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[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:遺伝子コンプレックス)  作者: 舛本つたな
[第三部]僕は35歳、ロクはとても頑張っているから
68/144

[3-21]遠い背中

 寒いな、と布津野は思った。

 辺りを見渡すと、ずらりと並んだ銃口が自分に集中している。周囲には車が横付けにされて、車体を遮蔽にしてこちらを窺っている人もいる。今の状況は、ちょっと複雑だ。単純な平面スペースではなく、車が障害物として点在している。車の陰から不意を打たれる可能性もある。その一方で、それを利用して立ち回れば相手を分断することも難しくはない。

 有利か不利か、でいうと有利だと思う。夜の闇、明かりは車のヘッドライトだけだ。視界は悪く、入り組んだ障害物。銃で武装した多人数を相手にするには、ちょうど良い状況だ。


 目の前の銃を構えている人を見る。


 険しい表情をしている。銃口に乱れもない。でも、彼らは心のどこかで勝利に酔っている。丸腰の相手を目の前に、装備と人数に勝っている状況に頼っている。それが、自分自身の力であると勘違いしている。

 そんな集団を相手にすることは、さほど難しくはない。


 一歩だけ、布津野は前に出た。

 布津野にとって、その一歩は重要だった。

 その一歩を踏み置けば、前の集団を間合いに捉えることができる。自分の制空圏を拡大するための重要な一歩だった。

 しかし、その重大な一歩を踏んでも、周りの顔は相変わらず余裕がある。その一歩に気がついていない。彼らは酔っているのだ。手にした銃だとか、仲間の人数とか、そんな自分の力ではないものに酔って、勝利を勘違いしている。

 そんなだから、危険に気づけない。

 布津野はその一歩で全てを整えていた。

 ゆらり、とその体が滑る。慣性のまま移動し、集団の中に入った。

 すでに、彼らの銃口の先から布津野は消えていた。



?」

 と、ため息のような困惑を誰かがこぼした。目の前に立っていたはずの人間が、突然、消えていた。

 次の瞬間、隣の仲間の顔が跳ね上がる。

 それは自分の四人隊フォーマンセルの仲間の顔だ。残りの全員が中央を振り返る。仲間が空を見上げながら、どさり、と崩れ落ちていた。

 パシュッ、と消音器サプレッサーごしの発砲音がなる。

 視線を移すと、仲間の一人があの日本人に襲われていた。発砲した銃は手刀で切り払われ、空いた脇腹に肘を打ち込まれていた。

 訓練の経験からすぐに分かる。完全に崩された脇腹にあの肘打ちを当てられれば、二度と立ち上がれない。

 銃口で日本人を捉えようとする。しかし、構え終わった時には、もうそいつはいなくなっている。また、消えた。

 ガコッ

 と、右の方から、車のボンネットに石を落としたような音がする。

 あわてて銃口を向け直す。そこには、あの男が仲間の顔面をボンネットに叩きつけているのが見えた。仲間はボンネットの上で、四肢を伸ばして動かなくなった。


!」


 と叫んでから、思い出したように発砲した。

 炭酸の缶を開けるような、サプレッサーの連射音。

 しかし、すでにあの男は車を飛び越えて向こう側に消えてしまっている。

 車の向こう側では、新たな悲鳴が聞こえてくる。

「哪里?」「看不见!」といった怒声が遅れて聞こえてきた。

 周囲を見渡すと、立っているのは自分だけだった。四人隊の仲間たちは足下で倒れている。闇夜のせいで足下まではハッキリと見えない。「正生活吗?」と声をかけても返事はない。ただ闇の中に溶け込んでいる。死んでいるのかもしれない。

 すると、今度は背後から、また悲鳴と銃声が上がる。振り返ると、暗がりの向こうから音だけが聞こえる。車のライトが逆光になってよく見えない。悲鳴と怒声と銃声。何かが蠢いているような闇から、音だけが聞こえている。

 今、ここで何かが起きていた。理解の及ばない何か。抗えない何かだ。その何かに仲間たちは消されている。まるで化け物に闇の底へと引きずり込まれたように、戻ってこない。か細い悲鳴だけが向こうからいんいんと響いている。


 ここは、日本の郊外の車道だったはずだ。


 都会の街頭などはなく、車道にまばらに置かれた照明灯がやけに遠くに光っている。頼りになる明かりは取り囲んだ車両のヘッドライトだけだ。しかし、指向性の強いその光は目を刺して、逆に周囲の状況を把握しづらい。

 あることに気がつく。

 自分たちは完全に分断されてしまっている。

 他の仲間たちの物理的な距離は近い。二十メートルもない範囲に数十名の仲間たちが集結しているはずだ。しかし、闇夜で視界が十分に確保できない上に、車両が入り交じって配置されている。数の有利がまったく発揮出来ない。

 仲間たちの悲鳴がまた上がる。

 まるで整列横隊での号令点呼のように、右から左へ、悲鳴が上がっていく。はじめの内は銃声や怒声も混じっていたが、それはだんだんと数を減らしていき、悲鳴だけに変わっていく。


 そして、


 ついに静寂が自分を包み込んだ。

 残っているのは自分だけだ。自分の呼吸が荒く乱れて聞こえる。それ以外の音はもう無くなっていた。


「有正生活的者吗?」と闇にむかって叫ぶ。


 声を出せば、あの男に自分の居場所を知られてしまう、そんな事に気がついたのは叫んだ後だった。叫ばずにはいられなかった。何が何だか分からなかった。

 返事はない。全員が闇に吞まれた。どこにもあの男はいない。日本人なのに背が小さかった。顔も普通だった。自分たちと同じような、そんな外見をしていたのに。


「山猫还不来吗?」


 と、腕時計に視線を落とす。山猫はまだ来ないのか。こんなのは、あの化け物の仕事だろ!

 その時、足音が近くで聞こえた。

 その音に向かって、拳銃を構える。すると銃口の先に、あの日本人が姿を現した。のそり、と歩いている。ようやく姿を現した。そいつは自分の銃口の先にいる。

 引き金を引く。

 炭酸みたいな音。

 目の前の日本人は、体をわずかにひねっていた。相変わらず、のそり、と歩いている。まるでさっき撃ったのは錯覚だったように無傷だった。無傷のまま、こちらに向かって歩いている。

 二発目、

 を撃とうとした瞬間、引き金がまるで溶接されたかのように動かない。気がつくと、自動装填のためのスライドが掴まれて固定されている。

 その日本人の穏やかな表情が、目の前にあった。

 そこで意識は途切れた……。



 相手が油断していたから簡単だった、と布津野は胸をなでおろした。

 足下に何人も男たちが横たわっている。その男たちは最適化されていなかったし、おそらく中国語らしき言葉を話していた。法強さんを暗殺しにきた中国の部隊なのだろう。ちゃんとした状態で戦えば、強敵だったに違いない。

 真田さんの車のほうを振り返ると、法強さんが外に出てきたところだ。周りを何度も見渡して、目を閉じたり開けたりしている。


「法強さん、」

 と呼びかけると、目を覚ましたようにこちらを見る。

「……」

「携帯、ちゃんと押してくれました?」


 じゃないと、またロクに怒られてしまう。


「布津野さん、貴方はいったい……」

「上手くいきましたよ」

「一般兵とはいえ、相手は四罪の精鋭のはずだ」

「油断してくれましたので、」


 そういう問題ではない、と法強が問い詰めようとした瞬間、布津野はあることに気がついた。法強が持っている自分の携帯がどことなくなおざりだ。


「あの、押してくれてました?」

 布津野は法強が漫然と持つ携帯に視線を移す。

「え、……ああ。すまん。忘れていた」

「えー」と声をあげる。


 慌てて、法強から携帯を受け取ると、位置情報の送信ボタンを押す。そして素早くメッセージも打ち込む。『ごめんなさい』っと。多分、許してくれないと思うけど、気休めくらいには……。

 すると、遠くからエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。


「あ、GOAかな」と布津野は振り返った。

 それは、すごいスピードで近づいてくる。

 バイクだ、三台。

 その内二台は近づいてきても一切、スピードを緩めることはなかった。そのままのスピードのまま、左右の二台に乗っていた人影が跳んだ。

 それは、人とは思えない跳躍力で、布津野たちの頭上を飛び越えて背後の車両の上に降り立つ。その衝撃で崩壊する車両の上で、まるで獣のような前屈みの姿勢で二人がこちらをのぞき込んでいる。


驩兜ファンドウ兵か、」と法強が布津野の背中を守るように構えた。

「ファンドウ?」

「四罪の遺伝強化兵だ。気をつけろ。もう一人は、あの山猫シャンマオに違いない」

「シャンマオ?」


 布津野はもう一人のほうを見た。その人だけは、布津野の前で普通にバイクを止めていた。そのすらりと長い足を上げて、降りる。背の高い女の人だ。その顔をみて、どきっ、と驚く。片目が真っ白だった。その目はこちらを睨みつけている。

 白眼の彼女が口を開いた。


「你是谁?」


 しかし、中国語なので布津野には分からない。

 布津野はボディーランゲージと表情を駆使して、中国語が分からないこと必死にアピールしてみせたが、女は続けて布津野に問い詰めた。


「你没有色!」


 それは大きな声だった。白い目を大きく開いて、女の人はこちらを凝視している。その表情は険しく、唇は震えていた。どうやら怒っているみたいだ。仲間がやられてしまったのだから、しょうがないのかもしれない。

 布津野は困ってしまって、法強に問いかける。


「あの、彼女はなんと言ってるのですか?」


 法強は後ろの二人をにらみつけながら、布津野に答えた。


「……色がない、だと」

「色?」

「貴方には色がない、と言っている」

「僕に、色がない?」


 まるでナナみたいなことを言う。ただ内容はナナとは正反対だ。どういう意味なのか、とても興味があるのだけど、中国語が話せないのでどうしようもない。勉強は世界を広げるもので、言語はその最たるものだ。色んな言葉をしゃべれるロクはきっと色んな世界を知っているのだろう。


「布津野さん、」

 法強の呼びかけが、布津野を思索から呼び戻す。

「後ろの驩兜兵は俺が相手をする。シャンマオを頼めるか」

「はぁ」

 と、曖昧に布津野は了承した。女性を相手にするのは気が進まない。

「叔父貴! 手伝いましょうか」と真田さんの声もした。

「法強さんのほうをお願いします!」


 振り返らずに、それに答える。

 背後のほうも気になるのだが、目の前でもの凄い形相でこちらをにらみ付けている女の人もとても気になる。何か気に障ることでもあったのだろうか。女性の心理というものは、自分にとっては色々と諦めてしまったものの一つだ。

 倒すなら出来るだけ痛くない方法がいいな、と思う。が、油断はしない。相手は法強さんを殺そうとしているのだ。そんな相手に中途半端は絶対にしない。


 ——もう二度と、あんな事はしない。


 償えない罪。佐伯さん。あの少女は僕のせいで死んだ。僕が殺さなかった男に殺された。二度と間違えない。守りたいなら、ちゃんと殺す。僕が守りたいのは自己満足じゃない。

 女の人が、こちらに近づいてくる。何か怒鳴っている。来ないで欲しいけど、躊躇はしない。殺さずに守れるようには僕は出来ていない。やる。やれることを、やる。

 

 布津野は、息を吸って、ゆっくりと吐いた。

 一瞬で意識が、空っぽにおちていく。

 体は、思考から解放されて、自由になる。

 目が見たものが思考を介さずに、体が呼応する。

 その状態には、区別がない。

 善と悪という境界がない。

 言葉すらない。

 ただ、肉体がある。

 修練を積み重ねた渾身だけがある。

 その渾身が動いた。

 認識の疎外から、その打撃は放たれる。

 その女が、その攻撃に気がついた時、

 握りしめられたその拳は、女の顔面の直前で、ぴたり、と止まり。拳風が優しく女の睫毛をなでた。

 人の悪意を見るその白眼には、布津野の色が見えなかった。



 女は、自分は死んだ、と思った。

 少なくとも、女の体は死んだように動けなかった。膝が勝手に崩れて、その場にへたり込んだ。まるで、先ほどの寸止めの風圧で脳が吹き飛ばされてしまったように、体が言うこと聞かない。

 どうやら、まだ死んではいない。あの拳は寸止めだった。でも、この拳はいつだって自分を殺せた。殺せたはずなのに、生きている。私はまだ生きている。

 でも、この男は生きているのに、色が無い。

 色が無いくせに、この男は人を殺せる。悪意が無いくせに殺す。色が無いから、私だって簡単に殺せる。

 この男は、恐ろしい。


「逃げなよ」


 と、男が何か言っている。日本語だ。何と言っているのか分からないが、優しげ声だった。男は拳を引いて、曖昧に笑った。


「ほら、早く。グッバイ、だよ」


 手をひらひらと振っている。後ろのほうで連れてきた驩兜兵もこちらを凝視している。ターゲットの法強上将もそこにいた。

 私は、暗殺者だ。

 指示されたターゲットをリストの上から消していく。その一方で、下から新たなターゲットが追加されていく。私がリストを減らして、誰かがリストを増やしていく。そんなベルトコンベアのような流れ作業が私の全てだった。

 たまにリスト上のターゲットがすべて無くなってしまうことがある。私が殺すペースに追加が間に合わなかったのだ。すっきりと、全部なくなると、私は暇になる。誰もいない部屋で、人の悪意がない無色の空間で、リストに追加されるのをじっと待つ。何もない無色のそんな時間が好きだった。

 人は死ぬと、色が無くなってしまう。

 ターゲットを追い詰めて、殺してしまうと色が無くなる。人の悪意が消えるその一瞬も嫌いじゃない。

 いつか、彼らと同じように、自分も死ぬのだろう。出来れば、誰もいない部屋でゆっくりと死にたい。誰もいない自分の部屋で、死んで無色になっていく自分を眺める。いつか死ぬのなら、そんな最後がいい。猫のように誰もいないところで、ひっそりと死んでいく。

 ……だけど、

 私は、今さっき、死んだはずなのに……。


「父さん!」

 と、後ろで声がした。気がつかなかったが、いつの間にか背後にはあのニィと同じ少年がいた。彼の背後には車が止まっている。どうやら、それでここまで追ってきたらしい。


「父さん、何をやっているんですか!」


 と、淡い悪意をまとった少年が近づいてくる。水で薄めた墨のような淡い灰色。まるで幼子のような、興味だけで殺し、気まぐれで救おうとする色。そんなぬるま湯のような少年。その色はあのニィとは全然違った。あの少年は磨き上げた黒檀のような殺意を身に秘めていた。

 私は私を取り戻す。

 跳ね跳んで、色のない男から距離を取った。そのまま腰から軍用ナイフを引き抜く。この場を切り抜けるには、あの少年を人質に取るしかない。

 少年が身構えた。

 未熟な灰色が、中央に集まって警戒を示す。色の濃淡から、迎撃のためにこちらのナイフを狙っているのが分かる。武芸だけは一流だが、殺意がぬるい。色が散漫に動いている。分かりやすい未熟者。

 ナイフを囮に、逆の拳で喉を潰す。そして、背後から締め上げて人質にする。

 確実な攻略法を思い描いた時、

 あの色のない男が、いつの間にか目の前に回り込んでいた。

 それに気がついた時には、男の拳が自分の鳩尾みぞおちに打ち込まれていた。

 打撃の衝撃が体を通った。


 そして、目の前で黒が爆発する。


 殺意だ。

 この男の殺意だった。

 見たことがないくらいの強烈な殺意。

 まるで剣で腹を刺されたような一撃が背中に抜けた。肺を掴まれて引き抜かれたような鈍痛が、遅れてやってくる。痛みで呼吸が出来ない、全身の細胞が酸素を嘔吐し、脳からの命令を無視して停止する。

 かすむ目の前には、黒が地獄の業火のように燃えさかっている。

 怖い、

 殺意が見えたのは攻撃の後。

 この男の攻撃は、殺意すら置き去りにする。

 私は、死ぬ。

 殺されたのだ。

 私が……。


 シャンマオはその場に崩れ落ちた。



 ◇

 まだ、

 まだまだなのか、とロクは立ち尽くしていた。

 そこには父親の小さな背中がある。

 うずくまって倒れ落ちる白眼の女がいる。

 遠い。

 全然、想像以上に、遠い。

 ほとんど、近づけていない。

 一撃だった。

 たった一撃で、父さんはあの女を倒した。どうやって倒したのかさえ、自分には分からない。僕はあの女に苦戦した。紅葉先輩と二人がかりでやっとだった。なのに、たった一撃だった。


「ロク」


 父さんの声がして、現実に引き戻される。


「この女の人をお願い、僕は法強さんのところにいくから、」

「え……お願いってどういうことですか」

「助けてあげて、お願い」


 そう言って父さんは走り出して向こうに消えていった。

 倒れ込む白眼の女がそこに残された。こいつを助けてくれ、とはどういうことかと思い近づいてみる。かがみ込んで観察すると、すぐに理由が分かった。呼吸による胸部の上下運動がない。平手で女の頬を叩く。反応がない。典型的な心肺停止状態だ。

 そのまま首筋の頸動脈を指で圧迫してみると、脈動は確認できない。しかし、触診による脈拍判断の信頼性は低い。医療従事者でさえ脈拍による判断は難しいと言われている。とはいえ、胸部の上下運動も確認できない事から、心肺停止状態であるのは間違いないだろう。

 さて、心肺停止を放置すれば三分で約80%が死亡する。助けたければ、早急に対処しなければならないが……。


 ロクはさっと周囲を見渡す。辺りには見えるだけで数名の中国政府の隊員らしき人影が転がっている。おそらく父さんがやったのだろう。まったく、相変わらずとんでもない。

 後、数分もしたらここにGOAが到着する。全員を拘束し、調査すれば大体のことは確認できるだろう。しかし、それだけでは……。

 ロクは横たわるシャンマオを見下ろした。


 ——助けるべきか、このまま見殺しにすべきか。


 その逡巡の後、ロクは素早く動いた。

 まずは、やるべき事をやらなければならない。

 ロクはシャンマオの上着に手を滑らせてポケットの中身をさぐる。弾倉や手榴弾、機能食品のたぐいは無視して、左胸のポケットにようやく目当ての携帯端末を見つけた。取り出して確認すると、革のカバーに覆われている。

 ロクは自分のポケットから金属チップを取り出す。そのチップは発信器だ。改良素体は自分の位置情報を知らせるために、こういったチップを身の回りに保持している。それを端末とカバーの隙間に差し込んで、シャンマオのポケットに戻す。

 やるべき事は終えた。ロクは一息つくと、シャンマオの上着を開いて胸元をはだけさせた。乳房が露わになる。その真ん中に手のつけ根を当てて、体重を乗せて押し込む。胸骨圧迫による心臓マッサージを三十回繰り返した後、シャンマオの顎を上げて気道を確保した。

 ロクは大きく息を吸い込むと、シャンマオの唇に自分の唇を塞ぐように覆い被せた。横目で乳房を睨みつけながら、息を吹き込む。シャンマオの胸が上がった。空気が肺まで入った証拠だ。唇を離し大きく息を吸い込んで、もう一度同じ要領でシャンマオの肺に空気を送り込む。

 ロクはそうやって心臓マッサージと人工呼吸を繰り返した。それを数回繰り返し、人工呼吸で息を吹き込んだ最中に、


 かはっ、

 

 とシャンマオが息を吹き返した。

 彼女は朦朧とした目で、ロクを見上げた。


「気がついたか」とロクは問いかけた。

「……お前は」

 ぼんやりとした様子でシャンマオは頭をふった。

「無理するな。心肺停止で体中が酸欠のはずだ。父さんのせいで内臓のダメージも大きい」

「あの男は……お前の父親」


 ロクはそれには答えず、シャンマオのはだけた胸部を整えようと手をのばした。

 シャンマオはロクの手を振り払い、飛び起きた。


「驚いた。蘇生したばかりで動けるのか」

 ロクも立ち上がる。

「なぜ、助けた」

「尋問するためだ。お前の目に興味がある」

「……」

「お前の目には何が見えている」


 ロクはシャンマオににじり寄った。それに対してシャンマオは後退する。彼女の足はふらついていた。心肺停止のダメージは抜けきっていない。


「それに、その身体能力も異常だ」

「……」

「答えろ」とロクは距離をつめる。

「……法強上将に聞けばいい」


 そう言い捨てて、シャンマオは後ろを振り向いて逃げ出した。


「待て!」


 と、制止してみたものの、ロクは追いかけなかった。もとより逃がすつもりだった。それを見越して発信器を取り付けたのだ。尋問するつもりもなかった。尋問する相手ならここにたくさん転がっている。それよりも、彼女には別の役割がある。

 ロクは自分の端末を取り出して耳にあてる。


「こちらロク、応答してください」

「こちらGOAの千葉です。どうぞ」

「敵エージェントに発信器を取り付けて泳がせました。僕の二番のチップです。相手は特殊な目を持っています。信じられないでしょうが、ナナに似た能力だと考えられます」

「……それは、本当ですか?」

「ええ、よって積極的な尾行は控えてください。見破られるのが落ちでしょう。しばらくは泳がせておきます。発信器を取り外されたかどうかだけをモニタリングしてください。以降の作戦は僕から通達します」

「了解」


 ロクが通信を切ると、向こうから布津野たちが近づいてくる。


「ロク」

 と、布津野は手を上げている。その背後には法強や黒条組の真田がいた。黒条百合華にもこの件を問いたださなければならない。


「父さん」

「あの女の人、大丈夫?」

「ええ、まあ」


 よかったぁ、と自分の父親が胸をなで下ろすのを、ロクは不思議な気持ちで見た。この人は敵すらも気にかける。致命傷を与えたのは自分だというのに。


「それで、彼女はどこ?」

「いませんよ」

 首を傾げる布津野を横目に見ながら、「逃げてしまいました」と言ってロクは法強を見た。

「あのシャンマオを退けたのか」と法強はこぼす。

「ええ、父さんが、」

 むぅ、と法強は唸り「布津野さんであれば、あるいは」と頷いた。

 ロクはそのまま法強に問いかける。

「そちらにも敵がいたようですが、」

「ああ、驩兜ファンドウ兵が二名いたが、布津野さんのおかげで追い払うことが出来た」

「ファンドウ……確か中国神話に出てくる悪魔の名前でしたっけ」

「ああ、流石によく知っている」

「貴方は色々とご存じのようですね。あの山猫と呼ばれた女についても、詳しく教えて頂いてもよろしいでしょうか」


 法強は目を閉じて、ゆっくりと頷いた。


「仕方あるまい。祖国の恥部だが言わぬ訳にもいくまい」

「お願いします。この後、時間を確保しますのでゆっくりと話しましょう」


 ロクは、次に真田のほうに視線を移す。


「黒条百合華もこの件に関わっているようですね」

 真田はタバコ取り出しながら、それに答える。

「それは姉御に直接聞いてください。俺に聞いても答えられません」

「何を企んでいるんですか、彼女は」

「さて、ね」


 真田はタバコの煙で質問を紛らわせる。

 はぁ、とロクはため息を吐く。


「分かりました。僕から問いただします」


 バリバリ、と遠くからヘリの轟音が聞こえる。GOAの強襲部隊が近くまで来ているのだろう。

 やる事はいっぱいだ。そこらに転がっている隊員を尋問して、彼らの通信機器や装備を解析して、それから法強さんと黒条百合華からも情報を引き出さなければならない。何だか疲れてきた。そういえば、今日はまだ寝ていない。

 ロクがふと空を見ると、朝焼けが地平線の底からにじみ出ていた。




作者の 桝本つたな です。

3部中編、ここで終了です。いつも読んで頂いてありがとうございます!

ブクマや感想もありがとうございます! 皆様の応援がなければ、ここまで書き続けることは出来なかったでしょう。


さて、中編終了まで来ましたので、残りは後編になります。

しかし、まだ後編は完了していません。ですので完成まで少し書き溜め期間をください。

大体一ヶ月くらいで、更新できると思います。GWもありますしね。5月末か6月頭になれば、また更新を再開したいと思います。


お時間を頂きますが、何とぞよろしくお願いします。

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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

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