[2-20]嘘の匂い
黒条百合華は目の前に構えた拳銃を握りなおして、その重鉄の感触を確かめた。
何かがおかしい。
筆舌に惑う違和感の味がする。
異臭がする。そう、まるで嘘の匂いのような……。
銃口の先には、ロク少年をまっすぐ見据えて構えを取る二ィという白髪の少年がいる。
この異臭はその二ィ少年から漂ってくる。
この小僧は何とのたまったかしら?
――布津野さんは、殺してしまったよ
そう、そう、そう言ったわ。
おかしいわ。おかしいわ。不可解よ。
彼のその発言は、飛躍している。不自然で非連続だ、
――戦争を回避するために、あいつ等だって、ギリギリまで耐えてきたんだ!
――俺達は、日本政府に保護を求める。
――つまり、日本政府は俺達の存在を知っていた、と
彼は終始、理性的に慎重に対応をしていた。
その言動は誘拐被害者の保護を日本政府に説得させるという明確な目的に沿って、まっすぐ、柔軟に、回り道を厭わず、走り抜けてきた。
そんな彼が、急に、全く関係のない兄様を殺した。
それは彼が進んできた逃避行を逆行する行為でしかない。人質として攫ったのであれば、殺してしまっては無意味だ。
そんな矛盾を抱えることが出来るほどに、彼の狂気は深いのだろうか。
……なにより、
この私なら、兄様がもし死んでしまったとしたら、直感で分かるはず。
二ィ少年は油断のならぬ傑物だ。しかし、その取り巻きは苦境をくぐり抜けた兵士とはいえ所詮は十代の少年少女である。
百合華は鋭く周囲に視線を走らせた。
二ィの後ろに控える彼らの目は、明らかに動揺に浮いている。互いに助けを求めるように左右に視線を配りながらも、同時に相手と視線が合わさないように互いの視線を避けていた。彼らの瞳は混迷に漂っている。
百合華はそう言った目をする人を何人も見てきた。
場数を踏んだことのない人がする目。臨機において己ですべき事を決めれず、立ち尽くすだけの困惑が彼らから立ち込めている。
明らかに、彼らは、二ィからの指示を待っている。
つまり、二ィはこの状況になった場合の対処を、彼らに事前に指示していない。
彼らにとってさえ、この状況は想定外なのだ。
次の瞬間、遠くからドンと爆破の轟音が降りかかってきた。
――GOAが動きだしたわね。
この爆破がGOAの突入によるものであることは、事前にロクから作戦を知らされていた百合華にはすぐに判断がついた。
その場にいる、ロクと二ィと、そして百合華以外の全員が天井を見た。
ロクと二ィは互いから目を一切離さない。
百合華は、二ィの兵の観察に集中していた。直接二ィから真実を探るのは困難だ。しかし、彼の兵に漂う動揺から状況を読み取ることは不可能ではない。
二ィの兵の、特に若い少年が顔をゆがめて口走った。
「二ィ、どうすれば……」
その間隙を見逃す百合華ではない。蛇のようにその隙間に口を滑り込ませる。
「お上の特殊部隊の突入のようですわね。GOAとかいう下品な連中ですわ。任務はそうね。兄様がもういないのでしたら、殲滅ですわねぇ。そう、皆殺し」
その若い少年兵は、ビクッと頬を震わせて真実を漏らす。
「二ィ、あいつ等が……」
「大丈夫だ!」
二ィはロクと対峙しながら、大声で叫んだ。
「あの人なら、大丈夫だ。俺を信じろ」
「はっ!」と少年兵は迷いを打ち払うように、背筋を伸ばして声を張り上げた。
百合華は、そして、確信した。
兄様は生きている。そして、二ィが言うあの人こそ、おそらく兄様だろう。
理由はある。なぜなら、あの兄様だからだ。
面白い。と百合華は思わず声を漏らすとニンマリと嗤った。
流石は兄様。いつも、私の想像など遥かに超えていらっしゃいますわ。
あぁ、情けないのは矮小なる私。
兄様の死を一瞬でも想像して取り乱すなど、あってはなりません。
百合華は拳銃を下ろすと、近くにいる鬼瓦丈造に近くに来るように手招いた。
同じく拳銃を手に険しい顔をより一層険しくして、周囲を警戒していた丈造は、百合華が呼んでいることに気が付くとすぐに横に近づくと腰をかがめた。
「鬼瓦、外の皆に伝達を」
「はっ」
「政府の要請通りに全員を血祭りにするつもりでしたが、状況が変わりました。こう伝えなさい。『中国人は殺せ、子供を見れば無抵抗ならば殺さず保護しろ。抵抗するものは殺せ』です」
「はっ、確かに」
政府の要請、つまりロク少年の作戦によればここで中国マフィアともども、このビルにいる全員を皆殺しにする予定でしたが、残念ながらその約は反故にさせて頂きましょう。
「それと、皆にこうも伝えてください。『布津野の兄様がいれば、兄様に絶対服従をしなさい。例え、私の命令に背こうとも、兄様の言うことに従いなさい』と」
「!ッ……姐御」
「兄様は生きています。どうやら、このこじれた糸、あやせるは兄様だけ。私たちのような極道者が兄様の邪魔をしてはいけません。この状況に、"正解"があるとすれば、それは兄様が為すことでしょう」
鬼瓦丈造は、険しい顔のままわずかに頷き、低く、はっと応じた。
「お行き」と百合華は命じた。
鬼瓦は振り返ると、真田といくつか言葉を交わすと颯爽とロビーを出て行った。
百合華はたおやかに、ソファに背を委ねる。
目の前には、ロク少年と二ィ少年の格闘が展開されている。
それは芸術だった。二人の白い少年の繰り出し、交差する巧妙な技の数々は、百合華を満足させるには十分なものだった。
しかし、それは最早、百合華にとって前菜でしかなかった。
百合華は内なる蠢動を抑えることが出来ない。
流石は、私が恋した人。
百合華は闇にとろけそうな瞳で、目の前の演武を鑑賞する。
兄様は絶対に、ここに来る。そして、兄様は何を為すか、わたくしめ如きには想像もつきませんわ。
しかし、この不肖、黒条百合華は兄様のご意思に沿えるよう全霊を投げ打たせて頂きます。





