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[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:遺伝子コンプレックス)  作者: 舛本つたな
[第三部]僕は35歳、ロクはとても頑張っているから
69/144

[3-22]女の子

 ロクは法強の顔をじっと見つめて確認した。


「つまり、今回の件は四罪という組織の仕業だと」

「ああ」と法強はいつもの様子で重々しく頷いた。


 ロクは唇に手をあてて眉をひそめた。


「四罪とは何者なんですか?」

「その母体組織は、先端戦術検討委員会だ。主に対日戦術研究を行う研究機関だ。……鬼子実験部隊を設立し、あの孤児院の子どもたちを虐げてきたのも彼らだ」

「……」


 沸いてきた感情を、ロクは奥歯を噛んで耐える。刺すような不快感の正体に戸惑った。

 榊たちを苦しめた元凶が四罪と呼ばれる組織だった。その事実を目の前にして、自分が四罪に憤るのは違う気がする。自分だって、彼らを殺そうとしたのだ。奴らと自分は同じはずだ。それを棚にあげて、沸き上がる怒りらしき感情と榊たちへの哀れみの正体こそ、いったい何なんだ……。

 ロクは巡る気味の悪さを振り払って、法強に問いかける。


「四罪、確か中国神話の四人の悪魔のことでしたか……」

 ロクはじっと法強をみた。

 法強は固く閉じた目をゆっくりと開けて、ロクを見返す。

「祖国では昔から遺伝子強化の実験が行われてきた。日本の最適化よりもずっと前からだ」

「……」

「もう五十年以上前に先端戦術検討委員会は四つの遺伝形質を発見した」

「四つの遺伝形質?」

「軍事利用を目的とした遺伝形質」


 いつだって、技術革新の裏にあるのは軍事目的だ。それは世界共通で、GOAに施された戦闘特化調整も性質的には同じだ。


「あのシャンマオという白眼の女も?」

「ああ、あの目は三苗サンミャオ型の形質だ」

「三苗?」

「……あれこそが、四罪が強い影響力をもつ一因だろう」

 法強は唸って首をふる。

「あの白眼は、人の悪意を見る」

「人の、悪意?」


 ——お前の殺意は見えている。


 そう、あの女はそう言っていた。

 僕はあの白眼に翻弄されたのだろうか、そうであれば、父さんはどうやってあの女を圧倒できたのだろうか。

 ロクが思考に沈んでいく中で、法強の声が響く。


「シャンマオは、三苗の白眼とガンの体をもった雑種ザージャンだ」

「雑種?」

「複数の遺伝形質を同時にもって生まれた合成個体のことだ。成功率が低いため個体数も少ない。俺もシャンマオくらいしか知らん」


 神話では四罪には、共工、驩兜、鯀、三苗の四人の悪魔がいる。四つの軍事目的の遺伝形質をこの悪魔たちになぞらえたのだろう。シャンマオに率いられた二人の獣のような兵を思い出す。彼らはビルの壁面を駆け上がり、異常な跳躍力を見せた。法強は彼らのことを驩兜兵とよんだ。


「しかし、研究チームごときがそれほどの影響を持てますか……」

 ロクのその疑問を、法強は鼻で笑った。

「お前が疑問に思うことではなかろう。日本こそがその最たる例だ。研究機関が品種改良素体を生み出し、その素体たちが今の政府を運営している。今のこの日本政府のあり方こそが、四罪に支配されつつある祖国の将来の姿だ」

「……」


 正論だな。とロクは無言で同意せざるを得なかった。優秀な遺伝子を持つ個体を産み出し、複雑な政治問題を解決できるよう育成し、彼らが各国で紛争解決に連携をとり恒久平和を実現する。それは無色化計画のスコープの一つだ。その過程で、素体研究を行う機関が政治的影響力を持つこともあるだろう。

 しかし、と法強は口をついてロクの美しい顔を見る。


「悲しいかな。祖国の遺伝子強化は、お前のような人間を生み出すためではなかった」

「つまり?」

「お前のような、次世代の人類を創造する、という理念がなかった。祖国のそれは単純に軍事目的の身体能力の強化だった。そのため、強化個体の寿命は短く、お前達のように美しくも出来ていない。社会適応性など度外視されていたのだ。中には異形な姿で生まれるものもいる。あの驩兜兵や三苗の白眼のようにな」


 ロクは驩兜兵の二人の姿を思い出す。背を丸めて獣のような四つ足で駆け回っていた。察するにおそらく骨格レベルから現在の人類とは違った身体構造になっているのだろう。あのシャンマオの白眼にしてもそうだ。彼らのような形質は、日本の最適化研究ではポリシーの例外として見なされるだろう。


「当然だったのかも知れんな。軍事目的の祖国には悪意を見る白眼が生み出され、人の未来を夢見た日本では善意を見る赤い瞳が生まれた」


 ナナの異能は人間性の色を見分ける。しかし、彼女は言っていた。嫌な人には色が見えない、良い人ほど色が濃い、と。彼女が見る色は少なくとも悪意ではない。


「俺が四罪について知っているのはそんなところだ」

 法強はそう言って、背を椅子に預ける。

「より詳しいことを知りたければ、ニィに聞くがいい」

「ニィに?」

「言ったろう。鬼子の部隊は四罪の管轄だった。その小隊長だったニィは、奴らに精通している」

「……」

 黙り込んでしまったロクを、法強は口を歪めて笑った。そのまま、「ロクよ」と呼びかて、背筋を伸ばして座り直す。

「俺は総書記のもとに戻ろうと思う」


 いよいよか、とロクは頭を切り換えて法強を見直す。


「……決断しましたか?」

「いや、まだ迷ってはいる。しかし、総書記に伝えることが多くある。主要国首脳会議の開催は一週間後だ。総書記はその数日前から日本に入国するだろう。シャンマオが日本にいるなら総書記の命も危ない」

「……そうですか」


 ロクは法強の表情を窺った。

 それはいつもの堅い表情で、内心を見分けることなど出来ない。総書記の命を気遣うということは、総書記は反四罪派ということだろう。中国国内の対立構造は、日本における政府と純人会の対立関係に似ているのかもしれない。


「日本政府から中国外交筋を通して、正式に貴方の引き渡しを申し出ることもできますが」

「それには及ばない。四罪の網がそこに張ってある可能性もある。俺にもそれなりの伝手つてというものがある」

「……わかりました」


 法強は立ち上がった。そして、ロクに向かって手を差し伸べた。それは握手を求める形をしていた。


「監禁という形ではあったが、お前には色々と教えられた。礼を言わせてくれ」


 ロクも立ち上がって、その手を取る。

 節くれ立った岩のような手だ。父親の手にどこか似ていた。十分に鍛錬をつんだ男の手だ。


「出来れば、貴方から寸勁を教えて欲しかったです」

「寸勁? ああ、あれはなかなか難しいぞ。しかし、お前であれば良い師につけば習得できるだろう」

「良い師、ですか。ご紹介いただけますか?」

「実戦レベルの寸勁を伝授できる師など、祖国でもほとんどいまい。機会があれば俺が教えよう。ニィや榊にも俺が教えたものだ」

 ロクの目が細くなる。

「ええ、楽しみにしています」


 二人は手を握り合って、そして別れていった。



 ◇

「どうしてついて来たのですか?」


 ロクは振り返って、後をついてきた自分の父親を睨みつけた。布津野は頭をかいて緩く笑う。


「ほら、今回は百合華さんに助けて貰ったから、お礼をしないといけないし……、それに壊れてしまった車のことも弁償しないと」

「父さんがいると、色々と面倒くさいのですが」


 ロクはため息をついて頭をふる。これから黒条会の本部に乗り込んで、黒条百合華にことの真意を聞き出すところだった。

 ただでさえ厄介な相手と交渉しなければならないのに、父さんと一緒なのだ。これは面倒だな、とロクは頭をふりながら、それに、と言い添える。


「あれは装甲車ですよ」

「へぇ」

「真田さんが言うには、彼女の専用車だったそうです」


 布津野は、ロクの言わんとする事が分からずに首を傾げた。

 ロクは、ため息を一つだけつく。


「……概算で、三千万円」


 布津野の表情が凍り、二人の間に沈黙がゆっくりと横切った。やがて、布津野は表情をぼろぼろと崩して、口を開く。


「ロク……お金貸してくれないかな?」

「構いませんが……」とロクは肩をすくめる。


 幼い頃から政府の要職についていたロクは、それなりの年収を得ていた。額面にすると年に二千万円になる。普段から忙しくしていたし、趣味も合気道だけだったので使い途はなかったので、貯金として腐らせている。余裕があれば資産運用をしたほうが良い事は分かっていたが、資産を増やしても運用が面倒になるだけだ。

 結局のところ、その給与から所得税や保険料を差し引いたものが、そのまま残高として積み上がっていた。三千万円程度であれば、問題なく捻出できるだろう。

 ちなみに、布津野の年収はロクのよりもずっと低い。


「でも、あれはどちらかと言えば経費ですから」

「え?」

「政府予算から捻出することもできますよ」

「本当に?」

「ええ、黒条会に直接現金を渡すと問題になりますから、方法は考えますが……。念のため一億相当は渡しておきましょう」

「一億!?」

「黒条百合華に借りを作るのは恐ろしいですからね。三倍くらいに返しておくのが安全でしょう。何にせよ、弁償の件は僕のほうで進めておきますよ」


 ほっ、と安堵の息を下ろした父親から視線を外して、ロクは前を向く。そこには広大に敷地を広げる日本家屋の門がある。その支柱に掲げられた木板には、黒条会本部、と墨字で大きく書かれていた。

 父さんがいると、本当にややこしくなるから面倒なのだけど……。

 と、ロクはため息を飲み込んで頭を振り払う。先日の事件に黒条百合華が関与していることは確実だ。今のところ、彼女が敵なのか味方なのかは不明瞭である。もしかしたら、単なる面白半分でこの件に関わっている可能性すらあるのだ。

 それを確かめるための会合だった。この重大な局面に、自分の父親が同席することがかなり不安だ。彼女の父親に対する執着は度が過ぎている。


「……本当に、ついて来るのですか?」

 ロクはもう一度確認した。

「ああ、なるべく邪魔はしないよ」

「そうですか」

 信じられませんが、とロクはため息を吐きながら大きな門を押した。


 ◇

「兄様、ようこそおいでくださりました」


 黒条百合華は膝を折りたたみ、三つ指をついて布津野に頭を下げた。

 また凄い格好だな……と、ロクの口がへの字に歪む。彼女は玄関の踊り場に正座を整えて、深々と頭を下げている。覗く白いうなじは、おそらく父さんに見せているのだろう。

 彼女が身につけているのは黒の下地に銀糸を這わせた着物だ。帯のしつけが完璧で、眼を凝らさなければ分からないほどに細かな装飾細工が施されている。豪華ではあるが気品がある。おそらく一品ものだろう。その衣装にかけた費用は装甲車の一台分よりも遙かに高かったはずだ。


「お久しぶりです。百合華さん」と父親の暢気な声が場違いだ。

「そんな、ここは兄様の家のようなもの。ご遠慮されず、もっとお越し頂ければ良いのに……」


 ハハッ、と曖昧に濁して父さんは黒条百合華の隣に腰掛けると、靴を脱ぎだした。彼女は脱ぎ捨てられた靴をそつなく手にとって揃える。

 ロクはその光景を、ある気味悪さを覚えながら眺めていた。国内最大の、いや世界的に見ても最大規模の裏組織である黒条会。そのトップ自らが、まるで家政婦のように甲斐甲斐しく父さんの身の回りに配慮している。それは、ごっこ遊びだ。黒条百合華は今、父さんの妻を演じている。


「ありがとうございます」と父さんが言う。

 黒条百合華は細かい髪飾りをしゃらしゃらと鳴らして、それを振り払った。

「あの、」と父さんが声を改めた。「先日は助けて頂いて、」

 その言いかけた言葉を、黒条百合華は父さんの手を取って遮った。

「こちらこそ申し訳ございません。私の対応が遅れてしまい、兄様をわずらわせることになりました」

 まるで、あたかも、しおらしい女かのように、黒条百合華は目を伏せた。

「いえ、本当に助かりました。おかげでみんな無事です」

「あら、良かったですわ。さすがは兄様です。真田から聞いた話ですと、喧嘩をされたそうですね」

「喧嘩?」と父さんは呆けた声をあげる。

「ええ、大立ち回りだとか。あの白眼の山猫はいかがでしたか?」


 ロクは愕然として耳をそばだてた。百合華の様子に辟易へきえきしながら玄関の隅で靴を脱いでいたところだ。やはり、黒条百合華はあの襲撃に関わっていた。そうでなければ、あの白眼の女が山猫と呼ばれていることを知っているわけがない。


「山猫? もしかして、あの女の人のことですか」

「ええ、どうやらロク少年は負けてしまったみたいですが、」


 百合華は、隅にいたロクを横目で流し見た。

 ロクはぐっと口を引き結んで、百合華を睨みつけた。負けた訳ではない。勝負の途中で父さんに邪魔されただけだ。

「そんな事は、」

 と、言いかけてロクは口を閉ざす。

「あら、どうしました? ロク少年?」


 百合華が興味深そうに輝かせる瞳から、ロクは視線をそらした。

 これから彼女を交渉相手にして戦わなければならないのだ。余計な事で心を乱されてどうする。彼女の父さんへの媚びた振る舞いだって、こちらの動揺を引き出す芝居の可能性だってあるのだ。彼女はそれくらいのことなら、息をするように自然とやってのける。


「……さっさと始めましょう。僕は先に部屋に入っています」

「どうぞ、」と百合華は言い捨てて周りに控えていた使用人に声をかける。「ロク少年を応接間にお通しして」


 ロクはかしこまった使用人に案内されて、屋敷の奥へと歩いて行った。背後からは猫が甘えるような百合華の声がする。どうやら、そこでしばらく父さんとたわむれたいようだ。ナナがこれを知ったら一気に不機嫌になるだろう。

 案内された応接間のソファに腰を下ろすと、ため息が、はぁ、と押し出された。片手で頭を抱えて、これからのことに頭を痛める。

 法強が日本政府を離れて数日が経過していた。おそらく、主要国首脳会議のために日本に前入りしている総書記との接触を図っているだろう。そこで彼が無色化計画について賛同するように説得できるかが今後の焦点となる。

 宇津々首相は会議で無色化計画を公表する予定だ。遺伝子最適化技術の公開とその施術技術の全面的な支援を発表する。これに賛同し受け入れる主要国がどうしても必要になるが、宗教的理由から欧米各国の賛同は得られないだろう。ゆえに中国の受け入れ表明は是非とも獲得したい。

 この状況で、さらなる懸念が一つ追加されたのだ。

 総書記派と対立を深める四罪という組織が暗躍している。先日の事件で、法強暗殺を謀ったと思われる四罪の小隊を確保できたことは大きい。その装備や通信端末を解析することで、状況を把握することが出来た。彼らは相当の戦力を国内に潜伏させていた。

 数年前の純人会との闘争をへて、国内の防諜体制は徹底している。本来であれば、この東京周辺にあれほどの戦力を展開するのは不可能なはずだ。

 つまり、彼らにはそれを可能にした国内の協力者がいるはずだ。

 すっ、と応接間の障子が開かれる。

 ロクはそこに現れた黒条百合華を座ったまま睨みつける。

 おそらくその協力者こそ、この黒条百合華だろう。黒条会の実力と裏社会のネットワークを駆使すれば、政府の防諜監視網をかいくぐることだって不可能ではない。

 ロクは、百合華が布津野を案内してソファに座らせるのを、じっと待った。そして、彼女が向かいに座ると同時に口火を切る。


「四罪の部隊を国内に手引きした理由はなんですか」

 うんざり、とした表情を百合華は浮かべる。

「随分と前のめりね」

「緊急の事態です。貴方の言葉遊びに付き合っている余裕はありません」

「あら、自分の余裕のなさがゆえのツケを、相手に求めるなんて子どものやることよ。ああ、貴方はお子様でしたね。ロク少年」


 ロクは表情を変えずにまっすぐと百合華を見る。彼女がこのように自分をあざ笑うのはいつもの事だ。いちいち気にしてはいられない。


「何を企んでいるのです」

「さて」と百合華はその細い指でこめかみを撫でる。

「答えられませんか?」

「答えたくはないわね」


 ロクはため息を飲み込んだ。厄介な相手だ。彼女の思考は合理性に欠け、予測できない行動が多い。今回の件だって、四罪の部隊を手引きしたかと思えば、父さんに協力して幹部の真田を派遣している。行動性に一貫性がない。結局、彼女は何がしたいのか。


「どこで四罪と接触したのですか?」

「ロク少年? 少しいいかしら」

 百合華はロクを遮る。

「先ほどから、当たり前のように質問を重ねているようだけど、どうしてなのかしら」

「……」

「どうして、貴方は私が答えるのを当然のように考えているのかしら?」


 本当に厄介だ、とロクは頭を抱えたくなるのを必死で堪えた。

 二人の間にひりつくような沈黙が広がる。

 その緊張感に耐えかねたのは、先ほどからロクの隣で黙って見ていた布津野だった。


「あの、」と彼が声を発した矢先に、

「何でございますか、兄様」


 と、百合華がすぐに応じた。先ほどまでの剣呑な様子はつゆもない。媚びるように声を湿らせて、笑みで顔をほころばせていた。

「あの、先日は百合華さんのお陰でみんな無事でした。ほら、襲われた時に、電話で教えてくれたじゃないですか。それに車も」


 ロクは思わず自分の父親の方を振り向いた。百合華から直接連絡があったことは初耳だ。どうして、そんな大切なことを自分に言わないのか。

 いいえ、いいえ、と百合華は少し大げさなくらいに首を振って見せる。


「あの程度のこと、何でもありません」

「それと、車の弁償代のことですが、」

 そう切り出そうとした布津野を、百合華は押しとどめて頭を下げた。

「大変、申し訳ありませんでした。あのような安物しか手元になく、結果として兄様のお手を煩わせることになってしまいました」

 あ、いえ、と布津野は戸惑って、「弁償なんですが、」と追いかける。

「結構です」と百合華は少し強めに言い置いて「無粋なことは言わないでください。でも、そうですね。よろしければですが、今度お食事に連れて行ってくださいますか」と柔らかくねだる。

 布津野は、はぁ、それでいいなら……と曖昧に答える。

「うれしい」と百合華は笑った。


 まるで少女のようだな、とロクは若干の悪意が混じった感想を抱いた。

 分かっていたことではあるが、黒条百合華の自分と父親への態度には雲泥の差がある。彼女自身が公言していることだが、父親に恋をしているらしい。恋愛は個人の自由だが、不倫は立派な法律違反だ。不倫の法律的な定義として肉体関係を必要とする。まぁ外食程度であれば問題にはならないが……。

 ロクの思考が脇道にそれ出した時、布津野が何気なく百合華に問いかけた。


「あの白眼の女の人と、百合華さんは知り合いなんですか?」

「ええ、一ヶ月前から。黒条会は不法入国の斡旋もやっていますので、中国のマフィアを経由して三十人規模の斡旋依頼があったのです」


 ロクが眼をむいた。言いたいことは山ほどあった。しかし、どうしてこの女は父さん相手になると口が軽くなるのだろうか。


「その隊長さんが山猫さんです。ミステリアスな眼をされていたでしょう。あの目は、人の悪意を見るそうですわ」

「へぇ、人の悪意、ね」

「まるでナナさんのように」


 ガタ、とロクは音を立てて立ち上がった。百合華はそれを非難の目で一瞥して座るように促す。

 ロクは立ち尽くしていたが、百合華と布津野が構わずに話し出したので、やがて元の場所に座り直した。彼女はあの白眼の能力も知っている。一体、黒条百合華はどこまで把握しているのか。

 百合華はどこか得意気に、布津野に語りかけている。


「彼らはしばらく用意した隠れ家に滞在していたのですが、急に車を数台用立てて欲しいと言ってきたので、後をつけてみたのですよ」

「それはそれは……危ないことをしましたね」

 あら、と百合華はわざとらしく口に手を当てる。

「そんな事はありません。昔から尾行は得意なのですよ。でも、そうですね。兄様のおっしゃる通りだったのでしょう。あの山猫さんはすぐに私に気がつきました。それで不思議に思って探り出してみれば、あの目には悪意が見えるのだとか」

 なるほど、と布津野は無邪気に頷いている。

「彼女は私に言いました。『悪意とも似つかぬ好奇心で、首を突っ込むことではない』と。拙い英語でしたが、そのような意味合いのことを言われて、私はピンと来たのです」

 百合華は楽しそうに笑う。

「これは何かある、と。ついて行かねば大事になると、そこで彼らに協力を申し出て、ご一緒させて頂いたのです」

 布津野は感心したように声をあげる。

「そうなんですか。お陰で助かりました」

 布津野はそう言って、深々と頭を下げた。百合華は「お役に立てて何よりです」と言って頬を染める。


 ロクはその百合華の様子を胡散臭い様子で眺めていた。どうにも、彼女の言動をそのまま信じることが出来ない。ああやって、笑って見せている裏で、彼女がどのような取引をしているのか、分かったものではない。それに彼女は不法侵入を斡旋していると証言した。つまり、自分の懸念は的中したのだ。


「つまり、黒条会が四罪を国内に招き入れた、という事ですか」


 そう横から口を挟んだロクのほうに百合華は顔を向けると、さっ、と表情を不機嫌にする。


「ロク少年、ひとつ良いことを教えましょう」

「……」


 ロクは黙って、百合華の無表情を見る。その表情には興醒めが張り付いているのが見て取れた。彼女の口が開いて、トーンを落とした声がこぼれる。


「そんなだから、貴方はモテないのよ」


 このような、いわれのない非難は黒条百合華の常だ。


「……関係ありません」

「大いに関係があるわ。少しは兄様を見習いなさい」

「全然、関係ないでしょう」


 ロクがそう言い切った時、布津野は思わず百合華のほうに身を乗り出した。百合華は再び笑顔を咲かせて、布津野の方を向く。

 布津野の手が伸びて、百合華の腕をとった。百合華は拍子に、あっ、と声を漏らした。


「百合華さん、」

 と、いつになく真剣な表情で、布津野は百合華を見る。

「なんでしょうか。兄様」

「あの……」

 布津野は、百合華の手を強く握りしめる。


「ロクがモテないって、本当ですか?」


 布津野のその声はかすれ気味で、悲壮感があった。

 全員の息が止んだ。

 そして、すぐに、はじかれたように、黒条百合華は笑い声を上げた。


「兄様、兄様、ああ、兄様」


 そう言って、彼女は顔を伏せて、掴まれた布津野の手を何度も撫でては握り返す。


「兄様、ああ、そうですね。なんてこと……」


 くつくつ、と苦しそうに彼女は笑いを堪えて、やがて大きく深呼吸をして、震える体を落ち着かせる。そのまま顔を上げて真剣な表情を作って、布津野をまっすぐと見返す。

 真剣な二人の顔が、互いを見つめている。


「残念ながら、ロク少年は女の子にモテません」


 彼女はそう断言した。


 ◇


 なんでモテないの?

 布津野には納得がいかなかった。全然、納得がいかなかった。だっておかしいじゃないか。そんな事あるわけがない!

 布津野はロクの方を振り向いて、その呆れた様子の顔をじっと見る。

 確かに無愛想なところはあるかもしれない。しかし、それを差し引いてもまったく気にならないくらいの超絶イケメンじゃないか。神秘的な白髪赤目に、背だって高い。それに、まだ十五歳だというのに年収だって僕よりもずっと稼いでいる。将来性だってバッチリだ。


「なんで?」

 と、布津野はロクに直接問いかける。

「……何をまた馬鹿なことを言っているのですか」


 ロクは超然とした様子で、眉をひそめて布津野を睨んだ。そんな冷めた様子にさえ、鋭い美しさがある。男の自分だって、思わず見とれてしまう時だってあるくらいだ。


 なぜ、それなのにモテないんだ。


 布津野はショックだった。てっきりロクは女の子にモテモテなのかと思っていた。だって、少女漫画に出てくるような完璧イケメンが現実化しているのだ。モテて当然だ。もしかしたら、この少しキツい性格が原因なのだろうか? 別に、いいじゃないか。こんなにカッコいいのだから、少しツンツンしているほうが魅力的じゃないか……。


「ねぇ、ロク」

 そう問いかけて、息をのんだ。

「……なんですか?」

「彼女は、いるのかい?」


 ぷっ、と横で見ていた百合華が吹き出す。

 ロクはこの状況をとても不快に感じた。目の前には、なぜか真剣な表情で場違いな質問をぶつけてくる父親がいる。質問の意図が見えない。答える必要も見当たらない。


「なんでそんな事を聞くのですか」

「だって、おかしいじゃないか」

「おかしいのは父さんの頭の中ですよ」

「いるの?」


 父親は一歩も引く気がない。珍しくもこだわっているようだ。はぁ、とため息と一緒に答えてやる。


「いませんよ」


 父親の表情が、くしゃり、と歪んで崩れ落ちる。開けたままのその口からは、「そんな」や「なんで」や「どうして」をランダムに繰り返している。

 何やらショックを受けているようだが、どうにも解せない。しまいには「やっぱり、モテないんだ……」などと不思議な結論を口にした。


「父さん、後にしてもらえませんか」

 そのロクの非難を、布津野は聞いてなかった。

「百合華さん」

「はい、兄様。なんなりと、」

 笑いを必死に堪えながら、百合華は姿勢を正した。

「どうして、ロクはモテないのですか?」

「……簡単な事ですわ」


 百合華は極上のワインの余韻を楽しむように、もったいをつけた。


「それは、女を女の子にできないから」

 ロクは、非常に抽象的な議論だな、と内心辟易していた。

「女を、女の子に……」


 しかし、布津野は何かしら感銘を感じてしまっていた。

 彼は、必死になって百合華の意味することを考えた。女を女の子に……それは性的な意味なのだろうか。だとすれば、ロクはその男性としての機能的な問題を抱えているのだろうか……。


「ええ、兄様がなさるように、夢見る女の子にできない。女の子をなりたい自分にさせてくれない」

「夢見る女の子……」


 どうやら性機能の問題ではなかったらしい。


「女は男を鏡と見立てるものです。男が写し出す己の姿を見て、自分を確認するものです」


 百合華はうっとりと顔をほころばせて、ソファから崩れ落ちるように前に出て布津野の隣に寄り添った。そのまま、両手で布津野の手を包んで、まるで鏡をのぞき込むようにじっと見る。


「まるで万華鏡」


 百合華のその言葉に、布津野は戸惑った。


「兄様の前では、私は百面相。極道でも組長でもない、色んな百合華でいられる。もし違う生い立ちであれば、なれていた百合華に会わせてくれる。普通の女の子の百合華にも、理想に焦がれる百合華にも、王子様に憧れる百合華にも……。それに引き替え、」

 と、百合華は布津野ごしにロクをのぞき込んだ。

「ロク少年は、確かによく磨かれた鏡でしょうが、単なる事実しか写し出しません。なれば、それは安物の鏡でも同じでしょう。わざわざ覗いて見る価値などありません」


 ロクは百合華を睨み返す。彼女の含意に富む不明瞭な物言いは理解しがたいが、侮られているのは間違いない。

 布津野がわらにもすがる様子で、百合華に問いかける。


「どうすれば、ロクはモテるようになりますか?」

「兄様のように振る舞うことです」

「……僕のように?」


 布津野は首を傾げた。それはどういう意味だろう。イケメンに馬鹿なことをさせて、ギャップ萌えを狙う作戦だろうか?


「女の子のなりたい自分に、お付き合いしてあげる事ですわ」

 ふふっ、と百合華は笑う。

「例えば、先ほどのやり取りを思い出してください」

 百合華は指をしならせて、それを布津野の胸元に這わせる。

「兄様は私に、ありがとう、と言いました。私のお陰でみんなが無事だった、とも。その瞬間、私は陰から子どもたちを救った英雄の一人になったのです。兄様のお側に仕える端女はしために過ぎない私を、兄様は英雄にしてくださった」

 それに引き替え、と言って百合華はピタリと這わせていた指を止めた。

「ロク少年は私を、まるで陰謀を企んでいる性悪女のように扱いました。私、怒っていますのよ。斡旋している不法入国者のうちに、怪しい一団を見つけ、危険を冒して探りを入れて兄様にお知らせしたというのに、それがこの仕打ち。このような女の扱いを知らぬ子どもといては、女の品格が下がります」


 はぁ、と布津野は頬を掻いて曖昧に頷いた。

 百合華さんの言うことが何となく分かった気がする。確かに、ロクは事実をそのまま言ってしまう癖がある。それは正しいことなんだろうけど、もっと配慮とかあってもいいとも思うんだ。


「ロク」と布津野は問いかけた。


 うんざり、とした様子でロクはそれに答える。


「なんですか?」

「もっと、女の子に優しくしようよ」


 ロクは呆れてしまって「黒条百合華を女の子と思っているのは、父さんくらいなものです」という言葉を苦労して飲み込んだ。


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公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

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