[3-28]二重
宮本は屋上に設置したパイプ椅子に腰を下ろして、ノートPCのモニターを睨んでいた。
モニターに表示されているのは地図だ。
それはブリーフィングでロクに見せられたものと同じものだった。画面の中央にはこの施設が矩形で表示されており、赤と緑と青の点がそれをぐるりと囲んでいた。
「やっこさん、随分と大人しくなったじゃねえか」
宮本がそうこぼすと、横で大きな狙撃銃らしきものを構えた隊員がニヤリと笑った。
「ま、あちらはすでに30%くらいはやられていますからね」
「セオリー通りであれば、撤退だな」
こちらの損害はほとんどない。それなのに戦力の30%を失ったのであれば、撤退して状況を取り直すの普通だ。
「身を潜めてこちらを伺っているみたいですね」
「位置はバレバレなんだがなぁ」
モニターの各点はそれぞれ敵とドローンと味方の位置を表している。
赤の点は敵の予測位置を表しているが、厳密には敵ではない。それは遠赤外線による熱源サーモグラフィーと周辺配置した360度カメラの監視映像を分析し、それなりの大きさのある熱源動体を表示しているだけだ。
本来であれば、画像解析を通して、動体が動物か人間かをフィルターすべきだ。しかし、相手の驩兜兵が獣のような形状をしていることから、人間かどうかの判別はしていない。赤点の中には野生の動物もいるだろう。
ロクからは徹底した無力化を指示されている。疑わしきは殺せ。ゆえに、防衛ラインを超えてきた赤い点は即射殺している。中には罪のない野生動物もいただろう。これだけ無意味な殺生をすれば、死んだら地獄行きは確定だ。
まあ、それは前から決まっていただろうが。
「どうします? もっと積極的に攻撃しますか?」
狙撃スコープから目を離して隊員が問いかける。
「いや、予定位置まで侵入するまで撃つな。弾数にも限りがある。ドローン包囲と連携したほうが無駄がない」
「アイサー、そうでしたね」
今回の防衛戦術には三段階がある。
第一段階では、分散した敵をドローンで包囲殲滅する。もし、それでも包囲が突破されそうな場合は、第二段階として狙撃で仕留めることになる。それでも突破された場合は、GOAと孤児院の混成部隊が対処することになる。それが第三段階だ。
しかし、部隊による迎撃はあくまでも最終手段だ。
鬼子の子どもたちから教えられた戦術は、徹底して強化兵を寄せ付けない事だ。相手は接近戦でもっとも力を発揮するらしい。そのために遠隔起動するドローンで不意を打ち、取り逃がしたものが2km 以内に入れば狙撃で対応する布陣を引いたのだ。
しかし、報道陣が詰めかけているここで、狙撃で派手な銃撃音を鳴らすわけにはいかない。サプレッサーや亜音速弾を使って音を減衰させるにしても限度がある。銃声に気がつけば、会議は大混乱に陥るだろう。それは、出来れば避けたい。
よって、採用されたのはレーザー狙撃だ。
映画やアニメなどでおなじみのレーザー兵器だが、これを実用化しようとする試みは古い。アメリカ軍でもミサイル迎撃用のための高エネルギーレーザーの実用化に向けて試作兵器が投入されている。
問題となるのはその巨大なサイズだ。実際のレーザー銃はトレーラーで運搬するほどの大きさで、通常なら艦艇や要塞に搭載する設置型兵器だ。個人が携帯できるような小型にはまだどこも成功していない。
しかし、日本における技術革新は、いまだ試験運用段階ではあるが十分な小型に成功していた。
「それにしても、こいつは凄いですね」
隊員は巨大なレーザー銃を両手で掲げて見せた。それは狙撃銃というには大きすぎるもので、構えるときは肩でかつぐか、地面に設置して行う必要がある。その形状はどちらかというとロケットランチャーに似ていた。
「気をつけて撃てよ。何でも一発撃ったら十万円にもなるらしい」
「すげえ電気代ですね。地球にやさしくない」
「地球にやさしい兵器なんざねぇよ。それにロクが言うには、こいつは電気じゃなくて放射性物質で動いているらしい」
「放射性物質? 何だかやばい感じがしますね」
「よく分からねぇが、原子核を崩壊させて発射するガンマ線レーザーなんだとよ」
「うへ、俺、被爆とかしませんか?」
「知らねえよ。ま、ここで核爆発したらお前と仲良く心中だ。とりあえず、無駄撃ちしたら減俸だからな」
「へいへい」
隊員は肩をすくめてレーザー銃を地面に置き、狙撃スコープをのぞき込む。
「ま、こいつで外すヤツはいませんよ」
「それほどか?」
「ええ、ずっと狙撃任務やってきましたが、訓練してきたのが馬鹿みたいですよ。なんせ、光の速度で弾が飛ぶんだ。発射から着弾の時差はゼロ。発射反動もゼロ。重力落下も風向も地球自転の影響もゼロ。しかも、連続照射が可能で撃ち続けながらの照準補正が可能。こんなんじゃ、子供の素人だって当てられますよ」
「欠点もちゃんと探せよ。試験運用なんだ、後でレポート提出しなきゃならん」
「了解。しかし、なんだか研究者になった気分ですよ。まっ、欠点は色々とありますね。大きすぎて運搬しにくい。重量があるから取り回しが重くて照準補正が悪い。まっ、遠距離狙撃であれば致命的ではありませんがね」
「弾数にも限りがある。ドローンの包囲を抜けてきた敵だけを確実に仕留めろ」
「アイサー」
スコープをのぞき込みながら片手を上げて答える隊員。宮本はその姿から目を離して、再びモニターに視線を戻す。表示されている時刻は14時03分。ロクから警告されている14時の秘密会談が始まってすでに3分が経過している。ロクの予測では、奴らが仕掛けてくるとすればそろそろのはずだが……。
その時、黄色い点がモニターに出現した。
位置は、正面玄関の方向の距離2km。黄色が表すのはロクが仕掛けた発信器の位置。例の女暗殺者だ。もの凄い速度でこちらに向かってきている。
「正面方向に例の山猫だ!」と叫ぶ。
「アイサー、移動します」
隊員は大きなレーザー狙撃銃とケーブルを小脇に抱えながら、正面方向に移動する。屋上の縁に座り込んで銃を据える。
「狙撃スコープと各種センサーをデータリンク。目標を視認。……やつら車に乗ってやがる」
「正面には警察の検問があるはずだが」
「ええ……奴ら、突っ込むつもりです」
「おいおいマジか」
宮本も正面方向に向かって駆け寄ると、双眼鏡を取り出して状況を確認する。高速で走る車が一台、それが警備を担当していた警察車両に突っ込んでいく。
衝突した瞬間。三つの人影が車両から飛び出した。
「目標を視認。敵は三名。警察と乱戦を開始した模様。隊長、援護射撃しますか?」
「いや、まて。味方に当たる」
見たところ、配備されているのは警察の特殊部隊。それに人数も多い。いくら相手の力が未知数とはいえ、簡単に遅れを取ることはあるまい。それに、と宮本はノートPCのモニタを睨みつける。
「全方位から敵が一斉に動き出しやがった。奴ら、特攻するつもりだ」
「ドローンやレーザーで戦う時代に、時代錯誤な戦術ですね」
「負け戦は悲惨なもんだ。ドローンの一斉起動を行う。何名かは突破してくるかもしれん。それを狙撃しろ」
「アイサー」
宮本は胸元から携帯端末を取り出して口に当てた。
「総員、全方向から敵が突撃を開始した。相手の突破に警戒しろ。総員、鬼子のアドバイスをきっちり守れ。驩兜兵を近づけるな。距離600で牽制射撃を開始、各チームの狙撃手を援護しろ」
「「了解」」
さて、こりゃ大事になるな、と宮本は口を歪める。
敵がドローンを突破する確率は低い。その上、レーザー狙撃を回避するのは不可能だ。しかし、運が悪ければ、最終防衛ラインである半径600mまで接近する奴も出てくるだろう。
その場合は、アサルトのフルオート射撃による牽制と、実弾狙撃銃による盛大な歓迎が行われる。けたたましい銃声を聞いた報道陣は喜んでテロリズムを報道してくれるだろう。戦闘としての不安はないが、外交問題に発展することは避けられないだろう。
ま、それは賭けだな。
「た、隊長」と隊員の引きつった声がする。
「なんだ」
「正面方面の三名が……」
「どうした」
宮本は顔を上げて双眼鏡をのぞく。
拡大された視界では、警察の特殊部隊が地面が何人も雪の上に転がっていた。敵の女が一人、警官の間を縫うように駆けながらハンドガンを撃ちまくっている。撃つ度に警官が倒れていく。迎撃のサブマシンガンは女を捉え切れていない。
「おいおい、マジかよ」
と、宮本はうめいた。流石は、中国最強の暗殺者さんというわけだ。
「隊長、」
「レーザー狙撃、用意しろ」
「アイサー!」
双眼鏡の中の戦闘はすでに終わっていた。
女たち三人は、警察のバイクを強奪しエンジンを吹かしている。そこは正面玄関につながる道路の上だ。
正面方向は警察の担当範囲であることもあり、ドローンは配備していない。玄関につづく道路は来賓対応もあり念入りに除雪整備されている。奴らはその身体能力を十分に発揮できるだろう。
三名はバイクにまたがり、こちらに向かって走り出した。
「撃て」と宮本は命じた。
◇
シャンマオは目を見開いた。
隣で併走していた仲間のバイクが、突然発火し、爆発したのだ。乗っていた仲間がとばされて後方に落ちる。起き上がる気配はない。どんどんと小さくなっていくその姿から目を離して、前を睨みつける。
銃声も衝撃も感じなかった。しかし、それは明らかに攻撃だ。前方の施設屋上に殺意の色が見える。目を細めてそちらを凝視する。何かを構えている人影が見える。狙撃兵か? その色がまたギュッと濃くなる。
今度はもう一人の仲間のバイクが炎に包まれた。仲間の驩兜兵が炎上して叫び声を上げている。この攻撃は対象を燃やす。銃声はしないが、明らかに攻撃だ。慣れ親しんだ殺意が間違いなくこちらを狙っている。
シャンマオはバイクのアクセルをひねり、加速した。
その白い左目で前方の屋上を睨みつける。直感でこの攻撃が狙撃だと確信していた。銃声はないが、狙撃手に特有の殺意が見える。均一な灰色。まるで工場の壁面のような色だ。遠距離からの殺意は単純な色合いになりやすい。殺しが作業的になるせいだ。そんな色合いがあの屋上に見える。
屋上の灰色が、ギュッと濃くなる。
シャンマオはバイクから跳んだ。
同時にバイクが炎上して爆散する。屋上の色に困惑が浮かぶ。発射の間隔は10秒だった。目標は正面二階の部屋。距離は残り300m。私なら25秒で到達できる。つまり後、二回はあの狙撃を避ける必要がある。
シャンマオは地面に降り立つと同時に前に向かって走った。目線を前に置く。視界のあちこちで殺意が表れる。謎の狙撃の殺意だけではない、地表からも中距離の殺意が辺りから沸いてくる。すでに包囲されていた。
チッ
シャンマオを舌打ちをして、敢えてアサルトの射撃を無視して屋上だけに視線を集中した。アサルトの殺意が薄い。おそらく牽制射撃を行うつもりだ。足を止めるのが目的だ。であれば歩を緩めてはならない。運に身を任せて、当たらないことを祈るしか道はない。
あと、200m。
屋上の殺意がまた濃くなる。
横に跳んだ。さっきまでいたアスファルトの地面を炎の直線が切り裂いた、焦げ臭い匂いが鼻をつく。これは、まさかレーザーなのか? 自分の周りを銃弾の連射が叩いている。死地の隙間に自分はいる。殺意の色に囲まれて。視界がとてもうるさい。早く帰って、色のない部屋で一人っきりで静かに眠りたい。
また走る。
銃弾がすれ違っていく。運はいい。いくら殺意が見えても、これほどの面射撃を避けることは不可能だ。まだ当たっていないのは単純に運がいいだけだ。
残り、50m。
屋上には大きな装置みたいなものを構えている兵がいる。その色がまた濃くなった。
腰のハンドガンを抜きざまに、屋上に向かって数発撃った。全力疾走中の射撃精度は高くないが、狙撃兵はひるんだ。彼から殺意の色が引き、手元が狂った狙撃は、あらぬ方向の地面をレーザーで引き裂く。
残り、10m。
シャンマオは建物に向かって跳んだ。
壁面を蹴ってさらに伸び上がり、屋根に片手をかけて一気に乗り上げる。そのまま正面二回の大きな窓ガラスに身を投げて入れて、部屋の中に潜り込んだ。
そこは日本国首相の待合室だ。情報によると、総書記と首相の会談が行われているはずだった。法強もそこにいる。
「……あの布陣を突破してきたのか」
しかし、室内はがらんとしており、落ち着いた少年の声がした。
前を見ると見覚えのある顔が二つあった。白髪の美しい少年と片腕のない小柄な少女。部屋にいるのはその二人だけだった。
「シャンマオ……か。ロク、どうするつもりだ」
と、片腕のない少女が少年に問いかける。そいつは鬼子の副長だ。こいつの左腕は私が切り落とした。しかし、居るはずの総書記と法強はいない。私ははめられた!?
反射的に銃を引き抜く。
その瞬間、パシュッ、と発砲音がして手元のハンドガンがはね飛ばされた。
横合いからの銃撃。馬鹿な、二人の他に色などなかった。
視線を横に走らせる。そこには銃口が並んでいる。しかし、それを構えているのは人ではなかった。
わずかなモーター音をこぼしながら宙に浮いている飛行ドローンが二機。その銃口から伸びるレーザーサイトの赤点が、自分の体のあちこちを照らして這い回っていた。
少年の声がする。
「動けば自動的に射撃するようにプログラミングしてある。その目でも、機械の自動射撃は避けられないだろう。じっとすることだ」
「……なぜだ」
シャンマオがうめいた。この少年はどうして、
「お前のような、銃弾すら避ける相手への戦術検討はずっと前からしていた」
ロクは口を歪める。
「その中で、もっとも効率的でつまらない結論が、自立兵器による包囲飽和射撃だ。お前たちは何らかの方法で相手の意図を予測することができる。お前は悪意を見て、あの人は呼吸や気を読む」
ロクは、シャンマオに歩みよる。
「お前には確認したい事がある」
シャンマオは無言でロクを睨みつけた。ロクはその顔をのぞき込む。
「お前をここに呼び寄せたのは、法強だな」
シャンマオは絶句して息を止めた。目の前には美しい少年の顔がある。その瞳は澄んでいて、その悪意は薄い。この少年は落ち着いている。おそらく、自分がここに来ることを知っていた。
シャンマオの口がかろうじて開く。
「どうして、そう思う」
少年は、じっとこちらを見ながら、ゆっくりと口を開く。
「……技だ」
「技?」
「お前の技だ。お前が僕に見せた、あの寸勁だ」
シャンマオは思い出した。
鬼子の孤児院の屋上で、私はこの少年と女を相手にして少なからず追い込まれた。そこで、放った技が寸勁だった。この少年はそれをくらいながらも、ギリギリで持ちこたえた。
「あの寸勁は、榊と同じものだった」
少年の後ろで、鬼子の副長が怪訝な顔をする。少年は拳を握りしめて、その腕を前に掲げる。
「榊たちが法強から教わったのと同じ技の流れだ」
ロクは自分の拳をひらいて、そこに視線を落とす。
覚石先生との稽古で気がついた事がある。父親の技の源流は、間違いなく覚石先生の技だった。表面上は違うところもあるが、中心は同じだった。
そして……。
「受け継いだ技の流れは色濃く残り、なかなか消えないものだ」
僕のは、父さんの流れを受け継いでいる。
「お前の技は、法強の流れだ」
「……」
「四罪の暗殺者であるお前が、どうして法強から指導を受けている。そして、日中の機密会談の場所をなぜ知っている?」
「……法強上将は?」
「別の場所で首相と会談中だ」
シャンマオの顔が怪訝に歪む。
「そこまで知っておきながら、なぜ上将を……」
「法強が首相を害することはない」
ロクは開いた手を握りしめる。
「それは絶対に出来ない」
シャンマオはロクの断言を疑わなかった。この少年がそれほどに言い切るのであれば、ちゃんとした根拠があるのだろう。
ロクは目を鋭くし、シャンマオを睨む。
「答えろ。法強は何者だ?」
「……お前の予想通りだ」
ふぅ、とロクは息をついた。
「四罪と中国政府の二重スパイ」
シャンマオが目を閉じて、わずかに頷いた。
「馬鹿な!」と後ろで榊が声を上げる。
ロクはそれを手を上げて制止し、腕を組みながら指を顎に当てる。
ロクはようやく確信を得た。
法強には不思議なことが多くあった。若い頃は日本に留学し、軍事大学出身者ではないのに艦隊司令までに登りつめている。さらに、四罪の影響下がつよい軍部で数少ない総書記派の筆頭でありながら、四罪管轄の鬼子部隊とは頻繁に接触していた。しかも、四罪の暗殺者であるシャンマオに体術の指導まで行っている。
法強が二重スパイであれば、そんな矛盾した行動も不可能ではない。
そうであれば、重要なのは法強の真の所属だ。二重スパイはその性質上、双方に対して自由に被害を与えることが出来る。どちらに与するかは、そのスパイ個人の判断に委ねられている。
「法強は、四罪派なのか?」
「……分からん。それを確かめるために日本に来た。法強上将が日本に亡命した以降、三重の嫌疑すらかかっている」
「……」
ロクは黙り込んで思案を始める。
二重スパイには戦局を左右するほどの影響力がある。例えば、第二次世界大戦中にイギリスとドイツの二重スパイとして活躍したガルボは、有益な情報を提供することで両陣営から信頼を集めた。そして最後にノルマンディー上陸作戦の虚偽情報をドイツに流した。それを信頼したドイツ軍は本来の侵攻地点ではない場所に兵を配置し、アメリカ軍の上陸を阻止できずに、敗北することになった。
奇しくも、ナナの判断は間違ってはいなかった。まさに中国の命運を握っているのは総書記でも四罪でもない。その両者の間にたち、情報を操作しうる立場にあった法強だ。
ロクが思案に沈み込んでいく様子を見ていたシャンマオは、ゆっくりと口を開いた。
「ロク、とか言ったな?」
ロクは顔を上げてシャンマオを見た。
「お前に提案がある。これは四罪からの提案だ。本来であれば、日本国首相に直接伝える予定だったが、お前であれば問題はない」
シャンマオはゆっくりと口を開いた。
「四罪には、無色化計画を全面的に支持する用意がある」
ロクの目が、すぅ、と細くなった。
 





