[3-20]華
「こっちを追って来てくれますかね」
布津野は車の後部座席から振り返って、後ろの様子を心配そうに見ていた。
「奴らの目的は俺だ。無視するわけにはいくまい。……シャンマオがこちらに来ればいいのだが」
布津野の隣に座る法強は見据えながら応じた。
「そのシャンマオっていう人はそんなに危険な人なんですね」
「ああ、奴だけでもあの子たちから引き離せれば」
布津野は、いよいよ不安になって後ろの様子をのぞき込む。すると、数台の車のヘッドライトが現れ、すごい勢いでこちらに近づいてくるのが見えた。
「あっ、やりましたよ! 後ろから車が追ってきます。きっと、あれがそうですよ」
布津野が歓声をあげる様子を、車の運転席から長髪の若い男がバックミラーを通して確認する。
「布津野の叔父貴、座ってシートベルトをお願いします。ちょっと荒い運転になりますが、まけるか試してみます」
「え、はい。すみません」
布津野は慌てて後ろを見るのを止め、座席に座り直す。シートベルトを引っ張ると腰元に差し込んだ。
「行きますよ」
男がアクセルを踏み込んでエンジン音を上げる。加速の重圧で布津野は座席にめり込んだ。
車窓からのぞく夜の風景が、後ろに飛んでいく。当たり前の信号無視に、エンジンは重低音を下腹に響かせ、闇を裂くように加速していく。
まるでジェットコースターのような加速とカーブの乱高下。布津野はドアの手すりに捕まって必死に耐えた。
この車は、百合華さんに電話して手配してもらったものだ。そして、運転しているのはあの真田さんだった。黒条会の若頭補佐という、会社でいうと部長くらいの偉い人だ。若いのに出世が早い。優秀な人だ。
その真田さんの運転はかなり上手だった。先ほどから、右に左にカーブを繰り返しているが、吸い込まれるように曲がっていく。カーブのたびにキュキュっとタイヤが滑る音がする。これってドリフトとかいうやつなのかな。
「相手もなかなかやりますね」
と、バックミラーに映る真田さんは笑っていた。
真田の巧妙なドライビングにもかかわらず追走して迫る車の数は増え続けていた。左右の窓にも数台が見えるようになった。カーブの度にいったんは引き離すのだが、直線に入ると距離をつめられるようだ。
「防弾車は、足回りが悪い」と、真田が不満を漏らす。
黒条会が手配したのは、外見こそ重厚感たっぷりの高級車だったが、内部に防弾装甲を施した車両だ。これは黒条百合華が移動に使用している車で、緊急だったこともあり、真田はそのままこれに乗り込んできた。
防弾車は、その装甲のために重量が重く、一般車両に比べて加速と制動距離が劣る。
「叔父貴、奴らをまくのは難しそうです。申し訳ありません。時間稼ぎ程度にしかなりそうにない」
そう言いながら、真田はシフトを細かく切り替えながら、大胆にハンドルを切る。車体はまるで氷の上を滑るように急な弧を描いて、交差点を斜めに切り裂いた。
布津野はカーブの加重圧に体を流されながら、真田に向かって言う。
「いえ、そんな。真田さんこそ、巻き込んでしまって、」
「こいつは俺から志願したんですよ。叔父貴は、追いつかれた時の準備をお願いします」
「あ、はい」
と、布津野は答えてはみたが、準備といっても何をすれば良いのか検討がつかなかった。視線を泳がせて、横に座っている法強のほうを見る。
「あの、法強さん……」
「まずは、ロクと連絡を取るのが良かろう。あいつの事だからGOAの手配などもすでに整えているだろう。あちらの状況も気になる」
なるほど、と布津野は大きく頷いた。そのまま携帯端末を取り出した時、ちょうど着信音が鳴り響く。受信を知らせるモニタには『ロク』と表示されている。ちょうど、良かった。
「もしもし、」
「父さん! 何やってるんですか!」と、ロクの声が鼓膜を破る。
あ、これは、あかんやつだ。メチャクチャ怒ってる。
「あの、ごめんなさい」
「そんなのはいりません。さっさと今の場所を教えてください、それと今、向かっている場所も、はやく!」
「え〜と、」
そう言われても、ここはどこなんだろう? 目印を探して車窓の風景を、きょろきょろ、と探すが、凄まじい速度で駆け抜けているのでまったく目にとまるものがない。
「メッセージアプリで、位置情報を僕に送信すればいいでしょう! さっさとして。作戦を全部変更しなきゃいけないんです。父さんのせいで」
「はい、すぐに……。あの、ロク?」
「なんですか」
「みんなは無事かな」
ロクのため息が携帯の向こうで漏れた。
「……無事ですよ。包囲していた部隊は撤収を開始し、そっちの追跡に向かったようです」
「良かった。法強さん、やりましたよ。みんな無事ですって」
法強のほうを見ると、彼は大きくゆっくりと頷いて笑みをこぼした。
「父さん、早くしてください」
「あ、ごめん。今から送るね」
布津野は両手で携帯を操作して、メッセージアプリを開いてロクへのチャットを開く。オプションメニューに位置情報らしきアイコンを見つけたので、適当にそれを押してみると、自分たちの現在地らしき住所と緯度経度がメッセージに書き込まれた。
「ロク、送ったよ」
「ほう……この位置にいるなら都心に向かっていますね。いい判断です。父さん、その車を運転しているのは誰ですか」
「え、黒条会の真田さんだよ」
「……なるほど。黒条百合華は一体どこまで」
ロクは、わずかに間を置いたが、すぐに続ける。
「真田さんにはそのまま走行するように伝えてください。おそらく、真田さんはGOAの駐屯地がある市ヶ谷を目指しているはずです」
「へ? 真田さん。市ヶ谷に向かっているんですか?」
布津野はロクの言うことについていけず、思わず真田に聞いてみた。
「ええ、奴らに囲まれないようにウロチョロはしますが、大体は市ヶ谷に近づくルートを選んでます。あそこならGOAと合流しやすいでしょう」
へ〜、みんな色々と考えているんだな、と布津野は感心した。
「父さんは今から僕が言うことだけをやってください。簡単な事です。これ以上、余計なことは止めてください」
「……はい」
「いいですか、五秒ごとにメッセージアプリから位置情報を送信し続けてください。いいですか、五秒ごとに送信ボタンを押すだけです」
簡単でしょ、とロクは言い含めてくる。なるほど、確かに簡単だ。でも、ロクから言われると、とても難しいことのように聞こえるから不思議だ。
「そこから、合流地点を予測して、ヘリで移動中のGOAをそこに向かわせます」
「分かったよ」
「それと、このまま法強さんに代わってください」
「ああ」
布津野は携帯を法強に差し出した。法強はそれを受け取ると耳にあてる。
「代わったぞ、ロク」
法強の毅然とした声が、車内に響いた。
「馬鹿なことしたものですね」
「これが、俺が選んだ判断だ」
「……そうですか。しかし、貴方に死なれては困るのです。ナナが選んだ貴方が、無色化計画をどう判断するか、我々にはそれを見届ける必要がある」
「それはそちらの事情だ」
ロクが小さく唸る声が、法強の耳に鼓膜を振るわせた。それはうめき声のようにも、何やら悩んでいるようなにも聞こえた。最適解にしては長い思考の後、ロクはまるで全てを諦めたように、ぼそり、とこぼした。
「父さんから、離れないでください」
「ふむ」
「……そうすれば、安全ですから」
ぷつり、と通話が切れた。
法強は携帯を耳から離して、そこに視線を落とす。興味深いアドバイスだった。ニィにも同じようなことを言われたことがある。
法強は携帯を布津野に返した後に、じっ、と布津野の様子を観察した。この不思議な男は、いち、に、さん、し、ご、と口に出して数えながら携帯をぽちぽちと押して続けている。
確かに、その姿はこの緊迫した状況においても、意味不明な安心感がある。
バスッ
と、鋭い音がして車体が振動する。
バスッ、バスッ、とそれは断続的に車体の後ろ左右を叩いていく。
「撃ってきたな」と法強がつぶやいた。
真田がギアを切り替えながら左右に視線を散らす。
「こいつは防弾車だ。対物ライフルでもない限り貫通はしない。だが、」
次の瞬間、車体が大きく揺れて、横に滑った。
「ぶつけてきたな」
布津野は窓を見る。まるで助走をつけるように、併走するくるまが大きく膨らんでこちらに迫ってくるところだ。
ガンッ、と鈍い轟音がして、車体がまた揺れる。
「ちくしょう」
と、真田が叫んでハンドルを大きく切った。前を見ると、逆サイドの車が、こちらの進行方向を塞ぐように車体を割り込ませたところだ。
その車の横腹に、頭をこすらせて布津野たちの車は一回転して路面にタイヤの後を螺旋状に描いて止まる。そして、パズルのピースをはめ込むように、数台の車が周りを囲んで車体を割り込ませた。
ヒビの入った防弾ガラス越しに、車からゾロゾロと出てくる人影が見えた。両手の拳銃でこちらを狙っている。何人かはこちらのタイヤに向かって連射する。防弾対策をしているタイヤは空気が入っていないためパンクしない。それでも、少しでも摩耗させて足を殺そうとしているのだろう。
「……叔父貴、ここまでのようです。申し訳ありません」
「いえ、十分ですよ。本当にありがとうございます」
布津野は周囲の様子を眺めながら、その手元は相変わらず端末をぽちぽちと押し続けていた。
「あの、法強さん」
「なんだ」
「これ、僕の代わりに押してくれませんか?」
そう言って、布津野は法強に携帯を差し出した。
「……どういうことだ」
「え、ちょっと外に出ようと」
「奴らの狙いは俺だ。俺が出よう。貴方たちの命は助けるように交渉の余地があるかもしれない」
法強が腰を浮かせようとするのを見て、布津野は慌てて制止する。
「困りますよ」
そう言いながら、布津野は差し出したままの携帯の送信ボタンをタップした。
「そんなことしたら、またロクに怒られてしまう」
布津野は、ハハッ、と笑って法強に携帯をぐいと押しつける。法強はあっけにとられて携帯を受け取ってしまった。
「お願いします。五秒ごとに送信ボタンですよ」
「おい」
「では、行ってきます」
と言い置いて、布津野はドアを押し開いて外に出て行こうとする。それを止めようと法強は声を上げる。
「貴方に死なれては、俺は……」
バタン、と布津野が閉められた扉が、法強の言葉を遮った。
「法強さん、」と真田が声をかける。
真田は座席を下げて、大きくのびをしてタバコを取り出した。ふと気がついて法強のほうを振り返る。
「タバコ吸っていいですか?」
「それどころではない」
「まあ、あなたは知らんのです」
真田はタバコを指で弄びながら、いいですか? と再び許可を求める。
法強は顔をしかめながらも、頷いた。
「ありがたい。法強さんも一本どうです?」
「俺はいい」
そうですか、と真田はライターをはじいてタバコに火をつける。大きく吸い込んで、タバコが一気に短くなっていく。ふぅ、と深い深呼吸のような息と一緒に煙が車内に充満していく。
「さて、始まりますよ」
そう言って、真田は車内エアコンを操作して換気モードに切り替える。
「これを見たかったんだ」
「どういう、ことだ」
すっかりリラックスしている真田に向かって、法強が問いかけた。
「法強さんは、叔父貴のことご存じで?」
「叔父貴とは、布津野さんのことか?」
そうですかい、と真田が忍んで笑った。
「あんたは幸運だ」
法強は無言で真田の言葉に耳を傾ける。
「これから見られるものは、何百万積んだって見られるようなものじゃない。少なくとも、姉御だったら喜んで数千万積むだろう」
なにせ、と言って真田はタバコを口に含んで、深く吐き出す。
「叔父貴の喧嘩には華がある」
「はな、だと」
「さあ、始まりますよ。こっからは、まばたきだってもったいない」
フロントガラスの向こうには、布津野の背中があった。何十人もの男たちが拳銃を構えて布津野を囲みだしていた。
法強は受け取った携帯のことも忘れて、その小さな背中を凝視した。





