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[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:遺伝子コンプレックス)  作者: 舛本つたな
[第三部]僕は35歳、ロクはとても頑張っているから
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[3-25]師

「父さん」と口をついて後、ロクは黙った。


 なんだい、と自宅のソファで寝そべっていた自分の父親は、相変わらず考えの薄そうな表情でこちらを見る。

 ロクは言葉に迷った。

 彼は首脳会議の準備に、ここ最近は多忙を極めていた。無色化計画の宣言、法強の暗殺への対応、そして土壇場での会場移動だ。

 やることは大量にあったのだが、結局のところ、それは今日で全て片付いてしまった。無理な計画など初めから建ててはいない。ギリギリで間に合うと見立てた結果は、開催の前日午後六時には整然と完了してしまった。


「どうだい? 会議の準備は」


 父親のその問いかけを無視して、ロクはその目の前に立つ。

 ここに至るまでには、いくつかの不測の事態があった。四罪の孤児院襲撃に、黒条会の事件への関与。

 黒条百合華は一ヶ月以上前からシャンマオと接触し、彼女から信頼を得ていたようだ。シャンマオは襲撃事件以降、黒条会の用意した隠れ家に戻り活動を再開している。彼女に仕込んだ発信器と、黒条百合華からの情報から、次の襲撃については把握できた。それゆえに、直前での会場変更だ。

 不測の事態はもう一つある。妙な事だった。榊たちからの協力の申し出があったことだ。彼女が言うにはニィからの指示があったらしい。四罪の遺伝強化兵に対抗することが出来るのは彼らだけだと言う。


「父さんですか?」

 ん? と布津野はロクの問いかけに首を傾げた。

「ニィに言ったのは」

「ニィ君?」

「榊が会議の護衛に協力すると言ってきたのです」

「……ああ」


 と、布津野は眉間を開き手を叩いた。ロクはため息をつく。


「やっぱりですか」

「いや、僕と言うわけではないのだけど、」

「じゃあ、誰なんですか?」


 父親は頬を掻いて、目をそらした。


「いや、ニィ君には、榊さんと話して欲しいと言ったんだけどね、」

 ロクは無言で続きを促した。

「そしたら、ニィ君がさ、ロクに協力してやれ、って言ったんだよ」

「ニィが?」

「うん、榊さんに」


 ロクは眉を寄せて口を歪めた。あのニィが僕に、協力を? それはどういうことだろう。何か理解出来ない気味の悪さがある。


「ニィは、」


 あいつは僕を恨んでいるはずだった。

 一年半前にこの拳を交わして殺し合った。寸止めの試合ではない。拳をとがらせ眼窩を砕き、かかとで踏み抜いて骨を砕き、間接を歪めて筋を断つ。そんな実戦を繰り広げた。目の前の互いを否定し合う。命の削り合い。互いに消えていなくなることを望んだ関係だった。

 悪かったのは、僕だ。

 と、今は思っている。でも、ニィから手を差し伸べてもらうつもりもない。それは何となく、とても嫌だった。あいつが守ろうとしたもの。それが僕には見えていなかった。そして、自分が殺そうとした彼らから、協力の申し出があった。僕は……。


「ニィは……」と息をつく。

 目の前には、あの時、全てを救った父親がいる。

「ニィ君は、元気だよ」

「そう、ですか」

「自分を探しているんだって」

「はぁ」


 ニィは自分を探している……。あいつの言うことも抽象的で要領を得ない。


「偽善者になりたいそうだよ」

 相変わらず、訳が分からない。

「ロクは何になりたい?」


 僕は……。この人は本当に脈略のない事をよく口にする。


「……父さん、今から、稽古をつけてください」

 ん? と、父親が首を傾げる。



 ◇

 自宅の地下室は、二十畳ばかりの稽古場になっている。稽古用の柔らかい畳を敷き詰めた空間だ。ロクは小さな頃からそこで、布津野から合気の手ほどきをうけていた。


 ここも狭くなったな、とロクは感慨にふけっていた。


 自分がまだ小さかった頃。父さんよりも身長が低かった頃だ。ここはとても広く感じられた。今では手狭に感じる。あの父さんを相手に稽古するには、間が足りないと思う。特に、地下室にあるせいで天井が低い。全力で飛び上がったら、頭を打ってしまうかもしれない。


「大丈夫なのかい?」

 と、父さんが腰にはいた袴を手で払う。

「明日は大切な会議なんだろう?」

「大丈夫ですよ。やることはやりました」


 ロクは、両足を大きく開いて足をぐいっと伸ばす。筋肉がやわらかく伸びてしなる。柔軟体操をしながら、自分の袴の裾を整えた。多分、今日の稽古は大切なものになる。分からなかったことが、分かるかもしれない。遠くにあるものの距離に検討がつくかもしれない。


「ねぇ、父さん。お願いがあるんです」

 つとめて、いつも通りの声で言う。

「なんだい。珍しいね」

 いつもの曖昧な笑い。

「僕と、仕合をしてください」


 曖昧な笑いが、すこし崩れて呆然に変わる。


「しあい?」

「全力でお願いします」


 右の半身を切って、父親を正面に見据える。

 気をぶつける。

 父さんは構えず、立ち尽くしていた。


「ロク、」

「お願いです」

「でも、」

 危ないよ、と言いそうになる父親を遮る。

「僕は強くなりましたか」

「もちろんだよ」

「だったら、」


 と、ロクは言い置いて、ゆっくりと息を吸って吐く。


「だったら、僕と戦ってください」

「ロク……」

「手加減とか、いい加減とか、嫌ですから」


 ロクは前に構えた自分の手が震えていることに気がついた。鼓膜の奥で、自分の声が震えている。

 もしも、父さんが本気で、僕と、戦ったら。


「本気で、お願いします」


 その絞り出した声は、

 父親を動かしたのかもしれない。

 ゆっくりと、目の前の師が腕をほどいて、前後に足を置いて、構えを作っていく。

 右半身。

 それは、自分と同じ構え。自分はそれを完全に模してきた。それを幾度も見て、相対し、なぞり、整え、盗んだ。それでもなお、目の前のその立ち姿は、何かが満ちるように美しい。

 気か。

 合気の技を解釈するときに、『気』と呼ばれる概念の実在を信じたことは一度もない。そのような思考停止的な解釈で、技への追求を誤魔化す気など毛頭もない。しかし、父親がまとう気配はなんだ。五感では解釈できない圧がある。


「ロク、」

 と声がする。

「いくよ」


 前か後ろか、右か左か、方向は分からないが、師はすでに動いていた。

 ロクの体はそれに反応して、はしっていた。

 動かしたのは右の前に置いていた拳。あの宮本さんさえ避けられなかった高速の直突き。それが繰り出されるよりも、はるか前に、

 師の二本指が、自分の頸動脈を押さえていた。


 !


 すでに、決着がついていた。

 二本指が頸動脈を圧迫している。首筋の自分自身の脈動が、どくん、どくん、と全身を震わせる。その鼓動が自分の窮地を告げている。その動脈はすでに止められていた。


 何も見えなかった。

 気がついた時には、父さんは動き終わっていた。

 自分は死んでいた。


 それはもはや技などではない。初動を隠したり、足を送ったり、ましてやフェイントによる視線誘導のような、そういった仕込みのある工夫ではない。

 まるで時を止められてしまったような非連続。

 過程を省略され、

 殺されたという事実だけが、

 目の前にある。


「ロク、」

 と、曖昧な笑い。

「本気は危ないよ」


 頸動脈の圧迫が開放されて、止まっていた時間が動き出す。時間は午後八時ごろ、冬が終わっていない季節の地下の稽古場は、底冷えしていた。だが、自分の体が凍てついているのは、気温だけが原因ではない。


「……何ですか?」

 無駄だと分かりながらも、聞かずにはいられない。

「何なのですか、今のは?」

 と重ねてみる。

「もらった」

 と、師は答える。

「ロクの呼吸にあわせて、もらって、かえした」


 いつも通り、意味は分からない父親の言葉。でも、確かな結果だけが目の前にあった。それを、意味不明だと断じてしまうほど、自分はもう子どもではない。


「呼吸とは、何ですか?」


 さあ、なんだろう? と師ははぐらかす。はぐらかされるのは嫌だった。急いで問い詰める。

「……あわせて、もらって、かえす。呼吸とは何ですか?」

「う〜ん」

「父さんの、感想でも構いません。教えてください」


 頭を下げて教えを請うことに、抵抗を感じなくなったのはいつからだろう。年齢を重ねることは成長することであり、同時に、自分には出来ないことを見つけることでもある。そんな皮肉を納得できるようになったのは、いつからだろう。


「間違ってても、大丈夫?」

「ええ」


 僕だって、取り返しがつかないくらい間違っていたのだから。


「……言葉に頼らないこと」

 と師は言った。

「あるがままにあること……」


 師は歩く。その歩く姿さえ、武の神髄が凝縮されている。その歩法の妙に気がついたのは、ごく最近だった。


「自分を取り戻すこと、大切なものを頭から体に返すこと、」

 師の歩みが止まり、こちらを見据える。その威容には吸い込まれるような気配があった。


「自分を広げること、相手と一つになること」

 すなわち、

「和合、ですか」

「和合すれば、殺すのは簡単」

 もしかしたら、と言って父さんは顔を上げる。

「殺さなくてもよいかもしれない」

 敵を殺すことの上位概念として、和合はある。

「合気とは、」

 師は笑う。

「きっと、言葉では説明できないものなんだ」


 ……結局のところ、


 師は情けない父さんで、大事なところで説明を諦めてしまう。そんな拍子の抜けた回答は、いつも物足りなくて、おあずけをくらっている。結局のところ、この人の次元に僕は追いつけていないのだ。


「父さん、」

 と口に出した後は、すらすらと続きが出てきた。

「お願いがあるのです」

「何だい?」

 父さんは嬉しそうに顔を崩した。

「明日の会議では、ナナは首相と随伴します」

「ああ」

「ナナと首相を守って欲しいのです」


 四罪の目標は法強と総書記であろうが、だからといって首相の警護をゆるめるわけにはいかない。万全を期すためには、ナナと首相の身を絶対的に保証しうる対策が必要になる。

 それに、父さんは首相のお気に入りだ。


「四罪の襲撃がナナと首相に及ぶ可能性もあります。お願いできませんか」

「うん、分かった」


 父さんは大きく頷いた。


「珍しいロクのお願いだからね。頑張るよ」

「お願いします」

「任せてよ」


 父さんは、本当に嬉しそうに笑っていた。


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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

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