[3-29]代表
それは、シャンマオが会談場所を襲撃する十分前のことだった。
法強は総書記の控え室でロクからの案内を待っていた。人払いはすでに済ませてある。会談に望む人員について議論したが、結局のところ総書記と自分の二人だけで対応することになった。総書記としては無色化計画への態度を決めかねていた。この段階で会談の存在自体を知られることを躊躇したのだ。
今、法強の向かいの席には総書記が腰掛けている。
「どう見る?」と総書記は両手を組んだ。
「お伝えできることは全てお知らせしました。後は総書記がご判断することです」
「そう言ってくれるな。お前の判断が聞きたいのだ」
総書記は、若干すがるように言う。法強はうなった。
「俺は二重スパイです。祖国の運命を決める立場にはない」
そう言って法強が黙り込むのを見て、総書記は小さく頭を振る。
「そんな陰陽にまたがるお前だからこそ、正しい判断が出来るのではないか? 頭の良いお前のことだ、すでに答えが見えているのでは?」
「……そんな事はありません。俺はすでに失敗している」
「あの作戦のことか……。ニィと裏でつながり、鬼子部隊の脱走に手を貸す一方で、日本と戦争を起こそうとした」
「その結果が、このざまです」
法強は視線を落として自分の足下を見る。
日本がもたらした遺伝子と経済破壊は、祖国で四罪が勢力を拡大する要因にもなっていた。祖国の経済力は失われ、失業率が増加し、中産階級は没落、企業の倒産が相次いでいる。四罪派はこれらを総書記の経済失策だとして人民の不満を煽る一方で、対日戦術研究と評して軍部の隅々にその影響力を拡大していった。
そして、数年前から四罪によるクーデターが噂されるようになる。
「俺は、分裂する祖国を救う唯一の方法が対日戦争だと思った」
「……対日戦争を起こし早期に敗戦をする。確かそれがお前の計画だったな」
「ええ、日本は圧倒的な強国です。戦えば負けるでしょう。しかし、日本には戦争のメリットがない。仕掛けた俺の艦隊が惨敗し、早期停戦を求めれば必ず応じる。その敗戦をもって、祖国の分裂は止まる。巨大な敵に対抗するためには協力するしかない」
しかし、と法強は口を歪める。
「日本はそれ以上だった。開戦すらできなかった」
「……ニィが裏切った」
「いや、ニィとは具体的な密約があった訳ではありません。ただ、奴が日本に味方することはない、そう勝手に決めつけていた」
結果として、ニィは日本政府に協力し、出動させた艦隊のシステムを掌握した。艦隊はまともに砲火を交えることなく、日本のAI艦隊に包囲拘束されて、無傷のまま祖国に返還された。
法強は腕時計に視線を落とす。その秒針は容赦なく時間を刻んでいた。
「そろそろですね。……総書記、お伝えしなければならない事があります」
「なんだ」
「この会談の情報を、私は四罪に伝えました」
「……そうか」
総書記はただ目を閉じただけだ。
「常にお前の情報は事実だった。四罪にとっても、私たちにとっても、お前は平等に事実を伝えてきた。四罪がお前の真意は疑っても、お前の情報を疑うことはあるまい」
「……総書記に無色化計画の概要をお伝えした際に、ほぼ同時に四罪側にも同様の情報を流しています」
「そして、お前の情報通りに、宇津々首相が無色化計画を発表した。今や、四罪も私もお前の情報に依存せざるを得ない」
法強は目を閉じて総書記の視線をやり過ごし、そのまま口を開く。
「四罪はこの会談を襲撃するでしょう。シャンマオが指揮をとっています」
「あのお前の弟子か……。なぜ分かった?」
法強はおもむろに懐から携帯端末を取り出した。
それを机の上において、起動し「シャンマオ」と呼びかける。向こうからは雑多な音がこぼれてくる。
すぐに、若く凜々しい女の中国語が、呼びかけに反応した。
「なんでしょうか?」
「状況はどうだ?」
法強は机に置いた端末に問いかける。
「……法強上将、それは言えません」
「情報漏洩が怖いか」
「ニィの脱走以降、貴方への嫌疑は深まっています。私の任務は貴方の真意をこの目で見極め、場合によっては貴方を殺すことでした」
「しかし、俺の情報を信じてお前はここまで来た」
「……貴方の真意がどこにあろうと、貴方の情報は常に正しかった。それが四罪の貴方に対する評価でもあります」
「俺の色からは何が見えた」
「……任務中です。切ります」
「ああ……死ぬなよ」
そう言って、法強は通信を切った。総書記は椅子に体を任せて、天井を仰ぎ見る。
「シャンマオの狙いは?」
「日本国首相との接触と……総書記の暗殺でしょう」
ふっ、と総書記は笑う。
「いよいよ、我が命もここまでか」
「総書記、お願いがあります」
「なんだ、珍しい」
法強は真剣な目で総書記を見る。
「この会談、ご出席ください」
「……ふむ、シャンマオ襲撃の渦中に飛び込めと」
「それこそが、御身が助かる唯一の道です」
「どういうことだ?」
法強は目に力を込めた。
「宇津々首相の護衛には、布津野忠人がいます」
「ふつのただひと……」
「彼であれば、シャンマオでさえ退けることが出来る」
その時、トントン、とノックの音が響いた。
法強は総書記から目を離さない。
「案内が来たようです。ご決断を」
「……分かった。もとより、お前を信じるほか道は残されていない」
総書記は、ため息をついて法強を見る。
「情けないものだ。いつもお前に頼ってばかりだな」
「ありがとうございます」
法強は頭を下げて立ち上がった。そのまま扉の方に歩いていき、扉を引く。そして、そのまま愕然として立ち尽くした。
そこには、宇津々首相が左右に布津野とナナを伴って立っていた。
「宇津々首相!」
法強の驚いた声に、部屋の中にいた総書記も立ち上がる。
「ほほ、久しいの法強。会談に来たぞ」
「……場所はそちらの待合室だったはずですが」
「どちらでも良かろう。あちらは景色が良いが老体には少し寒い。入らせてもらうぞ」
首相は杖を、とと、とつきながら構わず中に入る。
布津野はそれに続きながら、法強とすれ違いざまにに「お邪魔します」と頭を下げる。その横にぴったりと寄りそっていたナナも一緒に頭を下げた。
立ち上がった総書記は、慌てて首相に向かって手を差し出した。
「これは、わざわざお越しいただいたようで」と英語で言う。
首相はその手をとり上下に揺らす。
「すまんが、日本語で良いか? もう歳で上手く舌が回らぬ。法強が翻訳してくれるだろう。そこの二人にも聞いておいて貰いたいしの」
そう言って首相は後ろに立つ布津野とナナを見た。
「ええ、構いません。それでは私は中国語で……。ところで、その二人は?」
「そっちの可愛いのがナナじゃ。法強から聞いておるじゃろう」
法強が総書記の側に寄って、中国語に翻訳していく。
「……ええ」
総書記は慎重に頷いた。人間性を見極める異能の少女は、法強から聞かされてた以上に美しかった。その大きな赤い瞳が、全てを見通すかしてこちらを見ている。
「そして、そっちの不細工なほうが布津野じゃ」
法強の翻訳に総書記は少し笑う。
「不細工、ではないでしょう。なるほど、彼は最適化を受けていないのですか……。そりゃあ、日本人からすればあれですが、我々のなかではマシな方です」
「そうかの。こやつはロクとナナの父親じゃ」
「……父親?」
総書記は布津野に怪訝な視線を向けた。それに気がついた布津野は、慌てて頭を下げる。これが法強の言っていた男だということに内心で驚いていた。彼は未調整だったのだ。当然のように、最適化個体であると想像していた。
ふむ、と首相は息をつく。
「座ってもよろしいか?」
「ああ、どうぞ」
総書記はソファを指し示して腰掛けた。
目の前の老人をのぞき込んで固唾をのむ。自身も国家の首脳であるが、この老人ほど長い期間を勤め上げているわけではない。国家の違いや対立とは別に、この人は政治家として先達にあたる。ごく自然に感じる畏怖を否定するほど、彼は愚かではなかった。
「ロクという少年もいると聞いたのですが」
「ああ、あいつは四罪の襲撃に対応しておる」
「四罪、の襲撃ですか」
総書記は慎重に頷いた。
すでに日本政府には自国の内情は伝わっているのだろう。ある程度は法強が伝えたのかもしれない。対立する両陣営に必要な情報を共有させるパイプライン。二重スパイである彼は常にそのような役回りを果たしてきた。
「すでに四罪が?」
「ああ、どうやら会談を予定していたこちらの待合室を狙っているらしい。それで急遽、こちらに場所を移させて貰ったのじゃ」
法強は少し間を置いたが、そのままそれを翻訳する。
「法強」
総書記は振り向いて問いかける。
「今回の四罪の襲撃、日本政府にも伝えたのか?」
「いえ」と法強は頭をふる。「おそらく、彼ら独自の情報網でしょう」
総書記は両手を握りこんで前に向き直る。改めて目の前の老人をじっと見た。わずか四十年で日本を圧倒的な大国に押し上げた伝説がそこにいる。やはり、油断のならない相手だ。
総書記は慎重に言葉を選ぶ。
「私たちと四罪は、深刻な対立関係にある」
「存じておる。中国の正当な統治者である貴方を、支援する用意は十分にある。しかし、それは無色化計画に対する理解の程度による」
「……法強から、その詳細については聞いています。正直なところ、検討に必要な時間が足りていない。関係者と十分に協議する必要がある」
ふむ、と首相は杖を引き寄せた。その柄頭に顎をのせて、総書記をのぞき込む。
「儂の持論じゃが」ぼそりとおく。「政治における施策は、関係者と調整して進行すべきじゃが。その土台となるビジョンはトップ自らが導き出すものじゃ」
「……」
「お主のビジョン、つまり中国のビジョンは、無色化計画と共存できるだろうか」
総書記は、じっと見つめる老人から目をそらす。
問われた内容を脅迫的だと恐れた。非公式の会談とはいえ、この老人は自分に中国を代表させようとしている。日本国を代表し続けてきたこの老人だからこそ、強力な脅迫となって自分を責め立てている。それから目をそらす自分は二流の首脳なのかもしれない。そんな後ろめたさが、胸の奥で痛み出した。
横に逸らした視線の先には、こちらをじっと見る美しい赤い瞳があった。見極められている、と思った。自分の内面の奥底まで、自分すら知らない根源までも、この少女の目が観察している。自分は今、試されている。
「……正直なところ」
そう、口をついた原因は、奥底にあった首脳としての意地だったのかもしれない。
「私個人としては、この計画については懐疑的です」
ふむ、と老人の目がゆるんだように感じた。
ここは語るべきところだ、と総書記は自身を奮い立たせた。あの赤い瞳の前で嘘はつけない。ゆえに非公式なのだ。日本側も配慮がある。自分は代表として中国が何を目指すべきか、日本の代表にぶつける必要がある。日本はすでに、世界に対してそれを問いかけたのだ。
「人の遺伝子を扱いだしてから、人類はまだ日が浅い。最も進んでいる貴国ですら四十年程度だ。貴方は演説で言った。良い親が良い子を育てて、良い社会を作るのだと。そうであるのに、最適化が始まってからまだ一世代も巡っていない。貴方がいった新しい日本人はまだ子を育て次世代に繋げていく営みを、一巡すら完了していない。そうであるのに、それを他国に提案するのは時期尚早なのではないだろうか?」
「うむ」
と首相は声を漏らした。とんとん、と杖をついて笑う。
「もっともな意見。おっしゃる通りよ。無色化計画はまだ試行段階である。我が国での結果は、単なる一事例に過ぎず、未だに結果は出ていない。しかし、その過程において、少なからず諸外国に影響をもたらした。我が国はこの最適化技術を公開することで、各国に選択肢を与えるつもりだ」
総書記はゆっくりと頭を振る。
「それは違う。極端な例えだが、日本国で麻薬を合法化し、それを禁じている他国を非難するようなものだ。世界中の親に対して、最適化は非常に魅力的だ。子供の将来を思えば、何とかして最適化を施したい。現に、日本国への亡命希望者は確実に増加している。それに対して、貴国は最適化施術を日本国民だけに限定し、外国人の日本国籍取得を厳しくすることで抑制をかけてきた。しかし、今回の計画発表は、この膠着状態を決壊させる。未だ最適化の是非が十分に検討されていない状況で、多くの親が最適化を希望するようになるだろう。それは麻薬以上に子供たちを害する可能性があるというのにだ」
「確かに、この計画が未だに危険性をはらんでいる事は認めよう。それでも我が国は問いかけ続けるつもりだ。国民も多くがこれを支持している。現在、日本国と諸外国の間に広がる経済格差の原因は、遺伝子の格差があることは明白だ。我々は常に、諸外国からこの格差是正を求められてきた。我が国が提案する譲歩が無色化計画でもある。そして、これを受け入れるかどうかは貴国に決定権がある」
そこで、総書記と首相は黙りこんだ。
しばらくの沈黙には意味があった。ゆっくりと互いのビジョンを味わう時間だ。代表として、国民に対して、どのようなビジョンを示すのか。人類の向かう先はどこなのか。
その邪魔されるべきでない沈黙を、
ドンッ、
と遠くから響く轟音が破った。
「始まりおったか」と首相がつぶやく。
館内放送がなる。ハッキリとした英語で、館外で爆発事故が起きたことを知らせる。館内は騒然となった。首脳会議はテロリズムの標的となる危険性がある。館内放送が、それぞれ室内に待避するように告げていた。
ドンッ、とまた轟音が響いた。
「シャンマオが始めたようです」と法強がこぼした。
「シャンマオ?」
と、布津野が反応した。
「シャンマオって、あの女の人ですか?」
「ああ」と法強が応じる。
「困ったな」と布津野は顔をしかめる。「僕がちゃんとやらなかったから……」
「心配するでない」
首相が布津野を振り返る。
「ロクが対応しておる」
「でも、あの女の人って、ちょっと強かったですし。それに暗殺者なんでしょう? それなのに、あの時に逃がしてしまって……」
布津野がそう言ってそわそわとしているのを、首相はたしなめる。
「話は聞いておったじゃろう。ロクがわざと逃がしたのじゃ。四罪とやらの実体を把握するために必要なことよ。そうやって集めた情報があったからこそ、ここまで周到な対策がある」
「でも、」
「うるさいのう。少しは自分の息子を信頼せんか」
「はぁ」
ドンッ、と今度は轟音が随分と近い。間をおかず、窓ガラスが破られる音が近くでした。布津野はその方向がさっきまで自分がいた待合室であることに気がついた。
「やっぱり、見てきます」
そう言って、駆け出しそうになる布津野の行き先を、法強が割り込んで止めた。
「法強さん、」
「布津野さん、もうしばらく待って欲しい」
「でも……ロクはあの部屋にいるんです」
「そこの様子なら、これで」
と法強は携帯端末を取り出して操作をする。するとそこから、中国語が流れ出した。その声の主は間違いなくロクだった。
「それは?」
「シャンマオとの通信機だ」
「ロクは、……何と言っているのです?」
布津野にはロクが中国語でしゃべっていることしか分からない。法強はわずかに躊躇したがあきらめたように答える。
「私が、……二重スパイだと言っている」
「えっ」と布津野は絶句した。「でも、法強さんは、」
法強は布津野の疑問を遮った。
「後で説明させて欲しい。ここからが重要なのだ。総書記、宇津々首相、よく聞いてください。シャンマオとロクの会話は私が翻訳します」
法強の携帯からシャンマオの中国語が聞こえる。
「お前はロクだな」
と法強がそれを追いかけるように訳していく。
「提案がある。四罪からの、首相に伝えるつもりだった。しかし、お前なら問題ない」
法強は目を閉じて、次の言葉を口にした。
「四罪は、無色化計画を全面的に支持する」





