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[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:遺伝子コンプレックス)  作者: 舛本つたな
[第三部]僕は35歳、ロクはとても頑張っているから
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[3-06]平和と青春

 榊夜絵さかきやえは、今日のスケジュールをチェックしていた。


 孤児院では一般科目の授業があり、午前は共通科目、午後からは選択制の専門科目になる。いずれも数年の軍隊生活で遅れた内容を取り戻すためのもので、同年代の学生に比べて遅れてはいる。とはいえ、年長組のものは、そろそろ将来の進路を考えなければならない。

 孤児院での生活は、中国軍のそれと比べて随分と穏やかだ。ここには怒声も銃声もない。朝は穏やかな館内メロディーで目を覚まし、身支度と朝食の時間もたっぷりと用意されている。訓練と実戦の連続だった日常が、平日の授業と休日に置き換わっていた。

 数年ぶりに享受する平和は、まるで幼子の時に夢中になった物語な違和感があった。歳をとってもう一度読み返すと何かちょっと違う……そんな感じがまだ残っている。

 それでも徐々にではあるが、かつて慣れ親しんだ日本の平和は体に馴染みつつある。しかし、心はまるで幽体離脱のように、平和に沈んでいく体から、浮き上がって離れていくのを感じる。宙にぶらついて、行き場を失っている。

 そんな違和感を認識するようになったのは、年長組の進路希望を知ったのがきっかけだろう。

 もう半年前になる。この孤児院の責任者である布津野忠人が、かつて部隊の副隊長を務めていた彼女に、相談したいことがあると呼ばれたのだ。


「榊さん、どうしよう?」

「どうかしましたか?」


 部屋に入ってくるなり、そう聞かれた。布津野さんはかなり狼狽している様子で、手元の紙を何度も見ては頭を振っている。

 布津野さんの傍には、ここの教員を務めている宇津々ながめ先生が控えていた。ながめ先生は、赤子をあやすように布津野さんの背を叩いて、落ち着いてください、と声をかけている。


「実は、なんというか、ね」

「はぁ」

「とりあえず、これを見て欲しいんだ」


 差し出された用紙を受けとる。それは、先日に最年長の仲間に対して実施されたらしい進路希望の用紙だった。

 用紙は4枚ある。全員分だ。


「……布津野先生、」とながめ先生が慌てる。

「はい」

「進路志望は個人情報ですから、榊さんに見せたら問題になりますよ」

「あっ……」


 布津野さんの表情が凍りついた。

 相変わらずだなぁ、と思いながら、渡された用紙をそのまま布津野さんに差し戻した。渡された拍子に名前がちらりと見えたが、見えなかったことにしといてあげよう。


「見えた?」

 余計なことを聞く人だ。

「いえ、見えませんでした」

「よかった」と布津野さんは胸を撫で下ろした。


 ……どうして、ニィ隊長はこの人を信頼したのだろう。


 急に、無くなったはずの左腕が痛み出した。思わず肩口を抑えるが、表情には出さないよう、奥歯を噛みしめる。これはニィ隊長を助けた時に負った名誉の跡だ。あの人は今、どうしているのだろう?


「それでご相談、というのは?」

「ああ、えっと、この進路希望の内容なんだけどね」

「はい」

「えっと、あの……ながめ先生、内容は伝えても問題ない?」

「ええ、伝え方にもよりますが、」と、ながめ先生は言った後、「よろしければ、私からお伝えしましょうか?」と申し出た。

「お願いできますか?」

「はい」


 そう言って、ながめ先生は布津野さんから用紙を受け取った。


「さて、」

 こほん、と咳払いをするながめ先生。

「相談とは先日の進路希望調査についてです。実は、提出した全員が同じ進路を希望しました」

「……そうですか」


 その4名がなんと記入したのか、すぐに察しがついた。もし、自分が彼らであれば、同じ事を書くはずだ。


「希望したのは……表現はそれぞれですが、つまり『ニィと同じ部隊に戻りたい』というものでした」

「そう、でしょうね」

「驚きませんか?」

「ええ、私でも同じ事を書くでしょう」


 あの地獄の日々は凄烈だった。

 目の前は真っ暗で、自分の全てが否定される毎日が続いていた。五体を切り刻まれるような責め苦が続き、実際に五体のいずれかを失うものが続出した。私たちは消耗しながらも行列を一歩一歩進んでいた。進まねば死ぬだけだ。そして、その行列の先頭に立った者から死んでいく。そんな行列を続けていたのだ。


 ——ニィ隊長……


 ある日、白髪の美しい少年がやってきて、その行列の先頭に立った。

 あっと言う間もなかった。彼は突然現れて、周りを圧倒して、私たちの隊長になった。そして、死ではない新しい希望を指差して行列を導きだした。そして私たちはニィの背中に向かって、駆け抜けたのだ。

 彼が率いる行列での全力が、私たちの青春を焼いた。


「……当然です」


 泣きそうになるのを、堪えた。


「ニィ隊長がいてくれたから、私たちがあるのですから」


 最後は涙声になるのを、我慢できなかった。

 どうやら泣いているらしい、輪郭がぼやけた視界のまま、布津野さんを見る。


「ニィ隊長はどこにいますか?」


 布津野さんが、どんな顔をしているのか私にはもう見えなくなる。


「布津野さんなら、知っているでしょう? 貴方なら、知っている。だって、だって、」

「……」

「貴方は、隊長が選んだ、唯一の人だから」


 布津野さんが近づいてきたから、私はそれに向かって飛びついた。



 あの相談の件があってから、私は布津野さんの側にいることにしている。

 それは正解だった。やはり、布津野さんは定期的にニィ隊長と連絡を続けていたのだ。布津野さんの携帯には、週に一回か二回くらいの頻度でニィ隊長からの連絡が入る。その内容は、どの国で何を食べたとか、観光名所が残念名所だったとか、地中海の海は美しいがそこに住む魚は不味い、とか他愛もない雑談ばかりだった。しかし、少なくともあの人は生きている。

 この事実が、何よりも嬉しく。同時に歯がゆい思いを募らせる原因にもなった。どうして私はここにいるのだろう。私がいるべき場所は、ここじゃない気がする。


「やぁ、榊さん。おはよう」


 突然、後ろから布津野さんの声が聞こえてびっくりした。


「おはようございます。布津野さん」

「今日も、ご苦労様だね。どうだい? みんなの調子は」

「特に問題ありませんね。あの、ニィ隊長から新しい連絡ありました?」

「ん〜、確か今はアメリカって言ってたよ」

「アメリカ……」


 今までは欧州をあちこち飛び回っていたようだが、アメリカに移動したらしい。


「相変わらず、ニィ君のことが気になるみたいだね」

「当然です」

「こっちは、頭が痛いよ。まさか君たちをニィ君の部隊に戻すわけにはいかないからね」


 それどころかニィ隊長の部隊なんてもの自体、もう存在しないのだ。


「……それは、わかっていますけど、」

「まぁ、実際、将来の進路なんて迷いながら決めるものだろうから、なんとかなって欲しいけれど」


 布津野さんはそう言って、私の確認していたスケジュールを覗き込む。そこには、今日の授業の内容がびっしりと書き込まれている。彼はそれを見ながら、感心したように息をこぼした。


「この授業だって、いつかニィ君に役立てるかもしれない」


 そんな保障なんてないけどね、とまた余計な一言を添えて布津野さんは笑った。

 私は、思わず口を尖らせた。


「別に、全員が隊長の部隊に戻りたい、と考えているわけではありません」

「そうなのかい?」

「ええ。もともと、部隊でも帰国組と残留組に分けられていました。本来であれば、帰国組は日本に帰り、残留組はその後も隊長についていく予定だったんです」


 それがあの事件で、48人全員が政府預かることとなり、この孤児院に保護されることになったのだ。そしてニィ隊長は、一人で姿を消してしまった。私たちには何も告げずに。


「そうだったんだ」

「まぁ、そうです。実際のところ、年少組なんかは残留希望者でも、ニィに説得されて無理やり帰国組にした経緯もありますが……、でも全員が軍隊にいたいと思っているわけではありません」


 頭の中でメンバーの顔を思い浮かべながら、それぞれの考えていることを思い浮かべてみる。軍人になってまで隊長と一緒にいたいと思っているのは……60%くらいだろうか?


「それに、隊長と一緒にいたい人は多いと思いますが、軍人になりたいと思っている人は少ないと思います」


 実際のところ、軍人となってニィ隊長と同じ部隊に所属できる可能性はほとんどないだろう。そもそもニィが軍人になるのか、という問題もある。仮に、軍人でも同じ配属になる可能性は高くない。それに、隻腕の私が軍人になれるのか、という問題もある。

 そうなってくると、今のうちに幅広く勉強して、やがてニィ隊長が望む人材になれるように努力したほうが確率は高いだろう。結局、毎日の生活をちゃんとこなすことが明日に繋がっているのかもしれない。


「そういえば、布津野さんの今週の予定ですが、」

「ああ、何があったかな?」


 上を向いて思い出そうとする布津野さんを横目に、携帯端末のスケジュールアプリを起動して参照ユーザーを『布津野忠人』に切り替える。時系列順に並んだ項目を上から下にスライドして確認して彼の予定を確認した。

 布津野さんはこんなでも、ここの責任者だからそれなりの予定が詰まってはいる。……ちょっと少ない気もするけど。


「めぼしい予定は……あっ、そうだ! 今週末には対抗戦が控えていますね」

「対抗戦?」

「GOAとの対抗試合ですよ。重要なんですから、忘れないでください」


 そう言いつけた私を、布津野さんは眉をへの字に曲げて見る。


「ああ、あれか。もう、そんな時期なんだね……」

「今回勝てば、我々の勝ち越しです。思い上がったGOA共に思い知らせてやりましょう」


 対抗戦とは、GOAと孤児院との団体試合形式の稽古で、隔月で開催されている。今回で数えて五回目であり、今のところは3勝2敗で我々孤児院側が優勢である。

 布津野さんは珍しく顔をしかめて、首を振る。


「僕はあの稽古は反対なんだ。みんなは盛り上がっているみたいだけど」

「ああ、そうでしたね」


 この対抗戦は、GOAの隊長である宮本十蔵の発案で始められたものだ。

 布津野さんは孤児院での稽古だけでなく、GOAの訓練場でも出張稽古をしている。事の発端は、その出張稽古に孤児院の生徒を数名連れて行ったことだった。GOAの隊長が、稽古の余興に鬼子実験部隊とGOAの対抗戦をしようと提案したのだ。

 後に、初回の対抗戦となったその余興の結果は、GOA側の全敗という痛快な結果に終わった。あの時のGOAどもの唖然とした表情は今でも忘れられない。生まれ持った体格と最新装備に依存しているだけなのに、世界最強だと恥ずかしげもなく公言するかわずどもが、蛇に睨まれたようにグゥの音も出せずにいたのだから。

 GOAどもの鍛錬不足以外にも、勝因は色々とあるだろう。当時参加していた孤児院側のメンバーは殊に体術については精鋭が中心だった。あのニィの事件以来、布津野さんの技に憧れ、傾倒していった者は少なくない。彼らは、連日連夜、布津野さんの稽古に参加し、その研鑽を積み重ねている。

 ところが、その布津野さんはこの勝利を喜んでいない。


「試合に勝つための技や工夫は、それはそれで独特のもので実戦とは違うよ。試合のために稽古するのは良くない。それに、危ないだろう。怪我したらどうするんだ」


 布津野さんは、とても温和な人だが、武術についての姿勢は不思議なくらい実戦的で真摯だ。その一方で、怪我を心配するというのは矛盾している気もする。


「おっしゃる通りですが、形稽古のみでは実戦で応用するのは困難です。試合形式の訓練も程度を誤らなければ有用です」


 対抗戦を導入したGOAの隊長も同様の意見を言っている。形稽古で体に染み込ませた所作を、実戦でスムーズに発揮するにはそれなりコツが必要だ。


「そうだけど、さ」


 布津野さんはそう認めつつも、ブツブツ、と何やらこぼしている。「だって、危ないし」と何度もつぶやいていることから、どうやら、本音は怪我人が出るのを心配しているらしい。


「そう言えば、対抗戦にはナナちゃんも見に来るんですよね」


 いつまでも、ブツブツと鳴り止まないので、話題を変えてみた。


「ああ、そうみたいだね。ロクも楽しみにしているよ」

「ああ、あいつも来るんですか」


 口を歪めると、布津野さんが顔を困らせた。それを眺めていると「あっ」と、良いアイデアが思い浮かんだ。


「……どうしたの?」


 怪訝な様子でこちらを見る布津野さんを無視して、よし、と右手を握りしめた。

 ナナちゃんか、最悪の場合はロクからニィ隊長の情報を聞けないかと思いついたのだ。あの憎きロクから聞き出すのはしゃくではあるが、隊長の情報が聞けるのであれば我慢くらいはできる。


「何でもありません。今度の対抗戦には私も参加します。こちらのベストメンバーを選んでおきます」

「……あまり熱くならないでね。あくまでも稽古だから」

「ええ、稽古中の怪我は武道家の恥、でしたっけ? 気をつけます」


 まるで稽古中のように、整えた一礼をして見せた。


「本当に、熱くならないでね。怪我はダメだからね」


 布津野の困った顔を、榊はさらに頭を下げてやり過ごした。


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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

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