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[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:遺伝子コンプレックス)  作者: 舛本つたな
[第三部]僕は35歳、ロクはとても頑張っているから
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[3-24]ニィ君

 孤児院の自分の部屋で、布津野の携帯端末が鳴った。

 その端末のディスプレイには『ニィ君』と表示されている。予想と期待どおりに思わず口元がほころぶ。すぐにボタンを押して耳に当てると「やあ」とといかける。


「どうしました?」

 すこし捻くれた感じのする少年の声。

「ん?」

「なんだか嬉しそうですね。もしかして、俺の電話が楽しみだったとか」

「ああ、そうだよ」

「……そう、まっすぐ来られると困りますね」


 ニィ君は感情が豊かでユーモアいっぱいの子だ。少し意地の悪いところがあるが、愛嬌あるせいか、あまり気にならない。ロクとは外見はそっくりなのに、性格は正反対だと思う。


「それはそうと、布津野さん」

「なんだい」

「アメリカほどちぐはぐな国はありませんね。この国では、貧困であるほどに肥満になる傾向にあるんですよ」


 布津野はニィがやや斜めからものを見て語るのを、いつも楽しみにしていた。

 ロクとは違って、ニィ君は話題をあちこちに飛ばす。日本の天気について質問したかと思うと、ヨーロッパの金融市場の動向を解説し出すようなことは何度もあった。

 本当に、彼はロクとは違うのだなぁ、と布津野は笑う。品種改良素体と呼ばれる彼らが、これだけ色々な性格をしていることが、なんだかとてもうれしかった。

「貧乏なら食べられないのに、太るわけがないよ」

 話に乗ってみる。

「その通りです。もっと言えば、貧乏だからといって肥満になる必要もない」

「では、なぜ肥満になるのかな?」

「食べるからですよ」

 当たり前のことを、ニィは言う。

「食べることしか出来ないから、とも言えます」

「つまり?」

「アメリカが文化的に未熟だということです」

「……よく分からないのだけど」


 そうでしょうね、とニィ君が耳元で得意気につぶやく。


「ここには食料だけはある。芋を油で揚げて塩をまぶしただけのジャンクフードなら捨てるほどにね。最低限の生活は保障するという先進国としての見栄と、炭水化物に油をまぶしたものを食文化と思い込んでいる文化的未熟。結果、貧乏人はそれを食べて肥え太り、ぶぅぶぅと不平の鼻を鳴らす。アメリカはまさに新興国。横に広いだけで、深さがない。文化が貧弱なんです」

「いいことじゃないか。食べることすら出来ない国はたくさんある」

「食べていれば幸せだろう、と言えるならそうですね」

「お腹がすくのはつらいよ」

 布津野は、ふと、冴子の料理を思い出した。

「……でも、どうせ食べるなら美味しいのがいいね」

「ええ、油とポテトと塩の混合物を最低限と定義する国。それがアメリカ合衆国です」

「日本の最低限って何だろう? 味噌汁に玄米かな?」

「塩分が気になりますが健康になっちゃいますね。イタリアでしたら、もっとすごいでしょうね。パスタ、魚の蒸し物、豆のスープ。もしかしたらワインもついてくるかもしれない」

「ワイン! それが最低限に含まれるの?」

「可能性はありますよ。何せ、イタリアにとって食事とは栄養を補給することではなく、文化を楽しむことですから」

「へ〜」


 ふふ、とニィは笑う。

 曖昧な間が二人の間に流れる。どうやらこの話は一区切りついたらしい。


「どうですか? そちらの状況は」とニィ君が話題を切り替えた。

 さて、と布津野は躊躇したが、何となくそのまま話してみることにした。

「実は、スーザイの人たちが法強さんを暗殺に来たのだけど、」

「ん? もしかして中国の四罪スーザイのことですか?」

「ああ、ニィ君は知っているのかい」

「それはもう。俺も何度か殺されそうになりましたからね」


 ニィ君が珍しく驚いたように言うのを聞いて、布津野は少しだけ得意になった。


「それで、どうなりました?」

「なんとかみんなで追い払ったよ」

「みんな?」

「孤児院のみんなとか、それにロクもね」

「……」


 つかの間に空いた沈黙に、言葉にできない複雑な感情を布津野は感じた。

 しまったな、と少し後悔する。ロクの名前は出すべきではなかったかもしれない。でも、ロクがみんなと頑張ったのは確かなのだ。気まずい流れを誤魔化すために、次の言葉を急ぐ。


「それで、そう、シャンマオっていう女の人が来てね」

「シャンマオ、あの白眼のですか?」

「そう、目が白い」

「被害は?」


 ヒガイ? と布津野はニィの問いかけの意味がいまいちよく分からなかった。


「負傷者と死傷者の数です」

「ん、ああ。いないよ。大丈夫」

「そう、ですか」


 良かった、と小さく呟くニィの息が聞こえた。布津野はくすぐったくなった。この皮肉屋さんは何だかんだ言ってみんなのことを心配しているのだ。

 ふと、布津野は思うことがあった。


「ねぇ」

「なんですか?」

 続きを躊躇する。でも、もう一年以上も経ったのだ。

「榊さんたちと話してみない?」

「……榊ですか」


 声のトーンが落ちて、しばらくの沈黙が続いた。


「迷惑だったかな?」

「いえ、まぁ……」


 布津野は、失敗したかな、と思い直した。

 彼が日本を去ってしばらくにたった。彼と一緒にいたかった子たちは、まだ不安に思っている。自分たちは置いて行かれたのだとか、自分たちはニィ隊長の足手まといだったのかとか……。そんな不安を振り払うように、必死に稽古を重ねる彼らの姿を毎日見てきたのだ。


「また、今度にしようか」

 布津野はなるべく明るい声で切り替えようとした。

 それをニィが遮る。

「いえ、そろそろ潮時でしょう」

「……そう思える?」


 ふふっ、とニィが携帯の向こうで忍んで笑った。


「……貴方は、本当に相変わらずですね」

「え、何が?」

「相変わらず、鬼畜です」


 ハハッ、と布津野は笑った。どうやら、いつものニィ君に戻ってきたみたいだ。もしかしたら、今なら教えてくれるかも知れない。


「どうして、行ってしまったの」

「なるほど予行練習ですね」

「予行練習?」

「ええ、榊たちに同じことを聞かれた時の予行練習」


 そこまで分かっていながら、ニィ君は一人で行ってしまったのだ。


「じゃあ、どうして一人で行ってしまったのですか?」

 榊さんの口調を少しだけ真似て、問いかけてみる。

「政府の密命だったから、口外出来なかった」

「本当は?」

「……貴方は本当に、残酷だ」


 ニィ君は呼吸を置く。


「自分を探しに、と言ったら貴方は笑いますか?」

「見つかったのかい?」

「笑ってくださいよ」

「戻ってきなよ」

「やっぱり、偽善者。優しいふりをして、酷なことを平然と言う」


 どうやら随分と青春に悩んでいるらしい。年齢相応のニィ君は、ロクとは違う弱さがあって、見ているだけでハラハラしてしまう。


「俺は……」とニィが言いよどむ声を、布津野はじっと待った。「あいつみたいに、綺麗じゃない」


 多分、あいつと言うのはロクのことだろう、と布津野は黙って耳を傾けていた。


「綺麗な答えなんて、俺にはない。政府のために、国民のために、誰かのために、生きることなんて俺には多分耐えられない」

 ねぇ、とニィがこちらに問いかけてくる。

「布津野さんは、何のために生きているのですか」


 また難しいことを聞かれたものだ、と布津野は困ってしまった。


「多分、僕には何もないよ」

「何もない?」

「ああ、これが普通の人なら。僕が最適化を受けていたなら……」


 頑張れば何かを成し遂げられる人間だったら……。きっと色々試行錯誤して、自分が出来るようになった物の中から選ぶこともできただろう。


「まだ若いんだからさ。色々やってみて出来た物から選びなよ。ニィ君ならきっと選びたい放題だよ」

「……もし、ですよ」

「うん?」

「もし、俺が、」

 すぅ、とニィ君が息を整える。

「偽善者になってみたい、と言ったらどうします?」


 偽善者? またニィ君の独特な冗談だろうか。


「ダメだよ。そんなの」

「……やっぱり、貴方は愚か者だ」

「酷いなぁ」

「この馬鹿者」


 と、小さな声でニィは呟いた。



 ◇

 布津野は榊の部屋の前に立ち尽くしていた。


 つい先ほどの電話で、ニィが榊と話すことを了承してくれたばかりだ。早速、榊を呼んでこようと思ってここまで来たが、いざ女の子の部屋を目の前にすると、どうしたら良いのか分からず立ち往生してしまったのだ。

 年頃の女子の部屋からは、おじさんを拒絶する結界みたいな威圧感を感じる。普通にノックしてもいいのだろうか、それとも事前に連絡を入れるべきだったのか。でも、せっかくニィ君が……。


 そうだ、一度戻って榊さんに電話をしてみよう。


 いくぶん冷静になった頭が名案を思いついたので、布津野は一度退散しようと後ろを振り向く。


「何やってるんですか? 布津野さん」

 目の前には、榊が立っていた。

「人の部屋の前で、立ちっぱなしですよ」

「榊さん、ちょうどよかった」

 布津野は少し気まずい思いをしながらも、ほっと胸をなでおろす。

「実は用事があったんだ」

「用事がないのにそこに立っていたのなら、困ったものです」

「ああ、本当に」

「で、なんでしょう」


 布津野は左右を見て、他に人がいないことを確認した。そして、わくわくしながら、口をほころばせる。


「ニィ君が今なら榊さんと話せるってさ」


 榊の反応は遅れた。

 目を少し見開いて、はぁ、と息をこぼした後に、は?、と疑問をのみこんだ。


「えっ?」


 ようやく、声に出せたものも、言葉になってない。

 布津野は満足だった。なんだろう、若いっていいな。青春っていいな。もう、こみ上げてくる甘酸っぱさで、ほっぺがこぼれ落ちそうだ。ロクやナナにもこんな感じのイベントないのかな。僕は、ロクはモテない、なんて絶対に信じないから。


「みんなには内緒だよ。僕の部屋まで来てくれるかな?」

「……はい」


 少しうつむいた感じで、榊はそう答えた。


 ◇


 布津野の部屋に入った榊は、頭の空白に戸惑っていた。

 布津野さんが携帯を差し出す。そのモニタには「ニィ君」と表示されていて、その下には通話ボタンがあった。そうか、布津野さんにとっては、あのニィ隊長はニィ君なんだ。

 その表示に視線を落としたまま、なかなか手が出なかった。


「どうしたの?」と布津野さんの声。


 どうしたのだろう。ニィ隊長が目の前にいる。私たちを置いて、一人で行ってしまったニィ隊長。そして、毎週のように布津野さんとだけは、おしゃべりを続けていたニィ君。この電話の向こうのニィは、どっちのニィなのだろう。

 布津野さんを見上げると、緩い笑顔を浮かべている。

 ああ、ニィは私たちのニィ隊長であることよりも、布津野さんのニィ君になることを選んだのだ。


「あの、」

 と、布津野さんに問いかけてみる。

「ニィ隊長とは……普段、どんな会話を、」

 ん、と布津野さんは首を傾げて、ゆっくりと顔を優しくしていく。

「びっくりさせた?」


 ……そうかも、しれない。


「ごめん。いきなりだったから話したい事とか用意できてないよね」

「いえ、そんな」


 それは、少し違う気がする。

 仮に、あらかじめ予定されていたとしても、ニィ隊長に話したいことなんて私にはなかった気がする。仮にそうだったら、きっと私は、メンバーにニィ隊長への連絡事項を聞いて回って、必要不要を整理して、要点をまとめて報告しただろう。私自身がニィ隊長に伝えたい事なんて、いくら考えても浮かんでこない。

 ニィ隊長に焦がれ続けたこの気持ちは……。


「そういえば、榊さんにお願いしたいことがあるんだ」

 なんですか、と私は布津野さんにすがってしまう。

「僕の代わりに、ニィ君に聞いて欲しいことがあるんだ」

「ええ」


 ちょうどいい、と安堵する自分がいた。


「ロクから頼まれたのだけど、ニィ君に四罪のことを聞いて欲しいんだ」

 布津野さんは頭を掻いて「さっきまで電話していたのだけど、聞き忘れてしまってね」と言い訳を始める。

「ロクからの依頼ですか?」

「ほら、あの二人は仲が悪いから、そこらへん上手くして聞いてくれない?」

「四罪について、ですか。私もいくつか把握していますが、なるほど、ニィ隊長はその中枢に出入りもしていました。色々とご存じでしょう」

「榊さんも知ってたの?」

「ええ、この腕は奴らとの戦闘で失ったものです」


 榊は、空の右袖をヒラヒラと振ってみせた。

 中国からの脱走中に、我々は四罪の部隊からの追跡を受けた。追跡部隊には感知に優れたシャンマオもいた。ニィ隊長の指揮がなければ、我々は全滅していただろう。


「……そうだったんだ」


 言葉を失っている布津野さんを横目に、用件を与えられて安堵する自分がいることに気がつく。

 自分には何もない。何もなかった。布津野さんが理由を与えてくれた。それも、ニィ隊長としての理由だ、ニィ君じゃない。私たちのニィ隊長とのつながり。


「任せてください」


 頭のなかの空白が奥のほうに引っ込んでいく。

 渡された携帯端末のモニタに表示された通話ボタンをタップする。

 耳元で鳴る、呼び出し音が一回、二回、三回……。伝えるべき論点を頭の中で切り分けていく。ニィ隊長が判断しやすい状況を構築するために、私の体が動いている。私は副隊長。失った左腕は隊長に捧げたのだ。


「榊、か?」


 懐かしい声。


「ハッ、榊副長であります」と腹から声を出す。

「そうか、副長か……」

 そう、私は副長……。

「ニィ隊長にご報告したいことがあります」


 携帯からの声が途切れる。

 その無言は、奥に引っ込んだはずの私の空白を引き上げていく。それを押し戻すように、私は言葉をかぶせた。


「一週間前、日本時間の二三〇〇フタサンマルマルごろ、我々はシャンマオ率いる部隊の包囲攻撃を受けました。こちらの死傷者はゼロ。その後、法強上将は日本政府の監視下から離れ、総書記と合流する模様です」

「……そうか」


 と、ニィ隊長の声が鼓膜をふるわせる。


「ニィ、よろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「ロクからいくつか確認事項を預かっています」

「ふん」


 それはニィ隊長には珍しい、すこし子供っぽい感じの反応だった。


「どうやら、あいつは面向かって質問することさえ難儀のようだ。まぁ、実際に対面されても、こちらとしては難儀どころか嫌悪しかないが……」

「いかがしますか?」

「まぁ、いい。答えてやろう」

「では、確認事項をお伝えます」

「いや、それはいい。予想もついているしな。ロクが欲しがっている情報は、俺から布津野さんにデータで送信しておこう。同じものを榊にも送っておく。何かあればフォローを頼めるか?」

「はい、おまかせください」


 一息ついて、目を閉じる。

 昔と同じ、隊長の素早い果断、それに必死に付き従う私たち。生き残るための唯一の綱は、その判断を実現することであり。私たちはまさに一体となって連続していたのだ。

 その連続はまだ続いているのだ。


「榊副長、」

「はい」と私は反射する。

「これより、お前はロクをフォローしてやれ」

「了解しました」

 疑問は挟まない。

「もし、あの馬鹿が拒否をすれば、布津野さんの指示に従え」

「了解」


 一体となった私たちには否定も拒否も存在しない。そんな隙間が許される状況に私たちはなかった。ニィ隊長が間違えば、私たちは死ぬ。その判断を盲信して、反射的に私たちは動く。どうせ、ニィ隊長がいなかったら、みんな死んでいたのだから。


「相手はあの四罪だ。主要国首脳会議も近い。やつらの目的は法強だが、もっと別の意図もあるはずだ。現時点で四罪に対抗しうるのはお前たちだけだ。GOAには対四罪戦の経験がない。あれと戦うには少しコツがいる」

「了解」


 昔の感覚がようやく戻ってくる。私たちに不可能はない。ニィ隊長に率いられた我々は無敵だった。GOAごときに取られる遅れなど、微塵もないのだ。


「訓練は続けているか?」

「はい。射撃は許可されていませんが、近接を中心に」

「ほう」

「教導は布津野さんです」


 そうか、そうか、とニィが嬉しそうな声を上げる。その声も、すこし子供っぽい感じがした。


「また、会えた時に俺にも教えてくれ」

「はい!」


 また会える日は、必ず来る。


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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

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