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[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:遺伝子コンプレックス)  作者: 舛本つたな
[第二部]僕は33歳、こんなんだけどお父さんだから。
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[2-21]消える入り身の正体

 ぜぁ! と、ロクが吠えた。

 繰り出したその直突きを、二ィは一歩下がってやり過ごす。

 即座に追い打つ二連撃は、いずれも間合いが遠く二ィを捉えきることは出来なかった。


 ロクの思考は落ちていた。

 何も考えていなかった。

 体が勝手に動いていた。


 二ィは強敵だった。その動きは明らかに格闘戦において十分な訓練を積んでいた。

 それは、中国で軍事訓練を受け、実戦経験も豊富であろう二ィにとって当然なのかもしれない。

 しかし、そんな当然の思考すらロクの頭にはよぎらなかった。


 ロクはただひたすら相手の、二ィの死を求めた。

 息を吐くと同時に重心を落とす。膝を緩めて備える。二ィの攻撃の起点を見極め、それをかい潜り、反撃を相手の急所を狙って打ち込む。二ィの鳩尾みぞおちに、胸骨に、眼球に、

 二ィはしかし、その攻撃を巧みにやり過ごし、反撃を繰り出す。

 二ィの蹴りが繰り出され、それを肩で受け飛ばし、

 二ィの拳が振り落とされ、それを払い落し、

 二ィの掴みに応じて、距離を詰める。

 気が付けば二人は互いに腕を掴んで組合っていた。

 目の前には二ィの顔が間近にある。


「二ィ!」

「ロク!」


 二人はまるで想い人のように互いの名を絞り出す。


 ロクの動きは最適化されていた。

 より、相手の死に近づくように、最短の経路を瞬時に、間違うことなく選択する。

 隙あれば眼球をさし潰す、なければ肺に強打を、少なくとも骨は折る。

 繰り出す連撃は常に相手の命を削り取るためにあった。ロクと二ィの攻撃はともに相手の生を絶対的に否定していた。

 二人はそんな攻防を、至近距離で繰り交わす。

 防御が間に合わなければ、死ぬ。

 しかし、防御すら惜しい。

 そんな時間を二人は間違いなく、共有していた。


 やがて、二人は互いの猛襲に耐えかねたように距離をとった。

 一呼吸互いに息を置く。

 

 互いに実力は拮抗していたように見える。

 しかし、沈み込んだ表情のロクに比べて、二ィは少なくとも表面的には笑みを浮かべていた。


「ロク! その技はどうした?」


 ロクは答えない。


「どうして、最適解のお前がそんな技、身に着けている!?」


 ロクは答えない。


「答えろよ!? 最適解!」


 ロクは重心を沈めた、

 無意識に地面を蹴り出し、渾身の直突きを二ィの顔面に繰り出した。


 ――父さんからだ!


 それは、声にならない叫びだった。

 そのまばたきの一撃は防御を掻い潜り、二ィは辛うじてそれを肩で受ける。が、二ィはその勢いを体を回転することで受け回し、返す裏肘をロクのこめかみに打ち込んだ。

 パッ、と鮮血の華がロクのこめかみに咲く。

 ロクが頭を押さえてよろめいたが、しかし、その目は二ィを睨んで離さない。

 咄嗟を埋め尽くす二ィの追撃を一歩踏み込んでかい潜り、すれ違いざま、二ィの鳩尾に拳をめり込ませた。

 二ィの表情が歪み、くぐもったうめき声が漏れた。


 大きく、二人は後ろに飛んで、距離を取る。

 乱れる互いの呼吸は刹那に止まり、互いの視線はまっすぐに交差して絡まった。


 ロクはこめかみから流れる血の熱さを、冷たく感じた。

 重心を軽く落とし、腹を中心にまっすぐ立つ。

 右足を半歩前に、心の臓を隠すように相手に対して右肩を見せる。

 両手は太刀を握るようにはらの前に置く、拳は握らない、開きもしない。攻撃の意図を悟られるから。


 全部、父さんに教えてもらった。


 一方の二ィは息を吐くと同時に、構えの左右を入れ替えた。

 重心の深い左半身、中国拳法の――八極の様式がうかがえる。

 八極拳は中国人民解放軍でも取り込まれている格闘技術である。おそらく、そこで仕込まれたものだろう。

 二人の細く吐き続ける呼吸音が重なる。


「妙な技だ」と二ィがこぼした。

「……」

「政府のご意見番のお前に、そんなもの必要ないだろうよ」


 ロクは無言でそれを聞き流す。


「いずれにせよ。お前がそんなお遊びを学べるほどに、安穏としていたようじゃないか? 虫唾が走るぜ。サンや俺達の犠牲を積み重ねて、その上で高見の見物しながら家族ごっこに趣味の格闘技かぁ」


 二ィはゆらゆらと左右前後に構えを組み替えながらも、ロクの隙を伺う。

 

「そんなママゴトで、俺に勝てるかッ!?」


 二ィが大きく一歩踏み出した。

 ロクはそれを冷え込んだ意識で迎え撃つ。直撃、連撃、曲撃、全てをいなし、かわし、受ける。

 父さんの技の極意は受けにある。とロクは日ごろからそう考えていた。

 父さんは常日頃から相手から先に攻撃をさせ、それを収めるように制した。それは相手に対して貧弱な体躯しか持ち得なかった父さんなりの工夫なのかもしれない。

 受けに、受けきり、受け止め、殺す。

 父さんの攻撃は、常に最後の一度きりだけだった。

 常に一撃で決着をつける。

 そんな工夫を極めた父さんの入り身は、あまりにも小さな動きで相手の死地にたどり着く。ゆえに、相手は父さんが消えたと錯覚する。

 あまりにも小さなその動きが、相手には見えていないのだ。繰り出した攻撃は全て躱された果てに、いつの間にか殺されてしまう。

 それが、父さんの消える入り身の正体だ。

 

 風を切って唸りあげる連脚がロクの耳元をかすめる。

 八極の攻撃は熾烈だ。受ければ死ぬ。死ぬのは嫌だ。二ィを殺すまで、死にたくない。


 二ィの鋭い前蹴りを、ロクは辛うじて交わした。

 小さく、

 二ィの裏拳を、首をひねってやり過ごす。

 もっと、小さく、

 二ィの肘打ちが繰り出される前に払いのける。

 消えるほどに、


 ロクは小さく、小さく、二ィの攻撃を受ける。

 二人の間は徐々に縮まっていく、やがて、それは致死の距離に行きつく。


「ちぇぁ!」と吠えたのはニィ。

 その咆哮と同時に繰り出した鋭い崩拳突きはフェイントだ。それを掻い潜ったロクの脳天を狙って、振り上げた別の肘を打ち下ろした。

 二ィは確信した。ロクの脳天が打ち割る未来を。

 しかし、

 打ち下ろした腕は空を切った。

 ロクが、消えた! 思わず二ィは左右を探した。


「二ィ」と耳の後ろから、ロクの声がした。


 二ィは即座に振り返ろうとしたが、ロクが二ィを羽交い絞めにしてそれを阻止する。

 二ィは咄嗟に、手で喉元を守る。

 ロクの腕が蛇のように首に絡みついてギリリと締め上げる。二ィは辛うじて手を差し込むことに成功し、なんとか気道を確保することが出来た。

 背後から完全に首を締めあげられた場合、脳が酸欠を起こし数秒で気絶する。


「ロクゥッ!」と絞る出すように、二ィはうなった。

 ギリギリと、軋む筋肉の音が骨に響く。

 全身で絞り上げるようなロクの背筋を、二ィはロクの両腕から感じていた。

 ロクは確実に頸動脈を狙っている。隙あれば首を捻り、自分の頸椎をちぎろうするだろう。その挙動は確実に二ィの死を目指していた。

 状況はそのまま硬直した。

 二ィは歯を喰いしばって耐えた。締め上げるロクの筋力は予想外に強く、その使い方は巧妙だった。全身の筋肉を連動させて、こちらが抵抗しにくい箇所を中心に攻めてくる。

 こいつ、鍛えてやがる。少なくとも体術的には軍にいた俺と同じくらいに。

 実力が拮抗しているのであれば、後ろを取られた二ィの方が不利だ。時間が立てばこのまま落とされる。


 その時、二ィの耳元でロクが吐きこぼした。


「二ィ、父さんは関係ないだろう」


 そのロクのかすれた声は、二ィを激怒させた。


「関係ないだとッ! 当たり前だ! 関係なんて、あるか! 俺も、あいつらも、サンも、関係なんてなかっただろッ!」


 二ィはあがいた。泥の中で溺れ、もがくように。

 ロクの腕の中で暴れまわる。

 二ィ暴れながら不意に悲しくなった。どうして、あの人の息子がこんな奴なんだ。


「お前はッ! 正しさで人を殺す。殺しておいて正当化する。布津野さんはそんな人じゃなかった。お前は、何も分かっちゃいない!」


 布津野さん、という名を発した時、ロクの拘束がわずかに緩んだ。

 二ィはその隙を逃さず、自分の後頭部をロクの顔面に打ち付け、拘束をくぐり抜けるように解くとゴロゴロと転がりながら距離を取る。

 振り返り立つ二ィは、ロクと再び対峙した。


 憎しみの瞳が交差する中で、二人は肩で息を乱していた。

 ロクはこめかみと、先ほど二ィに打ち付けられたせいで鼻から流血を垂れていた。

 二ィは先ほどの羽交い絞めで、首が鬱血し紫色にはれ上がっている。顔が蒼白になり血が頭部に十分に巡っていないことが見て取れた。


 二人は、再び対峙した。

 遠くからドォンと轟音がまた鳴って、部屋中をミシミシと振動させていた。

 その爆破音はもう3度目だった。

 その場にいる全員が、決着を予感していた。


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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

遺伝子コンプレックス
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