?」と女が笑いかける。
「……何者だ?」
「さて、どう答えようかしら? 落ち着いて聞いて欲しいのだけど……」
「何者だ、と聞いている」
今度は強い口調で男が問いかける。
「落ち着いて欲しいわ。埋葬したはずの貴方の母親が目を覚ましてしまう」
「……」
「出来れば、そのアップル・ブランデーを飲みながらお話がしたいのだけど……。長い話になるもの」
「……帰れ」
女は肩をわざとらしくすくめる。
それを見た男は、より口調を強めて言う。
「大方、追っかけカメラマンだろう。今はファンサービスする気分じゃない。帰れ」
「……そう」
と、肩を落とした女は、おもむろに片手をその白い額に当てと髪をかきあげた。
すると、彼女の艶やかな黒い髪が、抜け落ちた。
彼女がたなびかせていた黒髪が、ずるり、と床に落ちたのだ。
それがカツラだと理解した直後、彼は女の姿を見て絶句した。
抜け落ちた黒髪の後には、白い髪があった。
白い髪に白い肌。髪の長さは、まるで少年のように短かった。
カツラを取った女は、次に指を瞳に当てて何かを拭い取る仕草をした。それはおそらく、つけていたコンタクトレンズを拭い取ったのであろう。
それが顔を上げると、そこには赤い瞳が出現していた。
「……お前は、」と、口にする男を遮り、
「母と同じ、か?」と現れた白髪が口を歪めた。
先ほどまでの、黒髪の美女だった時の声色をがらりと変え、それは男口調だった。
彼女は、白髪の少年だった。
白髪の下で、黒いドレスを着た少年が笑っている。悪戯っぽい笑顔だ。彼は、近くにあった椅子を引き寄せて座ると、男を見上げた。薄く塗った口紅が動く。
「俺は、お前の母親と同じようなものさ。イライジャ・スノー、提案だ。興味はないか? お前の出生の秘密」
「……お前は、何者なんだ?」
「アップル・ブランデーをくれたなら、答えなくもない」
「……」
イライジャと呼ばれた男は顔をしかめて首を振る。突然現れて美女から少年に変身した白髪をまじまじと見る。その悪戯っぽい笑顔は少年みたいだった。
「ガキに飲ませるものじゃない」
「お堅いじゃないか」
「味も分からん子供にはもったいない」と、イライジャはグラスを顔に寄せて息を吸う。「これは最高の酒だ」
「ますます、飲みたい」
「……アップルジュースもある」
イライジャは立ち上がって、壁際に置かれた小型の冷蔵庫に歩み寄る。かがみ込んで瓶を取り出した。ラベルの張っていない瓶には黄金色の液体が、とろり、と濁っている。
「実のところ、ブランデーは市販の安物だ」
そう言って、もう一つのグラスにアップルジュースを注ぎ、白髪の少年にグラスを差し出した。
少年がそれに手を伸ばそうとすると、イライジャはグラスをひょいと上に避ける。
グラスを取り損ねた白髪の少年は顔をゆがむ。それを見下ろして、イライジャが言う。
「最高なのはこのアップルだ。母の作ったアップルだ」
ふっ、と少年が笑う。
「もちろんだ。『いただきます』だ」
少年は、両手を合わせて前に屈んで見せた。
「いただきます?」
「日本の習慣さ、食事の前の挨拶。食べ物と作り手への感謝の祈りらしい。日本人は神に祈る代わりに万物に祈る。お前の母親は日本人だった。一応、な」
「……そうか」
グラスはふたたび差し出された。
少年はそれを受け取ると、グラスに鼻を近づけてその香りを楽しんだ。そのまま口をつけてグラスが傾く。白い喉が上から下へと動いた。
「……旨いな」
「当たり前だ」
「であれば、なおのこと。ブランデーのほうも飲んでみたい」
ニヤリ、と少年が笑うのを見て、イライジャはわずかに表情を緩めた。
イライジャは近くの棚に向かって歩き、もう一つグラスを取り出しながら少年に問いかける。
「で、お前は何者だ」
「ああ、そうか。自己紹介がまだだった」
イライジャは大きなロックアイスを一つだけグラスに入れて、白髪の向かいに腰掛ける。
正面から白髪の少年を見ると、その表情がよく見えた。
そこには異様に美しい顔があった。それはイライジャに母を連想させた。母も白髪に赤目をした美しい人だった。
「俺の名はニィだ」
「ニィ……」
「ああ、ニィ。日本語でtwoやsecondを意味する。」
二番目だと名乗った白髪は、アップルジュースを煽る。本当に旨そうに、それを楽しんで、深い息を吐いた。
その姿をじっくりと観察しながら目頭を強く抑える。アップルジュースを楽しんでいる少年の様子は母と本当によく似ていた。
「旨いか?」とイライジャは問う。
「旨いさ。体に染みる」とニィは答えた。
そうか、とイライジャは椅子に腰を沈めて足を組んだ。
「その格好、」とイライジャが目線をニィにやる。
「ん?」
「女物のようだが?」とニィが着ているドレスに視線を落とす。
「似合っているだろ」
「……裾が破けているようだが?」
その破れ目から白い太股が覗いている。
「
「お前の人気作にあやかってみた。『』だ。お前の代表作さ」
「やめてくれ、あれは不本意だったんだ」
「主演イライジャ・スノー。女装した美男子が、政界の大物を籠絡して世界を破滅させるスペクタル・ショー。お前がハリウッド・スターになったきっかけでもある」
「勘弁してくれ。俺は男だ」
「演技も最高だった。主人公が男だったことが明かされた時なんて、俺も度肝を抜かれたものさ。本当に前編を通してお前が女装していたのか?」
「……お前の方が似合っている」
「これはどうも、ハリウッドの女装男優に褒めて頂けるとは」
ニィは浮かんだ笑みを、グラスを掲げて隠した。
イライジャは手にしたグラスにアップル・ブランデーを注ぎ足す。
カラリ、と音をたてるグラス。
「からかうのは止せ、聞きたいのは母の話だ」
「どうやら、良い母親だったらしいな」とニィはこぼす。
「最高の母だった」
イライジャは、グラスを口元に寄せ、唇を濡らす。芳醇な香り、甘い思い出、沁みるような悲しみ、追憶、疑問、愛。死んだのだ。まだ若かった。十分に恩を返せぬうちに……。
イライジャは目にこみ上げた熱さを指で拭った。
「……二人目、だな」と白髪が言う。
イライジャは、問いかけるように、ニィを見た。
ニィは視線を手元のグラスに落とし、黄金色の液体をゆっくりと回す。
「俺の前で、泣いた大人は」
「そうか」
ぐいっ、とイライジャはアップル・ブランデーを飲む。ちくしょう、旨い。旨すぎるよ、母さん。
「イライジャ」とニィが呼びかけた。
顔を上げると、ニィがこちらを覗き込んでいる。
「確信したよ。お前であるべきだ。ナナの確認など不要だろう」
「……どういうことだ」
ニィは目を細めてこちらを見ている。
「お前が、ハリウッドのスターであることなど関係ない。お前の母親が第一世代の改良素体の候補体であったことなども関係ない」
「……」
「お前だからこそ、頼みたいことがある」
その赤い瞳は母のそれと同じだった。
「お前にアメリカ大統領になってもらいたい」





