表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:遺伝子コンプレックス)  作者: 舛本つたな
[第三部]僕は35歳、ロクはとても頑張っているから
57/144

[3-10]桃源郷

 「「うおおー!!」」


 言葉にならない声と雄叫びのような感情が、稽古場に溢れかえっていた。

 ロクの勝利だった。

 しかし、感動に突き動かされた歓声は、勝者の孤児院側だけでなく、負けたはずのGOAからも上がっていた。

 その戦いはそれほどに凄まじかったのだ。

 両者の攻防はギリギリを交錯し、繰り交わされた技と駆け引きと大胆さは、見ているものの余談を許さなかった。


「マジかよ、見たかよ!」

「あれ、あれ、布津野先生の入り身だよな」

「わっかんね。くそ、速すぎて見えないのが何発もあったぜ!」

「あれが俺たちのボス。第七世代様かよ」


 互いの陣営も関係なく、この戦いを見ていたものは隣に対して感想をぶつけ合い、やり場のない感動のはけ口を求めて溢れかえっていた。

 その喧騒から浮き上がる様に、戦いの当人である二人の周辺は静かだった。


 しばらく、ロクは静止していた。


 結果を噛みしめる様に、ロクは両手を握っては開いては、その感触を何度も確かめていた。その表情は、まるで筋肉を無くした様に緩んで形を失っている。


 ——不器用な奴だな。


 宮本は、馬乗りになったままのロクを見上げてそう思った。

 どうやら、あの表情は、喜び方を知らないらしい。


「おいおい、起こしてくれよ」


 宮本がロクに呼びかけると、ロクは、ハッと気がついて馬乗りから飛びのいた。そして、そのまま恐る恐る手を差し伸べる。

 宮本はそれを掴んで、身を起こす。やれ鼻血がすげぇ、打撃の顔面受けはやるもんじゃねぇな。

 宮本は鼻につめるティッシュが欲しいな、と考えながら周囲を見渡したが、周りの彼の部下達は戦後の評論合戦に忙しく、誰も宮本を見ていなかった。酷い部下たちだ。ティッシュ、ティッシュ。


「宮本、さん」


 珍しく歯切れの悪いロクの声がした。


「ん、なんだ」

「あの、」


 なにやら遠慮がちだな。いつものロクからは、なかなかに見られない反応だ。


「僕は、強かったですか?」


 宮本は、ポカン、と口を開けた。


「おいおい、ロクよ。第七世代は嫌味も一流か?」と宮本は肩をすくめる。「お前は、さっき、俺に勝ったばかりだぜ」

「あ、いえ。そういう意味じゃなくて」

「なんだ、」

「あの、」


 ロクがこちらを見た。なんとも言い難い表情だ。


「父さんと比べて、どうでしたか?」


 ああ、そういう事か。

 宮本はティッシュを諦めて、稽古着の袖で鼻血をぐいっと拭った。痛てぇ、鼻骨が折れてやがる。それでも精一杯を込めて、ニッと笑いかける。


「まだまだ、だな。旦那のほうが圧倒的に強い」


 望みどおりの解答を言ってやると、ロクの両目に、輝きが広がって表情を笑いに変える。


「ありがとうございます!」


 ロクは頭を下げた。

 やれやれ、まるで殊勝な子供みたいじゃねぇか。

 宮本はもう一筋垂れ落ちそうになった鼻血を、袖で拭い直す。


「「ロク」」と背後から声がした。


 孤児院の生徒たちだ。彼らは宮本を追い越して、ロクに飛びついて喜んだ。口々に「やった」「やった」とばかり、言葉を覚えたての赤ん坊のように繰り返して、ロクに抱きついて飛び跳ねている。

 しまいには、戸惑うロクを担ぎ上げて胴上げを始め出した。

 わっしょい、わっしょい、

 随分と仲が良くなったもんだ。


「ロク」と少女の声がして、胴上げが中断した。


 孤児院の生徒たちはロクを下ろして、彼女を見た。片袖をペラペラにはためかせた孤児院の短槍の嬢ちゃん。確か名前は榊といったか。


「……まあ、良くやったな」と言って、榊はロクを見た。

「ああ、ギリギリだったけど」

「……」と、榊は言葉が見つからず黙った。

「どうした?」


 ロクが首を傾けて、榊を覗き込む。


「な、なんでも、ない」と榊は一歩後ろに退がって「だが、まだまだだな。ニィ隊長だったら、苦戦などしない」

「……そうかもしれない」


 ロクは握りしめた両手を見ながら言った。


「まだまだ、だ……」


 ロクは横を見ていた。


「でも、ようやく一歩、近づけた」


 ロクの視線の先から、布津野さんたちがこちらに近づいてくる。

 その布津野さんは、小走りでこちらに駆け寄ってくる。


「ロク!」

「……」


 ロクも数歩駆け寄りそうになったが、途中でピタリと直立不動になった。そのロクを布津野は躊躇せずに、がばっ、と抱きしめた。


「凄かったよ。良くやったね。怪我はない?」

「大して、ありませんよ」


 曖昧な表情を浮かべるロク。榊には何となく分かる。それはロクの照れてる様子だ。あの憎たらしいロクが表情を隠すのに失敗している。


「いや、でも本当に凄かったよ。入り身が綺麗で、速かった。足運びもスムーズで、それに、動きの起伏が整っていたよ。やっぱりロクはすごいな。まだ十五歳だよ。それなのに宮本さんに勝っちゃうんだから」

「父さんほどじゃ、ありませんよ」

「そうかな、ねぇ、ナナ」

「うん、ロク凄かったよ」


 そう言い添えたナナに向かって、ロクは「ありがとう」と答える。

 曖昧なロクの反応とは裏腹に、布津野はなにやらハイテンションになっている。左右をキョロキョロと見渡して、覚石に目をとめた。


「覚石先生、ロクはどうでしたか? 是非、ご講評をお願いします」

「少しは落ち着かんか。布津野」


 覚石は笑いながら、そうたしなめる。そして、ふむ、と口を整えた。


「まずは流石、と言わざるを得んな。日頃の稽古が結果に出たな」

「ありがとうございます」と、なぜか、ロクではなくて布津野が礼を言う。

「あとは老婆心じゃが、試合と実戦を混同せんことじゃ。試合で勝った者が実戦で生き残るわけではない。実戦なら、ロク君なら直突きで相手の眼球を狙うじゃろうし、相手もロク君を捕まえた瞬間に刃物で止めを刺しにくる。当然、結果も変わってくるじゃろう」

「はい」

「此度の結果は、あくまでも試合という状況下でのこと。ロク君が目指しているのは試合での強さではあるまい」

「……もちろんです」

「ふむ、それだけじゃ」

「ありがとうございます」


 ロクは深く礼をした。


「さてさて、ようやく、おじいちゃんの古臭い小言も終わったね」

 元気な声の正体は、紅葉だった。

「ロク君、最ッ高だったよ」紅葉は親指をビシッと突き出した。そして、横で鼻を押さえている宮本の方を振り向いて「それに、宮本さんもね」と言い添えた。

「紅葉ちゃんは優しいな」


 しみじみと宮本はため息をつく。


「それでは負けた宮本選手から、今回の感想はいかがですか?」と、紅葉はまるでマイクを握っているかのように手を丸めて、宮本に突き出した。

「ああ、そうだな。次からルールには、ロクはGOA側の選手であることを明記しておこう、と思いました」

「……ひどい感想だなぁ」

「それが大人の戦い方だ。それにロクは俺たちのボスだからな。ボスに裏切られて負けた隊員が不憫じゃないか」


 そうだろ、ロク? と宮本はロクに問いかける。


「そうですね。その裏切り者の上司を、現場指揮官の宮本さんが打ち倒せば、部隊の士気は上がったでしょうね」

「やれやれ、小さくて可愛かった頃のロクが懐かしい」

 そう言って宮本は「小さかった時もあまり可愛い奴じゃなかったな」とブツブツとつぶやく。

「夜絵ちゃんも凄かったよ」と今度はナナが榊夜絵に駆け寄った。

「ナナちゃん」

「千葉さんみたいな大きな人に勝っちゃうんだもの。ロクよりすごいよ」


 榊夜絵は小さく笑ってナナと手を握った。


「私なんて、まだまだ」

「そんな事ないよ」

 ねっ、と言ってナナは横向いて「法強さん」と呼び掛けた。

「そうだな」と法強は請け負う。「榊は間違いなく強い。女で体も小さく、しかも隻腕のハンデをものともしない功夫だった。並の事ではない」

「法強上将……」

「もはや、上将ではない」


 そう否定して、法強は目を細めた。


「ニィやロクだけではない。この国の子供たちはこれほどに凄まじい」


 そうこぼして下を向いた法強を、ナナが下からのぞき込んだ。


「違うよ」


 ナナの赤い目が法強をじっと見る。


「みんな頑張った結果だよ。いっぱい苦しんで、いっぱい恨んで、いっぱい目指した結果だよ。日本の子供でも、ダメな子はたくさんいる。大人も一緒」


 法強は、目を見開いた。


「そうか、お前は見えるのだったな」

「うん」


 だったらどうすればいい、と法強は自分に問いかける。

 その思考は沈んでいく。俺はどうすればいいのだ。祖国の未来はどこにある。目の前の現実にそれはあるのか。この子たちのような可能性にあふれた未来を、祖国は望むのか。


 頑張った結果、それが得られる世界を……。

 努力がむくわれる未来、そんな桃源郷を……。

 ……

 

 法強はちらりと布津野を見た。

 そこには幸せそうにロクを見ている男がいる。

 小柄で平凡な男だった。この場で、自分とこの男だけが異質だった。桃源郷の桃には霊力が宿っているという。彼もその桃を食わずに育った異邦人のはずだった。

 しかし、その男は桃源郷の中心にいる。

 否、その男の周囲が桃源郷になっている。

 そんな風に見える。

 その男の周りにはいつも笑顔が咲いている。


「俺は、」思わず口をついた法強に、布津野は気がついた。

 彼は法強のほうを振り向いて、砕けた笑いを浮かべた。

「法強さん、見ましたか? ロクも榊さんも、凄かったですね」

「そうだな」


 なんだかこちらも笑いたくなる。

 そうだ、と布津野は手を叩く。


「法強さん、一緒に飲みに行きませんか? お祝いです。前にご一緒しましょうと言ったじゃないですか」

 それは良いな、と法強は思い「是非、行こう」と応じた。

「宮本さんも、それに覚石先生もどうです。紅葉ちゃんも一緒に、紅葉ちゃんも二十歳はたちになったでしょ」


 それぞれが、行こう、行こう、と言う。

 桃源郷の酒は旨かろう、法強は顎を撫でた。


「ロクとナナも……」と勢いに乗った布津野が声をかけると、

「いえ、僕は結構です。未成年ですから」


 ピシャリ、とロクが断った。

 そう、と意気消沈する布津野をロクは見下ろした。


「どうぞ、大人たちだけで行ってきなさい。榊の検査もしなければなりません。僕らは検査に付き添ってから帰りますので」


 そうだった、と布津野は表情を気まずくした。榊さんは頭を打ったのだ。浮かれていた自分が恥ずかしくなる。

 榊がロクの続きを引き継いでい言う。


「どうぞ、布津野さんたちは行ってください。孤児院でも今夜は祝賀会を予定しています。もちろん、お酒は出ませんので飲んできてください。確か、今日は布津野さんが夜勤でしたよね」

「ああ、うん」

「では戻ってきた後に、改めてお祝いしましょう」

 榊は続けてロクの方を向いた。

「ロク、お前も来るがいい」

 ロクは怪訝な顔をする。

「仮にも、お前が大将戦を勝ったのだ。お前がいなければ祝賀会も締まらないからな。顔を貸せ」

「……ああ」


 ロクが頷くのを確認した榊は、今度はナナの方を向いて声色を優しげに変えた。


「ナナちゃんも来るよね」

「うん。お父さんが当直だから、今日はお泊まりだね」

「そうね。パジャマは貸してあげるからこのまま一緒に行こう」


 ナナと榊の二人は手を取り合って、きゃっきゃっとさえずっている。そばでその様子をじっと見ていた紅葉は「二人の小さな女の子っていいよねぇ」と意味不明な感想をつぶやいた。

 そのまま紅葉はくるり、と振り向いて布津野を見た。


「布津野先輩、私、やっぱり飲み会には行かない」

「え、そうなの?」


 さっきまでは乗り気だった紅葉の急変に、布津野は驚いた。


「うん、その代わり、私もナナちゃん達とお泊まりする!」


 そう宣言した紅葉は、布津野の返事を待たずにナナの方に向かって駆け出した。そのままナナを抱き上げると「私も仲間に入れてー、パジャマパーティーだ」などと叫んでワイワイ言わせている。

 子供達と若者はそんな黄色い声を上げながら、稽古場から固まって出て行く。後に残された布津野は周りを確認した。

 布津野の周囲には、宮本と法強、覚石の三人が残っている。


「一気に平均年齢が跳ね上がりましたね」と布津野。

「そうじゃの」と覚石が応じた。


 まぁ、男同士の呑みってのも楽しいからいいか、と思い直し、布津野は三人に笑いかけた。


「それじゃあ、行きましょうか」

 そうして、中高老年の男達は夜の街に繰り出していった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

遺伝子コンプレックス
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ