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[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:遺伝子コンプレックス)  作者: 舛本つたな
[第二部]僕は33歳、こんなんだけどお父さんだから。
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[2-16]自分は生まれついての***だ

 黒条百合華はロクを見て、嘆息した。

 目の前には真っ直ぐにこちらを見据える不遜な赤い目が鋭い光を放っていた。

 突然、ロク少年が姿を見せて話したい事があると言われたので、相対してみれば、さて、何のことはない。いじけ果てた先ほどの様子とはうって変わった、毅然とした様子に落胆を隠せない。


 いと残念ね。

 どうやら、不遜なる天才ロク少年は、立ち直ってしまったようね。


 こめかみに人差し指を押し当てながら、百合華はまっすぐこちらを見るロクの顔を眺めた。秀麗で端正な顔に、強固な意志を宿したその瞳を改めて鑑賞する。

 それは美しいのでしょうけども、やはり私の好みではないわね。

 個人的には、兄様が攫われたと知ってオロオロとしていた先ほどまでのロク少年のほうが好きだ。


「黒条組長、今回の件ですが、僕も黒条組に同行させて頂けませんでしょうか」

「別に構わなくってよ」


 百合華は人差し指でその長い黒髪を弄びながら思いを巡らせる。

 ロク少年にはGOAとかいう大層な実働部隊を持っている。Gene Optimized Army、遺伝子最適化部隊とかいう品のない組織だ。彼がその気になれば、黒条会と共同戦線を張る必要などない。断われる理由などあるはずもなく、むしろ許可を申し出る彼に疑念が沸く。


「GOAはお使いにならないのかしら?」

「いえ、GOAは別働で参加します。そちらにはグランマと宮本さんがいますから」

「一応、言っておきますが、別に貴方の助けはいりませんわよ。黒条は単体で十分ですわ」

「助けるつもりはありません。ただ、同行させて頂ければ、と」

「同行……ですか」

「ええ、一兵卒としてでも扱ってください」


 百合華は、指に絡めた髪を少し引っ張った。

 ――らくないわねぇ。

 品種改良素体であり政府の重要人物でもあるこの少年を、一兵卒として扱うことの難しさを、理解できないロク少年ではあるまい。


「つまり、黒条の喧嘩に参加するということかしら?」

「ええ、出来れば」

「一兵卒として?」

「それでも、構いません」

「……はぁ」


 百合華は指に絡めた自分の髪を鼻孔に寄せて、すん、と匂いを嗅いだ。

 牛乳石鹸の匂いが心地よい。これは母が好んで使っていた石鹸だ。

 わたくしはこの匂いが好き。

 飾らない自分を錯覚出来るから。自然体でいられると思いこめるから。

 自分らしくあることを、私は最も大切にしてきた。

 幼い頃から極道社会に身を置き、請われるままに組長として振る舞い、挙句の果てに関東全域を支配する大組織の長となった私にとって、自分らしくあることが唯一の行動指針であり、それは私の唯一信じるに足る宗教だ。


『自分は生まれついての***だ』


 黒条百合華は、この***に埋まる言葉を探すことを、ある意味諦めていた。

 普通の少年少女ならば、***の必死に探すのだろう。それで悩んでみたりもするのだろう。勉強したり、部活動に精を出したり、恋したりして試行錯誤して見せるだろう。そして、大人になり諦めるように、なりたい***ではなく、なれた***を受け入れるだろう。

 しかし、私はしない。私は***は探さない。

 どうせ、自分には極道の組長となる人生しかない。だったら、探すだけ無駄だ。見つけてしまったところで、歯がゆいだけだ。


 ――自分は生まれついての組長だ。だって、それが好都合だから。


 だから、私の***は極道の組長で、それ以外だと困る。困るから探さない。悩まない。悩めない。考えない。

 与えられたその範囲の中で、自分は満足して死ぬ。

 それが黒条百合華の生をまっとうすると言うこと。


「似合わないわねぇ」

「似合いませんか」

「ええ、まるで中学生が必死に貯めたおこずかいで買った初めてのお洒落着のように、似合ってないわ」

「例えが分かりにくいですよ」

「その分、的確よ」


 百合華は、指で髪の先をつまんで自分の唇を撫でる。

 黒の長い髪は私に似合っていると思う。なぜなら、組の皆がそう言っていたから。

 私は何人かは必ずいるような学校の同級生のように、髪を染めないし、短く切る事はしない。

 黒条の女組長の髪は、艶やかな長い黒髪であるべきだ。


「貴方は所詮しょせん、品種改良素体よ」

「……所詮、ですか」

「ええ、たかが改良素体がよ。一兵卒になろうなんて、不自然。貴方なんて、せいぜいが全体を統制する将の器よ。最前線を張る器ではなくってよ」

「それでも、僕は自分で父さんを助けに行きます」


 ギリ、と百合華は唇を噛んだ。


「それこそ身の程をわきまえてないわ。そういったことはGOAの隊員とか、もっと相応ふさわしい人に任せなさい」


 お利巧で、狡猾で、老獪ですらあったあのロク少年はどこに行ったのかしら。

 聞き分けのない子供を出せるような喧嘩はないわ。


「貴方に黒条全体の指揮を任せてもいいわ。それなら、私からお願い申し上げてもいいくらいよ。私の参謀として隣にいてくださいな。どうぞ、大局を見極めてくださませ。それが貴方の限界でもあるわ」

「……そうですか、では、僕は単独で行動させて頂きます」


 ロクはそう言いながら、頭をゆっくりと振った。

 その仕草に、百合華は目を細める。


「随分と聞き分けがないわね」


 百合華の声が、若干のいらだちに、半オクターブほど上がる。

 無意識にトントンと指でこめかみを叩く。

 人には領分というものがある。生まれ持った運命というべきものだわ。このロク少年の運命は品種改良素体であり、私のそれは黒条組組長だ。

 それ以外の何者にもなれやしない。

 なりたいとも思ってはいけない。


「聞き分けなさい! 浮かれてないで冷静になりなさい。いいこと、坊や、お上の要人である貴方がしゃりしゃりと出張って来られては迷惑なの」

「ご協力頂けない、と」

「そのようなご協力は出来ない、という事よ。喧嘩の前線に貴方を出して、万が一の事があれば、兄様に何と顔向けすれば良いのか」

「心配はありません。僕はこれでも十分に強いつもりです。もしかしら、父さんよりも……」


 ――このわきまえも知らぬ小僧が!


「貴方ごときが、兄様のようになれるわけないでしょう!」


 それは咄嗟に出た言葉だった。

 百合華は、しかし、その言葉がもたらした結果に目を見張った。


 目の前のロクの表情が、酷く傷つけられたように歪んでいた。

 まるで、親のかたきを目の前にしたかのように、秀麗な唇をわなわなと震わせ、頬を蒸気させ朱に染め、こちら睨む眼は燃えるようで微かに潤んでいる。

 彼は明らかに傷ついていた。


 百合華は、息をのんだ。

 自分自身の言の葉に、視界が開ける気がした。

 そうか、そうだわ。


 ――全てを与えられたこの万能の天才にんぎょうは、

 ――何も持たずに生まれ落ちた、未調整の兄様になりたいのだ。


 ロクの唇はわなわなと震えている。

 彼は、口の端からこぼれ落ちる本音をぬぐい隠すように「父さんは、関係ありません」と言う。


 百合華は、唇に当てた指を噛んだ。

 なんと言う強欲だろう。強欲悪魔マモンも呆れ果てて節制を説くだろう。

 この少年は、文字通り、全てを手に入れようとしている。

 それは、墜落少年イカロスよりも愚かなことだ。高慢バベルの塔のようにへし折られるべきだ。

 この少年の存在定義アイデンティティは分裂しつつある。まるで人の高慢に怒った神が、人の言語を分離してこの世を混乱させたように。


「わきまえなさい。兄様のようには、貴方は絶対になれない」

「話が飛躍しています。父さんは関係ないでしょう」

「道理から外れているのは貴方よ」


 百合華は手で口を覆った。

 

 ――美しくも無様


 何たる無様、歪で不条理。

 凡百の徒がうらやむ身に生まれたこの少年は、しかし、凡百の輩が憐れむ存在に憧れているのだ。

 それはあまりにも傲慢だ。凡百に対する侮辱、酷い皮肉だわ。何たる性悪。私以上よ。

 その証拠に、ロク少年の美しい顔は醜く歪んでいる。

 その表情は、私好み。大好物といってもいい。


「ロク君」

「……なんでしょうか」


 私は愉快さで歪んでしまいそうになる口の形を両手で隠した。

 この少年のことを、初めて好きになれるかもしれない。

 もっと見たい、矛盾と高慢に、醜く歪んで崩れゆく彼の美しく無様な顔を。


「条件があるわ」

「条件?」

「ええ、対等な条件よ」


 この少年が、敵地で兄様と出会った時、いったいどんな顔をするのだろう。


「それは、私もその場に連れていくこと」


 ロクは目を細めた。


「どこに、でしょうか」

「貴方がこれから行くところに、よ」

「どういった所か、ご存じで?」

「ええ、幼い頃からずっと鉄火場は見てきたわ」


 ハジキにドス、飛び交う怒声の中に立つこの少年はきっと絵になる。


「危険です」

「それはお互い様、もちろん護衛はつけるわ。そうねぇ、鬼瓦から何人か借りようかしら? それに、そうだわ。モミちゃんにも同行してもらいましょう。あの子以上の実力者は実際いませんもの」

「黒条さん、そう言った問題ではありません。相手はただの中国マフィアではありません」

「あら? やっぱりそうなの」


 百合華は笑いながら、ロクを覗き込んだ。

 ロクは顔をしかめながらも、近づいてくる百合華の顔を正面から見返す。


「やっぱり、とは」

「ええ、何なら、もう一つ、ホコリを叩いて見せましょうか? そうね、兄様を攫ったのは中国政府の工作員、あるいは特殊部隊、ではなくて?」


 ロクは口をぐいっと引き結んだ。その目は一層険しく百合華を見ている。

 くすり、と百合華は笑った。どうやら、正解らしいわね。

 

「品種改良素体らしき謎の少年がいる組織が、青蛇団ごときの弱小マフィアであるわけないでしょう。あまりに不自然だわ。それに、奴らはウチ傘下の藤倉組を襲撃し、短期間でシマを奪った。そのやり口には高度な戦術タクティクスを感じたわ。奪ったシマの維持、襲撃後の混乱の少なさから戦略ストラテジも伺える」


 百合華は、つっ、と顎をあげてロクを見下ろす。

 ロクが刻んだ眉間のシワが、肯定を表していた。


「いずれにしても、一介のチンピラに出来る芸当ではないわ。例え品種改良素体がいたとしても実行力が不足している。あれはプロの仕業よ。十分に訓練を受け、目的意識を持った戦闘集団があそこにいる。それに、それほどの集団を導ける強力な指導者カリスマも、ね」

「そこまで知っていて、貴方は黒条組のみで向かうというのですか」

「あら、当然じゃない。だって、兄様がそこにいるのよ」


 ロク少年の強くしかめた目元に小さなシワが集まっている。

 百合華はそれをじっと観察する。お利口な彼は、さて、気が付いているのかしら、自分が今、どれほどに滑稽なのか。


「黒条組長……」


 とロク少年はこぼしたが、何か迷うように言い淀んでいる。


「何かしら」


 百合華は興味を刺激された。


「いえ、」と目を背けようとしたロクの顎を、百合華は思わず手を伸ばしてぐいっと掴んだ。

 そのまま、ぐい、とロクの顔を引き寄せる。秀麗が無様に歪んだ表情が目の前にある。その耳元にそっと口を寄せて、甘息を吹き込むようにささやいた。

「吐き出しなさい」


 百合華は顔を離して、ロクの瞳の奥を覗き込んだ。

 彼の瞳には、動揺が見て取れる。揺れ動く瞳孔には、嬉しそうな自分自身の表情が映り込んでいる。

 ロクのわななく唇が、逃げ場を探るように小さく開いた。


「貴方にとって父さんは、」

「愛する人よ」


 百合華は即断した。

 愛する人、などという言葉では生ぬるい。これは妄執だ。蛇のように執念深く、犬のように一途な劣情だ。

 ロクはそれに気圧されて、息を呑んだ。


「……貴方は恐ろしい人です。グランマのように優秀で、」

「やめて、あのような空虚な女と比べないで欲しいわ」


 百合華が目の前でそう吐き捨てる様子に、ロクは目を見開く。


「……黒条組長、質問です」

「なにかしら」

「もし、100人の組員を犠牲にして、父さんを救えるなら、貴方はどうします」

「兄様を救うわ」

「……どうして、ですか」

「どうしても、よ」

「答えになっていませんよ」

「答えを教えて欲しいのかしら?」


 無言で、ロクは頷くと、目の前の百合華の顔がニッコリとゆがんだ。


「嫌、よ」

「いや、ですか?」

「ええ、いやよ。答えたくないわ。口にしたくないの」

「どうして」

「兄様への愛が、薄れるからよ」


 その言葉を口にした途端、百合華の胸に充足が広がる。

 我ながら、良いことを言ったものだわ。自分のことをまた少し好きになれそう。これ以上の説明は無粋の極みね。しかし、ロク少年はまだ物分かりが良くない様子。納得しかねる様子で、眉をしかめている。

 なんて、無様なのかしら。

 百合華はため息をついた。これだから、お子様は……


「まだ、納得いきませんの?」

「ええ、百合華さん」


 百合華さん、ね。さて、いきなり名前を呼ぶとは、随分ねぇ。


「貴方は聡明で、何万人という人を引き付け、その年齢で大組織を仕切るほどの実力者です」

「それは、ロク君もそうなのでなくって?」

「僕のは、与えられただけです」


 そう言って、ロクは目を伏せた。

 あら、殊勝ねぇ。と百合華は少しだけ驚いた。


「僕は、幼い頃から第七世代の最適解として、政府の意思決定を代行することを許可されてきました。でも、それは百合華さんとは違います。それは政府から委託された権力で、その権力にみんなが従っているだけです。僕が最適解になったのだって、それは生み出された時の遺伝子配合が偶然良かっただけで、それは自分でつかみ取ったものではありません」

「それはその通りでしょうね」


 容赦なく百合華は肯定した。それ以外にどうしようもあるまい。彼が語ることは、まさしく真実そのものなのだから。


「僕が命令する政府関係者やGOAの隊員と、百合華さんと黒条会の構成員との関係は根本的に違います。僕のは借り物で、百合華さんのは勝ち取ったもの。そんな気がする」


 ロクは片手を上げて、その手のひらを見つめた。

 この手は何も掴んだことがない。そんな手が、人に殺せと命じて、二ィからサンを奪ったのだ。そして、今度は父さんの命までも奪おうとしている。


「それは買いかぶりというものよ」


 百合華のその声に、ロクは面を上げる。

 そこには、百合華の艶やかな笑顔があった。


「私も黒条組の組長という名を与えられただけ、それは貴方の与えられた最適解と何ら変わらないわ」

「でも、僕は……」

「私たちは与えられた存在定義モノを演じるだけで精一杯なだけ。何一つ、つかみ取ったことなんてないわ」


 百合華は思わず、ロクを抱きしめた。

 ……私としたことが、兄様以外にこのようなことをするなんて、

 案外、自分の母性本能とやらも安っぽいわね。


「だから、私たちは兄様に魅せられる。兄様は何も与えられず生まれ、何かをつかみ取ってたから。それは、私たちには絶対に出来ないことだから」


 ロクは百合華の腕の中で、ゆっくりと頷いた。





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舛本つたなの別作品リンク
公爵令嬢になったお腐(ふ)くろさん、(以下略)

本作を大幅に書き直した書籍版(kindleなどの電子書籍もあり)です。 下の画像で出版社さんのサイトに飛びます。 下読みもできますよ。

遺伝子コンプレックス
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