[2-28]少し長めの後日談―その2
やっぱり、会長さんの色は苦手。
ナナは紅葉の後ろに隠れて紅葉の制服の裾をギュッと掴む。頭だけを横から出して百合華を覗き込んで、彼女の人間性に目をしかめた。
赤黒い濃厚な色。ワインレッドのように透き通った色になったかと思えば、血のようにドス黒くも変遷する。その色は普通の人とは違って、目を離した隙にあっという間に変わってしまうのだ。
多分、会長さんは色んな自分を持っていてそれを自由に使い分けている。それでいて、その色んな自分にはちゃんとした共通点があるから、あくまでも会長さんとしての存在を保っていられる。
そんな綱渡りのような人格を、彼女自身は楽しんでいるようにも見える。でも、それを目の前にした他人にとっては、いつの間にか彼女に惑わされていいようにされてしまうのかもしれない。ハタ迷惑な人間性だ。
「さて、後日談と行きましょうか」
会長さんは嬉しそうに、薔薇のような赤色を咲かせながら手を叩いた。
「後日談?」
紅葉先輩は怪訝そうに首を傾げて見せながら、生徒会室の椅子に腰かけた。
私も慌てて紅葉先輩の隣の椅子に座る。向かいにはニコリと笑いかけてくる会長さんが座っている。
「ええ、後日談。私は小説でいうと後日談が大好きなの。モミちゃんはどこが好き?」
「ん~、私はあんまり小説読まないから、」
「あら、そう。じゃあ、ナナさんはどこが好きかしら?」
急に話を振られて思わずたじろぐ。
こちらをのぞき込んで来る会長さんの色は、キャンプファイヤーのように真っ赤に輝いている。それは彼女の強烈で純粋な興味の輝きだ。
この人は全力で、この瞬間を楽しもうとしている。
「……何がそんなに楽しい、のですか?」
「あら、顔に出ていまして?」
会長さんは片手を頬にあてて笑った。
それに紅葉先輩があきれた様子で合意する。
「確かに、今日のクロちゃんはなかなかにハイテンションだね」
「ふふ、確かにそうね。私はいささか高揚していますわ」
「どうしてだい?」
「さて、それは多分、私が待ち望んでいた後日談をようやく聞くことが出来るからではないかしら? もう一度言うと、私は後日談が一番好きなの」
「なんだか、よく分からんね」
紅葉先輩は首を振ると、机の隅に置いてあった干菓子の袋に向かって身を乗り出すとそれを取り寄せた。その袋をぴりぴりと破いて開きながら、
「それに後日談って、どちらかと言うとクロちゃんが私たちに教えてくれるんだろ。あの事件の後、ロク君たちとその後の難しい事を打ち合わせして走り回ったのはクロちゃんじゃないか」
ポリポリとお菓子をほおばりながら、紅葉先輩は菓子の小袋を二、三個だけ私の目の前に押し寄せる。
「まあ、そうね。私、後日談を話すのも大好きなのよ」
「じゃあ、良かったよ。正直、私なんか聞きたくてウズウズしてんだ」
「ええ、その代わりにモミちゃん。ここで聞いた内容は他言厳禁よ。ナナさんには多分、聞かれても問題はないだろうけど、これはお上から厳重に口止めされている内容だから、ね」
「……むむ、分かったよ。お口チャックだね」
「ええ、ジッパーがなければ縫い針をお貸ししますわ」
「結構だよ」
紅葉先輩は目を閉じて唇を指でこすって見せた。
会長さんは「お茶がいるわねぇ」と言いながら、席から立ち上がると部屋の奥においてある食器を鳴らしながらお茶の用意をはじめながら、こちらに向かって語りかけてくる。
「結論から言いますと、あの中国の空母艦隊はニィ少年の思惑通り無抵抗のまま拘束されたわ。バックドアからシステムを完全に掌握され管制機能がシャットダウンされた状態でAI艦隊とかいう無機質な軍隊に包囲されてしまい為す術もなく完全に降参。乗組員と拿捕された艦艇は、近々、中国政府に艦艇を返還する手はずになっているとのことですわ」
「へぇ~、返しちゃうんだ」
「ええ、ロク少年曰く、あんな旧式なんて要らぬ、との事ですわ。日本政府としてもこれ以上に中国政府と関係をこじれさせるつもりはない、という事でしょう」
会長さんは向こうから急須と茶碗をお盆にのせて、しずしずと机に戻るとそれをトンと机に置いた。急須をまるく揺らしながら続ける。
「方強という中国の独断専行に走った司令は日本政府に身柄を拘束され、建前上は正式に日本に亡命することとなったようです。方強としても自分の息子夫婦を人質に取られている形になりますので表向きは大人しいものね」
「むぅ、結局、その方強さんの息子さん達は、」
「中国に潜伏していた日本の工作員に連れられて日本に亡命したそうですわ。方強が中国共産党の高官軍人とは言え、その息子は一般人。任意の亡命と偽って連れ去ることは容易だったでしょうね」
こぽこぽ、と会長さんの手元の茶碗から湯気が立ち上る。
お茶の柔らかい香りが鼻をつつきながら、くしゃみをしたくなるようなむず痒い気持ちがする。
「ねぇ、クロちゃん」
「何かしら?」
「何が正しかったんだろうね?」
「ふふ、モミちゃんったら、いきなり核心をつくのね」
「ん? どういうことだよ」
会長さんは茶碗をつまむように持って、私と紅葉先輩の目の前に置いた。その茶碗の水面は揺らいでなかなか止まらない。
「でも、結局、戦争は起きなかったわ」
「そ、だね」
「殺され、闇に葬られるはずだった48人の少年少女は、少なくとも生きている」
「うん」
「そして、その代わりに、罪もない中国人夫婦の一組が強制的に誘拐され、彼らの生まれてくるであろう子供には遺伝子最適化が施される。その夫婦が望もうと望むまいと関係なしに強制的に、ね。日本政府としてはこの事件、『生まれてくる孫に遺伝子最適化を望んだ哀れな老将軍の暴走劇』として処理するつもりですから」
「……それで良かったのかい?」
「さあ?」
会長さんの目がすぅーと細くなって、お茶を口に含んだ。そして、まるで苦い薬を飲み込むように、ぐびり、とそれを飲む。彼女の色が血のように濃くなっていく。
「方強とかいう艦隊司令からすれば、腸を油で湯引きされて切り刻まれるような気分でしょうね。自らの命を賭して貧困にあえぐ民衆を救わんとした憂国の士。それが彼の自己認識だったのだから」
「でも、その人は戦争をしようとしたんだろ。悪い人、なんだろ」
「さあ? 彼は戦争をしようとしたのではなく、行き詰った中国人民に対して突破口を示そうとしたのではなくて? その方法はいささか野蛮で策略的ではありましたが、結局のところロク少年とニィ少年に手玉に取られた。それだけでしょう」
「でも、戦争なんて……」
「戦争がどうして悪いのかしら? 確かに現状での戦争は日本政府には都合が悪いでしょうけど」
「当たり前じゃないか、人が死ぬんだよ」
紅葉先輩がそう言って食い下がろうとするのを、会長さんは視線を茶碗に落としてやり過ごして息をほっとついた。
「……貧困地域の乳幼児死亡率は10%前後になるそうよ。一方で、戦争における国民の死亡率は1%未満。総力戦となった第二次世界大戦でさえ日本国民の死亡率は4%程度だった言われているの。所説あるけどもね。もちろん死者のほとんどは軍人よ。……対して、貧困で死ぬのは5歳未満の乳幼児。しかも、貧困は何十年も何百年も継続される。人が死ぬから戦争が悪いのであれば、貧困はより悪と言えないかしら。だったら、中国の貧困層を救うために方強が起こそうとした戦争は果たして『悪い』のかしら?」
「……」
「お上の仕事は難しいものね。何よりも忌むべきは貧困なのかもしれない。貧困に陥っている国は総じて政府機能が崩壊しているわ。国民が貧困にならないように、国家は正しく運営されなければならない。知っている? 乳幼児死亡率の高い貧困地域は出産率も高い。子供を育てるための食料・医療・教育といった社会インフラがない地域でこそ子供を多く生み、結果として貧困が螺旋上に深まっていく。そういった場所では、子供は重要な労働力であり消耗財に成り下がる」
紅葉先輩の喉が、ぐぅ、と唸る。
会長さんのそういった物言いは、まるでロクみたいだ。彼女の色は赤が映えるくらいに鮮やかに変わる。何にも濁らない純粋な赤。残酷な色。
紅葉先輩は何も言えずにただ睨んでいる。会長さんはふっと微笑んで湯呑を机に置いた。
「そこにあるのは、『良い』でも『悪い』でもないと思うの、モミちゃん」
「……じゃあ、なんなんだよ」
「ただ、『優秀』か『無能』かだけ。優秀な人間が指導し作り上げられた組織は貧困を失くし、無能が主権を得た国家は乱れて貧困が蔓延る。そういった意味で、ロク少年のような人間を産み、それに指導させるという体制はなるほど無味乾燥ではあるけれど合理的ね」
会長さんはくすくすと笑う。私はそれを横目に緑茶を飲んだ……にがい。
何だか納得いかない。なんていうか、そんな風に簡単に言いきれてしまう事なのだろうか。あのロクでさえもあれだけ悩んだ。お父さんはその何倍も悩んでいた。
単に優秀かどうかだけで正しいかどうかだけが決まるなら、どうしてお父さんの抹茶色はあんなにも綺麗なんだろう……。
紅葉先輩は頬を膨らませて会長さんを睨む。
「あんまり、好きじゃないなぁ」
「あら……そうね。モミちゃん好みじゃないかもね」
「クロちゃんだって、そういうの好きじゃないだろ」
紅葉先輩がぐっと睨み付けると、会長さんは笑いを消して真剣な目線をしてみせた。
「好き、じゃないかもしれないけど。そういった考え方をする人間よ、私は」
「……」
「モミちゃんが私みたいな人が嫌いなら、悲しいわ。私はモミちゃんみたいな人が大好きだから」
会長さんの赤色が、マッチの火のように揺らいだ。
彼女はズルい顔をして紅葉先輩を見ている。紅葉先輩はますます、むすっ、とした様子で腕を組んだ。
その様子を見た会長さんの色が、今度はロウソクの灯のように落ち着いていく。
――この人は、勘違いしてる。
「会長さん、紅葉先輩はあなたのお母さんじゃないわ」
ナナは思わずそう口をついてしまった。
隣の紅葉先輩が驚いてこちらを振り向き、会長さんは目を丸くして口を小さく開けた。
「……どういう事かしら?」
会長さんはさっきまでの笑いを引き締めて、私を見据えた。
負けるもんですか。その目をまっすぐと見返して、堂々と胸をはる。
「お友達だからって、甘えすぎるのは良くないわ。自分の考えに自信がないのなら素直にそうハッキリと言えばいいのに。紅葉先輩はきっと全力で答えてくれるよ。私は間違っているの? ってそう言えさえすれば、ね」
「……」
「あなたの色は、深くて美しいけど、不安定。人を不安にさせる。お父さんとはやっぱり違う。……全然、違うわ」
「兄様の……イロ?」
会長さんは手を口に当てて身を引いた。そして、その目はまるで怪物に挑むかのように鋭く私を睨みつける。
そんなに睨んだって怖くなんか……ない。けど、私は思わず、紅葉先輩の方に視線をそらした。そこには暖炉のような暖かいオレンジ色に包まれた紅葉先輩がいる。
「お父さんの色と本当に合うのは紅葉先輩の色なのかもしない……、そう思って、怖がっているんでしょう? でも、不安だから確かめられずにはいられない。貴方は紅葉先輩で答え合わせをしている」
「……」
深呼吸をして、会長さんの方に視線を戻す。
会長さんは、怯えていた。色がマッチの火に戻っていた。
彼女の自信に満ち溢れた様子からは想像も出来ないほどに表情を小さく歪ませて、体を背もたれに押し付けて距離をとろうとしている。
「確かに、紅葉先輩の色は綺麗でお父さんの色を温かく包み込む太陽のようなオレンジ色。でも、安心すればいい。あなたの思う通りだと確信すればいいわ。会長さんの色だって綺麗よ。とってもね。お父さんの深い抹茶色に、会長さんのワインレッドはとっても合うと思うわ」
「ナナ……さん?」
「でもね。これだけは言っておく。よく聞いて欲しいわ」
私は椅子から立ち上がって、腰に手を当てて思いっきり背筋を伸ばす。出来るだけ会長さんを見下ろすように背伸びをした。
「お父さんは、ナナのお父さんなんだから!」
会長さんの赤色が、ふっと消えてしまった。